200712月ロシア下院選挙をめぐって――直後の時点での試論

 

 

 今月(200712月)の2日、ロシア下院選挙が行なわれた。結果については広く報道されているとおりだが、日本のマスコミ解説にはいくつかの点で不十分なところがあるように思われてならない。私自身は、この間、歴史研究に軸足を置き、現状分析からは離れているので、本格的に突っ込んだ検討ができるわけではないし、開票速報が届いてまもない時点では、そもそも立ち入った分析など望むべくもない[1]。ただ、ともかくも、いくつかの思いつきを、あくまでも「試論」として書きとどめておきたい。

 以下の文章の中には、不十分な情報に基づく仮説めいた個所も含まれる。そのような不確実な仮説を書きとめるのは、それが外れたと分かった場合に、みっともない結果になるおそれがある。だが、「どうして仮説が外れたか」を検討すること自体が更なる研究へのステップになるのではないかという期待から、あえて「外れ」となることを恐れずに、とりあえず思いついたことを書き記しておくことにする。本格的な分析ではなく一種の時評なので、文体もそれに相応したものになっており、典拠注も省略する(依拠した情報の大半はありふれたものであり、容易に入手可能なものばかりである)。

 

     1

 

 今回の選挙で「統一ロシア」が大勝するだろうということ自体は、大分前から予測されていた。問題は、その勝利がどの程度のものか、また逆に言って他の政党がどの程度の票を取るか――「7%の壁」を越える党がいくつあるか――にあった。もう一つの注目点は、あまりにも一方的な競争になることで有権者が関心を失い、あるいは嫌気がさして棄権が広がるという現象がどこまで起きるか、つまり投票率がどうなるかにあった。

 そこで先ず投票率についてみると、公式発表で63.78%となっている。公式発表に疑問の余地はあるが、ともかくこの数字は前回2003年の56%よりも高く、95年の64%、99年の62%とほぼ同じである(異例な条件下で行なわれた1993年選挙は55%という低投票率だった)。圧倒的な低投票率なら選挙自体の正統性が疑われるところだったが、それは防がれたということになる(選挙全体の公正さへの疑問については後述するが、若干の水増しがあって、本当の投票率が公式発表より多少低かったとしても、選挙を無意味化するほど極端な低投票率だったということは考えにくい)。

 次に、各政党の得票率および獲得議席について、次ページの表によりながら考えてみる(ここでも、この数字をどこまで信用すべきかという問題があるが、それは後回しとし、とりあえず公式の結果に即して、その意味を考える)。表を見て先ず目につくのは、今回7%を超えた4党の議席を前回と比べると(「公正ロシア」の場合、その前身たる「ローヂナ(祖国)」の議席と比べることになる)、変化の幅はそれほど大きくないという点である。いろいろと注目点のある選挙ではあったが、結果としての議席数だけに着目していえば、意外なほど変化が小さかったということになる。

200712月2日下院選挙結果

 

 

 

参考:前回(2003)選挙時

 

得票率(%)

議席数

比例区得票率(%)

議席数

統一ロシア

64.30

315

37.6

300

ロシア連邦共産党

11.57

57

12.6

52

自由民主党

8.14

40

11.5

36

公正ロシア

7.74

38

14.0

36

農業党

2.30

0

3.6

0

ヤーブロコ

1.59

0

4.3

0

市民勢力

1.05

0

--

0

右派勢力同盟

0.96

0

4.0

0

ロシア愛国者

0.89

0

--

0

無所属

--

--

--

23

欠員

--

0

--

3

合計

100.00

450

100

450

前回(2003)選挙時についての注記.
1.
議席数は小選挙区での当選者を含み、また選挙時には他の党派や無所属で立候補して当選後に会派所属を決めた者を含む(その後の会派移動もあるが、ここでは選挙後まもない20031229日現在の数字を挙げた)。
2.
ヤーブロコと右派勢力同盟は小選挙区でそれぞれ4および3議席をとったが, 下院で会派を結成するだけの人数にならなかったため「無所属」扱い。
3.
「公正ロシア」は前回選挙時には存在していなかったが、後にこの新党に合流する「ローヂナ(祖国)」、年金党、生命党の合計を示した(そのうち議席をもっていたのはローヂナのみ)。

 今回の選挙結果について、日本のマスコミでは「統一ロシア」が3分の2を超えたということが特に強調されている。しかし、同党はもともと前回選挙後の時点で3分の2に達していた(表に示したのは選挙後まもない時点の数字だが、その後さらに参加があり、もう少し人数が増えていた)のであり、今回の議席増はそれほど大きな幅ではない。もっとも、得票率では確かに大幅上昇がみられる。得票率の大幅上昇がそれほどの議席増につながらなかったというのはやや奇異な感じもするが、今回の選挙制度変更(小選挙区の廃止、議席獲得条件の5%から7%への引き上げ)が「統一ロシア」にとってあまり有利ではなかったということになる(同党は小選挙区で獲得した議席が大きかった)。むしろ共産党、自由民主党、「公正ロシア」の3党が前回よりも低い得票率で前回を上回る議席を獲得したので、「得をした」のはこの3党ということになる[2]。対照的に「損をした」のは農業党、ヤーブロコ、右派勢力同盟である(これらの政党は前回でも既に「5%の壁」を越えられなかったが、今回、更に後退した。詳しくは後述)。概括していえば、新しい選挙制度は、少なくとも結果論としていう限り、最大政党の「統一ロシア」ではなく中規模の3党を利し、そしてより小さな政党に大きな打撃を与えたということになる。以下、主な政党について、個別に検討を加える。

 

     2

 

 既に述べたとおり、「統一ロシア」の大勝自体は――その度合いは別問題として――大分前からの予測通りであり、意外性はないし、現在のロシアの国内情勢からすればむしろ自然な結果といえる。

 では、なぜ「統一ロシア」の支持率が高く、勝利がもともと確実だったか。この党は日本の自民党[3]によく似た政党で、特定のイデオロギーにこだわらず、社会各層の個別利益を行政につなげる役割を果たしてきた。理念やイデオロギーよりも、「政権の座にあること」を何よりも優先する党であり、その一点において、雑多な政治家を糾合してきた。この巨大与党は、2001年に「統一」という党と「祖国・全ロシア」という党が合同して生まれたが、これはいわば日本の1955年における「保守合同」に匹敵する。なお、日本の1955年には左右社会党も統一したのに対し、ロシアでは、最大野党の共産党がほぼ同じ時期に分裂した(その一部が2003年の「ローヂナ」に合流し、更に再編を経て今回の「公正ロシア」につながっている)。そのことは、「統一ロシア」が55年以降の日本の自民党以上に巨大な優越政党となることを可能にした。

 ともかく、1990年代には「政権の党」たらんとする政党が複数あり、分立するそれらの党よりも共産党の方が相対的に大きいということで、政治がなかなか安定しなかったが、2001年の「保守合同」は、この党が「政権の党」であることを明確にした。そうなると、各地の政治家は、元来の立場に関わりなく、みな「勝ち馬に乗る」ようになり、この党を雪だるま的に膨張させた。もっとも、確固とした組織的規律をもたない寄り合い所帯という脆さをかかえているが、それでも、とにかく当面政権が維持できそうである限り、誰もここから離反しようとは考えないので、とりあえずの圧倒的優位が確保されるという構造がある。これはまさしく日本の自民党と類似の構造――しかも、共産党分裂のおかげで、それ以上に強い――である[4]

 これに加えて、ここ数年来、ロシア経済は国際石油価格の高騰に支えられて、高度成長を続けている。もちろん貧富の格差も大きいが、全体としてのパイが急速に拡大しているので、末端の底上げもある程度はなされており、国民の間に一応の満足感がある。1990年代においては、「冷戦に敗北した」というショック感と経済の急激な落ち込みというダブルパンチで、国民全体の間に不安や不満がみなぎり、政権に対する支持も低かったが、99年以降の好景気持続により、今では大多数の国民が「90年代の混乱を乗り切った」という感覚をいだくようになり、その結果として政権支持度が上がっている。プーチン個人に対する高い支持率もその現われである。

 こういうわけで「統一ロシア」およびプーチンが高い支持率を誇ること自体は、それほど驚くべきことではない。だが、その得票率がここまで高くなった――前述の通り、それほどの議席増を伴いはしなかったが――ことは、やはり驚くに値する。昨年から今年の前半くらいまでの時期においては、「統一ロシア」は来るべき下院選挙で勝つだろうけれども、それはこれほどまでの圧倒的なものではないだろうという観測が有力だった。各種の世論調査結果も、今年春に各地で行なわれた地方選挙の結果(後注8参照)も、「統一ロシア」のもう少しささやかな優勢を予期させるものだった。それがこれほど急激に得票率を上昇させたことについては、不正な方法での集票活動――場合によっては、それにとどまらず、数字の偽造も――があったのではないかという疑問を提起する。この点については、後で立ち返る(本稿の6)

 

 

     3

 

 共産党と自由民主党については、得票率・議席数とも比較的小幅な変化なので、簡単な検討にとどめる。共産党については、前回の2003年選挙の前夜に分裂があったことを前述したが、それが前回選挙での同党の大きな落ち込みの背景にあった。日本のマスコミは、共産党は老人の党で、高齢世代が世を去れば支持率も下がるのが自然だという風に捉えがちである。だが、共産党支持率が相対的に高齢者の間で高いのは事実だとしても、前回選挙での急激な後退はそうした「自然な」推移だけではなく、組織分裂――その背後にはクレムリンの働きかけがあったのではないかということがしばしばささやかれている――の産物でもあったことを確認しておく必要がある。今回選挙での共産党の得票率・議席は前回とほぼ同水準だが、友党である農業党、そして「公正ロシア」(前回についてはその前身)の得票率をあわせると、広い意味での「左翼」系政党の得票率は1990年代に比べてそれほど落ちているわけではない[5]。資本主義化の恩恵にあずかれない社会経済的弱者層の投票行動は、特定政党についてではなく「広義の左翼系諸政党」という括りでいうならば、比較的安定していると見ることができる。

 自由民主党の得票率は選挙のたびに大きな上下動を重ねており、安定性に乏しい[6]。最初に登場した時期には、党首ジリノフスキーのエキセントリックな言動――露骨に極右的で、「ファシスト的」とさえ目された――で一躍マスコミの注目を広く集めたが、その後、現実政治の中で生き延びるために政権との妥協を重ね、半ば「与党」化しつつあった――なお、これはプーチン時代に始まったことではなく、エリツィン時代からのことである――が、こうした党の性格の曖昧化が得票率の大きな変動の背景にあると考えられる。今回の選挙に向けての事前の世論調査では、自由民主党は7%をとれるかどうか危ないという観測もあったが、結果的には8.14%に達した。この点は次の「公正ロシア」と似たところがあるので、同党とあわせて検討する。

 

     4

 

 以上の諸政党がそれなりの歴史をもち、ある程度予測しやすかったのに対し、新たに登場した「公正ロシア」については、やや立ち入って検討するに値する。詳しい背後の事情は明らかでないが、政権に近い一部の人たちの間で、「統一ロシア」があまりにも極端に「一人勝ち」するのは好ましくなく、むしろ「健全野党」を育成しようという考えがあったようであり、「公正ロシア」の誕生はそうした思惑に由来すると見られている[7]。政権党の圧倒的一人勝ちは、一見したところ政治を安定化させるかのようだが、むしろ一旦何らかの不安定化要因が生じたときに「安全弁」がないという問題を抱える。そこで、共産党よりも穏健な「中道左派」政党をつくろうという構想が生まれたというわけである。具体的には、昨年(2006年)10月末に、祖国(ローヂナ)、生命党、年金党という3政党が合同し、ミローノフ上院議長を党首として発足した(2007年2月に党大会を開いて綱領を採択)。ミローノフが下院選挙の少し前に書いた論文は社会民主主義の観点を前面に押し出し、「共産党と一線を画した現実主義的左翼政党」というイメージをつくろうとしたものである。このような「中道左派」としての「公正ロシア」が共産党の票を食って第2党の座を獲得するなら、「中道右派」の「統一ロシア」と並び立つ2大政党制ができるのではないかという期待も、一部の人たちの間で流されていた。

 このような思惑ないし期待を担って出発した「公正ロシア」は、今年の前半には、各地の政治家――基本的には現体制支持だが、種々の理由から「統一ロシア」と距離をおいている人たち――を引きつけ、かなり有力になるかにみえた。春の地方選挙でもそれなりに健闘し、「統一ロシア」には及ばないまでも、共産党と並ぶか追い越すことが可能ではないかという予測を生んだ[8]。世論調査の結果で見ても、7%を軽く超えるだろうという予測が夏までは有力だった。ところが、選挙の近づいた秋以降、「公正ロシア」から脱落者が相次いで、同党は崩壊状態に近づいたという観測がロシアで急激に広まった。世論調査結果は調査機関および時期によってまちまちだが、レヴァダ・センターの調査によれば、8月に9%、9月に7%だった同党の支持率(今すぐ選挙があった場合に投票するつもりの人)は、10-11月には4‐5%にまで落ちていた(自由民主党も7%を切り、「統一ロシア」と共産党しか議席を得られないという予測も一時期広まった)。

 蓋を開けてみると、「公正ロシア」の得票率は7.74%となり、かろうじて議席を確保することができた。この数字は、今年春の地方選挙結果からの予想と比べればやや低い一方、ここ3ヶ月ほどの急落との対比では反転上昇ということになる。新党であるだけに予測が立てにくいこと自体は驚くに値しないにしても、このように小刻みで大きな変化は何らかの説明を必要とする。一つの「素直な」説明は、同党が――自由民主党ともども――7%を切るとの予想が広まったことに驚いた有権者が、下院が「統一ロシア」と共産党だけに独占されるのは面白くないと考えて、土壇場で第3、4位の2党に票を集中したというものである。もう一つの「深読み」的な説明としては、政権筋の一部が「公正ロシア」と自由民主党の落ち込みを防ぐため、秘かな梃子入れをしたのではないかという仮説が立てられる。この仮説がどこまで当たっているかはもちろん即断できないが、仮にある程度まで当たっているとするなら、クレムリンは一方で「統一ロシア」の大勝を望み、そのための強力な集票工作をしながら、他方で「統一ロシア」の「一人勝ち」が行きすぎることを望まず、「穏健野党」の議席確保のための背面工作も行なうという両面作戦を展開していたことになる。

 

     5

 

 ヤーブロコと右派勢力同盟は惨敗した。そのことが日本のマスコミでは非常に大きな注目を集めている(議席をとれなかった諸政党のうち農業党はこの両党よりも多くの票を得たにもかかわらず、どのマスメディアも言及さえしていない。右派勢力同盟とほぼ同率の票を集めた「市民勢力」と「ロシア愛国者」も完全に無視されている)。そして、ロシアの議会から野党が消え、翼賛議会化したというような解説もしばしばなされている。見方によってそう言って言えなくもないが、いくつかの点を留保しておく必要がある。先ず、そもそもこの両党は1990年代においてもそれほど大きな議席を占めてはいなかったし、前回の2003年選挙で――その当時の制度では「5%の壁」を超えるかどうかが問題だった――議席を失っていた。従って、今回の惨敗はその延長上にある出来事であって、突然の激変ではない。確かに、前回の4%強から今回の1%前後という落ち込みはかなり大きな急低下であり、「自然な」後退というよりはむしろ政権勢力による嫌がらせ、締め付けのせいではないかという推測を可能にする[9]。それはそれで確認しておくべきことだが、これまでの長期的趨勢からいえば、ここまで激しい嫌がらせ、締め付けがなくても、せいぜい4‐5%の得票にとどまり、7%の壁を越えるのは難しかったと考える方が現実的である。

 日本のマスコミがこの両党に注目するのは、この両党だけが「リベラル」、「政権と本当に距離をおく真の野党」とみなされていることによる。これも部分的真実を含むとはいえ、ややバランスを失したところがある。先ず、両党が「リベラル」というのはどういう意味かというと、特に右派勢力同盟の場合、同党が第一義的に重視しているのは経済的自由主義(日本のリベラルの間で評判の悪い「市場原理主義」)であって、政治的リベラリズムではない。そのことと関連して、この党(およびその前身たる系譜に属する人たち)はしばしば政権にすり寄る体質をもっており、一貫した野党とは言いがたい(最近になって、政権へのすり寄りが空しくなったため、野党色を強めているが、それでもチュバイスなどはまだ政権寄りの立場にある)。従って、「一貫した野党」といいうるのはヤーブロコのみである。

 いずれにせよ、この両党が次第に「泡沫政党」化しつつあるのは、政権による締め付けのせいも確かにあるが、もともとそれほど広い国民の支持を得ていたわけではないという事実も直視しないわけにはいかない。日本の政治とアナロジーするなら、社民党が消滅に瀕しつつあり、また今年の参議院選挙比例区に登場した「9条ネット」は「泡沫政党」的水準の票しか集められずに惨敗したのと似ている。社民党や「9条ネット」に共鳴する人たち――知識人の間では必ずしもそれほど圧倒的少数とは言い切れないはずである――の観点からいえば、自民党政権と正面から対決する「真の野党」は社民党や「9条ネット」だけであり、民主党は自民党と「同じ穴のムジナ」だ、従って自民党と民主党の主導権争いは「真の野党」不在状況下での不毛な権力争いに過ぎない、ということになるだろう。このような考え方は、抽象的には一つの立場として成り立ちうるが、現実政治的にはごく少数の人の賛同しか得られないというのが現代日本の現実である。ロシアについて、ヤーブロコと右派勢力同盟だけが「真の野党」で、自由民主党や「公正ロシア」は――そして実は共産党も――政権党と大差ない「第2与党」だという見方は、抽象レヴェルでは一定の正当性をもつが、それは日本の場合でいえば社民党や「9条ネット」だけが「真の野党」だというような観点と類似している。カシヤーノフ元首相や元チェス・チャンピオンのカスパーロフらについても同様で、好むと好まざるとに関わらず、彼らは現代ロシアではごく少数の支持しか集めることができないというのが現実である。

 

     6

 

 以上、個々の政党ごとに検討してきたが、次に、今回の選挙の最大の「謎」について考えてみたい。「統一ロシア」のあまりにも高い得票率、ヤーブロコと右派勢力同盟のあまりにも低い得票率、そして一方的な競争であることが明らかであるにもかかわらず下がらなかった投票率――これらは、ある種の不正の産物ではないかという疑惑を引き起こす。もっとも、どのような選挙でも「不正」はつきものであり、100%公明正大な選挙などありえない。問題はその度合いにある。今回のロシア下院選挙の場合、正確な度合いは不明だが、各種の不正があったらしいということが諸方面から伝えられている。それは実際のところどの程度だったのか、そしてそれはどのようにして引き起こされたのか、という点が最大の問題である。

 先ず確認しておかなくてはならないが、「統一ロシア」の勝利、ヤーブロコと右派勢力同盟の敗北という結果自体は、度合いを別にすれば、ここ数年の流れからほぼ確実に予測されたことであり、殊更に巨大な規模の不正によってはじめて実現したというようなものではない。これまで述べてきたところから明らかなように、「統一ロシア」は何もそれほど無理をしなくてもほぼ確実に勝てる見込みがあったし、ヤーブロコと右派勢力同盟はそれほど強引な嫌がらせがなくても「7%の壁」を超えられない――むしろ、あまりにもあからさまな嫌がらせは「判官びいき」的反応を招いて、両党の得票率上昇に結果する可能性さえあった――ことは明白だった。それなのに、なぜわざわざ強引な選挙運動が行なわれ、極端ともいうべき結果が演出されたのか、これはある意味では不必要なことではないか――これが最大の「謎」である。この「謎」の本格的解明は、現時点の私の手に余るが、いくつか、ありうる可能性について仮説的に考えてみたい。

 一つの仮説として、「統一ロシア」へのなりふりかまわぬ集票工作や他の諸政党の選挙活動妨害といった、いわば非常に汚い選挙は、そのすべてがクレムリン中枢の指示によるとは限らず、むしろ各地の行政府やそれとつるんだビジネス界の独自の思惑による面がかなりあったのではないか、ということが考えられる。何もこのような汚い選挙をしなくても「統一ロシア」はそこそこ満足すべき勝利を得られたはずであり、クレムリンの観点からいえばそれでよかったかもしれないが、各地の政治家・行政官・ビジネス界は「そこそこの勝利」ではなく「圧倒的な大勝利」を演出するために、あえて汚い選挙に走ることを辞さなかったようにみえる。これは傍観者的に見ると非常に馬鹿げたことと映るが、どうしてそのようなことが行なわれたのだろうか。

 一つには、選挙戦の渦中では「大所高所」に立った発想をとりにくく、目先の利益にとらわれた行動がとられやすいという事情がある。「大所高所」的にいえば与党の「一人勝ち」が行きすぎることはむしろマイナス面が大きいが、各地の行政府は、自分の地域での「統一ロシア」得票率の高さが政権への忠誠度の高さを示し、ひいては選挙後の中央政権が自分の地域への資金配分を有利にしてくれると考えて、できるだけ自分の地域での「統一ロシア」得票率を上げようと競争した。このような地域間の個別利益に基づく競争が、不必要に「統一ロシア」の得票率を押し上げたと考えられる。

 しかも、「統一ロシア」の候補者たちの中には、85の連邦主体(この言葉については前注8参照)のうち64個所の首長が含まれていたが、彼らにとって、地元での「統一ロシア」票の多寡は首長としての信任投票に近い意味をもっていたから、その意味でも、彼らは地元での集票に熱心にならざるをえなかったと考えられる。なお、彼らの大多数は、当選しても下院議員にはならず首長にとどまる――候補者リストの下位の人に議席を譲る――ことを最初から予定していたが、そのこと自体、彼らがこの選挙を「下院選挙」としてよりはむしろ「地方首長としての信任選挙」と位置づけていたことを物語る。

 選挙制度の変化もここに関係している可能性がある。小選挙区があった時期においては、どんなに小さい連邦主体も最低一つの選挙区をもっていて、下院議員一人を送ることができたし、ある程度以上の人口をもつ連邦主体はその有権者数に応じた数の選挙区をもっていて、自動的に一定数の「地元代表」を下院に送ることができた。小選挙区制廃止は、そのような保証をなくしたことになる。

 ロシアの比例選挙は複雑な仕組みになっていて、ある政党の獲得議席総数は全国での得票数によるが、その獲得議席をその政党の候補者たちにどのように割り当てるかという段階では、候補者名簿が「全国リスト」と「地方リスト」に分かれている。各政党はその獲得議席を、先ず「全国リスト」――これは元来12人だったが、選挙制度改正で3人に減らされた――に割り振った後、各地の「地方リスト」の候補者に割り振るが、その割り振り方は、当該政党がその地方で獲得した票数に応じて分配するという原則による。この「地方リスト」に名前を連ねた候補者たちは――全員がその地域に密着した人ばかりというわけではなく、知名度の高い「よそ者」も含まれるが――その地域固有の選挙運動の中心になるという意味で一種の「地元代表」という性格をもっている(「全国リスト」が減らされ、「地方リスト」の比重が高められたのは、小選挙区制廃止の埋め合わせという意味ももつ)。ただし、どの地方の候補者が何人当選するかは予め決定されておらず、それぞれの地方での各政党の得票数に依存する。とすれば、各地の行政府は、自分たちの地方における「統一ロシア」票をできるだけ多くして、他の地方における「統一ロシア」票を上回るように競争することになる。つまり、単純に政党の間で競争が行なわれるだけでなく、「統一ロシア」の得票がどの地方で大きいかも競争の対象となるのである。

 こう考えると、「統一ロシア」得票率の異常な上昇は、必ずしもクレムリンの直接的な指示ということではなく、むしろ各地の行政府がそれぞれの地域利害の観点から集票工作競争を過熱させた結果ではないかという仮説が成り立つ。前述のように、「統一ロシア」は日本の自民党同様、「政権の座にあること」を唯一の結集点として雑多な勢力が集合した政党だから、そこに合流している政治家たちはそれぞれに異なった思惑と個別利害を有しており、そうした個別利害追求行動の集合がロシア政治を規定している部分があるのではないか。このように考えるなら、多くのマスメディアで取りざたされている「プーチン独裁」というイメージは、やや修正を要するように思われる。

 

     7

 

 今回の選挙結果を規定する一要因として国際環境も関係しているのではないか、というのがもう一つの仮説である。ロシア国民の間に広まりつつある国際的孤立感が、有権者の多くを政権党のまわりに強く結集させる効果をもったのではないか、ということである。

 ここ数年来、「新たな冷戦の始まり」ということがささやかれている。本格的に新冷戦が始まったなどということを軽々しくいうべきではないが、まかり間違えばそうなりかねないという雰囲気があることは否めない。特に米政権によるロシア孤立化の政策がかなり顕著になっている(少なくともロシア側ではそう受け止めている。以下、この項で書くのはあくまでもロシア側のパーセプションであって、それが「客観的現実」とどの程度合致しているかは別問題である)。ポーランドとチェコへのミサイル配備計画は、いくら米政府が「対ロシアではない」といっても、ロシアの側から見れば「対ロシア」と受け止めないわけにはいかない。ロシア周辺の旧ソ連諸国(グルジアやウクライナなど)で政権交代が起きるたびに、「親米反露であれば民主的、親露反米であれば権威主義的」というレッテル貼りがアメリカを中心とする世界のマスメディアで行なわれ、そのことが多くのロシア人を苛立たせている。もっとも、ドイツとフランスはイラク戦争に関して米英と距離をおいて、むしろロシアと近い立場をとったが、その独仏もその後の政権交代を経て、ややロシアから距離をおき、米政権に近づく傾向を示している。最近EUに入ったバルト3国やポーランドは、EUとロシアの関係改善を阻む姿勢を明確にしている。イギリスの対露態度もこの間、相当厳しいものになってきた。ロシアのWTO加盟も、ずいぶん前から「もう一息」といわれ続けながら、長らく足踏みを続け、ロシアの側に「待ちくたびれ」感を与えている。

 こういう状況の中で、ロシア国民の多くは、「アメリカもヨーロッパもわれわれを敵視し、孤立状況に追い込んでいる」という被害者意識を強く懐くようになってきた。冷戦終焉直後には、欧米諸国が一致して新生ロシアを支援してくれるだろうという期待があったのが、先ずアメリカが90年代末からロシア孤立化政策をとりだし、最近ではヨーロッパのいくつかの国もこれに追随している、という風に受けとめている。できることならばロシアも「ヨーロッパの一員」と認めてもらい、西欧諸国と友好関係を確立して、経済的にも互恵の関係を築きたいという願望もまだなくなったわけではないが、その願望は空しいのではないかという疑念が次第につのっている。

 大統領府副長官スルコフらによって唱えられている「主権民主主義」という考え方が最近注目を集めている。欧米諸国の評論家の解説では、これは「ロシアにはロシア独自の道がある」という議論――つまり、「欧米型民主主義」からの逸脱を正当化する議論――だという形で紹介されている。だが、少なくとも2006年段階のスルコフの議論には、そうした印象とは裏腹に、「ロシアもヨーロッパの一員だ」「主権も民主主義もヨーロッパ的概念だ」「ロシアは全体として他のヨーロッパ諸国と同じ道を歩んできた」という主張が含まれていた。これは――本音のところで何を考えているかはさておき、少なくともレトリックのレヴェルでは――アメリカとヨーロッパを区別して、前者とは対決しても後者とは協調を続けたいというサインを送ろうとしたものと解釈できる。ところが、このサインが見落とされ、「ロシアは欧米と違う道を歩こうとしている」という風に外部世界で受け止められる中で、その後のスルコフの発言は微妙に変化し、「ロシアの独自性」論に傾斜しだした。いってみれば、「主権民主主義論はロシア独自性論だ」という欧米評論家の解説が結果的に「自己成就する予言」となりつつあるという感じである。そこには、これ以上「ヨーロッパへの片思い」を続けることに疲れたという感覚があるように思われる。こうした感覚が妥当かどうかはもちろん議論の余地があるが、とにかくロシア国民の間でそうした感覚がかなりの程度広まっているということは、一つの事実として確認しておくに値する。

 しかも、このような国際的孤立感は、選挙に際して民主的ルールを守らねばならないという規範意識を弱める効果をもつ。欧米諸国と協調関係が発展する可能性があるなら、欧米諸国から「非民主的な選挙」と見られるようなことは避けるべきだが、どうせ孤立しているなら、外国からどう見られるかはあまり気にするに及ばないということになる。いくらロシアが頑張って民主化を進めても、偏見を持った欧米マスメディアは「非民主的」というレッテルを貼り続けるだろうから、それならもうこれ以上頑張るまでもない、という感覚が広まりつつあるのではないか。今回の選挙で露骨に汚い手法がまかり通ったのも、そうした背景によるところが大きいように思われる。それはもちろん感心したことではない。ただ、そのようになるに至った背景として、特に米外交がロシアに与えた孤立感の大きさがあったということは押さえておく必要がある。

 

     8

 

 今後の展望として、一見非常に強固な長期安定政権ができたかのようだが、実はかなり脆い面があるように思われる。繰り返し述べてきたように、「統一ロシア」は「政権の座にあること」だけを結集点として雑多な勢力が集合したに過ぎないので、かつてのソ連共産党のような強固な組織規律をもっているわけではない(イデオロギーもまるで違う)。外から見ると、非常に強大な一枚岩の権力党が独裁的権力を握ったかに見えるが、何らかの要因で不安定化が始まると、仲間割れが生じる可能性は決して小さくない。

 この間のロシア政治の安定性を保証してきたのは経済の好調だが、これがいつまで続くかも不確実である。あまりにも大きく石油に依存した好況なので、国際石油価格が下落すれば、その打撃がロシア経済全体を直撃する可能性がある(石油による外貨収入を他の分野に投入し、特に科学技術の振興を図るという政策もとられてはいるが、それが実を結ぶ段階ではまだない)。経済が好況から不況に転じれば、政治も一挙に不安定化する可能性がある。

 プーチン個人の高い支持率も、むしろ不安定性の裏返しの表現とみることができる。大統領選挙(来年=2008年3月に予定)でドミトリー・メドヴェーヂェフが圧勝するであろうことはほぼ確定的だが、その後のロシア政治の展開については不確定要因が大きい。「プーチン院政」などということが言われているが、大統領と首相の制度的関係の整序を含めて、未確定なところが多々ある。プーチン個人の支持率が圧倒的であるところから、4年後の次回大統領選挙に再出馬するといった可能性もささやかれているが、それが成功するかどうかは未知数である。現時点では確かにプーチンの人気は非常に高いが、それはこの間のロシア政治経済の相対的安定の象徴としてであって、彼個人が文字通りに独裁的な権力を持っているわけではない。政治の世界は「一寸先は闇」であり、特にロシアのように流動的な国で4年後がどうなっているかは誰も予想することができず、プーチンが4年後もこの人気を保持している保証は全くない。

 では、このようなロシアとどうつきあうべきか。いろいろな意味で厄介な相手であることは間違いない。だが、だからといって、いたずらに敵視したり「脅威」視するなら、ロシア側の孤立感を更に強め、ますます頑なにさせるおそれが大きいように思われる。近年のロシアが「こわもて」の態度をとっているのは、実は国際的孤立感の裏返しの表現であって、ロシア側の責任ももちろんあるが、欧米諸国の責任も一部あるのではないか。

 かつての「古典的冷戦」の開始期においても、米ソ双方が相手に対して疑心暗鬼の状態にあり、相手方が侵略的意図を持っているのではないかと推測することが、ますます双方の対決姿勢をスパイラル状に高めていくという過程があった。今日のロシアと欧米諸国の関係は、まだその繰り返しというところにまで至ったわけではないが、多少似通ったところがあるように思われる。「あいつは危険な奴だ」という言説は、その言説を向けられた相手方の姿勢を硬直化させ、結果的に「自己成就する予言」となる可能性がある。そのような対抗関係のエスカレートが更に進行するかどうか、やや際どいところにさしかかっているように思われてならない。

 

2007123-18日)

 

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[1] 本稿は選挙翌日の3日に書き始め、4日には基本的な骨子をまとめた。その後2週間ほどの間に小さな補足と改稿を施したが、全体として「速報直後の第一印象」という性格が濃い。執筆最終段階近くになって、「統一ロシア」、「公正ロシア」、農業党、「市民勢力」の4党の代表とプーチンの会談でドミトリー・メドヴェーヂェフを次期大統領候補に推す合意が成立し、更にメドヴェーヂェフはプーチンに次期首相就任を要請したというニュースが届いた。メドヴェーヂェフは以前から有力後継候補の一人と見なされてきたので、全くの予想外ということではないが、「あり得べき有力候補の一人」から抜け出して、事実上内定したことになる。しかし、メドヴェーヂェフ次期大統領とプーチン次期首相のもとでどのような政治が展開するかは、今後の成り行きを見なければならず、ここでの検討の範囲外である。

[2] 「公正ロシア」の場合、表では、この新党に合流した3党の合計を示したが、3党中最大で前回も議席を得た「ローヂナ」に絞っていえば、前回は9.0%だった。つまり、元の3党の合計との対比では大幅な得票率低下、「ローヂナ」とだけ比べれば小幅な低下ということになるが、いずれにせよ、より小さな得票率で議席を微増させたことに変わりはない。

[3] 日本にもロシアにも「自由民主党」という名前の政党があって紛らわしいが、本稿では、日本については「自民党」、ロシアについては「自由民主党」と記す。

[4] とりあえず日本との共通性の側面に注目したが、もちろん完全に同じということではない。種々の相違があるが、特に興味深いのは、日本は議院内閣制、ロシアは大統領制という政治制度の差異が政党システムにどのように影響するかという論点である。この点については多面的な検討が必要だが、本稿でそこまで立ち入ることはできない。

[5] 共産党以外の左翼諸政党をどのように数えるかが確定しにくいので、一義的な数字を挙げることはできないが、大まかにいって1990年代における左翼諸派の得票率合計は25-30%程度だった(異例な条件下にあった1993年のみ、もっと低く20%強)。これに対し、2003年における共産党、「ローヂナ」、農業党、年金党、生命党の合計は30.2%、今回の共産党、「公正ロシア」、農業党の合計は21.6%(「ロシア愛国者」も加えると22.5%)である。長期低落の趨勢は一応見られるものの、共産党だけをとってみた場合の急落(25%近くからその半分へ)よりは緩やかな減少である。

[6] 最も高かったのは、最初の下院選挙たる1993年の23%で、その後6%と12%の間を行き来している。

[7] このように政権周辺の思惑が作用しているらしいという推測から、日本のマスコミ解説ではしばしば「第2与党」という言葉が使われている。これはある程度まで当たっているが、それをいうなら、1955年体制期における日本社会党――より親政府的な民社党についてはなおさら――が自民党と裏取引をすることがあったという理由で「第2与党に過ぎない」と決めつけることができるのかという疑問がある。なお、ロシアの政権勢力が背面工作をして、共産党よりも穏健な「中道左派」政党=穏健野党をつくろうという試みはこれが最初ではなく、エリツィン時代の1995年に「ルィプキンのブロック」という形で最初の実験があった。この実験は「政権に操縦された野党づくり」という性格に矛盾が含まれていたため、ほぼ完全な失敗に終わった(95年選挙での比例区得票率はわずか1.1%にとどまった)。今回の「公正ロシア」もそれと同様の性格を帯びているが、前回よりは相対的な成功を収めたように見える。再び日本政治とアナロジーするなら、1960年安保闘争に向かう時期に社共両党よりも「穏健な野党」たらんとして登場した民社党が、当初はなかなか伸びることができなかったが、数十年を経て、その系譜を引く人たちが民主党の一角をなすことで現実的勢力になりつつあるのと多少似たところがあるかもしれない。

[8] このとき選挙の行なわれた14連邦主体(連邦主体総数はこの時点で86)の有権者数は全国の約3分の1に当たるが、各地での平均得票率は「統一ロシア」が44.1%、共産党が16.0%、「公正ロシア」が15.5%とのことである。14連邦主体のうち13個所では「統一ロシア」が勝利したが、一個所では「公正ロシア」が勝利した。このような選挙結果は、「公正ロシア」が共産党を追い抜くかもしれないという予想を生んだ。なお、「連邦主体」とは、ロシア連邦を構成する共和国・自治州・自治管区・地方・州・2特別市(モスクワとペテルブルグ)のことで、1993年憲法制定時には全部で89だったが、その後の統合により、2007年末の時点では85

[9] 得票率で右派勢力同盟をわずかに上回って第7位につけた「市民勢力」という新興政党は、政策的立場としては右派勢力同盟と比較的近く、その票を奪ったと見られる。このような新興政党の登場は、政権筋による背後の梃子入れ――野党に対する分裂工作――とも考えられる(選挙後、「市民勢力」が他の3党とともにドミトリー・メドヴェーヂェフを次期大統領に推す態度をとったことも、この推測を裏付ける)。なお、得票率で4%を切ると供託金没収、3%を切ると選挙運動時に無償で提供されていたテレビ放映時間枠および国営新聞紙面スペースの代金を払わねばならなくなる、といった不利益がある。