みんなでそうめん食べようの会・準備中

 珍しくからっとした暑さになった夏の土曜日。窓の外から見える雲と空のコントラストが眩しい昼時。バッツはバイト先である酒屋の、さらにその裏手にある店主の家の台所で大量の天ぷらと格闘し終えたところだった。
「あちー……」
 息をつきながら、首にかけていたタオルで顔に浮かんでいた大粒の汗をぬぐう。台所には、ガンガンに回っている換気扇でも取りきれない熱気が渦巻いていた。隣接する居間では冷房もかかっているはずだが、ここまで届いてはいない。
 流石に少し休憩しようと、バッツは背後にあったテーブルへと向かい、その上に置いてある汗をかいたグラスを手に取った。大分ぬるくなってしまった麦茶で喉を潤す。空になったグラスを置き、手を拭きながら目線をずらせば、そこには今朝からずっと揚げ続けていた天ぷらが山盛りになった大皿が二つ鎮座している。定番のエビ、イカにはじまり、鳥、ちくわ、エリンギ、えのき、しいたけ、大葉、ししとう、さつまいも、かぼちゃ、ナス、アスパラ、ニンジンとたまねぎのかき揚まで作った。これだけ作れば足りるだろう、足りてほしいとバッツは思う。
 今日はこの台所の横にある居間で、みんなでそうめんを食べようの会の日である。
 そして、その食事の用意を一手に引き受けることになってしまったバッツは、ただ今絶賛激闘中だ。当初の予定では、レナがメインで準備を行い、バッツはバイトをしながら手伝いをするということだった。けれど、午前中だけどうしても外せない用事が出来たとかで、レナがここへ来られるのは昼過ぎになってしまった。その話を今朝ファリスから聞いたときは自分一人で間に合うかと思ったが、ガラフが午前中に店を開くのを止めるとスパッと決めてくれたおかげで、会の準備はバッツ一人でもなんとか間に合う進行になっている。
 休憩もそこそこに、バッツは次の作業にとりかかった。先ほどまで共に戦っていた仲間である天ぷら鍋をどかし、そこへ新たにあらかじめ水を入れてあった大鍋を設置する。まだ誰も来ていないけれど、揃ってからお湯を沸かし始めたのでは間に合わない。
 火をつけた鍋の横で、薬味を用意しようと包丁やおろし金をそろえ始めたとき、バッツの耳が、引き戸が開く音と幼さの残る三つの声を聞いた。
「ただいまー!」
「こんにちは」
「おじゃまします」
 声だけでわかる。店主の孫娘であるクルルと、彼女のクラスメイトであるミドとオニオンだ。この三人は、せっかくの夏休みだというのに、彼らが通う中学校で開かれている夏期講習を受けているのだ。たしか、そうめん食べようの会の後は、そのまま三人で夏休みの宿題をやるらしい。勉強漬けでもったいないなとバッツが言ったら、講習もある夏休み前半で勉強は全部終わらせて、後半は遊びまくる予定だという。夏休み最後に必死に宿題を片付けていたバッツとは違ってしっかりしている。
 ちなみに、本人は「女の子の友達もいるよ」と言うが、クルルが家まで連れてくるのは大抵この二人である。なので、爺さんが内心ハラハラしているのはここだけの秘密だ。
 晴天の中帰ってきたなら喉が渇いているだろう、とバッツが薬味の準備を中断し食器棚からグラスを取り出しているうちに、足音と共に半袖の学生服に身を包んだ三人が姿を現した。
「バッツただいま!」
「おかえりクルル。ミドとオニオンもいらっしゃい。とりあえず麦茶でいいか?」
「ありがと! 二人とも、荷物そっちの端っこに置いて」
「うん」
 答えて居間へと向かう二人とは別に、クルル自身はカバンを背負ったまま、バッツがなみなみと麦茶を注いだグラスに口をつけた。そして、あっという間に麦茶を飲み干すと、小気味いい音を立ててグラスを置き、バッツを見た。
「おじいちゃんは?」
「ファリスと配達。そろそろ帰ってくると思うぜ」
「わかった! わたし、部屋に荷物置いてくるね!」
 おう、とバッツが返事をするのを待たずに、クルルは勢いよく台所を走り去っていった。彼女が戻ってきたら準備を手伝ってもらおうと考えながら冷蔵庫の野菜室を開けたバッツの背中に、次いで麦茶を飲み終えたらしいミドの声がかかった。
「ぼくのおじいちゃんは?」
「シドはまだ来てないな。もうすぐ来るんじゃないか?」
 それを聞いて台所を飛び出していったミドを、バッツは薬味を山と抱えて見送った。
 ミドの祖父であるシドは、この酒屋もある商店街の外れにある町工場で技師長をしている。加えて、店主であるガラフとは、囲碁だか将棋だかで腕を研鑽する間柄だ。工場は今日も動いているため、シドは昼休みにだけ顔を出す予定だと聞いている。ミドはその迎えに玄関へ行ったのだろう。
 そして残った一人、ゆっくりと麦茶を飲んでいたオニオンが、ようやくグラスを空にしてバッツの方へと向き直った。
「バッツ、一人で準備してるの?」
「レナが午前中来れなくなっちまってな。ま、この調子なら間に合うから心配すんな」
「手伝うよ」
「おう、助かる。天ぷらの道具洗うの頼んでいいか?」
「うん」
 頷いたオニオンが台所に戻ったバッツの隣に並び、いつの間にか道具やら食器やらが山になっていたシンクに水を流し始めた。手際よく器具の位置を整理していくオニオンを横目で見ながら、バッツは手に取ったしょうがに包丁を入れる。
「クラウドは来ないの?」
 水の音に紛れ込ませて、オニオンがそう聞いてきた。バッツは手元から目を逸らさないまま応じる。
「起きられたら来る、って言ってたけど」
「一緒に来ればよかったんじゃない?」
「それは思ったんだけど、出かける前に覗いたらまだ寝てたからさ」
「でも、声もかけないなんて、クラウドがかわいそうじゃないかな」
「そうか?」
「そうだよ」
 短い一言には、微かにバッツのことを非難するような響きがあった。だから、バッツはオニオンに言った。
「来るよ」
 ずっと聞こえていたスポンジの動く音が、ふっと止まった。オニオンは思わずバッツを見たが、バッツの視線はしょうがに向いたままだ。蓋をした大鍋の蓋が震えている音がする。
 オニオンが何かを言いさしたそのとき、二人の間にある籠った空気を散らすように、玄関からミドの声がした。
「バッツー! クラウドおにいちゃん来たよー!」
 ミドにしては珍しい大声に、バッツとオニオンは揃って手を止め、玄関の方へと顔を向けた。そしてどちらともなく顔を見合わせた。
「ほらな」
 なにもかもわかっていたと言わんばかりに笑顔を見せたバッツに、オニオンは隣で不機嫌とうらやましさが混じったような表情を見せ、それを見られたくなかったのかすぐにふいっとシンクの方へと顔を背けてしまった。

2014-08-02
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