様々なマルクス主義思想の系譜――見取り図形成のための初歩的試み
 
 
まえがき
 
 今日、社会主義の思想および運動*は圧倒的多数の人々の意識において「過去のもの」となっている。そのことを当然と考えるか不当と評価するかはさておき、ともかくそのような意識が現に広く行き渡っているということは否定できない事実である。となれば、そのようなテーマに殊更に関心をもつこと自体が無用のことだというのが常識的発想かもしれない。だが、歴史家の観点からすれば、まさに「過去の思想」としての社会主義について「歴史」の一構成要素として――つまり思想史の一つの主題として――検討する必要性があるのではないだろうか。
*なお、社会主義にも多様な潮流があるが、ここでは、とりわけその中のマルクス主義的潮流――これ自体、その中を細かく分けてみると多種多様な流れからなるが――を念頭においている。これは非マルクス主義的社会主義を軽視してよいと考えるからではなく、さしあたりの限定に過ぎない。マルクス主義だけでも十二分以上に広いテーマであり、一挙にそれよりも大きな対象に取り組むことはここでの課題を超える。
 このような問題提起に対しては、2通りの方向からの批判がありうる。
 一方では、「まだ過去のものではない。死んだかに思われているが、実は生きているのであり、これを過去のものとみなすのは間違いだ」という見地がある。そのような見地の当否には、ここで立ち入るつもりはない。ただ、仮に「まだ生きている(あるいは「再生させられる)」という立場に立つにしても、ともかく現に多くの人によって「過去のもの」とみなされているという現実を先ず見つめ、その思想的総括を踏まえることは必要不可欠な作業のはずである。
 他方では、逆に、「既に誤りが実証され、葬り去られた思想なのだから、今更振り返る必要などない」という発想もある。だが、これは幾重もの意味で不当である。第1に、どのような種類の過去の思想であれ、ともかく人類社会のある一定部分にかなりの影響を及ぼした思想というものは、その現代的評価と関わりなく、すべて思想史研究の対象となる資格がある。このこと自体は一般論だが、この原則は――この点は今日しばしば見過ごされがちだが――マルクス主義の場合にも同様に当てはまるはずである。
 第2に、19世紀末から20世紀にかけての世界史の中で種々のマルクス主義が果たした役割はよかれ悪しかれ非常に大きいものがあった*から、近現代史理解の観点からこのテーマを落とすことができないのは当然である。にもかかわらず、近年、そのことがしばしば忘れられがちだが、そうした忘却は歴史認識に大きな空白をもたらしているように思われる。
*マルクス主義は非常に多様な潮流からなり、内部対立も大きいから、それを単一の思想と見ることができるかどうかも問題となる。ここでは、そうした内部対立を含みながら、いわば「複数のマルクス主義」が全体としてもった影響力の大きさを問題にしている。
 第3に、今日に至るまで、やや薄められたり、修正をこうむったりした広義のマルクス主義はそれなりに一定の位置を言論・思想界に占めており、それらを理解するためにも、その系譜を確認することには意味がある。今日の思想家や社会科学者たちの中には、大なり小なりマルクス主義の影響下にありながらも、そのことを正面から標榜するのを避けるような諸潮流――いわば、一種の「隠れマルクス主義」――もかなりあるが、それらの位置を理解するためにも、その系譜をたどる作業が必要である*。
*初稿後に読んだ次の文章は、この小文のエピグラフにふさわしいもののように思われるので、特定の文脈に関わる部分を省略しつつ、やや長めに引用しておく。
 
「ポスト共産主義の現代世界に暮らす……読者にとって……いまは亡きマルクス主義‐共産主義の教義を……論じる著作など、無用なもののように思われるにちがいない。なんといっても、この一〇年でマルクス主義‐共産主義の理論、実践、組織は……すでに破綻を来たし、完全に崩壊してしまったのだ。それなのに、どうしてわざわざ、この政治的死体について長々と退屈きわまる死亡記事を書くのはいうにおよばす、読んだりするというのか。それに対する私の回答は、つぎのようなものだ。共産主義の亡霊は、死んではいるものの、いまだに私たちにとりついている。生ける者と長く波乱に満ちた契約を交わしてきたため、死者はその親密な対話者の文化的精神のうえに深い刻印をのこさずに旅立つことはなかった。そうであるからこそ、共産主義の幽霊譚を書き、読み、理解することを通じてのみ、生ける者は、みずからの下意識にある文化的自我を完全に意識することができるようになるのである」。
(Kasian Tejapira, Ph. D. Thesis, 1992; ベネディクト・アンダーソン『比較の亡霊』472ページより重引)。〔この補注は2007年8月追加〕。
 
 私自身は、従来、思想史にはあまり強い関心を寄せることなく、むしろ思想や理念から離れた社会・政治・経済的実体の歴史に主たる関心を払ってきた。ある時期まで盛んだった理念主導型の歴史観――あたかも思想が歴史の流れを直接決定するかのような見方――への反撥がそこにはあった。そのため、いまでもあまり思想史には通じておらず、そうしたことを語るのに適任ではない。にもかかわらず、このような文章(未定稿)を書いてみようと思うに至ったのは、マルクス主義再興を促そうなどという意図によるわけではない。また、ソ連の歴史(あるいは他の旧社会主義国の歴史)を研究する上でマルクス主義思想が決定的な位置を占めると考えるからでもない。歴史というものは、多種多様な要素の複合からなるものであり、思想はそのうちのワン・オヴ・ゼムに過ぎない。ただ、近年、かつてのイデオロギー過大評価の「裏返し」的な行き過ぎとして、思想がワン・オヴ・ゼムですらなく、端的にゼロとみなされるような傾向があるような気がして、それではバランスのとれた歴史像にならないのではないかと思われてならない。理念はそれ自体として歴史の進路を直接決定するわけではないが、ある時代にある種の特異な観念がかなり大きな範囲にわたって広まったという事実があるならば、それを歴史上の一つの興味深い現象として観察することはやはり必要な作業であるはずである。
 ここ数十年の間に、マルクス主義思想の地位低下が急激に進んだ結果、若い世代の多くの人々の間では、マルクス主義思想に関するごく基本的常識事項さえも知られていないという状況があるように見受けられる。かつて文科系の大学生の基本常識――どこまで本格的に勉強したかは別として、少なくとも知っているふり位をしないと恥ずかしいと思われるという意味で――の中にマルクス系の各種思想・学問が大きな位置を占めていたことを思うと、まさしく隔世の感がある。確かに、かつての過大評価には種々の点で異常な面があったから、そこに戻る必要はさらさらない。だが、近年のような極端な過小評価もまた異常であり、一種の知的欠落・空白をなしているように思われる。諸種のマルクス主義潮流に対する評価はどうであれ、ともかくそれは歴史理解の一こまとして欠くことのできない構成要素をなしているはずである。この未定稿は、そうした欠落を埋めるためのごく初歩的な試みである。
 
 そうはいっても、適切な見取り図をつくるのは極度に難しい。広い意味でのマルクス主義思想はあまりにも多種多様であり、それらすべてに通じ、それらを適切な配置において解説するなどということは、理論史・学説史・思想史などを専門としない一個人にとっては至難の業である。
 困難性はただ単に対象の多彩性だけに由来するわけではない。「過去の思想」とはいえ、比較的最近まで多くの人の胸を騒がせてきたものであるだけに、適切な距離をとってみることがなかなかできないという事情が、そのバランスのとれた概観を一段と困難なものとしている。ある人は、「裏切られた」という感情を抱いて、殊更におとしめようとし、ある人は、「総崩れの中で、何とかして孤塁を守らねばならない」という義務意識に駆られるあまり、いささか偏狭な発想にこりかたまるといった傾向がしばしばみられる。そうした現象が起きること自体はある意味で自然なことではあるが、ともかくそうした感情論にとらわれたり、生の形での価値意識を直接持ち込んだりするなら、多様な諸潮流全体のバランスをもった見取り図をつくることはできない。
 マルクス主義入門のたぐいは、数からいえばたくさんある。しかし、その大多数は、今日の目からはあまりにも古過ぎるものとなっている。比較的最近出たものもいくつかあることはあるが、それらの多くは、「これまでの旧派マルクス主義は駄目だったが、この新潮流だけは生き残る価値がある」といった観点に立って、特定流派を一面的に擁護するものであるようにみえる(もっとも、私自身はそれらの文献を幅広くみているわけではないから、これはあくまでも印象論に過ぎないが)。そうした党派的議論というものの意義を全面的に否定しようというつもりはないが、とにかく、その前に、多様な諸潮流の全体についてのバランスのとれた見取り図――どれかの流派を特に持ち上げたり、何らかの流派を排除するのではなく、できるだけ広範囲に様々な潮流を列挙したもの――をつくることが先ずもって必要ではないかと思う。
 以下の「見取り図」案はそういう見地から作成したものなので、そこにおける「マルクス主義」は広義のそれであり、大なり小なりその影響下にある各種思想を幅広く含む。そこには、当人が自ら「マルクス主義者」と公言していない人たちや、マルクス主義から離脱あるいは「転向」したような人々も含む。当事者たちの党派的な対抗感情から、お互いに「あいつらはマルクス主義者ではない」とみなしあうような関係が頻繁に発生するが、ここでは、どれが「本物のマルクス主義」で、どれが「偽のマルクス主義」かという判断には立ち入らず、ともかく関わりのある思想群を広くとりあげることにする。このように対象を広くとる結果、やや茫漠としたものになってしまうおそれもある。それでも、ともかくその影響の広がり、内部的多様性を知るためには、一旦このように視野を広げておく必要があるのではないかと考える。
 もっとも、私自身、これらの多種多様な思想の全容に通じているなどとは、とてもいえない。そこで、立ち入った解説は最初から断念し、ただともかくどのような広がりがあるかをつかむため、筋と皮だけの形で(いわば、本文のない目次だけのようなもの)、最初のデッサンを試みる。このように中身のないものでも、とりあえず一つの道しるべ程度になればというのが秘かな期待である。
 今述べたようにできるだけ言及範囲を広くする方針をとったが、それでもあちこちに遺漏があるだろうし、配列が不適切なところも多いだろう。素人の余技として――それも、大部分は遠い昔に読みかじったことのうろ覚えの記憶をもとにして――書かれた未定稿である以上、至る所で穴だらけなのは当然至極である。これを読んであれこれの遺漏・誤謬・不適切さなどに気づいた人は、できることなら、「こんな欠陥を見つけたぞ」というだけで話を終わらせるのではなく、そうした欠陥を克服するにはどうしたらよいのか、そのことによってどのような新しい視座が拓かれるかなどといった問題を考えて頂けたら、と願う。それは面倒かもしれないが、建設的で生産的な作業となりうるだろうし、もしそのような読者が現われるなら、こうした不完全な未定稿を作成したことにもなにがしかの意義があったことになる。私自身はこの作業に全力を投入するというわけにはいかないし、どのくらいの頻度で改訂作業ができるかも確言できないが、とにかくぽつりぽつりとでも修正を施していきたいと考えているので、建設的なご批判・ご意見を歓迎する。
 
 
見取り図への試み
(本文抜きの目次、未定稿)
 
T 古典
1 前史  
 各種のユートピア思想(社会主義諸派を含むが、それに限られない)
 古典派経済学
 ヘーゲルおよびヘーゲル左派(フォイエルバッハなど)
 その他
 
2 「本尊」
 マルクス、エンゲルスとその周辺
 初期の哲学論考、『共産党宣言』、『資本論』、政治論、歴史論、運動論、社会主義社会の構想等々
 
3 ロシアにおけるマルクス主義
 プレハーノフ
 「合法マルクス主義」派、「道標」派など
 レーニン(革命戦略、党組織論、ロシア資本主義論、哲学、民族問題、農業問題、国家論、革命後の諸政策、晩年の諸著作等々)
 ボグダーノフ
 トロツキー、ブハーリンなど
 
4 ドイツ・オーストリア 
 カウツキー
 ベルンシュタイン
 ローザ・ルクセンブルグ
 オーストリア・マルクス主義(バウアーら)
 その他
 
U 展開
1 ソ連  
 スターリンおよび「マルクス=レーニン主義」
 硬化以前の様々な分野ごとの理論家たち。哲学(デボーリンら)、歴史学(ポクロフスキーら)、法学(パシュカーニスら)、心理学(ヴィゴツキーら)、社会学(ブハーリン学派など)、教育学、言語学その他
 スターリン批判以後の展開
 異論派の諸潮流
 
2 ソ連以外の系譜(戦間期)
 ルカーチ
 グラムシ
 フランクフルト学派第1世代(アドルノ、ホルクハイマー、ベンヤミンら)
 その他
 
V 西欧マルクス主義
 多様な潮流がある。とりあえず国別に分けるが、これはもとより便宜上のものでしかない。各国ごとについてごく簡単な解説めいたものをつけたが、あくまでも思いつき的なものに過ぎず、正確さを主張するものではない。
 
1 ドイツ 
 戦後の西ドイツでは、東ドイツとの対抗もあり、またドイツ社会民主党が明確なマルクス主義離れをしたということもあって、現実政治の中でマルクス主義的な運動が大きな役割を果たすことはなかった。しかし、知識人の世界では、それなりの位置を占めていたようにみえる。
 フランクフルト学派第2・第3世代(ハーバーマス、オッフェら)など
 
2 フランス 
 戦後のフランス政界では共産党がかなり大きな位置を占めていた。それだけに、それに対抗する右派知識人、非正統派マルクス主義(トロツキズムや毛沢東主義など)、また転向した元左翼等々が、それぞれに対抗意識を燃やして論戦を戦わすという状況が続いてきたようにみえる。
 サルトル、メルロー=ポンティら
 アルチュセール
 「社会主義か野蛮か」派(ルフォール、カストリディス、モランら)
 プーランツァス、バリバールら
 レギュラシオン学派
 その他
 
3 イギリス
 イギリスというと、労働党にせよフェビアン協会にせよマルクス主義と無縁という印象があるが、共産党系の知識人や各種のマルクス主義者も意外に多い。イギリス共産党には、「正統派マルクス主義」の通念におさまらない知識人がかなり含まれたようだ。
 『ニューレフト』派。ペリー・アンダソン(ベネディクト・アンダソンの弟*)、トムソン(イギリス労働運動史)など
 ホブズボーム
 イーグルトン
 カルチュラル・スタディーズ
 その他
*なお、ベネディクト・アンダソン(主にアメリカで活躍しているが、両親はアイルランド人とイギリス人で、国籍はアイルランド)はマルクス主義者のうちに数えられることが滅多にないが、『想像の共同体』はペリー・アンダソンの勧めでイギリスの読者向けに書かれたとのことであり、本人が後に回顧していうには、「正真正銘の構造主義的、マルクス主義的テクスト」のつもりだったという(『ベネディクト・アンダーソン、グローバリゼーションを語る』光文社新書、51頁)。同書の冒頭に中国・ヴェトナム・カンボジアの戦争のことが触れられ、社会主義国同士の戦争という現実をどう考えるかという問題から出発していること自体、社会主義やマルクス主義を真剣に受けとめる態度を前提している。同様のことは、『比較の亡霊』収録の後年の論文「共産主義後のラディカリズム」からも窺える。
 
4 イタリア
 イタリアは西欧の中で共産党の強かった国として知られる。また、その路線も、トリアッティ時代の構造改革論からベルリングェル時代のユーロ・コミュニズムへ、更には党名変更(左翼民主党)など、大きな変化を経験している。もっとも、特に著名な理論家はあまりいないようにみえる(少なくとも私自身は知らない*)。
*現代イタリア思想に関する私の知識は至ってお粗末なものだが、ここ数年一部で盛んに持ち上げられている『帝国』(ハートとの共著)の著者ネグリも――かなり特異な潮流のようだが――イタリアのマルクス主義者の一人だったことを思い出した。もっとも、彼およびこの著書の位置づけについて、大騒ぎがある割りには実質的な議論は乏しいような気がしてならない。
 グラムシ発掘など
 
5 北米(アメリカ合衆国およびカナダ)
 アメリカには社会主義もマルクス主義も無縁であるかに思われがちだが、意外にそうでもない。一つには、戦間期から戦後にかけてヨーロッパから大量に流れ込んだ亡命ドイツ人・ユダヤ人などの影響もある(フランクフルト学派のアメリカ到来、New School for Social Research設立など)。また、ある時期には社会主義運動もそれなりに盛んだった。一部にはトロツキストの影響もあった(今をときめく「ネオコン」の論客が転向した元トロツキストだというのは皮肉な話である)。
 『マンスリー・レヴュー』(スウィージーら)
 フランクフルト学派の影響(フロム、マルクーゼなど)
 ウォーラースタイン
 マルクス主義フェミニズム
 「分析マルクス主義」派(ローマー、エルスターなど)
 その他
 
6 東欧からの影響
 先駆としてのドイッチャー
 ブダペスト学派(フェヘール、ヘラー、マールクシュら)
 ポーランド知識人(コワコフスキ、ブルス、その他多数)
 ユーゴスラヴィア(『プラクシス』派、ジジェクなど)
 旧東独知識人(バーロなど)
 その他
 
W 第3世界マルクス主義
1 起源  
 スルタンガリエフ
 ロイ
 中国マルクス主義
 ホーチミン
 その他
 
2 展開  
 ファノン
 ゲバラ
 一部の急進的黒人運動
 「従属」論
 ポストコロニアル派
 サバルタン研究
 その他
 
X 日本
 日本には戦前から諸種のマルクス主義思想の厚い伝統がある。特に、「講座派」と「労農派」の間の日本資本主義論争とその遺産が著名である。哲学者の間では、戸坂潤、三木清などがいた。
 戦後初期には、共産党の権威が一時上昇し、多くの知識人に影響を及ぼした。その後、様々な形で左翼が分解し、多様化していった。イタリアから構造改革論輸入(『現代の理論』など)。各種新左翼の登場。各種輸入学派など。
 
1 哲学  
 主体性論争
 実存主義との折衷派
 吉本隆明
 広松渉
 マルクス主義と構造主義、ポスト構造主義
 ポストモダニズム論争等々
 
2 経済学 
 正統派
 宇野経済学
 数理派、近経との折衷派など
 経済史学、大塚史学との折衷、「市民社会」派(平田清明ら)など
 
3 政治学 
「マルクス主義政治学」諸派(田口富久治ら)
 批判的摂取派(丸山眞男とその系譜)など
 グラムシの影響
 
4 歴史学 
 人民闘争史観
 社会運動史
 その他
 
5 法学  
 民科法律部会(渡辺洋三、藤田勇ら)
 正統派法学者へのマルクス主義の影響(川島武宜ら)
 
6 社会学 
  マルクスとウェーバー問題など
 
7 文学  
 戦後の「政治と文学」論争
 『新日本文学』
 その他
 
第1稿:2003年7月23日アップロード
第1回改訂:2004年1月18日
第2回改訂:2004年6月21日
第3回改訂:2007年7月20日
第4回改訂:2007年8月28日
 
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