requiem

 いびつな音を軋ませて、扉がゆっくりと開いていく。
 しかし、半分ほど開いたところで、扉はなにかに行く手を遮られて動きを止める。さっき来たときはもう少し開いた気がするが、瓦礫がずれてしまったのだろうか。何度か動かすたびに耳に届く鈍い音に、これ以上は開かないと悟り、バッツは扉が作った隙間から建物の中へと体を滑り込ませた。
 静謐さを打ち壊された風景が目の前に広がる。無残に割られてしまっている椅子。壁の所々には穴が空き、ひゅうひゅうと空しい音の風が吹く。奥に掲げられている、もともとは荘厳だったのだろう立像が、大きくかけてしまっているのが特に痛々しい。
 壊れたのは元々なのか、あるいはカオスの手によるものなのか。詮索しようとして、意味のないことだとバッツはすぐに頭を振った。
 視線を立像へ戻し、すこし左へとずらす。顔が欠けたせいで絶望の表情を浮かべているように見える像の脇。目立たないように置かれた黒い塊が、バッツがここを再び訪れた目的だった。
 ピアノだ。
 クラウドが、もしかしたらオルガンかもしれないと言っていた。オルガンというものはどんなものかはクラウドもよく知らなかったが、白と黒の鍵盤がついていて、叩いて音が鳴ればバッツにとってはピアノだ。
 床に転がる大小さまざまな瓦礫をまたぎ飛び越えて、バッツはピアノの前に立った。幸いにも蓋が閉まっている。中は無事かもしれない。降り積もるように乗っていた瓦礫を手ではらい、蓋を開ける。懐かしい、白と黒の模様が姿を現す。予想外に綺麗なのは、丁寧に扱われていたからなのだろう。
 大事なものだったのだろう。これほどまでに打ち壊されたこの場所が、それでも守り抜いたもの。
 こちらもまた奇跡的に倒れるだけで済んだらしい椅子を起こして座り、中央にある白鍵を一つ叩いてみる。澄んだ音が鳴った。が、滅ぼされたこの場所が、それを響かせる力を持っていなかった。それでも、バッツは鍵盤を適当に打ち鳴らした後、満足そうに小さく笑みを浮かべた。大きく音がずれているものもない。
「教会か」
 不意にクラウドの声が耳に蘇った。今のは数刻前にこの場所を見つけた時に、彼が呟いた台詞だ。彼は今ここではなく、この町で唯一休むことができそうだった酒場の跡地に、他の仲間と共にいるはずだ。それでも、静かに語るクラウドが、いつになく穏やかな、それでいて痛ましいような顔をしていた姿を、バッツは脳裏に思い描いた。
 教会というものはバッツの世界にはない建物だったが、クラウドが言うには、結婚の儀式をしたり、死者を弔ったりするところだそうだ。つまりは、神殿と同じようなものだとバッツは理解した。
 ちらりと天井を見る。無数に穴を開けられた絵が、祝福を意味していたのだろう絵を、まるで意味のないものに塗り替えていた。穴から降り注ぐか細い光は、慰めのようだ。
 この場所に――今のおれたちに、祝うような曲はたぶん似合わない、という思いと共に、鍵盤へと置いた指が、音を紡ぎ始める。ゆっくりと深く。そして厳かに。生まれた音の重なりが、沈んだ空気を外へ押し出すように周囲へと流れる。本来なら閉じられた空間に反響し、さぞかし重厚なものになるのだろうが、そこここが崩れ、外の風景が覗くこの場所ではそれも叶わない。
 しばらくピアノと音を刻み続けていたバッツの耳が、自らが生み出す音色とまるで異なる音を拾った。こちらを気遣うような、小さな足音。聞きなれた足音。
「めし?」
 曲を紡ぐ指を止めることなく、バッツは音とまるで合わない明るい声で問う。
「違う」
 返答があった。低めの、艶があるけど柔らかい声。クラウドだ。
「そのままでいい」
 バッツがどうしようと考えて、指を運ぶ速度を緩めたのに気が付いたのだろう。曲を壊さないように気を使った声が届く。続く足音が少しずつ大きくなっているから、こちらへと近づいてきているとわかる。
「音が聞こえたから、立ち寄っただけだ」
 バッツの中で、クラウドの気を引くことができた喜びと、おれを探しに来てくれていたんじゃないのかという落胆が、ないまぜになる。バッツは、それが指から音へと伝わらないように腐心した。
 そうしなければ、クラウドはすぐ気付いてしまうから。
「よく覚えているものだな」
 声がすぐ傍で聞こえた。ずっと続いていた足音が止まる。温かさを感じる。
「そうだな。たぶん、この曲がもともとは歌だったからだと思うぜ」
「歌?」
「ああ。おれの持ってるジョブに吟遊詩人のジョブがあるんだ。歌を歌うことで仲間を助けたり、敵を攻撃したりするんだ」
 本来ならハープとかの楽器で演奏するんだけど、と付け足しながら答える。
「この曲は?」
「レクイエム――鎮魂歌だな。死を悼む曲だよ」
 バッツの答えにクラウドが沈黙する。
「ウォーリアたちには内緒な」
 ささやいたバッツの頭に、クラウドの手が添えられた。つむじに、顔が寄せられる。柔らかい質感と、温く湿った彼の吐息に、バッツは目を閉じた。

 世界は調和の神を失い、終わりに向かっている。
 それでも、まだ、音は響き続けていた。

2014-06-15
文章へ戻る