甘さ控えめのいたずら

 たぶん答えを間違えたのは自分なんだろうと、クラウドはいまさらながらに思った。

 金曜日の夜。『のばら』の暖簾をくぐったクラウドに、さっそくといわんばかりに明るい声がかかった。
「いらっしゃいませー! あ、クラウドこんばんはッス!」
 近づいてきたのはバイトのティーダだ。下校時刻まで部活があったはずだが、彼はその疲れを感じさせない動きで、クラウドをほぼ定位置となっているカウンターへと案内した。
「いらっしゃい、クラウド」
 持っていた鞄と紙袋を脇に置いて座ると同時に、カウンターを挟んで向かいに立っていた店主のフリオニールが、ティーダとは真逆の静かな声をかけてきた。すでに席に置かれていた水を手に取りながら、クラウドはフリオニールのがっしりとした体の先に掲げられているメニューを仰ぎ見た。
 ここ二、三日の食事を思い返す。
「煮魚定食を」
「わかった」
 一つ返事をして、調理のためだろう、フリオニールがクラウドの目の前から離れた。すると、他の客のレジ対応を終えたティーダが、再びクラウドの隣に立った。
「クラウド、ちょっといいッスか?」
「なんだ?」
「『のばら』は今日だけの限定イベント中なんスよ!」
 クラウドは目を瞬かせた。とてもそうは見えない。白と薄緑、そして木を基調とした落ち着いた内装はいつもと変わらない。入口に一輪だけ飾られているバラも、いつもと変わらない。
「あー、そう大々的なのじゃないんスよ。お客さまに合言葉を答えてもらって、正解ならささやかなプレゼントがあるッス!」
「合言葉?」
「そうッス。さ、クラウド答えをどーぞ!」
 いきなり答えを聞かれ、クラウドは首をかしげた。ヒントも何もなしかと思うも、すぐにある言葉がひらめく。
 今日限定の言葉、クラウドが朝から何度も言われた言葉。
「トリックオアトリート?」
「正解ッス! じゃ、これ、プレゼントッス!」
 大きな声とは裏腹にそっと置かれた小鉢にクラウドは目をやる。中には、濃い橙色が艶めくかぼちゃの煮物が三つほど。
「ハロウィンと言えばかぼちゃッスよね! でも、クラウド良くわかったスね」
 ティーダによると、『のばら』を訪れた客の正解率は半分ほど(ティーダ調べ)らしい。『のばら』は家庭料理が主軸の定食屋だから、お菓子のイメージが強いハロウィンとはあまりつながらないのだろう。クラウドも基本的にそう言ったイベントごとには興味のない方なのだが、
「今日散々言われたからな」
「へー、クラウドの会社もイベントやったんスか?」
「あれは、どうにかして悪戯してやろうとしているだけだ」
 今日出社した途端にニヤニヤしながら近づいてきた赤髪の男を思い出して、クラウドは深くため息をついた。今年は難を逃れたが、去年は強制的に顔をメイクされたり、服と背中の間にカエルのおもちゃをいれられたりと散々な目にあったことまで思いだしてしまって、げんなりする。今年クラウドが無事なのは、一年前携帯に設定したアラートと、菓子を用意してくれたバッツのお陰だ。
 落ち込んだ気分を振り払うように、クラウドはもらったかぼちゃを早速一つ口に入れた。途端に、醤油とそれに負けないくらい濃厚なかぼちゃの味が舌に強く届く。
「うまい」
「そりゃ、フリオの料理ッスからね! あとでフリオにも言って欲しいッス!」
 クラウドの感想を自分のことのように喜んでいたティーダが、次いでその顔に意地悪そうな笑みを浮かべた。
「クラウド、トリックオアトリート!」
「こら、ティーダ仕事中だぞ!」
「いいじゃないッスかフリオニール、イベントの続きッスよ!」
 ティーダの声が聞こえたらしいフリオニールが、調理場になっているらしいカウンターの奥からそう声を投げてきた。ティーダが負けじと声を返すのを聞きながら、クラウドは先程脇に置いた紙袋を持ち上げた。
「ティーダ」
 そのまま言い争いを始めそうな勢いだった二人を止めて、クラウドは紙袋の底から取り出した小ぶりの袋をティーダへと渡した。ラッピング用のビニール袋の中に、子供のげんこつほどの茶色い塊が二つほど見える。受け取ったティーダが、中身をじっとみて、首をひねった。
「なんスか? これ?」
「サーターアンダギーかぼちゃ味」
 バッツに教えられた名前を、クラウドはそのままなぞって返した。名前だけで何か分かったらしいティーダが、笑顔になる。
「やった! サンキューッス!」
「こら、だから仕事中だといってるだろティーダ!」
 小躍りしそうな勢いのティーダを、カウンターまで戻ってきたフリオニールが窘める。
「フリオニールの分もある」
 ちょうどいいとばかりに、クラウドはサーターアンダギーの袋をもう一つ取り出した。差し出したが、フリオニールは困った顔で首を振る。
「いや、今受け取るわけには」
「フリオニール、堅苦しいこと言わないで、受け取ってもいいんじゃないかな」
 騒がしい三人の間に、入口のほうから別の声が割って入った。フリオニールが、さっと声の主を振り返る。
「セシル」
「あ、セシルいらっしゃいッス!」
 ティーダも続けて声を上げる。クラウドが軽く会釈すると、セシルはこんばんはと返してきた。
 紫紺のスーツに身を包んだセシルは慣れた動作でクラウドの隣へと腰を下ろす。ティーダと気心の知れたやり取りをしながら注文を終えた彼が、小首を傾げながらクラウドの方を向いた。
「トリックオアトリート、クラウド。僕の分もあるかな?」
「ある」
 紙袋の中にまだまだ残っている袋を手渡す。
「ありがとう。ほら、フリオニールも」
 セシルがもう一度促すと、フリオニールがわかったと苦笑した。彼はいつのまにか持っていた煮魚定食をクラウドの目の前に置くのと引き換えに、サーターアンダギーを受け取った。
「すまないなクラウド。バッツにも礼を言っておいてくれ」
「ああ」
 セシルの分もすぐ作るから、と言ってフリオニールが奥へと下がった。それをなんとなしに見送ったクラウドの隣で、せっかくだからちょっと味見、と揚げ菓子を口に入れたセシルが、頬をゆるませた。
「おいしい。かぼちゃ味のサーターアンダギー、って僕初めて食べたよ」
「ああ、バッツが作ってくれた。大量に必要なら作る方がいいと言って」
 言い訳のような台詞を最後につけて、クラウドは箸をとった。
「クラウド、もしかして会社の人にもこれを配ったの?」
「ああ。……なにかあるのか?」
「いや、大したことじゃないんだけどね」
 不自然に言葉を切ったセシルが気になって、クラウドは味噌汁を持とうとした手を止めてセシルを見た。顔に疑問符でも浮かんでいたのだろう。セシルはクラウドの顔を見ると、小首を傾げながら続きを口にした。
「だって、料理なんて全くしなさそうなクラウドが手作りのお菓子を渡してきたら、会社の人はびっくりするんじゃない? クラウドは、会社でそういう話はしないタイプだと思ったんだけどね?」
 セシルの告げた内容を何度も何度も噛みしめて、ようやく彼の言わんとしていることが分かった瞬間、クラウドは頭どころか全身が火を噴いたかのように熱くなったのを感じた。

 走馬灯のように昨日の朝の光景がよみがえる。

「ハロウィン?」
 朝食の席で一言告げたクラウドに首を傾げた後、ああ、と合点がいったようにバッツは答えた。
「そういえば明日商店街でもイベントがあるぜ。クラウドも来るか?」
 その言葉に、クラウドは「行かない」と「そうじゃない」という二つの意味で首を振った。
「菓子を用意してほしい」
 あー、去年おまえ帰ってきたらすごいことになっていたもんなと笑ったバッツは、いいぞと軽い調子で請け負ってくれた。
「どれくらい用意すればいい?」
 クラウドは頭の中でざっと人数を試算して答える。菓子の種類や量を計算したのだろう、バッツが腕を組んで唸った。
「うーん、それだと買ってくるには量が多いなあ。手作りでもいいか?」
 今日はバイト休みで時間あるしと続いた彼の言葉に、クラウドは深く考えずに頼むと頷いた。
 ちなみに、夕食後に味見をさせてもらったサーターアンダギーは、さくさくした食感と、ほんのりとしたかぼちゃの甘い味がおいしかったことを覚えている。

 今にして思えば、会社でのささいなやりとりにそこまで気を張る必要はなかったはずだ。それこそ、小銭で買えるような駄菓子でも、アソートの詰め合わせをばらしてもいいような。
 バッツがわかっていたのかいなかったのかはわからない。
 けれど、たぶん答えを間違えたのは自分なんだろうと、クラウドはいまさらながらに思った。

2014-10-31
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