バッツとクラウドのある日のデート
待ち合わせの時間にぎりぎり間に合う電車は、遅れることなく目的地へと到着してくれた。バッツは誰よりも先に開いた扉からホームへと降り、そのままの勢いで走り出した。階段を駆け下り、改札を抜け、待ち合わせ場所にいちばん近い出口の階段を上る。登り切った先は広場になっていて、たくさんの人であふれていた。広場の周りを申し訳程度に植えられた樹木に、晴天の光が降り注いでいる。バッツは人の流れを妨げない位置まで来ると、そこで一度立ち止まり、大きく息をついた。うっすらと額に浮かんだ汗を手でぬぐう。
酒屋のバイト仲間であるファリスとの丁々発止のやり取りののち、なんとか上がり時間を早めることには成功した。だけど、一度家に帰れる時間は確保できず、やむを得ず現地で待ち合わせということになった。バッツが今日家を出る時間になっても寝ていたクラウドは、きっともう待ち合わせ場所にいるだろう。
「っと、いけね。急がないとな」
ぼうっとしていたことに気づき、バッツは慌てて移動を再開した。待ち合わせ場所は、ここから少し離れたところにある映画館の入口だ。おそらくクラウドはこの人ごみの中でお互いを見つけるのは困難と判断して、そこを指定したのだろう。さすがにここから先は駆け足で進めない。覚えた地図を反芻しながら、早歩きで進む。
五分ほど歩いて、目的地へとたどり着いた。腕時計を見る。何とか間に合ったが、クラウドと会えなければ意味がない。どこにいるだろう、とバッツはきょろきょろと周囲を見回した。映画を見る人たち、とふるいにかけられているはずが、それでも数が多い。どこにいるだろう。
ふと視線を感じて、顔を左に向ける。その先にクラウドがいた。
立ち並ぶ柱の一つに背を預け佇んでいた彼は、ジャケットの中に見えたシャツは灰色だったが、それ以外はすべて黒で統一された服を着ている。それが様になっているからすごいなあ、と思う。バッツなど、何を着ても普通に見えると、かつて言われたことがある。誰に言われたか、覚えてないけど。
口元が緩んだバッツに、待ち人の登場を確信したのだろう。クラウドがこちらへと近づいてくる。バッツも彼の元へと駆け寄った。
「わるいクラウド、待たせたな」
「気にするな。ちゃんと早くあがれたんだな」
「ああ。問題なし!」
答えたと同時に、バッツの腹が抗議するように盛大に音を鳴らした。その音がばっちり聞こえたらしいクラウドが、納得したようにつぶやいた。
「なるほど。昼飯を抜いたわけだ」
「うー、だってファリスがさー……」
言い訳は、もう一度腹が鳴ったために尻すぼみになった。恥ずかしさに顔を赤くしたバッツを見て、クラウドがふっと笑みを浮かべた。
「中に売店があるから、何か買えばいい」
「おう!」
促されるままに中に入り、売店へと向かう。少し悩んだ挙句、やはり定番、と飲み物とポップコーンを特大サイズで買った。パンフレットもあったのだが、「どうせここでしか見ない」とクラウドに一蹴されたので購入は見送り。飲み物はこぼすだろうと言われて奪われ、バッツはポップコーンだけを手に、通路を歩いた。
「そういえば、チケットは?」
隣を歩くクラウドに聞くと、彼は右手をこちらにかざした。そこには紙切れが二枚。一枚取ろうとしたけど、さっとかわされてしまった。
「お前に渡すと失くす」
容赦ない台詞に、思わず出そうになった抗議の声をぐっとこらえた。クラウドは、バッツが切符やら入場券をよく紛失するのも知っている。
「一緒に入れば問題ないんだ。早くしろ」
「チョコボー」
バッツが返事をするより前に、唐突に誰かの声が割り込んだ。高く幼い声に、二人は同時に立ち止まり、振り返る。視線を少し下げると、こちらを――正確にはクラウドを指差した子供がいた。
「ままー、チョコボー」
「こらっ」
母親であろう女性がたしなめて、にこにこと笑っている子供の手を無理やり下ろさせた。「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げて、自分たちが向かっているのとは別の部屋へ去っていく。わかりやすく顔をしかめたクラウドが、肩を震わせているバッツを見た。
「笑うな」
「わるいわるい。つい」
自分も昔同じことを言ったなあって思い出してさ、と心の中だけで続ける。ここで思い出話に花を咲かせているうちに映画が始まってしまったら、せっかくのデートが台無しだ。
「ほら、行こうぜ。お前がいないと入れないんだからさ」
動かないクラウドにそう言って、バッツは空いている手でクラウドの腕を引いた。
「すごかったなー! ミサイルの直撃を受けてヘリが爆発する直前に、主人公が飛び降りたのがかっこよかったな!」
映画を見終わった二人は、近くのファーストフード店にいた。さすがにポップコーンだけでは、昼飯を抜いていた腹には物足りなかったからだ。
身振り手振りで話をしていたバッツの正面で、クラウドがコーヒーの入ったカップから口を離した。
「そうだな。お前にはできないだろうが」
「だなあ」
同意して、バッツはハンバーガーをほおばった。おれなら絶対に下を見て足がすくむ。スクリーンに映った地面の遠さを思い浮かべて、身震いした。バッツの考えていることを見通したように、クラウドが言った。
「よっぽどのことがない限り、お前がああいう状況になることはない」
「じゃあクラウドはどうなんだよ」
「俺ならヘリに乗せられるところからお断りだ」
「なるほど」
そういう意味で聞いたんじゃなかったんだけど、と思ったが、返ってきた答えはとても彼らしい。バッツは深く頷いて、ポテトの残りを口に押し込んだ。
「落ち着いて食え」
クラウドがたしなめてくるが、そもそも急いでいるつもりはないバッツは、特に気にすることなく咀嚼したものをごくりと飲み込んだ。次に、残っていたジュースを一気にあおる。空っぽになったカップを置くと、小気味良い音が鳴った。
「はー、ごちそうさま。次、どこに行く?」
ファーストフード店を出た二人は、適当に街をぶらぶらしていた。ああ問いかけはしたものの、バッツもクラウドも特に行きたいところを考えていなかったからだ。そうして始めた繁華街めぐりは、なにかと目に飛び込んでくる色彩に足を止めるバッツに、クラウドが後からついてくるという状態だった。
今、二人がいるのはゲームセンター。通りがかりに見たチョコボのプライズが気になって、バッツはさっきからクレーンゲームをかじりつくようにしてやっている。真ん中のあたりにいるぬいぐるみのチョコボが欲しくて奮闘しているのだが、バッツの操るクレーンは、さっきから獲物を取り逃がしてばかりだ。
斜め後ろでなにをするでもなく立っているクラウドから、声が飛んでくる。
「そんなに好きか」
「うん」
クレーンから目を逸らすことなくバッツは即答した。聞こえよがしなため息が返ってくるのを聞きながら、ボタンを押していた手を放す。クレーンが降りて、チョコボに掴んだものの、持ち上げきれずに落とした。ポトリと落ちたチョコボと目があう。
あまりのとれなさに、バッツはわめいた。
「あああー! また外れたー!」
「俺と――」
「うん?」
小さなクラウドの声が、耳に届いた。だけど、自分の声とゲームセンターの大音声にかき消されて、最初だけしか聞こえなかった。何かあったのかと振り返ると、クラウドが目を見開いて身構えた。どうやら、自分に聞かせるつもりはなかったらしい。それでもなんて言ったのか知りたくて、バッツは小首をかしげた。
「クラウド? どうした?」
手元のボタンがちかちかと光って、次を待ちわびている。それでも、クラウドから目をそらしてはいけない気がして、バッツは辛抱強く彼の言葉を待った。バッツが見つめる先で目を閉じたり背けたりしていたクラウドは、やがて自分の中でなにかを決めたらしい。唇を引き結んで近づいてくるや否や、こちらの体を横へと押しのけた。
「代われ。俺がやる」
有無を言わさぬ口調でクラウドがそう宣言した。バッツは逆らわずに横にずれて、クラウドを見る。
「こういうの得意?」
「お前よりは出来る」
バッツを見ずに断言したクラウドが、ためらいなくボタンを押した。クレーンが降りて、チョコボの羽が引っかかった。そのまま、不安定な状態ながらも持ち上がり、そろそろと景品口へと移動を始めた。また落ちるか、と自分がやっているわけではないのにドキドキしながら見ているバッツの目の前で、クレーンが景品口上までたどり着き、ポトリとぬいぐるみを落とした。
「すげー! 一発で取れた!」
はしゃぐバッツの横でクラウドが屈みこみ、チョコボを取り出した。彼は無言でそれを一瞥した後、バッツの方へと差し出した。
「ありがとな!」
笑顔全開で受け取り礼を言うと、クラウドは無表情のまま「別に」と言って目を背けてしまった。その動作が照れているときの挙動だと知っているバッツは、思わず抱き付きたくなったが、さすがに人の目があるから自重する。
そのまま抱えて移動しようとしたバッツに、クラウドが近くにあったカウンターからビニール袋を一枚もらってきてくれた。ぬいぐるみを仕舞い込んだバッツは、改めてきょろきょろとゲームセンターの中を見回す。その目が、奥に並んでいたレーシングゲームの筐体に留まった。
「クラウド、あれ、あれやってみたい」
言いながらクラウドを引きずるようにして近づく。そばまでたどり着くと、バッツは外壁に書かれた説明をななめ読みした。エントリーカードなるものがあると戦績などが残せるらしいが、次はいつ来るか分からないので必要ない。それがなくても遊べる方法を探すと、一回二百円で遊べると書かれていた。
「二人でもできるみたいだし、対戦モードで勝負しようぜ」
「ああ」
クラウドの同意が得られたので、バッツは左側の筐体へと身を滑らせた。バッツ、と珍しくクラウドから呼びかけられてそちらを向くと、隣の筐体に座ったことで高さが合った彼の目が、真っ直ぐこちらを見ていた。
「悪いが負けるつもりはない」
「言ったな」
挑発的なクラウドの台詞に、バッツはにっと笑って返した。
「よーし、じゃあ負けたほうが晩飯おごりな」
返答を聞く前に、バッツは百円玉を投入口へと滑らせた。
先へ先へと歩いていくクラウドを、バッツは追いかけるように歩いていた。煌びやかなネオンが華やぐ街から、少しずつ離れていく。
日が落ちたせいで少し見づらくなったクラウドの背中に、声をかけた。
「なあ、クラウド、本当に帰るのか?」
「ああ」
結局、レーシングゲームはクラウドの圧勝だった。普段バイク通勤のクラウドとは違い、バイトで車を運転することもあるバッツは、負ける気はあまりしていなかったのだが、コテンパンに負けた。バッツが歯ぎしりしながら、クラウドに「晩飯は何がいいのか」と聞くと、「お前が飯を作れ」と返された。だから今、二人はクラウドがバイクを置いた駐車場へ向かっている。
「今から帰って飯作ると、結構遅くなるけど」
「問題ない」
「何が食いたいんだよ」
「なんでもいい」
なんでもいいならここら辺で食べていってもいいと思うんだけどなあ、とバッツは思う。ジタンからこのあたりで飯がうまいところをいくつか聞いてきていたので、少々もったいない気がするけど、
「まあ、いいか」
そう一言つぶやいて、思考を切り替えた。ここら辺で食べるよりも、自分の作った飯が食いたいと言われたのは、素直に嬉しい。作るものは帰ってから冷蔵庫の中身と相談だ。バッツは少し歩く速度を速めて、クラウドの横に並んだ。
「クラウド、今日はありがとな。楽しかった」
「そうか」
バッツが礼を言うと、クラウドがそっけなく返してきた。そういえば、今日のデートは自分が彼を振り回していたような気がする。クラウドは楽しくなかったのかな、とバッツが考えたのを見透かしたように、はっきりとした口調で彼が言った。
「来てよかった」
「……そっか」
クラウドの言葉に、バッツは小さく声を返して、そっと笑った。