市野川容孝『社会』
 
 
 本書の著者、市野川容孝のことを私はこれまであまりよく知らず、作品を読んだこともほとんどなかった。それでも、漠然たる知識として、医療社会学という分野の研究者らしいということと、この分野は私自身は通じていないがなかなか面白い分野らしいという程度のことは意識していたので、ある程度気になる存在ではあった。
 本書は医療社会学という特定分野の作品ではなく、それともある程度関連してはいるが、ずっと広いテーマを扱っている。体裁としてはソフトカバーの本で、制限枚数超過といっても二〇〇頁強程度の小著だが、そのわりに重厚な書物であり、力作である。もっとも、紙幅の限られた一冊の本にしてはやや欲張りすぎているのではないかという気もしないわけではない。取り上げられているテーマは、現代日本の政治・思想状況、西洋社会思想史、「社会」(あるいはむしろ形容詞としての「社会的」)という用語の概念史、「社会科学」の概念史、社会学の歴史、日本における社会政策・福祉政策の歴史と現状、そしてあるべき社会・経済政策構築に向けた提言などにわたっている。これらの論点が密接な相互関係をもっていることは確かであり、単なる羅列に終わっているわけではないが、それにしても、やや焦点がつかみづらいという印象を懐いた(1)
 のっけから不満を書いてしまったが、中心をなす「社会」および「社会科学」に関する概念史としてきわめて充実した内容の本であり、多くを教えられ、また刺激された。
 
     一
 
 題材・内容とも多様な要素からなる本だが、その中で中心的な位置を占めているのは、概念史――あるいは「はじめに」における著者自身の表現では「文献学的(フィロロジカル)な作業」(v頁)――といってよいだろう。「文献学(フィロロジー)」という分野は、日本ではそれほど脚光をあびている分野ではないが、いわば地味な重要性をもっているように思う。誰しもものを考える際には言葉を手がかりにするほかないが、その言葉が上滑りに使われ、流行だからとか、有名な学者が使っているからとか、カッコイイからというだけの理由でもてあそばれ、その言葉の中身が丁寧に吟味されないままに消費されるという傾向がしばしば見受けられる。こうした現象は今に始まるものではなく、大分以前から問題にされてきたものだが(2)、デジタル化と情報氾濫の今日、更に一層甚だしくなっているように思う。そうした趨勢に抗する上で、ある言葉が本来どのように使われていたのか、そしてそれがどのような変遷を経て今日に至っているのかをきちんと検討する作業は重要な意味をもっている。
 本書では、「社会(あるいは社会的)」「社会科学(3)」「社会民主主義」その他の関連概念の歴史が、様々な思想家に即して丹念にたどられている。取り上げられている思想家としては、ローザ・ルクセンブルグ、ワルター・ベンヤミン、多くの社会学者たち(ウェーバー、デュルケーム、パーソンズ、ルーマン等)、ハンナ・アレント、ジャン・ジャック・ルソー、イングランドとスコットランドの道徳哲学(ロック、ヒュームなど)、フリードリヒ・ニーチェ、トマス・アクィナス、アリストテレスその他その他、実に多彩である。しかも、そのたどり方は、ありきたりの思想史教科書をなぞるようなものではなく、随所で通説を批判してオリジナルな解釈を提示している。小著の中にあまりにも豊富な内容を詰め込み過ぎたため、ところによっては議論が錯綜して、やや流れがつかみにくくなっている観もなくはないが、独自の角度からの思想史・概念史として知的刺激に富んでいる。
 ここで展開されている概念史の内容の全面的検討は私の手に余るが、骨格としては、英・仏・独三カ国語における用語・概念の歴史が大きな柱となり、それが日本の場合と対比されるという形になっている。こうした作業にはもちろん大きな意味があるということを十分に認めた上での話だが、論じ方自体がやや古典的ではないかという感想も浮かばないではない。
 「はじめに」のなかに、「英語以外の言語に対する感受性の低下」を指摘した個所がある(vii頁)。確かに、近年の状況として、普通の大学生にとって英語以外の「第二外国語」など不要だという感覚が広まっているようで、そうした状況に対する異議申し立ての意図は理解できる。だが、数十年さかのぼって、知識人たちに絞っていうなら、近代日本の知識人にとってドイツ語・フランス語経由で入ってきた思想は数知れず、英・仏・独の三カ国語は――どこまでしっかり身に付いたかは怪しいにしても――教養の基本カタログをなしていたはずである。私などは、そうした先行世代――端的には、旧制高校で教育を受けた人たち――よりもはるかに浅学で、ドイツ語もフランス語も相当おぼつかなくなっているが、それでも社会科学・思想の多くの基本用語として使われているそれらの言葉の切れっ端程度は今でも辛うじて覚えている。だから、英・仏・独三カ国語の概念史を丹念にたどり、それと日本における受容の歴史を対比するという作業は、もちろんその内容には大いに敬服するけれども、スタイルとしていえば昔から見慣れたものではないかという感想が湧く。
 アメリカ英語がすべてといわんばかりの昨今の知的状況に満足せず、ヨーロッパ思想の系譜をたどり直すという作業は、もちろん今でも意味をもっており、そのこと自体にケチを付ける気は毛頭ない。私自身、本書の叙述から多くのことを啓発された。ただ、敢えていうなら、人類の思想の歩みを振り返るという作業を現代的視点から行なう際には、これだけで満足することはできないのではなかろうか。ヨーロッパ思想がその他の諸地域にも大きな影響を及ぼしたのは明らかな事実であり、その意味でヨーロッパ思想再検討の重要性は決して否定されないが、それと同時に、世界各地における多様な伝統思想と西洋伝来思想の接触、後者の独自な変容を伴った受容の幅広い比較といったテーマをもう少し広く視野に入れておく必要があるように思われる(4)。たとえば、アラビア語、トルコ語、ロシア語、ヒンディー語、中国語、ヴェトナム語、韓国語等々で、本書で取り上げられた概念がどういう歴史を歩んできたかを解明するなら、非常に興味深いことになるだろう。もちろん、語学能力の限界という問題があり、これは一人の著者だけの課題ではなく、大勢の論者たちの共同作業によるしかないだろう。だから一冊の本でそれが実現されていないこと自体に文句を付けるつもりは毛頭ないのだが、ともかくあるべき方向性としては、そうした目標を視野に入れておいてもよいのではないかという気がする。
 私自身がこういう観点から本書の記述を多少なりとも補足できるのはロシア語についてだけだが、以下、いくつか例示してみたい(5)
 本書の中に、ドイツ語圏で"sozial"という言葉が定着するのは英語圏・フランス語圏に比べて遅いが、それはドイツ語では「社会的」に当たる言葉として、"sozial"のほかに"gesellschaftlich"があるからだという指摘がある(一七〇‐一七一頁)。これは重要な指摘で、有名なGesellschaftとGemeinschaftの対比という論点とも関連して興味の引かれるところだが、これ以上突っ込んだ説明はない(ついでにいえば、ドイツで早い時期に発展した「国家学」と後の「社会科学」の関連も気になるところだが、これについても立ち入って論じられてはいない)。実はロシア語でも、「社会的」に当たる言葉は二通りある。一つは、ソツィアーリヌィという西洋由来の表現であり、もう一つはオプシェーストヴェンヌィというロシア語固有の表現である。こうして「社会的」に当たる言葉が二通りあるという点ではドイツ語とロシア語は共通しているが、ではドイツ語とロシア語とで用語法が同じなのかというと、そうとも言い切れない。ソツィアーリヌィの方は西洋由来の外来語なので、ドイツ語やフランス語とほぼ同じような意味にとってよいだろう。ロシア語でも、ソツィアーリヌィを使った「社会国家」という表現は、ドイツ語・フランス語と同様に、福祉国家のことを指す(たとえば一九九三年ロシア連邦憲法第七条)。では、オプシェーストヴェンヌィおよびその語根たる名詞のオープシェストヴォを英語やドイツ語とどのように対比させてよいかとなると、これはなかなか一筋縄ではいかない。語源からいうと「共通な(オープシイ)」から来ているのでcommunityに近いところがある(オープシェストヴォと語源をともにするオープシチナは、まさに伝統的な村落共同体を指す)が、場合によっては、むしろassociationに近い意味で使われることもあり、あまり単純に英語との対応関係を確定するわけにはいかない。
 もう一つ、「社会的social」と対比されるのは「私的private」か「個人的individual」かという点について考えてみよう。本書には、マルクスの『資本論』からの引用として、次のような文章がある(長い引用なので、途中を一部省略する)。「資本主義的生産は……それ自身の否定を産み出す。……それは否定の否定である。この否定は、私有を再建しはしないが、しかし、……個人的所有(individuelles Eigentum)をつくりだす」。これをうけて市野川は、マルクスはルソーとともに「各人が孤立した状態で手にする『私有』」と「個人的所有」とを切り分け、前者を否定し、後者を肯定したのだとしている(一一四頁、マルクスからの引用における強調個所は市野川による)。市野川のマルクス観は両義的なところがあり、後述するようにある種の修正を提言したりしているが、この個所の場合は共感を込めた引用であるように見える。そして、それを支える一つの重要な点は「私的」と「個人的」という両概念の区別である(6)
 この点についてロシア語での用語法をいうと、「私的」と「個人的」とは明確に区別されており、しかもソヴェト・イデオロギーにおいて「私的」なものは否定の対象だが「個人的」はそうでなかったという事実がある。その点に注目するなら、この言葉づかいに関する限りはソヴェト・イデオロギーはマルクスに忠実だったということになる(もちろん、だからといって全体的に忠実だという結論が出てくるわけではないが)。なお、ロシア語で「個人的」に当たる言葉としては、インディヴィドゥアーリヌィという西洋起源の表現もあるが、もっと頻繁に使われる言葉としてリーチュヌィというものがある(7)。かのブレジネフ憲法でも、リーチュヌィの語を使った「個人的所有」は公認の位置を与えられていた(一九七七年ソ連憲法第一三条、なお関連する一七条では「リーチュヌィ」と「インディヴドゥアーリヌィ」の双方が使われている)。ゴルバチョフ期における経済改革論争の一つの焦点は、従来から一応認められてきた「個人的所有」をより積極的に肯定し、それを「市場社会主義」の基礎とするのか、それとも「私的所有」の公認、全面資本主義化というところにまで突き進むのかにあった(結果的には、後者が優越することになった)。
 
     二
 
 やや脱線気味にあれこれの概念についてみてきたが、本書の中心テーマをなすのは、書物のタイトルおよび「はじめに」に示されているように、「社会的」という言葉のもつ独自の意味である。現代日本ではこの言葉それ自体はいろいろな場面で使われているが、ある重要な意味が決定的に欠落しているというのが著者の判断であり、その意味での「社会的」なものの復権が本書の主要な狙いをなすと見ていいだろう。ここで「社会的」の重要な意味として念頭におかれているのは、日本の知的風土ではややなじみが薄いが、ごく大まかには社会連帯的な発想という風にいっていいかと思われる。
 このような著者の狙いに対し、私は多くの点で共感するが、同時にある種の疑念も懐く。そこで、その問題についてやや立ち入って考えてみよう。
 本書のうちの比較的はじめに近いあたりに、次のような指摘がある。「社会(的)」という言葉を忘れているのは、これに敵対する人でもなければ、最初から無知な人でもなく、むしろ元来「社会的なものの側にいた人びと、本来ならばその側にいるはずの人びと」だ。ある対象が忘れられるのは、それが不快であるだけではなく、「自分がその対象の否定を迫られているということ自体が、当人にとって不快であるがゆえに、その対象は忘れられるのである」(二四‐二五頁)
 この指摘は非常に重要であり、私も共感する(8)。だが、今日忘れられているのは、「社会(的)」だけではない。かつて「社会主義」が多くの人にとって肯定的なシンボルだったという事実も、「現存する社会主義(いまとなっては現存した社会主義(9))」と「理念としての社会主義」の関係をめぐって膨大な議論が積み重ねられたことも、そしてまた「社会民主主義」と「社会主義」「共産主義」の関係をめぐる多種多様な議論も、すべて忘れられている。これらのうち「社会的」「社会民主主義」だけを取り出して復興しようとするのが本書の狙いのように見えるが、これらはやはり相互関係の中で全体として思い出し、再検討する必要があるのではないだろうか。もちろん、「全体として思い出す」ということは「全体として復興させる」ということではない。再検討の結果として、ある部分を否定しつつある部分だけを今日に生かすという考えは十分に成立可能である。ただ、その際に、それらを相互関連の中において詳しく検討する作業抜きに、最初から一方だけを取り出し、他方は完全に切り落とすというスタイルの議論――市野川の言い方をもじっていえば、「社会主義」「レーニン」「ロシア革命」については「忘れた」ままにしておくこと――では、その結論に十分な説得力を持たせることはできないのではないか、というのが私の疑問である。
 「社会主義」についての検討なしに「社会的」「社会民主主義」だけの再検討(と復権)が試みられている最大の例は、ローザ・ルクセンブルグについての叙述である。本書では、彼女のレーニンおよびロシア革命批判がかなり詳しく、共感を込めて紹介されている(二八‐三四、七八‐八四頁)。複数の個所で取り上げられていることに示されるように、この論点は本書の全体を貫く一つの基調となっている。そのこと自体に異を唱える気はないし、ローザ・ルクセンブルグに対してレーニンを擁護しようというつもりもない。ただ、この対置はやや単純化に過ぎないだろうかという疑念はどうしても残る。
 著者は私よりも一回り以上若いようだが、私のような、今となっては若いといえない歳になってしまった世代にとって、ローザ・ルクセンブルグのレーニンおよびロシア革命批判は決して新鮮とかショッキングとかいうものではなく、むしろ学生時代に大流行していたものとして懐かしさを感じさせるものである。そのような、われわれ世代にとって「懐メロ」であるものが、どうして若い著者によって再発見されなければならないのだろうかという疑問が湧く。もちろん、そのことに対してはわれわれ世代の責任があるということを先ずもって確認しておくべきだろう。学生時代に流行としてかつぎ回していたものをその後のわれわれが持続的に突き詰め、深めていくことがなかったからこそ、それは一旦忘れられ、今頃になって再発見されねばならなかったのだろうからである(同様のことは、たとえば、ポストコロニアル理論の元祖と目されているファノンについても、また多少事情が異なるがグラムシについてもいえるだろう)。だから、「俺たちがとうの昔に知っていたことを、お前らは今頃になって見つけたのか。遅れているな」などといって揶揄するようなことはすべきでない。そのことを確認した上での話だが、本書の記述にはやはり微妙な違和感がある(10)
 著者の叙述は全体としてはきめの細かいものだが、レーニンとロシア革命についてだけはきめの細かさを欠き、一刀両断的な割り切り方になっている。そのことと関係して、ローザ・ルクセンブルグとレーニンの関係も、あまりにも黒白二元論的なものとなっているように思われてならない。たとえば、レーニンが「『官僚制』を『民主主義』に優越させ」たとする個所で、『一歩前進、二歩後退』の一節を引用している(三〇頁)が、これは党派的論争過熱の中で殊更に挑発的な言葉づかい――いわば「売り言葉に買い言葉」――をしたものであり、またそもそも政党の内部規律を問題にした文脈で発せられた言葉であって、国政の一般原則にかかわる主張ではない。そうした文脈を離れてこの個所だけを抜き出し、あたかもレーニンが原則的に民主主義を不要と考えていたかのように描き出す書き方(五三頁も参照)はあまりにも乱暴である。
 誤解を防ぐために断わっておかねばならないが、このように指摘するからといって、私はレーニンが民主主義者だったとかレーニン主義が民主的だったといおうとするのではない。レーニン主義の実践的帰結は紛れもなく非民主的なものだったし、それは単に不幸な外的条件とか後継者の逸脱だけに帰されるものではなく、レーニンの思想の中にそのような帰結を招く要素があったことも認めなければならない。ただ、「そのような帰結を招く要素があった」ということと「最初からそういうものでしかなかった」ということの間には距離がある。レーニンは主観的には自己を民主主義者と考えていたが(11)、そのような思想を拠り所とした運動でも実際には非民主的な帰結を招くことがある――この点にこそ、究明すべき問題がある(12)。これは単に過去のよその国の問題ではない。今日、「自分はレーニンとは違って民主主義を尊重している」と考えている人たちも、場合によっては、その主観とは裏腹な帰結に至ることがあるかもしれない。「レーニンは民主主義を否定したからレーニン主義の産物も非民主的だった」という風に直線的に考えるなら、この深刻な問題が見失われる。
 当たり前のことを改めて思い出すことになるが、レーニンとローザ・ルクセンブルグは激しく論争しあいながらも、相互の敬意を決して失わない同志であり続けた(13)。本書のテーマとの関係でいえば、「民主主義」否定論者と位置づけられているレーニンも、元来は「ロシア社会民主労働党」を率いていたのであり、「われわれ社会民主主義者は」と語っていた。その彼が第二インターナショナルの戦争支持に幻滅し、社会民主主義運動の多数派と袂を分かって、自らの党を「ロシア共産党」と改名したとき、ローザ・ルクセンブルグもまたドイツ社会民主党から分裂して、ドイツ共産党をつくった。このように書くからといって、二人の差異を無視しようというのではない。差異は確かにあったし、見ようによっては非常に大きかった。ただ、結果的に大きな差異になるものも当初は非常に微妙な差異として生まれるということがよくある。そうした「微妙な差異」の「大きな差異」への転化を捉えるためにも、最初から二人を完全に異質なものとして描かない方がよいのではないかということである。
 著者はルソーについては非常に粘り強い議論を展開し、「ルソーに見られる全体主義への志向をどう始末するか」(二二九頁)という問題をめぐって、様々な角度から思索を重ねている。これと同様の作業はレーニンやトロツキーなどロシア革命の政治家・イデオローグたちについても行なわれうるのではないかという感想を私は懐くのだが、市野川のレーニン像は、あたかも最初から全体主義以外の何ものでもありえなかったと捉えているかの如くである。こう書くからといって、私は何もレーニンを擁護しようというのではない。「スターリンは悪かったが、レーニンはよかった」などという単純な振り分けをしようというのでもない。ただ、歴史の複雑な襞に立ち入る作業を省いて、現に生じた帰結のみからすべてを判断するような風潮に対して疑問を提起したいだけのことである(14)
 邪推になってしまうかもしれないが、著者にとって「社会的」「社会民主主義」の復権を図る際に、それが「社会主義」「共産主義」と混同されることへの危惧があり、それを避けるために、殊更に「社会主義」「共産主義」との違いを際だたせようとしているのではないかという気がする。ロシア革命・ソ連に対するあまりにもあっさりとした言及――およそ歴史過程に立ち入ろうとせずに、出発点から否定以外の何ものも不要という印象を与える――は、「あんなものと混同されてたまるものか」という意識があるように思われてならない。それはそれで分からないではない。だが、敢えていえば、やはり微妙な共通点はあるというのが事実だろう。その微妙な共通点と微妙な差異とを歴史の襞に立ち入って解明する作業抜きに、「あれとは違うんだ」ということをただ宣言しても、どう違うのかの十分な説明にはならない。
 本書にはまた、次のような指摘もある。日本では「社会」という言葉が「社会主義」によって独占され、「社会科学」がマルクス主義によって独占されてきたが、「この独占の代償として、ベルリンの壁の崩壊やソ連の解体とともに、政治的な言葉としての『社会』が一九九〇年代以降の日本で衰滅するという共倒れ現象が生じたのである」というのである(一九三頁)
 この指摘も当たっているといえば当たっているが、スウィーピングに過ぎるというのが私の印象である。「社会」という言葉が「社会主義」によって独占され、「社会科学」がマルクス主義によって独占されてきたという状況への反省は、ベルリンの壁の崩壊やソ連解体を待つまでもなく、遅くも一九六〇年代以降には始まっていた。それ以来、八九‐九〇年に至るまで様々な知的営為があったにもかかわらず、結局のところそれらは無力なものにとどまってきたということ――それこそが、九〇年代以降の「共倒れ」現象の物語るものである。とするなら、単に「独占」を批判するだけでなく、その「独占」批判が数十年前から行なわれてきたはずなのにそれが無力だったのはどうしてかという点こそが反省されなければならないだろう(15)
 現存した社会主義について正面からの言及がほとんど見あたらない本書の中で、ただ一個所、東ドイツの最終局面における「革命」について触れた個所がある。そこには、「多くの人は、東ドイツの人びとを受動形でのみ表象しがちである。……だが、それは違う。……ベルリンの壁の崩壊は、東ドイツの人びとによる主体的で能動的な『革命』でもあったのである」との指摘がある(二二頁)。この論点への注目は貴重である。だが、現実の歴史の流れをいうならば、一九八九年後半‐九〇年初頭に高まった内発的・能動的「革命」の志向は、その後、急激な「吸収合併」の波に呑み込まれ(ボン基本法一四六条ではなく二三条による統一)、「忘れられた」というのが冷厳な現実だったというべきだろう(16)。市野川は西欧では覚えられている言葉が日本では忘れられているということを強調し、日本と西欧の知的風土の違いを力説するが、東ドイツの最末期に独自の「革命」の志向があったことは、日本のみならずドイツの多くの人たちによってもまた「忘れられて」しまったのではないだろうか。
 
     三
 
 著者自身の積極的な見解は、本書の終わり近い部分にかなりはっきりと出てくる。それは、現状批判的という意味で相当ラディカルなものである。読む人によっては、これは「社会主義」ではないかという感想を懐くかもしれない。著者はそのことを意識したのか、自説と「国家社会主義」は違うのだということを強調し、自分の立場は「社会的な国家を民主主義によって動かす」ということなのだと論じている(二〇八頁)。しかし、前述したように、レーニンにしても、本人の意識においては民主主義を否定していたわけではない。レーニン主義を拠り所とする運動と政党が民主主義を蹂躙したことは紛れもない事実だが、それはその都度「真の民主主義」の名において正当化された。そのことを思い起こすなら、「民主主義」を掲げさえすれば「現存した社会主義」の轍を踏まないという保証はない。レーニンおよびソ連の経験を安易に片づける人――これは市野川だけでなく今日の圧倒的多数の人々の一般的風潮だが――は、自ら意識せずに類似の陥穽に陥る可能性がある。先に著者のレーニン批判があまりにも安易であることを批判したのも、そのことを意識したからである。
 著者の立場を明確に示す一節としては、「私有地の悲劇」という小見出しを付けられた個所が挙げられる(一七七‐一八二頁)。これはいうまでもなく「共有地の悲劇」という広く知られた議論を念頭におき、それに対抗しようとしたものである。興味深い個所なので、やや長く引用してみよう。
 
〔「共有地の悲劇」とは〕「ある牧草地が『みんなのもの』であるとき、人びとは好き放題に、そこで自分の家畜に牧草を食べさせることになるが、牧草地は『誰のものでもない』がゆえに、誰も責任をとろうとせず、結局、枯れ野になってしまう、という話である。……まず第一に考えるべきことは、なぜ、枯れ野になるまで、人びとは家畜に牧草を食べさせるのか、なぜ、そこまでたくさんの家畜を飼育するのか。なぜ、そこには限度がないのか、である。……その答えは、貨幣を手に入れるためである」(一八一頁)
 
 この切り返し方は鮮やかである。だが、では現に圧倒的趨勢として人々が貨幣経済に巻き込まれている現状の中で、そこからの脱却の道はどこに求められるのかという問いが出てくる。もし市場経済の否定ということを言わずにこの道を探ろうとするのであれば、これは非常に大きな問題となるはずだが、この点は希望として示唆される以上には掘り下げられていないように見える。
 本書のもう一つの重要な指摘は、働くことと獲得することの区別という論点である。たとえば次のような記述に、それが明示されている。即ち、「誰が作ったかとは独立に誰に与えるべきかを問い続け、平等と社会的なものをよりラディカルに追求する」ことが大事であり、それはマルクスの搾取理論を解体するが、「そんなものは解体して一向に構わないのだし、また、そうすることこそがマルクスを継承することだ」というのである(一六〇頁、強調は市野川自身による)。マルクスについての私の理解は今から数十年前に仕込んだだけで、大分記憶も怪しくなっているが、ともかくそれが労働を軸とするものだったことは明らかだし、共産主義の第一段階における「労働に応じた分配」論(『ゴータ綱領批判』)も、働いた人がそれに応じたものを獲得すべきだという考えに立脚している。これに対して、「労働に応じた」という条件をはずして考えるというのは、いわば「必要に応じた分配」(マルクス的にいえば共産主義の「より高次の段階」ではじめて実現される)を、「第二段階」としてではなく最初から目標とする発想のように見える(17)
 こうした議論をより鮮明に提起した個所として、次のような記述もある。「重い病気や障害になって、交換材料としての労働力を喪失した人は、どうなるのか。……死を命じるのでないなら、その人が生きるために、いやより良く生きるために必要なものを、市場とそこでの連鎖から奪い取って、見返りなしに分配することが必要だろう」(二〇五頁)。確かに、障害者・高齢者・幼児などを念頭におくとき、「労働に応じた分配」原則は無力であり、他の論理をさがさねばならない。ここまではよく分かる(18)。もっとも、マルクスなら、その点は既に『ゴータ綱領批判』で答えてある、社会的総生産物から労働不能者のための基金をはじめとする社会的経費を先ず控除し、その残りを労働に応じて分配すればよいのだ、というかもしれない。また、労働能力のない――もしくは非常に乏しい――人をいわば例外的に福祉の対象と位置づけ、それ以外の人たちについての政策と区別する――「働ける人には働いてもらう」――というのは今日の福祉政策ではありふれた発想であるようにも思える(19)
 著者の思考のラディカルさは、グローバル化との関係でより明確になっている。グローバル化の中でどこへでも自由に逃避しやすくなった資本の流出を避けるため、各国政府としては、社会保障のための資本の負担を引き下げ、「社会的なもの」の財源を切りつめることを迫られている。このような趨勢は多くの人が共通して認識しているところだが、ではそうした現状に対してどのように対応するかとなると、大きく議論の分かれるところだろう。市野川の答えは次のようなものである。
 
「社会的なものを防衛していくためには、一国単位の政策ではもはや、どうにもならない。対抗策の一つは、グローバルな資本を前にした、社会的な国家のバーゲニング競争に歯止めをかけることであり、税率や、社会保障のために資本が支払うべきコストについて足並みをそろえながら、資本の逃げ道を塞ぎ、それを包囲していくことである」(二二四頁)。
 
 これは確かにある種の一貫性をもった答え方であり、共感もするのだが、実際問題としてどういうことを念頭においているのかが今ひとつつかみにくい憾みが残る(20)
 本書の最後に近い部分では、「べきである」という表現が頻出しており(二二〇‐二二一頁など)、敢えて著者自身の価値判断が明確に表に出されている。ある時期以降の社会学――あるいはより広く社会科学一般――で重視されてきた「価値自由」論の金科玉条視への反撥は本書の各所で示されており、そうした立場からすれば、このように実践的姿勢を明示するのはむしろ当然のことなのだろう。それはそれとして、一つの見識である。だが、「べきである」ことがなかなか実現しないとしたら、それはどうしてかという問題を解明することも、社会科学の重要な課題ではないだろうか。その作業抜きに、ただ「べきである」と説いても、政治的アジテーションという響きを帯びてしまう。
 敢えてやや飛躍を含んで、私の感じる最大の疑問をいうなら、「民主主義」が弱者保護に否定的反応を示すとき、それにどのように対処するのか、ということになる。ある時期以降の世界では、弱者を単純に放置してよいという考え方はおおっぴらにはとりにくいものになり、様々な形での社会政策・福祉政策がとられるようになっている。弱者への配慮ということ自体は人道的な価値を帯びており、それを正面から全面的に否定する人は滅多にいない。だが、それにかかる負担を過大に負わされていると感じる――その感覚の当否はもちろん別問題だが――人々の数も次第に増大しつつあり、そうした人々の不満が鬱積しつつあるというのが昨今の状況であるように思われる。そしてそうした不満が「多数派」の声となるなら、「民主主義」はそれを否定しきれないのではないだろうか。
 こうした不満は、やや奇妙な言い方になるが「強者のルサンチマン」とも言えるかもしれない。「ルサンチマン」という言葉は、元来は「弱者のひがみの産物」という意味あいで使われてきたが、二〇世紀後半以降になると、弱者の権利保護のためのコストを担わさせられていると感じる相対的強者が、「自分たちがいちばん損をしている」といったルサンチマンをいだき、その憤懣をあれこれの弱者へのバッシングのような形でぶちまけるという事態が生じているように見える。女性が強くなりすぎたと感じる立場からのフェミニズム・バッシング、「バラマキ福祉」の財源のために高率の税金を取られるのはかなわないと考える高額所得者の不満、旧植民地からの歴史的問いかけに対して「いつまで謝罪し続けねばならないのか」と居直るナショナリスティックな風潮等々、類似の例は枚挙にいとまがない(21)。こうしたルサンチマンや憤懣――いわば弱者保護へのバックラッシュ――はしばしば非理性的・感情的な「鬱憤晴らし」という性格を帯びる。冷静に考えるなら、そうした鬱憤晴らしの非合理性、過度の単純化、不適切さ、危険性等々を指摘するのはある意味で容易なことである。だが、それだけで片が付くわけではない。むしろ、知識人がそういう指摘を「正論」として提起すればするほど、言われた側はますます憤懣を内攻させ、鬱憤晴らし的な反応をエスカレートさせるという悪循環の構図があるように思われてならない。ここに書いたのは、直接的な意味では市野川の著作自体から離れた感想だが、こうした疑問に著者がどのように答えるのかを知りたい、というのが最大の読後感である。
 
 
(1)たとえば、はじめの方で現代日本の政治・思想状況についてかなり長い記述があり、終わりの方でも再確認されている。これが重要な問題として著者に意識されていることは分かるが、本書の扱い方はやや中途半端ではないかという気がする。書物全体の背後を流れる問題意識だとするなら、もっと簡潔に結論を述べるだけでよいだろうし、逆に、それ自体を主題とする観点からいえば十分に詳しくはなく、いずれにしても「帯に短し、たすきに長し」の感がある。もう一つ、社会学の歴史について述べた個所は、社会学者である著者にとっては切実な問題なのだろうが、それはいわば狭い業界内部の事情であり、社会学を専門としない読者にとってはそれほどの切実さを帯びているわけではない。同業の社会学者だけを主要読者として念頭においた専門書ならともかく、広く一般読者向けに書かれた本の場合、社会学の歴史に関する部分はもう少し簡潔でよかったのではないかという気がする。
(2)この問題についての私見として、とりあえず研究ノート「『教養』の解体の後に」参照。
(3)本書Uの第2章における「社会科学」という言葉の誕生過程の追求は大変興味深いが、関連して小さな疑問を出しておきたい。ここで扱われている時期(一八世紀末から一九世紀にかけて、日本については一九二〇年代)では、ほとんどすべて単数形の表現がとられている(一四三頁の表1をみると、一八三六年のシスモンディと一八五一年のモールだけが複数形で、その他はすべて単数形)。今では複数形の表現の方が普通のはずだが、この変化はいつ頃どのようにして起きたのだろうか。ちなみに、東京大学社会科学研究所の英文表記は単数形になっている(Institute of Social Science)が、これは制定当時かなり論争的だったようで、複数形をとるべきだという意見を押し切って敢えて採用されたということが語り継がれている。
(4)柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、一九八二年はこの点で先駆的な業績だが、これを日本語についても、その他の諸言語についてももっと拡充した業績が望まれる。
(5)なお、ごく限定された試みだが、塩川伸明「国家の統合・解体とシティズンシップ――ソ連解体前後の国籍法論争を中心に」塩川伸明・中谷和弘編『国際化と法』東京大学出版会、二〇〇七年所収では、「シティズンシップ」「ナショナリティ」などの概念について、英・仏・独・ロシアの四カ国語の比較という問題に触れてみた。
(6)但し、「私的」なものは否定されるべきで「個人的」なものは肯定されるべきだという考えが明示されているわけでもなければ、用語として一貫しているわけでもない。別の個所では、「個人主義」という言葉は元来それを攻撃する人によって使われ出したことが指摘されており(一八六‐一八八頁)、そこでの「個人主義」はむしろ「社会的」に対立する――その意味で「私的」なものに近い――意味が込められているようである。しかし、更に別の個所では、アレントをうけて「私生活に欠けているのは他人である」とし、「私的なものからの解放」「私生活主義からの解放」の条件として「人間の複数性、その差異の絶えざる承認」を提起している(二一三‐二一四頁)。この「複数性」「差異」を「個人的」に置き換えるなら、「私的なもの」は否定されるが「個人的なもの」は重視されるということになる。
(7)ついでながら、このリーチュヌィという形容詞の語根となる名詞リツォーは「顔」という意味であり、個人がそれぞれに顔をもつこと(リーチュノスチ=個性)から「個人的」という意味になった。この「顔」としての「個」(人間)という論点は、レヴィナスなども参照して更に追求すると興味深いことになるのではないかという気もするが、残念ながら、今の私にはそこまで論じる力量はない。
(8)私自身、かつてこれと似た趣旨のことを書いたことが何度かある。たとえば、塩川伸明「『もう一つの社会』への希求と挫折」『20世紀の定義・2・溶けたユートピア』岩波書店、二〇〇一年所収など。
(9)この概念については、塩川伸明『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』勁草書房、一九九九年参照。
(10)ローザ・ルクセンブルグの経済学については再評価の気運があるのに彼女の政治学はすっかり忘れ去られているという記述(三四頁)にも違和感がある。最近の状況はよく知らないが、今から三〇‐四〇年ほど前の時期についていえば、彼女の経済学に関しては一部の専門家があれこれ問題にしていたにしても、あまり広く注目されていなかったのに対し、まさに本書で市野川が力を込めて紹介しているような部分が当時も注目されていたというのが、私の記憶である。
(11)市野川が八四頁で引用している「ブルジョアジーの独裁をプロレタリアートの独裁に代えること」(強調は市野川)という文句は、そのすぐ後で「金持のための民主主義を貧しいもののための民主主義に代えること……民主主義の世界史的な拡大」という風に敷衍されている(『レーニン全集』第二八巻三九七頁、強調はレーニン)。この個所を市野川は無視している。
(12)この問題についてはとりあえず、塩川伸明『《20世紀史》を考える』勁草書房、二〇〇四年、第七章。また後注14も参照。
(13)市野川が八三頁で引用している「政論家の覚え書」には、「鷲は雌鶏よりひくくおりることもあるが、しかし雌鶏は決して鷲のようには飛びあがれない……〔ローザ・ルクセンブルグはその「誤り」にもかかわらず〕やはり鷲であったし、今でも鷲である」という有名な一句があるが(『レーニン全集』第三三巻二〇八頁)、市野川はこの部分を省いて、「誤り」という言葉だけを引用している。
(14)これも今では多くの人によって「忘れられている」ことだが、レーニンとスターリンの連続性/非連続性をめぐっては膨大な議論の蓄積がある。私の師に当たる溪内謙はレーニンの中にあった民主主義の要素を最大限に強調し、レーニンとスターリンの断絶を重視する立場だった。溪内『現代社会主義の省察』岩波書店、一九七八年。それに対比していうなら、私は連続と断絶の両面を見ようという考えで、溪内よりはレーニンに辛いが、市野川のようにあっさりとした断罪にも同調しない。さしあたり、塩川伸明『終焉の中のソ連史』朝日新聞社、一九九三年参照。
(15)この問題については、不十分ながら、塩川『《20世紀史》を考える』第九章、終章などで論じたことがある。
(16)東ドイツにおける「革命」からドイツ統一に至る過程については膨大な文献がある。とりあえず、広渡清吾『統一ドイツの法変動――統一の一つの決算』有信堂、一九九六年、特に第一章および第六章、Ulrich K. Preuss, "The Roundtable Talks in the German Democratic Republic," in Jon Elster (ed.), The Roundtable Talks and the Breakdown of Communism, The Univesity of Chicago Press, 1996 などを参照。なお、この個所で市野川の注目する九〇年六月の東ドイツ憲法改正は、管見の限り、ドイツ統一について論じた多くの文献のどれでも言及されていない(右の二点の他にも数点を参照した)。八九年一二月の憲法改正で統一社会主義党の指導的役割が削除されたのをはじめ、いくつかの個別改正のことはある程度知られている。また、より本格的な新憲法準備については、円卓会議による草案(九〇年四月発表)や東の市民運動グループに協力する西の法律家たちによる草案作成作業(九〇年六月から九一年五月にかけて活動)があったことがいくつかの文献で紹介されている。しかし、円卓会議の草案は正式議題として取り上げられることなく、「吸収合併」路線によって押しのけられた。右の二点の他、大川睦夫「幻の東ドイツ新憲法の憲法史的意義」『社会主義法研究会年報』第一一号(社会主義法の変容と分岐)、法律文化社、一九九二年参照。
(17)厳密に議論しようとするなら、マルクスの『ゴータ綱領批判』とそれに関するレーニンの『国家と革命』などにおける解釈とを区別した上で、両者の関連を検討する作業が必要になるだろう。しかし、マルクス訓詁学(あるいは文献学(フィロロジー))から離れて久しい私としては、今その点に立ち入ることはできない。とりあえず本文に記した限りでは、『ゴータ綱領批判』の趣旨から大きく外れてはいないはずだと思う。
(18)障害者のことを主要に念頭におきつつ、働くことと獲得することの直結を批判する市野川の思考法は、立岩真也『私的所有論』(勁草書房、一九九七年)のそれに近いように思われる。立岩著についての私の読書ノートも参照。
(19)あるいは、ここに書いたのは著者の主張からかなり食い違った話――誤解に基づく疑問――なのかもしれない。では、どこにどのような食い違いがあるのかという問題を考えねばならないということになるが、本書の記述だけでは、その点に十分な手がかりが与えられているようには見えない。
(20)この論点も、立岩の『自由の平等』(岩波書店、二〇〇四年)を思い起こさせるところがある。私は以前に立岩と稲葉振一郎の共著『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス、二〇〇六年)をめぐるトークショー(ジュンク堂池袋本店、二〇〇六年九月一六日)で、この問題に関して立岩に質問したことがある(トークショーの記録、html版、pdf版)。半ば納得しつつ、半ば疑問が残るというのが現段階の印象である。
(21)ここに書いた事柄は、この小文の主題ではないので、わざと思い切って単純化してある。これらの問題はどれも非常にデリケートなものであり、それを主題的に考えるためにはもっと多面的な検討が必要とされるだろうが、ここではとりあえずそうした構図があることの単純な確認にとどめる。
 
*市野川容孝『社会』岩波書店、二〇〇六年
 
 
(二〇〇七年二‐三月)
 
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