正義を学年の中に復活させる。

100日計画その7

 

自分自身を見つめる

 

人は誰でも、『良い部分』と『悪い部分』の両方を合わせ持って生きている。いつも『良い部分』だけが表面化されるわけではなく、『感情』や『考え方』など様々な事柄によって『悪い部分』が表面化されてしまうのだ。行動にうつす前に、人は『考える』という過程段階を踏む。この『考える』という過程において、『良い部分』が表面化されるのか、『悪い部分』が表面化されるのか決まるのだろう。例えば、―自分の目の前に財布が落ちていたらあなたはどうするだろうか。― きっと、ほとんどの人は財布を拾って交番などに届けるだろう。しかし、現実はその財布からカードや現金を盗んで使ってしまう人もいるし、見て見ぬふりをする人もいる。これらの行動の違いは、その人が財布を発見してからその財布をどうするか考えた結果から行動に表れているのだ。鍵を握るのは、行動にうつす前の『考える』という過程になる。

毎日の生活の中で、じっくりと考えてから1つ1つの行動にうつしている人はいないに等しいだろう。しかし、感情のままにまかせ、何も考えず行動して、あとになって後悔したことはないだろうか。大きいこと小さいことに関わらず「あんなことしなければよかった」と後悔した経験が誰にでもあるはずだ。では、この後悔は一体なんだろう。それは、自分の中の『悪い部分』が表面化し、あとになって自分自身を見つめなおしたときに感じる感情だろう。この後悔をできればしたくない。そう思うのが心境だろうか。後悔を減らすためには、自分自身と向

き合い、見つめる必要がある。

ところで、『正義を学年の中に復活させる。100日計画』への取り組み態度はどうだろう。取り組みはじめた12月と時間が経過した今と比べて、どんな変化があっただろうか。計画をくだらないと思っている人もいるかもしれない。前向きに取り組んでいる人もいるかもしれない。くだらないと思っている人は、くだらないと考える自分がなぜそう思うのか、じっくりと考えてみてはどうだろう。前向きに取り組んでいる人は自分が次にできることを考えてみてはどうだろう。それが、自分自身と向き合い、自分自身を見つめることにもなる。見つめることができたからといって、すぐに自分の考えや行動が一転して変わるものでもない。昨日の今日で簡単に変われるほど、人間は単純な生き物ではない。なぜなら、変わるということは、今の自分を捨てて新しい自分を作ることだからだ。自分を捨て、自分を壊すためには、莫大な‘勇気’と‘エネルギー’と‘努力’が必要だ。だから、変わろうと思う自分がいるなら、焦らず毎日少しずつ変わっていければいいのだ。まずは、1日1日の1つ1つの行動を振り返り、自分自身と向き合い、見つめることからはじめていこう。

 

今日のトレーニングテーマ

『自分自身の1日の行動を振り返って悪かった部分を見つめよう』

 

 

トレーニングの内容

トレーニングの仕方

 

今日から4日間は、自分自身の1日の行動を振り返って悪かったなぁと感じる部分を自分で

見つけるトレーニングです。

1日をしっかり振り返って、自分自身を見つめるためには、静かな環境の中で行うことが大

事になります。終わりの会で、1分程度、黙想をしながら1日の自分を振り返りましょう。た

だ振り返るだけでは物足りないと思うので、今回は『節分の日』も近いということで、行事に

重ね合わせて、自分自身の悪かった部分を鬼の面に記入しながら進めていき、最終的には『豆

まき』をして自分の中の悪い部分を自分の中から追い出しましょう。

 

 

  @ 終わりの会で、黙想しながら1日を振り返り、自分の悪かった部分を見つける。

  A 黙想後、悪かった部分をプリントと鬼のパーツの裏に書きこむ。

  B パーツを切り取り、色を塗って、鬼の面にのりで貼る。

  C 完成した鬼の面は、2月2日まで教室に掲示する。

    プリントは、4日目の終わりの会で担任の先生に提出する。

  D 2月2日(金)の学活の時間で豆まきを行う。

 

 

≪節分≫

季節の分かれ目という意味で「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日を

さしていた。特に、立春の前日を指すようになった由来は、冬から春になる時期を一

年の境とし、大晦日と同じように考えられたためである。

 

 

≪豆まき≫

   豆まきの行事は、「追儺(ついな)」と呼び、中国から伝わった風習である。「追儺」

  は「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」と呼ばれ、

疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、文武天皇の706年に宮中ではじめて

行われた。

 

 

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