雲と星の毎朝の儀式

 ばさりという音がうっすらと聞こえたと同時に、自分の体を覆っていた軽い感触が消え失せた。動いた空気が運んだ冷たさに撫でられ、クラウドは体を縮こまらせた。
「起きろクラウド! 朝だぞー!」
 はきはきとした声が鼓膜を打った。クラウドはうっすらと目を開けたものの、焦点の合わない視界にあった茶色の髪を数秒眺めただけで、すぐに再び目を閉じた。
「あと五分」
「そのセリフは五分前にも聞いたからダメだ」
 ぼそぼそと口にした言葉に間髪入れずに返ってきた答えを、そうだっただろうかとまだ寝ている頭で反芻する。
 そんなことを考えてる間に、声の主が今度はクラウドの体をペチペチと叩き始めた。
「ほら起きろって、クラウド」
 冷たい手の感触と意外と容赦なく襲いくる痛みに、クラウドは顔をしかめて重い目蓋を上げた。体を叩く手の持ち主はそれだけでは満足せず、叩く手を止めない。仕方がないので、ゆっくりと体を起こす。動かした体から、ずっとクラウドを叩いていた手が離れた。クラウドは上半身を起こすと、自分が寝ていたベットのふちに腰かけて、がしがしと後頭部を掻いた。
 少しずつ焦点が合い始めた目で、クラウドはようやく自分を起こした少年――弟のバッツの姿をきちんと視界におさめた。こちらをずっと見続けるバッツの顔を少し眺めてから、クラウドは視線を下にずらした。すると、彼の身を包む濃い色の服装が目に入る。
 つい数週間前にクラウドたちと同じ高校に入学したバッツは、当然のごとくクラウドが一年袖を通し続けた制服と同じ、白色のシャツと紺色のブレザー、そして灰色のズボンを身に着けていた。ネクタイの色だけがクラウドたちの学年を示すえんじ色ではなく、深緑色をしている。その緑が、やけに目についた。
「なに? ネクタイ曲がってる?」
「……いや」
 呟きは起き抜けということもあって、うまく声にならなかった気がする。なので、クラウドは首を振って、違うんだという意思表示をした。バッツがきちんとそれに気づいて、ネクタイの結び目をいじっていた手を止めた。そして、その手でクラウドの両頬を挟んできた。力に逆らわずに上を向くと、先ほどより近いバッツのくりくりとした褐色の瞳の中に、自分の顔が見えた。
「クラウド起きた?」
「起きた」
「よし。支度したら朝飯だからな! セシルも待ってるから早く来ること!」
 毎朝の儀式みたいな短いやり取りののち、バッツの手があっさりとクラウドの頬から離れた。手だけじゃない。彼の体もクラウドから離れ、開かれたままの扉から外へと消えていく。行くな、まだ、と思わず出そうになった言葉を飲み込む。息がつまって、クラウドは軽く咳き込んだ。
「あ、そうだ」
 クラウドの咳が聞こえたのか、あるいは想いが届いたのか。呑気な声と共に、バッツがもう一度顔をのぞかせた。
「クラウドおはよう」
 挨拶と共にバッツが見せた明るい笑顔に、クラウドは顔から力が抜けるのを感じた。
「おはよう」
 うまく出ない声で短く返すと、バッツが一層笑顔を輝かせてから、今度こそ姿を消す。
 俺はどんな顔をバッツに見せていたのだろう。バッツの残した笑顔の理由を考え込もうとした頭を、クラウドは軽く振った。

2013-11-23
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