彼の答え
膨れ上がった黒い球体は、遠くにいるはずのクラウドの目にも容赦なく映り込んだ。
青空の中に浮かぶ次元城のひずみ。いつかと同じく、クラウドはバッツと二人でこのひずみを解放するために潜入していた。だが、聖域へ近づけば近づくほどカオスが行使するイミテーションも強くなり、連携も難しくなる。現に今、クラウドはバッツと引き離され、ひとり次元城のはずれに浮かぶ足場にいた。
だが、事態は悪い方向にばかり進んではいない。元々狭い場所での戦闘には向いていないクラウドは、周囲に障害がないことをいいことに、この場を拠点にしてイミテーションたちを返り討ちにしたところだった。
クラウドはすぐさま足場を蹴って空を駆けた。目指すは今はもう消えている黒い球体の中央。あれはたしかエクスデスが――ここにはあの巨躯本体はいないはずだから、正確にはそのイミテーションが使うアルマゲストという技だ。単体で出される攻撃であれば食らうことはまずない。だが、あの技は防御からの反撃で繰り出されることがある。それであれば直撃は免れない。一度途切れた剣戟の音が小さく聞こえるから、まだバッツは倒れてはいないはずだが、負傷しているとまずい。残りのイミテーションがあの技を放った一体とも限らない。急いで合流しなければ。
少しずつ大きくなる音を頼りに、クラウドは少しでも早く、と足に力を込めた。
続く甲高い音を頼りにたどり着いたのは、ちょうど次元城の影になる位置。
足を止めたクラウドの視線の先で、鈍い音と共に最後の一体とおぼしきイミテーションが砕け散った。緑がかった青い欠片は、おそらく先ほどアルマゲストを使ったエクスデスの偽物だ。その欠片の傍らに立ったバッツは、なぜか無防備な後ろ姿をさらして、薄く小さくなっていく塊を見ている。
肩で荒い息をしているその手には、細身の赤い剣が握られていた。クラウドがよく行動を共にする銀髪の青年が持つ物と似て非なる形のそれは、誰のものまねでもない、彼自身の剣。
動かない彼に終わったのかと声を掛けようとし、クラウドはすんでの所でその息をのんだ。
次の瞬間、バッツが跳ね上げるように腕を振り、すでに欠片もほとんど残っていない大樹の偽物に、赤い剣を打ち下ろした。
殴りつけるようなその斬撃は、草の生える大地を抉っただけだった。風圧に煽られた残骸は、今度こそ完全に、塵すら残らず姿を消す。それでも彼はその場所を離れない。突き刺さったままの剣を抜こうとすらしない。
暗がりすら明るく見せるクラウドの目に見えたのは、わずかに見開かれていたバッツの瞳に暗く揺らめく炎。
常に明るい調子を崩さない彼には似つかわしくない、内側から身を焼くその感情を、自分は知っている。そんな傲慢なことを思った。
動揺したクラウドの気配に気づいたのか、あたりが静かすぎることに気づいたのか、バッツがはっとして振り返った。視線が合う。消しきれなかった炎が燻る双眸が大きく震えた。
「クラウド」
かけられた声には、どこか怯えたような響きがあった。クラウドが答えられないままでいると、バッツが手が白くなるほどに握りしめていた剣をようやく消した。
「そっちは終わったのか?」
次にかけられた声音は先ほどよりも少し高いもの。無理に出したと分かる明るい声に、クラウドはなんとか頷いた。
「そうか」
バッツが一度目を伏せて、そのあと小さく笑みを浮かべた。いつもとは違う、どこかぎこちない笑顔だった。
「わるい、待たせちまったな。ここはもうイミテーションもいないみたいだし、早く先に進もうぜ」
クラウドの答えを待つことなく、バッツは背を向けて歩き出した。クラウドは未だ動けず、小さくなっていく背中を見つめることしかできない。緩く風が吹いたが、重く落ちた空気を吹き飛ばす力はなかった。
続く足音がないことで、クラウドがついてこないことがわかったのだろう。バッツが影から外にでた場所で足を止めた。
「クラウドごめん」
突然の謝罪が耳に届き、クラウドはいつの間にかうつむいていた顔を上げた。明るい場所に出たのに、肩の落ちた彼の背には、小さく揺れるマントでは振り切れない影が残っているように見えた。
「おれは、おまえみたいに強くなかったみたいだ」
なんのことだと訝って、すぐに、かつて月で約束したことを思い出した。とっさに口を開いたが、出した言葉は全て言い訳になりそうで、結局なにも声にできない。
後悔が深く胸をつく。クラウドはかつての自分の浅慮さに唇を噛んだ。
そのまま再び歩き出したバッツの後を追って、クラウドもようやく歩きだした。ゆっくりと進む彼の歩調に、速度をあわせる。いつかの時のように、バッツはクラウドの方を振り返らない。顔は見えない。けれど今は、彼に追いつきたくなかった。
せめて見失わないようにと、クラウドはそればかりを考えていた。