雨と、あいつの黄色い傘

 暦では立冬を越えたがまだ寒さとは遠いかと思っていた木曜日。朝の天気予報では報じられていなかった雨が、夕方ごろから降り始めていた。帰るころまでに止めばいいと思っていたクラウドの希望も空しく、時がたてばたつほどその雨音は勢いを増していく。このまま行けば通勤で使っていたバイクでは帰れないだろうと、クラウドはうんざりした心持ちで終業までの残り数分を過ごしている。
 仕事場に終業のチャイムが鳴った。帰りの用意を済ませて窓から外の様子を見たが、依然として雨は降り続けている。止むのを待つよりもどこかで傘を調達した方が早く帰れると判断したクラウドは、外の様子を見るためにずらしていたブラインドから手を離して、踵を返した。
「おつかれ」
 机に置いていた鞄を持って挨拶をすれば、隣で仕事を続けていたティファがこちらを向いた。
「お疲れ様。クラウド、傘持ってきてるの?」
「いや、持っていない。どこかで買って帰る」
「そっか。私もそうしようかな。……寒くなるだろうから、風邪とかひかないようにね」
「ああ」
 もう一度ティファからかかったお疲れ様の声を背に受けながら、クラウドはオフィスを出る。傘が売っているであろう場所をいくつか想定しながら階段を降り、エントランスを一歩出たところで、突然目に飛び込んだ見慣れない色彩に、思わずどきりとして足を止めた。
 それは、日も暮れて暗く沈む街に鮮やかに浮かんだチョコボの黄色。
 いや、よくよく見ればそれは黄色い布地にデフォルメされたチョコボが描かれた傘だ。しかしそれは夜のオフィス街の中で、これでもかというほど目立っている。その下にいたのはここにいるはずがないと思っていた人物で、クラウドは驚きのままに浮かんだ名前を呟いた。
「バッツ」
 吐息と区別がつかないほどの微かな声音が届いたのか、ただ単に出てきたクラウドの姿に気がついたのか、バッツはぱっとこっちを向くと軽い足取りで近づいてきた。
「傘持って行ってなかったよなあって思ったから、迎えに来た」
 はいこれ、と差し出されたのはクラウドが普段使っている薄紅色の線が一本だけ入った黒い傘。開けばバッツの持つチョコボ柄の傘とは逆に、クラウドを夜に隠した。
「帰ろうぜ、クラウド」
「……ああ」
 にこやかに告げられた言葉にわずかに逡巡したあと、クラウドはバッツと並び立って歩き出した。

 普段の通勤手段はバイクなのだが、バイクが使えないならば電車で帰ることになる。そのため駅へ向けて二人は歩いていた。その道中で、ちらほらとこちらを振り返っている人がクラウドの目についた。その人々の視線の先にあるものは分かっている。注目を集めている当の本人は、気にした様子もなく滅多に来ないこの街の様子をきょろきょろと眺めている。いたたまれない気持ちをぶつけるように、クラウドは問いかけを口にした。
「その傘」
 名詞だけのクラウドの疑問をしっかりと把握したバッツは、手に持った傘を軽く掲げる動きをした。
「かわいいだろ。バイト先の近くにある傘屋で見つけたんだ」
「子供用じゃないのか」
「ちゃんと大人用だって。まあ、ちょっと小さめだけどさ」
 そう言ってバッツがこちらへ見せるように傘を傾ける。黄色い布地に描かれたチョコボのつぶらな瞳からはらはらと零れ落ちた水滴が、クラウドの本心を見抜いてさめざめと泣いたように見えた。傘の内側にいるバッツは、気づかずに明るい声を上げる。
「クラウドも同じ傘がいいのか? 今度買ってこようか?」
「勘弁してくれ。仕事に持って行ける訳がないだろう」
「そんなことないと思うけどなあ……。あ、色違いで黒チョコボもあったぜ!」
「却下だ」
「悩みすらしてくれないのかよ!」
 文句を言いながらもバッツの顔は笑っている。クラウドも口元に笑みを浮かべた。そうしているうちに、最寄り駅まであと信号一つを残す距離まで来ている。せっかく彼が隣で笑っているのに周りばかり気にしているうちにここまで来てしまったことを、とてももったいなく思う。クラウドはその考えを押し込めながら青く光る信号を渡ろうとして、しかしバッツが隣にいないことに気づき足を止めた。振り返れば数歩後ろの位置にバッツがいる。彼を避けるように二つに裂けていた傘の群れが、信号が赤になったのか一つに戻っていく。クラウドはバッツを見失わないようにと、彼の元へ引き返した。近くによって見えた彼の表情は、先ほどまでの笑い声が嘘のように、ぼんやりとどこか遠くを見ていた。
「どうした」
 クラウドが声をかければ、我に返ったらしいバッツが、ああうん、とやわらかく笑った。
「なんかこのまま帰るのもったいないなって思ってさ。いつもは家でクラウドが帰ってくるのを待ってるだけだけど、こうして一緒に歩いて帰るのもいいな」
「……そうだな」
 バッツの言葉に、クラウドは少し考えてから首肯した。食事の用意などをしてくれているバッツの負担を考えると毎日こうして帰ることはできないが、たまにならば悪くない。
 信号が再び青に変わり、帰宅の途を急ぐ人々が動き出す。その波に流されるように、バッツは名残惜しそうな様子で歩き出した。同じく思っていたクラウドも、ゆっくりと足を進める。そうして駅舎へたどり着いたバッツの手元で傘が閉じられたとき、チョコボが後は任せたといわんばかりにクラウドに向けてウインクしたように見えた。

2012-11-27
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