デート前哨戦
週末も近いある日の夜。風呂から上がった後、身支度を整えたクラウドは、使っていたバスタオルを洗濯機へと放り込んだ。そして電気はつけたまま、洗面所を後にする。この後バッツが洗濯機の予約を掛けると言っていたからだ。
リビングを仕切る扉を開くと、彼がいつも聞いているラジオの音が耳に届く。音源へ視線を動かすと、バッツがソファーに座っているのが見えた。視線が下を向いている。本を読んでいるようだ。
「出た」
短く声をかけると、バッツが顔をあげた。
「ん、わかった。洗濯物、出してないのないよな?」
「ああ」
「了解、っと」
クラウドが答えると、バッツは本を放り投げ、洗面所へと向かった。入れ違いでリビングに残ったクラウドは、バッツが読んでいた本が気になり、ソファーの方へと足を向ける。そしてテーブルに置かれている本の表紙を目にすると、わずかに眉をひそめた。
「情報雑誌?」
『でかけよう!』と赤い太文字で書かれた背景には、いくつかの写真が散りばめられている。手に取りしげしげと眺めていると、洗濯機の設定を終えたバッツが戻ってきた。彼の目がクラウドの手にある本を認める。
「それ、今日本屋で買ってきたんだ。週末から連休だろ? せっかくだから二人で出かけたいなーと思ってさ」
笑顔でそう発案したバッツに、クラウドは少しだけ思案した。
普段の週末、バッツはたまにジタンと遊びに出かけているが、クラウドは基本的に外出はしない。出かけるときは大抵、バッツに連れ出されて近場の商店街かホームセンターで買い出しをするくらいだ。こういうときくらいは、遊びに出かけるのも悪くない。もとよりバッツが誘ってくれているのだから、拒否するつもりはなかった。
「……悪くないな」
「やった!」
同意すると、バッツが一段と嬉しそうに笑ったので、クラウドもつられて口元を緩めた。
「クラウドは、どっか行きたいところあるか?」
「これ、というところはないな」
「そうか。じゃあ、やっぱり本買ってきて正解だな。一緒に見ようぜ」
「ああ。いや、すまない。先に水を飲ませてくれ」
ふと喉の渇きを覚えたクラウドは、バッツに雑誌を渡し、キッチンに向かった。コップを取り出すために、食器棚の扉に手をかける。そのとき、冷蔵庫に貼ってあるカレンダーに目が留まった。
まだ四月の予定を示しているカレンダーには、特にいつもと変わらないバッツのバイトの予定が書かれている。よく見ると、彼の言う連休中もシフトは通常運転だ。眉をひそめて一枚めくったが、来月分はまだ記入されていない。クラウドは思わずリビングを振り返って聞いた。
「あれこれ考えるのはいいが、バッツお前、ちゃんと予定を空けているのか?」
クラウドの声に少しの間を置いて、バッツの声が返ってくる。
「あー、全く考えてなかった。バイトはいつも通りだから、空いてるのは木曜と日曜、あとは土曜日の午後か」
「……遠出の旅行は無理だな」
ため息をつきながら、そう結論づける。そもそも旅行などは予約などがつかないだろうとも思うものの、騒がしいところが苦手な身としては、少し残念だった。
「そういえば、クラウドの予定は?」
「カレンダー通り」
バッツに指摘しておいてなんだが、今年の大型連休は中日が三日もあるため、クラウドも特に休むことなど考えずに仕事のスケジュールも組んでしまっている。二人の予定を合わせると、残ったのは土日だけだった。
「おれたちまるで予定合わないなー」
「そうだな」
「じゃ、やっぱり近場だな」
バサバサと本をめくる音を遠くに聞きながら、クラウドは注いだ水を飲み干した。
リビングへと戻ってバッツの隣へと座る。よほど変な場所でない限りバッツの行きたいところでいい。クラウドはうんうんと唸りながら悩むバッツの横で、ぼんやりと雑誌を眺めた。
ぱらぱらとページをめくっていたバッツの指が、ふいに止まった。いいところでもあったのかと思ったが、そういう時はたいてい声を上げるバッツから、何も言葉が出てこない。どうかしたのかとバッツの方を見ると、いつのまにか雑誌から顔を背けていた彼は、こちらの視線に気づいたのか、ぼそりとつぶやいた。
「遊園地は、いやだぞ」
バッツの言葉に、クラウドはもう一度本へと視線を戻す。開いたページに載っているのは、今年開園二十五周年を迎えたという、大型テーマパークの特集だった。世界最大級の観覧車、最近新設されたジェットコースターなどの写真が、これでもかと掲載されている。
そういえばバッツは高いところ苦手だったなと思い、次いで自分も人のことは言えないが、と苦笑する。
「安心しろ。俺も苦手だ」
「……そういえばそうだったな」
早く次をめくれと促したクラウドに安心したのか、バッツは早いテンポでページをめくり、特集の部分を飛ばす。その次にあったのは、連休に合わせた地域のイベントの一覧だった。しかし、予定が合わなかったり、あっても場所が遠かったりするものばかりだ。
「うーん、難しいな」
次々とページをめくっていき、雑誌の最後の方までたどり着いた。そこで目に入ったページに、クラウドはやはりこれが無難かと考え、提案する。
「映画にするか」
バッツの手を止めさせて、開いたページを指差す。そこには週末公開の映画が、ジャンルに分けられて紹介されていた。これならば事前に面倒な用意もせずに遊びに行けるだろうと考えての発言だったが、バッツは首をかしげた。
「いいけど、週末だと混んでるんじゃないか?」
「事前に予約をしておけば、面倒なく見れる」
「へえ、最近はそういうことができるのか。で、予約ってどうやるんだ?」
興味深そうに聞いてくるバッツに、実際に見せて確認した方が早いと考えたクラウドは、彼を連れて自室へと向かった。
部屋に入ってすぐ横にある机へ向かい、パソコンを起動する。一分もかからずに起動した画面上でブラウザを開き、ブックマークしてあった映画館のサイトを表示した。
「近場で予約できる映画館だと、ここだな。上映予定は……こっちか」
メニューを確認して、上映スケジュールの一覧を表示させる。ずらりと並んだ画像に一つ頷いて、後ろを振り返った。
「見たいものはあるか?」
問いかけると、バッツが後ろから覆いかぶさるようにしてモニターをのぞきこんだ。彼が見落とさぬ程度の速さでスクロールさせていると、突然頭上で大声が上がった。
「これ! 『劇場版 チョコボ☆ファンタジー 13-2』!」
バッツが指をさした先には、チョコボと呼ばれる鳥のキャラクターが翼を広げている絵がある。
「却下だ」
「ええええええ!」
「うるさい」
何時だと思っているんだ、とクラウドはバッツをたしなめた。
『チョコボ☆ファンタジー』は、毎週木曜日の夕方五時半からやっている子供向けアニメ番組だ。バッツのチョコボ好きはすさまじく、こいつが木曜日にバイトを入れないのはこの番組を見るためなのだと、クラウドが半ば本気で思うほどだ。
その劇場版は、毎年この時期に公開されている。親子連れが来やすい時期を狙っているのだろう。
「いいじゃんか! チョコボ!」
「大の男二人が、なんで子供連れメインのアニメ映画を見に行かないとならないんだ。他のにしろ」
食い下がるバッツを容赦なく切り捨てる。彼は不承不承といった様子ではあったが、再びモニターをのぞきこんだ。あれこれと見比べている様子で、「ちょっと上」「あ、下のをもう一度見たい」という注文が細かく飛んでくる。対応するのが面倒になったので、「自分で動かせ」と席を譲った。バッツが椅子に座ったことを確認して、クラウドは脇にあったベッドに腰を下ろす。携帯をいじりながら待っていると、バッツの声がかかった。
「クラウド」
「決まったか?」
「これとこれで悩んでる。どっちがいい?」
こちらの意見を仰ぐ言葉に、クラウドは立ち上がり画面を覗き込む。そこには、二つのウインドウが開いていた。片方は先週末から公開されているアクション映画、もう片方は今週末公開のコメディ映画だ。
見比べてすぐに、片方を指差した。
「アクション」
「じゃあ、そっちにしよう」
「わかった」
席を交代し、予約できるかを確認する。予約画面に表示される座席表は、週末――そして連休中のためだろう、どの日取りも大部分が予約済みの印で埋まっている。開いては戻してと繰り返す中で、ぽっかりと空席が二つ並んでいる回をひとつだけ見つけた。
「空いているのは、来週土曜日の十五時十分からだけだな」
結論だけを簡潔に述べれば、隣でずっとクラウドの操作を見ていたバッツがうめく。
「あー、そこだけだよなあ。でもその時間だと、バイト終わってすぐ向かっても間に合わないかも」
「なんとかして早めに切り上げろ」
「……わかった。なんとかする」
その返答を聞いて、クラウドは予約手続きを済ませる。予約が終わったことを知らせるメールを受信したことを確認して、パソコンを落とした。
操作をぽかんと見ていたバッツが尋ねてきた。
「できたのか?」
「ああ。問題ない」
「やった! ありがとな、クラウド!」
予定が確定したと理解したバッツが、顔を輝かせてこちらに飛び付いてきた。バランスを崩して倒れそうになるが、机に手をついてなんとか堪える。バッツは、クラウドの様子を気にすることなく言葉を続けた。
「楽しみだな!」
「……そうだな」
耳元で聞こえる彼の声に、湯冷めした体に新しい熱を感じながら、クラウドは頷き返した。
翌日。
クラウドがカレンダーをめくると、真っ白だった五月最初の土曜日に、デートの三文字が大きく書かれていた。