ユン・チアン『ワイルド・スワン』
 
 
 三代にわたる中国女性の人生とその時代の歴史を描いた自伝的ノンフィクションである。個人の運命と歴史のうねりとをからみあわせた作品というものは、一般に興味深いものであり、私のように日頃あまりノンフィクションを読まない人間でも、ときおり関心を引かれて読むのだが、本書は、それらの中でも出色のもののように思う。
 中でも特筆されるのは、三代の人生を扱っているので、とりあげられている時代の幅が長く、軍閥時代、日本の侵略、抗日戦争、中国革命、文化大革命、そして文革収束後の今日にまで及んでいるという点である。「自伝的ノンフィクション」というジャンルに属する作品は世の中に数多いだろうが、三代をとりあげることによってこれほど長い期間を描ききった作品は稀なのではなかろうか。
 この小文を書いているのは本書を読んでから数年たった後なので、詳しい内容までは覚えていないし、あれこれの感想を羅列的に書き連ねてもあまり意味はないだろう。ここでは、全体として非常に面白かったことを前提した上で、やや違和感をもったり、多少の不満を感じた点を手がかりにしながら、革命の時代とその中における人間の運命といったものについて若干の感想を述べてみたい。
 漠然たる印象だが、祖母・母の生涯を主に描いた部分――従ってまた、現在から遠い時期を扱った個所――が極めて生き生きとして面白いのに比べ、著者自身が中心になる現代に近い部分は、距離をおいた書き方ができにくいのか、やや生彩を欠くような気がした。この違いは、自分自身を扱うのは親や祖母を書くよりも難しいという理由によるところもあるだろうが、それだけではないように思われる。以下、軍閥期や日本侵略期はさておき、中国革命直後の時期と文化大革命期の対比を中心としながら、思いついたことを書きとめておきたい。
 著者の両親は中国革命に献身した革命家の一員だったが、にもかかわらず革命政権下で苦しむことになる。そこには、単なる被害者ではない立場の微妙さ、難しさがある。自らが生みだしたもの(革命政権)が自分たちを圧迫してのしかかってくるとき、それは、単純に疎遠なもの――例えば日本帝国主義――に抑圧されるよりも、もっと苦悩に満ちたものになる。これに対して、著者にとっては、革命政権は最初からあったものであり、単なる既成の権威に過ぎない。構図がここで大きく違っている。
 印象的な例として、一九五〇年代における革命幹部としての父の生き方が挙げられる。彼の妻(著者にとっては母)が病気で苦しんでいるときに、幹部としての特権を濫用してはいけないといって、病院で特別の手当てを受けさせることを拒むという場面がある。これは、一個の人間としてみれば、人情のない態度であり、杓子定規に過ぎるとか、教条主義だとか、主義のために人間を犠牲にするものだとか、様々な批判ができる。しかし、幹部の家族でない多くの人にとっては特別の手当てを受ける可能性などそもそもないのだということを思い起こすなら、「私情・エゴを抑えた立派な態度だ」といえないこともない。実際、父がこういう態度をとったのは、単なる規則墨守とか出世主義とかいうことではなく、特権濫用を慎むという非常に倫理主義的な発想からなのである。
 それでもやはり、母に同情する見地からいえば、現に病気で苦しいときに然るべき手当てが受けられないというのは、大変辛いことである。本書から離れて一般論的にいえば、こうした状況への対応としては、いろいろのものがありうる。ある人は、その辛さを自分(ないしは自分に近い人たち)だけのものとして受けとめ、その辛さの元凶と目される個人なり集団なりを非難するだろうし、別の人は、自分よりもっと辛い状況を強いられている人たちにまで視線を届かせ、より広い社会の構造――そこにおいては、自分自身は単に被害者ではなく、時には体制を支え、時には加害者でさえある――に眼を向けるかもしれない。先に挙げた本書の例については、細部までは覚えていないのだが、一方で母の状況に同情しながら、他方で父のおかれた位置のディレンマにも触れていて、単純にどちらとも割り切れない微妙な書き方がされていたように思う。そうした微妙な問題にぶつかるからこそ、この時期の叙述は興味深いのである。
 いま触れた「辛い状況への対応の仕方」という問題に関連して、本書から離れるが、ソ連の同様の例が思い起こされる。スターリン時代に学者や文化人がこんなにも抑圧されたのだということを描いた「暴露もの」は数多いが、そこにおいて学者や文化人ならぬ一般庶民の目がどこまで意識されているのかが気になることが時々ある。そうした作品では、モスクワで優雅な生活を――革命後かなりの期間にわたって!――送っていた上流階級の人が、一九三〇年代に突然無実の罪に陥れられ、シベリアの辺鄙な地に追放されるといった場面が描かれることがよくある。その辺鄙な地は、モスクワの優雅な生活とは似ても似つかないところであり、主人公は苦難を強いられる。そのこと自体は確かに同情に値することである。しかし、その辺鄙な地には、実は、追放されるまでもなく元来そこに住んでいた農民がいたのである。そうした農民の視点が全く意識されることなく、ひたすら学者・文化人の苦難だけが強調されるとき、「ここまで自分のことばかり言っていられるのだろうか」という疑問にとりつかれることがある。
 脱線したが、もとに戻ろう。一九五〇年代の中国には、官僚主義や教条主義をはじめとする種々の問題があり、決して当時の状況を美化できないということは、本書からもよく感得される。ただ、ともかくそれは理想主義と表裏一体の現象であり、理念を実現しようと努めるが故のものだった。これが、もっと後の時期になると、理想主義的スローガンは言葉の上だけのものとなり、露骨な権力闘争の手段としてシニカルに利用されるようになる。この対比は、ソ連における内戦時代とスターリン時代の対比とも共通するものがある。「理想に献身するが故の狂信的テロル」と「シニカルなテロル」の対比といってもよい。こういったからといって、前者の方がよかったというのではない。理想に献身するが故の狂信的テロルは、その狂信が強力なだけに、結果的にはますます激しく残虐な抑圧をもたらすかもしれない。だから、それを美化したり、正当化することはできない。ただ、その性格が「シニカルなテロル」とは異なっているために、歴史における人間の運命を深く考えさせる、いわば文学的な感動を伴うものとなるのである。
 これに対して文化大革命期には(ソ連のスターリン時代と同様だが)、あまりにも抑圧的側面が明白すぎて、内面的な葛藤のようなものはあまり感じられなくなる。本書の著者の家族のかかわりについてみても、一九五〇年代においては、幹部としての父は加害者でもあったし、母も、元来革命に献身した者として、政権側の人間だった。同じ人が被害者的側面と加害者的側面とをともにもっているために、葛藤と苦悩とが特に強く感じられるのである。他方、文革期には著者の家族はみな被害者の側であり、被害者(=正義)として加害者(=不正)を糾弾するという形になる。もちろん、抑圧を抑圧として糾弾するのは当然のことであり、そのこと自体をとやかくいうのではない。ただ、それが当然であればあるほど、ギリシャ悲劇を読むような文学的感動の要素は薄くなり、明快な政治的アジテーションのようなものに傾いてしまう。
 毛沢東個人への批判にしても同様である。確かに、神格化されていた毛沢東の偶像を地に引きずりおろすという行為は、かつては大いなる勇気を必要としたのだろう。だが、今となっては、それほどの衝撃性はなく、むしろ「またか」という感じになってしまう。ロシアにおける「スターリン時代暴露もの」にしろ、中国における「文革期暴露もの」にしろ、そうしたマンネリ性から免れたものは稀ではないだろうか。
 文革期についての本書の叙述で興味を引かれるのは、むしろ脇筋の話である。例えば、「下方」された先の農村は都市とは全く違った社会であり、文化大革命が社会の末端にまで浸透してなどいなかったことが示されている。このことは、どんなに独裁的な権力といえども社会の末端まで完全に掌握することはできないという一般論である程度説明できるが、中国のように広大で、農村人口が圧倒的に多い国の場合、そうした一般論を越えて、農村社会の懐の深さのようなものを感じさせられる。もちろん、それは決して牧歌的な社会ではなく、すさまじい貧困の中にあるのだが、その中でたくましく生き抜いている農民たちにとっては、中国革命も文化大革命も、どこか遠くで起きている表層の変化であるかのようである。社会科学の視線はなかなかこのような地点にまで及ぶことができないのだが、さしあたりは表層を追うしかないにしても、その背後にどれほどの沈黙の深みがあるかを意識しておくことは不可欠だろう。
 
*ユン・チアン『ワイルド・スワン』上・下、講談社、一九九三年
 
(一九九三年に読んだが、感想の執筆は一九九五‐九六年)
 
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