チャールズ・クローヴァー『ユーラシアニズム――ロシア新ナショナリズムの台頭』(NHK出版、2016年)という本について
 
 「ユーラシア主義」というテーマ――この訳書では「ユーラシアニズム」という耳慣れない表現が使われているが、日本の学界ではかねてより「ユーラシア主義」という言葉が定着している――は重要かつ興味深い主題だが、極度に多面的で、そもそもどういうことを指しているのかをつかまえるのも難しいし、評価も大きく分かれる論争的なテーマである。その諸側面のうち「歴史の中のユーラシア主義」および「思想としてのユーラシア主義」は日本でもかなり研究が積み重ねられてきたし、「現代政治におけるユーラシア主義」のいくつかの側面もある程度論じられてきたが、歴史と現状、思想と政治をあわせて体系的に一書で論じられるということはこれまでなかった。
 こうして類書が少ない中で、本書は歴史・思想・現実政治の諸側面にわたってかなり詳しくユーラシア主義について論じた、日本語としては最初の書物である。その意味では、本書の刊行は歓迎して然るべきことのはずだが、にもかかわらずそう言い切ることには大きな躊躇いがある。というのも、本書は非常に「あくの強い」――極論すれば、「キワモノ」に接しかねないところのある――作品だからである。
 著者はジャーナリストとして持ち前の馬力でかなりの量の情報をかき集め、その中にはこれまであまり知られていなかったものも含まれる。それは結構なのだが、そこには、どこまで本当なのか判じかねる類の事柄について、十分な根拠を示すことなく断定的に書かれた個所が少なくない。大まかな印象としては、特に現実政治と関わる後半部で怪しげな個所が多いように感じた(だからといって、思想に関する著者の理解が正確だという保証があるわけではないが)。本書はあまり緊密な論理構成を持っておらず、いろんなことが雑然と詰め込まれている観があるが、とりあえず目につくいくつかの点を挙げるなら、「ロシアには陰謀がよく似合う」とでも言いたげな叙述があちこちにある。他面、イデオローグと目される人たち(の一部)が実は自分の言辞を信じているのかどうか分からず、イデオロギーには大した意味はないといった、ポストモダンでシニカルな状況の指摘もあり、これはこれで面白くなくもない。プーチン政権と「ユーラシアニスト」たちの関係については、あちこちに思わせぶりな記述があるが、結局のところどうなのかはよく分からない。国際政治がらみの個所では、相当明白に「ロシア悪玉論」的な価値判断に立っている。全体として、「ひょっとしたら本当にそういうことがあるかもしれない」と感じさせる部分もなくはないが、あまりにもたくさんのことが雑然と並べられているために、どこは信頼でき、どこは信頼できないかを判別するのは至難である。
 そういう本であっても、もし対象に関する一応の概観的知識が広く分かちもたれているなら、「これはこれで、一つの独自な見方だな」と受け取ることができる。だが、その前提がない現状では、読者はあれこれの新情報らしきものを前にして、そのどこをどの程度信じてよいか分からず、ひたすら困惑するほかない。あるいは著者の自信たっぷりな書き方に幻惑されて、「へえ、そうなんだ」と素朴に納得する人もいるかもしれない(それが出版社の狙いかもしれない)。ついでにいえば、「訳者あとがき」は対象についてまともな知識を持っていないことを自己暴露しており、およそ読者の助けにならない(訳文にも疑問個所が多い)。
 私はこの主題にかねてから関心をいだきながらも、自分自身の研究テーマとして取り組んではこなかったので、立ち入った論評をすることはできないが、とにかくこの重要テーマについてもっと手堅い著作が現われることを切望する。そうした本が出た後なら、本書ももう少し安心して読むことができるようになるかもしれない。
 
*フェイスブックの私のタイムラインに2016年9月20日に書き込んだもの。