Form of wind

 淡く吹いた風に、バッツが突然立ち止まった。バッツ、スコール、ジタン――いつもの三人で斥候を任されていた時のことだ。
「バッツ?」
「どうした?」
 戸惑うジタンとスコールの声は耳に届かなかったのか、バッツはなにも答えず唐突に、来た道をほぼ戻るかと思うほどの急旋回を見せた。そして浮き上がったマントをそのままに、彼は勢いよく駆け出した。
「風が呼んでる!」
 声と共に吹き抜けていく突風に髪を乱されながらも、スコールは咄嗟にバッツを引き留めようと手を伸ばした。けれど、掴もうとした彼のマントは、まるでその手を避けるかのようにつるりと舞い上がり、スコールの手をすり抜ける。それは軽やかに揺れながら、彼もろとも小さく遠くなっていく。
 虚空を掴んだ手を突きだしたまま固まってしまっていたスコールの背に、軽い衝撃が走った。
「ぼっとしてんなってスコール。追いかけるぞ」
 先に行くぜ、とジタンがその細い後ろ髪をなびかせる。スコールは自分の元へ引き戻した手を見て目を伏せた後、ゆっくりと地面を蹴った。

 斥候を任されているこの方面は、周囲に山が連なるものの道筋は高低差があまりない、見晴らしのいい草原だ。枯草とも見える色味の少ない草をバッツが巻き起こしたような風にささめく音が、山肌に跳ね草原全体へと響きわたっている。
 その音ごと草を踏み抜きながら、二人は先行するバッツをつかず離れずで追う。止まない向かい風に髪が乱れ、スコールは目を眇める。細くなった視界の中心で、バッツの姿が楽しげに舞う薄青のマントに隠れ、そしてまた現れる。呼んでると彼が言っていたように、バッツの周りだけ風の動きが違うのではないか。なかなか彼との距離が縮まらないのはこの風のせいだと、スコールは心の中で、誰にもなく言い訳をした。
 何故か自分の中に沸く焦りを隠すように前傾姿勢になりながら、スコールは自分の傍らを走るジタンをちらりと見た。その俊足があれば追いつけるだろうに、ジタンはずっと自分に並走している。敵がいつ出るともわからない、おまえだけでも追いついた方がいいと告げたスコールに、ジタンはしかし余裕を崩さない。
「大丈夫だって! 罠でもない限り、オレが見失うことはないぜ」
 力強く笑うジタンに、スコールは答えなかった。いつものことと思ったのか、ジタンはスコールを気にする様子すら見せない。
「しっかし、バッツはたまーに突発的な行動に出るよなあ」
 元の世界の相棒も大変だ、と苦笑混じりでジタンが笑う。それでも彼の目はしっかりと、風に乗って走るバッツの背を捉えているようだった。スコールも視線を戻す。そこに当たり前のようにバッツの背中が映ることに安堵する。確かに見失わなければ問題はない。頭では分かっているのに、どうしてか、スコールの中に焦燥が募るのを止められない。
 どうかしている。彼が、風になってしまうのではと。消えてしまうのではと。そんなことを思うなんて。
 思考を追い払うように、スコールは頭を振った。すると、ジタンがスコールが捨てたものを拾ったような声を上げた。
「スコールさあ、たまにはちゃんと言葉にした方がいいと思うぜ? バッツは特に、ちゃんと言ってやんないと気付いてすらくれないぜ?」
 酸素を欲しがる体に逆らって、スコールは息を詰めた。思わず見下ろしたジタンは、バッツを見失わないようにしながらも、ちらちらとその大きな瞳をこちらに向けている。なにもかも見通すような彼の目の碧が、強く光を放っているように見えた。
 その双眸に少し荒れた自分の呼吸を悟られないように苦心して、スコールは応じる。
「……何が言いたい」
「それにオレが答えてもいいのか?」
 すぐ打ち返された質問に、反射で違うと言いそうになる寸前で、スコールは唇を無理矢理縫い付けた。言われたとおりスコールはなにも言葉にしていないのだから、ジタンが導いた結論を頭ごなしに否定する権利などないのだ。けれどそれなら、言葉にできるものはなにかと問われたら? 今はっきりとわかるのは、自分でもこの感情の形がわかっていないということだけだ。
「あ」
 口を開こうとしたスコールを、いいタイミングでジタンが遮った。言わせたかったのはおまえじゃないのかとスコールの眉間にしわが寄る。しかしジタンはスコールの表情を見ることなく、突然足を繰る速度を上げた。つられるように顔を動かすと、ジタンが向かう先で、いつの間にか動きを止めていたバッツが草原のど真ん中でしゃがみ込んでいた。
 スコールも自身の感情を一端納めて、足に力を込める。すると、先ほどまでの向かい風が、ずっと開いていた距離が嘘のように、一気に彼の傍までたどり着く。体を丸めるバッツに大きな怪我はないようだが、彼は頭を落としたままだ。
「バッツ? なにかあったのか?」
「これ」
 言われるままに、ジタンがバッツの示す方をのぞきこむ。スコールも視線をうつすと、そこには慎ましやかな装飾を施された箱が、色の薄い草に紛れるように鎮座していた。
 宝箱だ。二人がそれを認識した瞬間に、バッツはなんの気負いもなくその蓋をぱっかりと開けた。
「!」
 息を詰めたジタンとスコールだったが、宝箱は特に煙を噴くでも爆発するでもなく、ぱっかりと口を開いた。安堵の息を吐いた二人をよそに宝箱の中を探ったバッツの手が、すぐに引き抜かれる。ジタンとスコールの眼前に迫るように掲げられたその手の中で、小さな鉱石が鈍く輝いていた。
「やったな!」
「やったな、じゃねーよ!」
 朗らかに笑ったバッツの頭を、ジタンが容赦なくはたいた。しゃがんでいたバッツの頭はちょうどいい位置にあったようで、小気味よい音がした。
「お前な、『いきなり変な方向に走り出すな』って何度言ったら分かるんだよ!」
 どこか諦めたような声音をなんとか尖らせたジタンがわめくも、バッツにはどこ吹く風のようだ。
「宝箱見つけたんだし、ちょうど欲しかった素材だし、運が良かったじゃないか」
「罠だったらどうするんだよ」
「今まで宝箱に罠があったことはないだろ?」
「そういや、そうだったか……? いやいや、その油断を突いてくるかもしれねーだろ!」
 尻尾をぴんと立たせたジタンがそう叫んだあと、バトンタッチとばかりに今度はスコールの腰を叩いた。
「ほら、スコールもなんか言ってやれって!」
 いきなり水を向けられ、スコールは知らず唇を引き結んだ。言いたいことは数多にあったが、それを言うことを自身の中にあるなにかが許さなかった。だから、スコールは外に飛び出そうとする言葉たちをなんとか全部飲み込んで、「やめておく」と答える。
「なにか言ったところで、今のバッツに効果はないだろうからな」
「さすがスコール、よくわかってるな!」
 バッツがスコールの様子にまるで気づくことなくからからと笑い、ジタンはがっくりと肩を落とす。
「あーもう、スコールはバッツに甘い!」
「別に甘くなんてしてない」
「しょんぼりしてたくせに」
「しょんぼり?」
「…………」
 首をかしげたバッツに、再び沈黙したスコールに、ジタンが「だめだこりゃ」と肩をすくめた。
「ま、いいや。確かにオレたちが言っても聞かねえみたいだし、あとでウォーリアたちに報告して、こってり絞ってもらおうぜ」
「げっ」
 ジタンの宣告に、バッツが露骨に嫌そうな顔を見せた。してやったりとばかりにジタンが笑う。
「おっ、これは効きそうだな。じゃ、とっとと斥候済ませようぜ、スコール」
「だってウォーリアの説教、超長いんだぜー?」
「知ってる知ってる。オレたちを振り回した罰と思って甘んじて受けたまえ」
 笑いを収めることなくジタンがバッツに背を向け、来た道を戻りだす。鉱石をしまい立ちあがったバッツが、軽く体についた土をはらった。
「スコール?」
 ジタンの後を追うことをせずに立ったままだったスコールに、バッツが声をかけてくる。置いていかれる前に行こうぜ、と続けた彼は、スコールが自分を待っていたと思っていたのだろう。そして事実、スコール自身もそう考えていたつもりだった。
 けれど、スコールは自分自身でも分からぬうちに、足ではなく手を動かし自分の右手を覆う手袋を外していた。久方ぶりに外気に触れた肌が、震える。スコールの中でずっと焦りを生み出していた感情は、その震えに怯むことなく、早く、今確かめなければと切実に訴えている。
「え? なに? どうした?」
 突然の行動に目を瞬かせたバッツに構うことなく、スコールはむきだしの手を伸ばし、動きを止めていた彼のマントの裾を掴んだ。先程は掴むことのできなかった薄い圧力が、汗ばんだ指に生まれる。バッツの慌てたような、驚いたような声が聞こえた気がしたが、スコールに答える余裕はなかった。そのまま撫でるようにマントを掴む指を動かして、指をこするなめらかな感触を忘れないようにと、刻み付ける。
 そこに形があることを。彼は風ではないのだということを。

2015-02-18
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