零れた言葉
仕事が終わり外に出れば日はすでに落ちていて、ビルの明かりが夜を照らしていた。クラウドはすぐ近くにある駐車場へ足を運びながら携帯を開き、慣れた手つきで電話を掛ける。しばらくコール音が続いたあと、男にしては少し高い彼の声がクラウドの耳に届いた。
『クラウド? 仕事終わった?』
「ああ。今から帰る」
『わかった。気をつけてな』
交わす言葉はそれだけだ。この短い会話が終わる前に、クラウドは既に駐車場へ止めた自分の単車の前へたどり着いている。二つ三つ言葉を交わしただけなのに、早く帰って彼の姿を見たいとそう思う。その衝動の大部分は恋しさだが、その中に少しの不安が混じっていることも知っている。
焦る気持ちが手に伝わらないように戒めながら、クラウドはバイクに手を掛けた。
チャイムを鳴らして玄関の扉を開けると、リビングダイニングに続く扉から彼――バッツが出てくるところだった。その細い体を目に入れてようやく、不安が抜けるのを感じる。バッツはクラウドの姿をみとめると、にっこりと笑って口を開いた。
「おかえり」
「……ただいま」
「すぐ飯の準備できるから、着替えてきちゃえよ」
「そうする」
クラウドがそう答えると、バッツが踵を返して扉の向こうへと戻っていく。その姿が視界から消える直前に、今日はなぜか、無意識に声が零れた。
「バッツ」
振り返ったバッツと目が合って初めて、クラウドは彼を呼んだことを自覚する。自覚はしたが、なぜそうしたかが自分でもよくわからなかった。
「なに?」
首をかしげながらバッツが聞いてくるが、クラウドには答えられない。少しの間逡巡して、結局首を横に振った。
「……いや、なんでもない」
「そうか? ああ、今日の晩飯は唐揚げだぞ」
言い残して、バッツは今度こそ扉の向こうへ消える。クラウドは遅くなると彼を待たせると強引に自分を説得して、とりあえず着替えようと洗面所へのドアを開けた。
部屋着に着替えたクラウドが自室を出ると、下を向いていた目線にバッツの足が映った。
「クラウド」
顔を上げた瞬間、名前を呼ぶ声と共にすぐ傍にいた彼に強く抱きしめられた。突然の出来事に体を硬くしたクラウドに構うことなく、背中に回された腕に力がこもる。クラウドとそれほど身長が変わらないバッツの顔はちょうど左肩に乗る形になっていて、その表情は見えない。
「クラウド、おれはちゃんとここにいるよ」
この家には二人しかいないのに、その言葉は囁きよりも小さな音量でクラウドの鼓膜を震わせた。その先に彼が言う言葉を知っている。今まで何度も聞いた。言わせたくない。聞きたくない。だから、クラウドは無理矢理彼の腕を解いて、自分の口でバッツのそれを塞いだ。
――重ねた唇を軽く食むと、薄くレモンの味がした。