彼の面影
先ほど脱出した船の墓場ほどではないが、鬱蒼とした森の中。
金属が上げた甲高い音にはっとして、膝をついているレナにかざしたケアルの光を絶やさないようにしながらも、わしはその発生源を振り仰いだ。
すぐそばで、バッツが盾を掲げてわしらを庇い立っていた。彼はその奥に見える魔物から顔をそらさずに、右手にある剣を握り直す。少し離れた位置からファリスの鋭い声が聞こえたと同時に、魔物に氷塊が襲い掛かる。バッツは魔物の意識が自分から逸れたと見るや否や、強く地を蹴った。
剣を振り上げたその後ろ姿が、ここではないどこかで見た姿と、重なった気がした。
「わし、お前さんとどっかで会ったことないかのう?」
そこそこ賑わうカーウェンの町の酒場で、久方ぶりに食べるきちんとした飯に舌鼓を打っていたおれに、向かいの席でビールを飲んでいたガラフが突然そう聞いてきた。先に休むと言ってレナとファリスが部屋へ戻り、おれとじーさんの二人になった矢先のことだ。
おれは肉にかぶりついたまま、なんでいきなりそんなことを聞くんだという意思を込めて目を向ける。その視線の意味を、ガラフはしっかり把握したらしい。ジョッキを持った手をそのままに、うーんと唸った。
「いや、船の墓場からこっち、バッツはナイトじゃったろ? お前さんが剣を振る姿を、どこかで見たことある気がしておっての」
よどみなく語るガラフの説明を聞き流しながら、おれは肉を噛みしめる。美味い、と考えていたらジョッキで頭を小突かれた。
「うぐっ」
「食ってばっかおらんでなんとか言わんか」
さすがに行儀が悪かった、と噛むのもそこそこに肉を飲み込んで、今度はおれがうーんと唸る。騒がしい周りの声に邪魔されているのか、そこそこ酒が入っているからか、うまく頭が回っていない気がするが、掘り返した記憶の中には目の前にいるじーさんの姿はない。
「会ったことないと思うけど」
答えると、ガラフはふむ、と頷いてぐびりとビールをあおった。その隙におれはまた肉にかぶりつく。木と木がぶつかる音が耳に届き目をやれば、ジョッキを置いたガラフが真面目な顔でこちらを見ていた。おれは肉を噛む速度を少し上げる。じーさんはおれが食い終わるのを待ってから、口を開いた。
「お前さんも記憶喪失なんじゃないか? おかみさんビール追加!」
「じーさんと一緒にすんな! おれにもビール追加!」
即座に言い返すと、そりゃそうか、とガラフは大口を開けて笑った。こちらにやってきた店員からなみなみとビールが注がれたジョッキを受け取りながら、これでも結構記憶力いい方なんだぞと物申せば、どうかのう、と返してくる。じーさんめ。おれは念のためもう一度これまでの人生を振り返ったが、やっぱりガラフに会ったことはない、と確信する。
「色々なところを旅してたから会った人全員の顔をおぼえてるかって言われると自信ないけど、ガラフとは会ったことはないな」
「……そうか」
おれがさっきより力を込めて答えれば、しばらくの沈黙ののちに、ガラフが喧騒にかき消されそうな声でつぶやいた。残念そうな様子がにじんだその言葉に、おれはふと、船の墓場で出会ったセイレーンという魔物のことを思い出す。あのとき、ガラフは記憶にあるらしい金髪の少女を思い出せなかったと言っていた。おれたちはそのおかげで助かったわけだけど、ガラフは思うところがあったのかもしれない。
「力になれなくて悪い」
「なあに、構わんて。わしこそすまんの」
お互いに謝りあった後どことなく沈んだ雰囲気になってしまって、おれは黙ったままちびちびとビールを飲み続けた。半分ぐらい飲み干したあと、残っているつまみに手を出そうと視線を動かすと、口をつけずにこちらを見ていたらしいがラフと目があった。
「じーさん?」
「あ、いや、なんでもないわい」
不思議に思って声をかけると、ガラフは慌てた様子でそう言って、ビールに口をつけた。返す言葉が思い浮かばなかったから、おれは何も言わずにつまみを口に放り込んだ。そんなおれの状態を察したのか、ガラフが優しく告げる。
「これを飲んだら寝るか」
その声に何故か親父の声が重なった気がして、おれはゆっくりと頷いた。