流星の夜
いつもと変わらない平日の夜。自室のベッドに腰をおろし雑誌を読んでいたクラウドは、締め切った扉が叩かれる音に顔をあげた。扉を叩く人物は一人しかいない。が、もう日付変更線をまたごうかというこの時間に、彼が起きているのは珍しいことだった。
「開いている」
ささやかに、しかしはっきりとそう告げると軽い音を立てて扉が開いた。姿を見せたのはやっぱりバッツだ。彼はクラウドが読んでいた雑誌を目に留めると、申し訳なさそうな表情で頬をかいた。
「ごめんな、邪魔して」
「いや。平気だ。どうしたんだ?」
クラウドが問いかけると、バッツはぱっと笑顔になって、クラウドの方へ近づいてきた。
「ちょっと今から一緒にベランダに出ないか? 流れ星が見れるんだって」
そう言いながら、バッツがクラウドの腕をつかむ。引っ張られる力に逆らわずにクラウドが立ち上がると、バッツはクラウドの腕を引いたまま歩き出した。
「ここから見えるのか?」
「どうだろ。今日は一日曇りだったけど、天気は回復に向かってるっていうから、見れたらと思ったんだけど」
話しながら廊下を通り、電気が消えて暗いリビングを横切ってカーテンを開ける。そのまま外に出なくても、この時点で結果は一目瞭然だった。窓の向こう、ビルの境目から見えた空は、雲に覆われて灰色に染まっていた。流れ星どころか、月さえ見えない。
「あー……、見えないかな」
バッツがそうつぶやいてクラウドの腕を離し、窓を開ける。冷たい風が二人を覆うように吹き込み、部屋着だったクラウドは寒さに身を震わせた。しかし同じく部屋着のバッツは寒さをものともせずに外へ出ると、手すりから身を乗り出して空を覗きこんだ。クラウドも窓から顔を出して外を見る。視界が少し開けたところで、空に見えるのは雲ばかりだ。さらに、街灯がこれでもかと周囲を照らしている。おそらくここでずっと見ていても結果は変わらないだろう。さっさと見切りをつけたクラウドは、外よりも暗いリビングへとすぐに引っ込んだ。
「おい」
「んー、もうちょい」
クラウドが中から声をかけるも、諦めきれないのかバッツはベランダから動かない。クラウドはため息を一つついて、自室へと足を向けた。
どれくらい空を見ていたか。
「バッツ」
かけられた声にバッツが振り返ると、いつの間にかクラウドが戻ってきていた。さっきまで部屋着だったのに、今の彼はジャケットにズボン、手袋まではめた完全武装姿だ。黒いジャケットが、外からの光を反射して鈍く光っている。その変貌に、バッツは目を瞬かせた。
「行くぞ」
「え」
「郊外の方は雲が切れているらしい。行くぞ」
有無を言わせぬクラウドの台詞に、バッツは躊躇いながらも頷いた。
車が行き交う大通りを、クラウドの運転するバイクが走る。テールライトと街灯の光がバッツの目に入る間隔が、だんだんと広がっていく。
エンジン音と空気を切る音が轟々と耳に届いて、バッツはぶるりと身を震わせた。ちょっと薄着だったか、と少し後悔する。クラウドを待たせたらいけないと、深く考えずに着込んだ薄いジャケットの裾が、ばさばさと風に舞う。すでに日付は変わっていて、朝日が昇るまで気温は下がるばかり。吐く息も白い。
「ちゃんと捕まっていろ」
クラウドの声が風に流れてきた。バイクで走っている時、こちら聞こえるようにと彼の声が少し大きくなるのがバッツは好きだった。言葉を返す代わりに、クラウドの腰に回していた手に力を込める。密着したクラウドの背中は、空気に場所を譲っていた間にすっかり冷えてしまっていた。
体をクラウドにくっつけたまま、バッツは顔を上げた。家から離れれば離れるほど雲は千切れ、空は闇を露わにしていく。けれど、流れ星はまだ見えない。
白黒の斑模様をずっと見ていたら少しぼんやりとしてきて、バッツは軽く頭を振った。いつもだったらもう寝ている時間だ。クラウドもバッツよりは就寝時間は遅いが、それでもそろそろ眠る時間のはずだ。
正直なところ、ここまで大事にする気はなかったのだと、バッツはまた少し後悔した。自分の睡眠時間どころか、クラウドの睡眠時間まで削ってしまった。明日も二人そろって仕事なのに。そろそろ引き返そうって言わないと。そう考えているのに、今こうして二人きりでいる時間が嬉しいと、体と心のそこかしこが訴えている。だから、もうちょっとだけこのまま――。
そうバッツが思った時、ぼんやりと夜を眺めていた目を、一筋の光が撫でた、気がした。
「あ」
「どうした」
バッツがわずかにあげた声を敏感に聞き取ったらしいクラウドから、すぐに声がかかった。バッツは彼に聞こえるようにと叫んだ。
「見えた、かも!」
「俺は見てない」
むくれた子供のようなクラウドの返事に、バッツは一瞬息をつまらせた後、弾けるように笑った。
「そうだな、じゃあ、クラウドが見るまで行ってみるか」
バッツはそう答えて、一番の力を込めてクラウドを抱きしめた。