届かない青

 ガンブレードの整備したいと言ったスコールの邪魔にならないように、ジタンはバッツを誘って出かけることにした。
 このひずみのイミテーションは全て倒した後で、あとはシンボルを破壊すれば脱出できる。そして、そのシンボルもすでにどこにあるか判っていた。スコールを残してきた地点まで戻れば、シンボルは目と鼻の先にあるのだ。
 それでもひずみを解放せずに留まっているのは、このひずみがカオスの本陣である混沌の大地の中にあるからだ。一歩外に出れば、敵が待ち伏せている可能性だって大いにある。せっかく三人ともクリスタルを手に入れたのに、討たれてしまっては元も子もない。そうならないためにもすでに安全とわかっているひずみの中で出来る限りの準備をしよう、と言うのが三人共通の見解だった。
 ジタンは今、小さな森の中を先行して進んでいた。小さくてもこの森には大小さまざまな木々がひしめき合い、そこから伸びた軟体動物のようにうねる枝や根が複雑な道を作り出している。そんな場所だが、ジタンの足に迷いはない。この森を含めた一帯は、イミテーションを三人で手分けして倒していた際にジタンが担当していた場所だ。どんなに複雑でも、大体の位置の把握はできている。
 ここにあった『あるもの』を、ジタンはバッツに見せたかった。別の場所を担当していたバッツは、この先にあるものを知らないはずだ。後ろを振り返れば、苦戦しながらもジタンの後を追うバッツの姿が見えた。ものまねの力だろうかそれとも単なる記憶力だろうか、その足はジタンが先行して通った場所を過たたず進んでいるようだ。それをわかっているジタンは、慎重に道を選んでいた。小柄な自分が進める場所でも、細身だがジタンよりも背の高いバッツでは進めない場所がここには多い。そういう場所を避けて進まなければ。そう考えて、ジタンは自分で考えた事実にバッツに気付かれないように顔をしかめた。
(なんでこの世界、オレだけ背が低いんだよ)
 以前バッツと二人で行動していたとき、彼の背の高さに身長を訊ねたことがあった。すると、バッツはなんとジタンと二センチしか違わないと言う。そんなことはないだろ、とその時一度口論になったのだが、ついこの前スコールにも身長を聞いたところ、彼もジタンと三センチしか違わないという。だとすれば、自分の背がこの世界では縮んでしまっていると判断せざるを得ないわけで。
「ジタン、あとどれくらいいなんだー?」
 少し息のあがったバッツの問いかけが聞こえて、ジタンの思考が引き戻された。普段は高めの声が少し低く聞こえる。先行しすぎて距離が空いたかもしれない。
「もうちょいだから頑張れ―」
 ジタンは歩く速度を落としながらバッツに答え、脳裏で目的地までの場所をもう一度思い描く。最初に見つけた時のルートに比べて蛇行して進んでいるが、バッツに告げた通り、もう少しでたどり着くはずだ。

 先に森を抜けたジタンは、目の前にあるものを確認して安堵の息をついた。
 バッツに見せたかった『あるもの』。それは今目の前にある光景だった。先程まで通ってきた森の果て、ぽっかりと開けたこの場所に広がるのは、それぞれ違ったグラデーションを描いて世界を二分している空と海だ。視界は青に染め抜かれ、他の色は一切ない。この青の重奏を最初に見た時震えた肌に、バッツにも見せたいと、ジタンは真っ先にそう考えたのだった。
 ジタンは変わらず存在していた景色をずっと見つめていたことに気づき、軽く頭を振った。今はもっと大事なことがある。
「バッツ、着いたぞ!」
 振り返り森の中へと声を張り上げれば、「ほんとか!?」と声が返ってきた。弾んだバッツの声音に、ジタンの心臓が少し早く脈打った気がした。二人で旅をしていたときに、見知らぬ景色を見るのが好きなんだとバッツが言っていたことを思い出す。この景色も彼が知らないものだといい。
 すぐそこまでバッツが来ているのだろう、大地踏みしめる音が大きくなった。ジタンは知らずのうちに胸に当てていた手を引きはがす。その手を腰に当てたその時、ようやくバッツが森の中から姿を見せた。
「うわあ……!」
 バッツの口から思わず漏れたであろう感嘆の声が、ジタンの耳に届く。吸い込まれるように一歩踏み出してジタンの横に並んだバッツを、仰ぐように見上げる。口元を綻ばせた横顔が、目の前に広がる輝く青よりも光って見えた。
 瞬きもせず彼方を見つめる瞳に映っているのは、本当にジタンが見ている光景と同じものなのだろうか。ふと、そんな考えがジタンの中で膨れ上がった。
 彼の見ている世界を、ここでは小さくなってしまっている自分は見られない。バッツと肩を並べられたなら。その顔をもっとまっすぐ見られたなら。
 バッツの喜ぶ顔が見れた。それを見たくてここまで来たというのに、実際に目にした彼の顔に、ジタンの胸を満たしたものは寂しさと渇望だった。
「なあ、ジタン! すごいな!」
 目の前に広がる景色よりも見たかったものが、突然目の前に広がった。不意打ちだ。その言葉で頭の中が埋め尽くされて、返事をするタイミングを失ってしまう。バッツを見上げる事しかできないジタンに全く気付くことなく、彼はすぐに景色の方へと顔をそらしてしまった。
「スコールも連れてくればよかったな! あとで三人でもう一回来るのもいいよな!」
 こちらの気持ちを知る由もないバッツの口から出た言葉に、そうだなと返しながらもジタンは内心で肩を落とす。
 言葉にしたことはない。だから気づかないことに文句を言う気はない。それでも、少しくらい。そう動いた気持ちが、つい口をついて出た。
「バッツ、遠くに見惚れてばっかなのもいいけど、すぐ真下にも気を配れよ」
「へ? ――っ!!」
 ジタンが指差した方向を、何の気なしに見たバッツが途端に言葉をなくして固まった。
 示した先は真下。実はこの場所は切り立った崖になっていて、青を欲して手を伸ばそうものなら、真っ逆さまに落ちることになる。
「景色はすごいんだけど、それを見れる条件があるのは仕方ないよな」
 なるべく平静を装って解説したジタンの横で、じりじりと森の方へ後ずさりしたバッツが、恐怖でひきつった顔に、いびつな笑みを浮かべた。
「や、やっぱりここは二人だけの秘密にしよう。な」
 聞きたかった言葉を聞きたくなかった口調でバッツから告げられて、ジタンは苦笑を見せながら、やっちまったと激しく後悔した。
 バッツはきっと気づいてない。

2013-11-26
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