和菓子の日

 六月十六日、日曜日の昼過ぎ。クラウドがバッツとともに、遅めの昼食を取っていたときのこと。湯気を立てる野菜炒めに箸を差し入れたバッツが、思い出したかのように「あっ」とつぶやいたのが発端だった。
「そうだクラウド、後でバイク出してくれよ。行きたいところがあるんだ」
 箸を止めたクラウドにさらりと告げて、バッツがピーマンともやしの塊を摘み上げた。
 買い出しに行きたいという事だろうが、量を買うならバイクでは持ち運びが厳しい。そう考えたクラウドは、もごもごと口を動かしているバッツに問いかけた。
「車の方がいいんじゃないのか?」
 クラウドとしては当たり前の質問をしたつもりだったが、それを聞いたバッツはぴたりと口の動きを止めた。そのまま口を開こうとしたので、食べてから話せと注意する。
 バッツはごくりと口の中の物を飲み込むと、そのあとにコップの水を一気に飲み干してから、口を開いた。
「ああ、買い出しじゃないから。――ん? 買い物に行くと買い出しになるのか? どうなんだ?」
「さあな」
 首をひねったバッツに、クラウドが投げやりに言葉を返す。単純に解釈すれば、買い物ではあるが、量は買わないと言うことなのだろう。一人納得したクラウドに向けて、バッツは次にこう言った。
「今日は和菓子の日なんだって」
 おそらくバッツの中ではつながっているのだろうが、いきなり話題が別方向へと飛び跳ねた。
「……和菓子の日?」
 告げられた言葉を数秒かけて咀嚼したものの、クラウドの中では話がどうしてもつながらなかったため、言われたままをバッツへと聞き返した。それを聞いたバッツが、顎に手を当てて考え込む。そして、少しうなった後で、話し始めた。
「なんでも、和菓子協会ってところが決めたんだと。昔あった『カショウの日』とかいうのを、現代に復活させたとか何とか。まあ、昨日バイト先で聞いてきただけなんだけど。そんで、そのときにじいさんから和菓子が美味い店を聞いてきたから、せっかくだし買いに行こうと思っててさ。和菓子だけなら量もないだろうから、バイクでいいかなって」
「わかった。後で用意する」
 そこまで聞いて、ようやくクラウドの中で話がつながった。特に問題はないので、返す言葉で最初の頼みを引き受ける。
「よっしゃ」
 クラウドの返事を聞いたバッツが、嬉しそうに笑った。

 バッツが聞いてきた和菓子屋というのは、二人が住んでいるマンションからバイクで十五分程の場所にある、このあたりでは一番大きな商店街の外れにあった。
「おー! いっぱい種類があるな! ど・れ・に・し・よ・う・か・な」
 到着するなり、バッツはショーケースに貼り付いて、並んでいる和菓子を見比べ始めた。クラウドは興味がなかったので、彼の少し後ろでぼんやりとその様子を眺めていた。
「やっぱ団子は定番だろ。あんことみたらし。あと大福と芋羊羹と栗饅頭ときんつばと」
「買い過ぎだろう」
 次々と挙げられていく候補に、クラウドは思わず突っ込んだ。すると、バッツがショーケースに顔を向けたまま宣告した。
「じいさんが言うには、十六個ないとだめらしいぜ」
 十六個。二人で八個ずつかと考えて、クラウドは頭を抱えた。甘い物はそんなに好きではない。
「食いきれない」
 文句を言ったクラウドに、バッツが「大丈夫だって」と朗らかに返した。
「団子とか大福とかは堅くなっちまうから早めに食わないとだめだけど、それ以外なら一日くらい持つだろ。なんとかなるって」
 もはや買う気満々のバッツに対して何を言っても無駄だと悟り、クラウドは口をつぐんだ。バッツは一通り品定めを終えた後、くるりとクラウドの方を振り返った。
「クラウドは食いたいのないのか?」
「き」
「『興味ないね』はナシ! ほら! 一つくらい選べって!」
 クラウドが言おうとした台詞を先取りしたバッツが、強い力でクラウドの腕を引いた。引っ張られるままにショーケースの前に立ったクラウドは一通り品物を眺め、これならば甘くはないだろうと、梱包されたあられを指さした。
「お、いいな。開封しなければしばらく持つだろうし。すみませーん」
 クラウドが希望して初めてあられの存在に気づいたらしいバッツが横で頷き、店員を呼んだ。やりとりはバッツの方が得意なので、そのまま任せることにする。
 クラウドは先に店先を離れて、携帯を開いて時間を確認した。このまま帰るなら、三時前には帰れる。
 携帯をしまったクラウドが視線を戻すと、ちょうど会計をすませたバッツが、先程まで吟味していた和菓子たちが入っているとおぼしきビニール袋の他に、もう一つ紙袋を受け取っていた。店員の挨拶を背にこちらに戻ってきたバッツは、いぶかしげにそれを見ていたクラウドに気づき、紙袋を軽く掲げた。
「じいさんとこに明日持って行こうと思って。教えてもらったお礼にさ」
「そうか」
 バッツの返答に納得したクラウドは、彼に近づくとその手にあった荷物をすべて奪い取った。奪われたバッツも文句を言わない。彼もクラウドがそうした理由をわかっているからだ。
 軽い荷物をバッツに持たせていると、彼はいつの間にかそれを振り回してしまう癖があった。本人も自覚はしているが、どうにもならない。卵などを買うときは、わざと荷物を重たくすると言っていた。そして、クラウドが見ていた限り、和菓子の入った簡素なプラスチック容器は輪ゴムで口を閉じられているだけだったので、そのまま持たせていたら帰宅する頃にはひどい有様になっている可能性が高かった。
 そんなことを考えていたクラウドの横で、きょろきょろと周囲を見回していたバッツが、またしても「あっ」とつぶやいた。
「もうちょい向こう行った先の裏道のところに、美味い鯛焼き屋があるんだってさ。それも買っていこうぜ」
 その言葉に、これ以上菓子を買うのかとクラウドは内心でげんなりした。顔には出していないつもりだったが、バッツは目聡くそれに気づいた。
「せっかくちょっと遠くまで来たんだからさ、いろいろ見ていこうぜ。大きいようだったら半分ずつにすればいいし」
「……わかった」
 バッツが折れる様子がなかったので、クラウドは抵抗を諦めた。そして、いざとなったらバッツに全部食わせてしまおうと決めて、歩き出した彼と歩調を合わせた。

 バッツの言っていた鯛焼き屋は、裏道は裏道だったが、商店街の中心部に店を構えていた。日曜日の午後という時間帯もあるのだろうが、長い列ができている。
「お、結構並んでるなあ」
 そう言いながら、バッツが列の最後尾に並んだ。クラウドも一緒にその列に加わる。並んで少しすると、列が長い理由がわかった。一人一人が量を買うのか、列の進みが遅いのだ。同じくそれに気づいたらしいバッツが、頭をかいた。
「これは時間がかかりそうだなあ。クラウドどっか別の場所見てくる?」
 バッツからの提案を、クラウドは素っ気なく断った。
「いい。興味ない。待っているくらいだったら俺でもできるから、お前の方こそ散歩でもしてくるか?」
「いや、おれが買いたいって言ったんだし。このまま並んでるよ」
 クラウドもバッツに聞いてみたが、彼もあっさりと提案を断ってきた。なので、結局二人でそのまま並ぶことにする。
 列が少しずつ進み、だんだんと売り場に近づくにつれて、鯛焼きの焼けるにおいだろうか、焦げたようなにおいが強くなっていく。
「ここの鯛焼きって、型が一つずつになってるのか。面白いなあ」
「へえ、焦げたやつ下げちゃうのか。なんかもったいない気もするな」
「うわ、すっげえあんこ山盛り! 美味そう!」
 先程まできょろきょろと店の中を見ていたバッツは、いつのまにか鯛焼きを作っている店員の様子ばかりを見ているようになっていた。店員が動くたびに、美味そうと騒いでいる。クラウドは最初こそ携帯をいじりながら、バッツの言葉に適当に相槌を打っていただけだったが、もうすぐ買えるという位置になって、とうとう耐え切れなくなって聞いた。
「ここで食っていくか?」
 クラウドが聞くと同時に、バッツはその言葉を待っていたと言わんばかりの勢いで振り返り、目を輝かせて頷いた。
「やった! 出来たてで食ってみたいと思ってたんだ。半分ずつにするか?」
「一個ずつでいい。あれくらいなら食える」
 そう言いあっているうちに、二人の順番が回ってきた。相も変わらず会計はバッツに任せ、クラウドは先に店を出る。そして二人分のスペースがある位置へと移動して、彼が出てくるのを待った。
 焼いている時間があったのだろう。数分後に店から出てきたバッツは、持っていた鯛焼きを一つこちらに差し出してきた。
「ほい、クラウド。熱いから気をつけろよ」
 手渡された鯛焼きを受け取った瞬間に手が熱くなり、クラウドはそれを口に運ぶのを少しためらった。そんなクラウドとは反対に、バッツは大口で鯛焼きにかじりついている。このまま冷めるのを待つと、先に食べ終わったバッツを待たせることになる。
 クラウドは、慎重に一口だけ鯛焼きをかじった。途端に、薄い皮に包まれた小豆の味が口に広がる。思ったほど甘くない。
(うまい……)
「うめー。うまいな、これ」
 胸中で感嘆したと同時に、バッツがにこやかに告げたので、クラウドも頷いて同意した。型に乗せられていた山のような粒餡を見たときは、あれを全部食べるのかと思っていたのだが、これならば大丈夫だろう。
 口の中をやけどしないように少しずつ食べるクラウドの横で、バッツは熱さをものともせずに鯛焼きを食べている。口の端に小豆がついているのにも頓着していない。こんなに熱い物が口に付いているというのに、よく平気なものだと思う。
「バッツ、口に付いてる」
「え? どこ?」
 クラウドの指摘に、バッツが慌てた声を上げて動きを止めた。気づいていないバッツが触るとかえって顔が汚れると考えたクラウドは、手を伸ばして唇の端に付いていた黒い塊を拭ってやる。粘度のある餡に残っていた熱が、指先にわずかに伝わった。
「とれた。お前はもう少し落ち着いて食え」
 そう言って、クラウドは餡がついたままの人差し指をバッツの目線に入るように掲げて見せた。そして、拭く物を探すのも面倒だったので、そのまま指を口に運んで、付いた餡を舐める。
 指に餡が残っていないことを確認したクラウドが視線を戻すと、バッツがいつの間にか明後日の方向を見ていた。疑問に思い同じ方向を見たが、騒がしくしている女性が二・三人いるだけで、特に何かあるわけでもなかった。
「どうした?」
「えっ? あっ、いや、なんでもない」
 短く問いかけると、バッツは酷くうろたえたあと、勢いよく鯛焼きを食べ始めた。
「俺は、落ち着いて食えと言った」
「うん、そう、確かにそう言われたんだけどさ」
 少し怒気を含んだ声で再度忠告したクラウドに対して、バッツはあいまいに返事をした。
「なんか、早く帰りたいなって思ってさ」
 続けて発せられたバッツの声に、クラウドは首を傾げた。こいつはさっき、いろいろ見て行きたいと言っていたはずだ。それなのに、どうしていきなり帰る方向へ気持ちが傾いたのだろう。
 クラウドが理由を問い質そうとする前に、バッツは早口で言葉をつないだ。
「鯛焼き食ってたら、さっき買った和菓子も食べたくなってきてさ。食いかけの鯛焼き持ったまま、バイク乗れないじゃん。だから、早く食って帰ろうぜ」
 矢継ぎ早に繰り出されたその声には焦りが浮かんでいて、クラウドには言い訳にしか聞こえなかった。だが、それを訊ねたとしても、うやむやにされることがバッツの様子から見て取れた。ならば、ここで話をするよりも家でじっくり聞き出す方が効果的だろう。そもそも家に帰ることに反対する理由はない。
「わかった。話は家でじっくり聞く」
 クラウドは、わざと言葉を強調して、バッツの意見を聞き入れた。そして、冷や汗を浮かべて固まっているバッツを横目に、鯛焼きの残りを腹に収めるべく、先程よりも熱のとれたそれに大きくかじり付いた。

2013-06-16
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