あの時の答えをいつか
目が覚めた、と、思う。
ぼんやりとしたまま、クラウドは上半身を起こした。テントの中は明りがないので暗いはずだが、この目には周囲の様子がよく映る。
隣を向けば、ティーダが大の字になって熟睡していた。寝返りを打つ途中でお払い箱にされてしまったらしい毛布が、彼の横で丸まっている。視線をさらに動かせば、ティーダを挟んで逆側に寝ているフリオニールが見えた。彼の腹の上にはティーダの右足が乗っている。そのさらに奥、テントの入り口から一番遠い場所に、セシルが静かに眠っていた。
ティーダの足が重いのかフリオニールが少し苦しそうな声をあげていたので、クラウドは静かに身を乗り出し、ティーダの足をのけてやった。次いで、丸まっていた毛布をティーダの体にかけ直す。
フリオニールの様子が落ち着いたのを確認し、クラウドは立ち上がった。自分が入り口の近くに陣取っていたのは、野営の後半の見張りを任されていたからだと言うことを、はっきりとしてきた意識が思い出していた。後半の見張りの時は起こされるのが常だったが、今日は自分から起きてしまったため、おそらく交代の時間にはまだ早い。だが、もう一度寝るより起きてしまった方がいいだろうと判断し、クラウドは簡単に身なりを確認すると、静かにテントを抜け出した。
テントから外にでると、そこには草一本も生えていない大地と星空が広がっている。輝く恒星の光に目がくらまないように、クラウドは目をかばった。音もなく吹いた乾いた風が、人の熱がこもっていたテントの中から出てきたクラウドには寒く感じた。
ここは、ひずみの中にあった月の渓谷と呼ばれる場所だ。このひずみを開放した自分たちコスモスの戦士は、岩場や石柱を避けて広く平地になっている場所を、今日の野営地としていた。クラウドが出てきたテントを含めて、三つテントが張られている。ほかの仲間たちも前半の見張りをのぞいて、皆そこで眠りに就いているはずだ。
「あれ? クラウドどうした? まだ交代には早いぞ?」
テントの入口を閉めたクラウドは、掛けられた声に振り向く。視線の先では、前半の見張りであるバッツが、テントから少し離れた位置にあるたき火の前に腰かけたまま、こちらを向いていた。
「目が覚めた」
「はは、そうか。茶でも飲むか?」
問いかけに簡潔に答えると、バッツが笑ってやかんを取り出した。
「もらう」
クラウドは短く返して、彼の方へと足を向けた。
静かだなと思いながら、クラウドは大分ぬるくなったお茶を少しだけ口に含んだ。
クラウドの斜め右に座っているバッツは、特にこちらに話しかけてくることはなく、クラウドに渡すと同時に自分用にと注いでいたお茶を飲んだり、空を見上げていたりしている。騒がしい普段の様子とまるで違うバッツを珍しく感じたクラウドは、焚き火に照らされた彼の横顔を見つめていた。
その静かな横顔を、どこかで見たことがある。
いつ見たのかを思い出そうと、クラウドはバッツと関わった時の記憶を掻き集める。そもそもこの世界に来てからコスモスの戦士全員が揃った今に至るまでの間に、クラウドとバッツの接点はほとんどない。そのため、長く考える必要もなく、ひとつの出来事を思い出した。
(……あの時と同じか)
少し前にバッツと初めて二人で組んで、こことは別のひずみを開放しに行った時があった。そのとき、高いところが苦手なことを忘れていればよかったと言ったバッツに対し、クラウドは噛みつくように否定の言葉を投げた。そんなクラウドに対して静かに「そうか」とつぶやいたバッツの顔が、今クラウドの視線の先にある横顔と重なる。
その横顔を思い出したことをきっかけに、クラウドの頭の中にその時のことが次々と浮かんでくる。些細な会話までは逐一思さなかったが、あのやり取りの最後に彼がこちらを振り返らずに野営地へ帰っていったことと、その背中を見ながら感じたことを強く思い出した。
そういえば、あのあと野営地に帰還してから今に至るまで、そのことにバッツから言及してくることはなかった。ただでさえ色々なものに興味を覚えて、目まぐるしく活動するバッツは、すでにあのやり取りを忘れている可能性の方が高そうだと判断できる。
それでも、一度掘り起こしてしまった疑問が、夜の風に煽られた炎のように膨れていく。あのときの自分の言葉を、バッツはどう受け取ったのだろう。
「あのさ、クラウド」
突然かけられた声に我に返ると、いつのまにかこちらを向いていたバッツが、居心地が悪そうな様子で頬を掻いていた。
「おれの顔に何かついてる?」
「……いや」
どうやら色々と考えている間、ずっとバッツを見ていた形になってしまっていたらしい。取り繕う言葉を探したものの見つからず、クラウドは何とかその一言だけを返す。
だがその一言が、かえってバッツに何かあると思わせたようだった。彼は服が汚れるのも構わずに、座ったままこちらの近くまで寄ってくると、俯いて視線をよけていたクラウドを覗き込んできた。
「何もないって顔してないぞ? 何かあるなら話してみろって。ここで言わないと、クラウドはたぶん後半の見張り中ずーっと悩むことになるぜ?」
バッツの台詞に図星を刺されたクラウドは、今度は思いきり彼から視線を外した。そんなクラウドの行動にバッツは笑って、言ってみろともう一度促してくる。たしかにそう言われてしまうと、あとで鬱屈と考え続けるよりも、バッツがこちらの話を聞くと言っている今、聞いてしまった方がいい気がした。
クラウドは意を決すると、顔をあげてはっきりと聞いた。
「少し前に話したことを覚えているか?」
「……えーと、いつの話?」
クラウドの言葉に、バッツは目を瞬かせて首をかしげた。
流石に唐突過ぎたかと、クラウドがその時のことを二言三言付け加えると、バッツはああ、と手を打った。
「クラウドが乗り物酔いする、って教えてもらったときか」
合点がいったという表情でバッツが笑ったのと対照的に、クラウドは顔をしかめた。彼の笑顔と出てきた第一声に、自分が覚えていることを、はたして彼が覚えているだろうかという不安が頭をよぎった。だが、これだけで終わってしまっては意味がないと、クラウドは何とか言葉をつなげた。
「あの時、言い過ぎたんじゃないかと思っていた」
ぼそりとクラウドが告げた言葉に、バッツが押し黙った。それは、クラウドが考えていたことではあったが、本当に聞きたかったことではなかった。けれど、バッツが見せた言葉を探している様子に、クラウドの胸中をやはりあの時に言い過ぎたという後悔と、今この話を蒸し返す必要はなかったという後悔が埋め尽くした。
クラウドの変化に気づいたらしいバッツが、慌てた様子で手を振った。
「大丈夫大丈夫、別に気を悪くしたとかはなかったよ。……いろいろと思い出してたんだ」
そこで一度声を切って、バッツは手に持っていたカップからお茶を飲んだ。そして長い息を付くと、バッツは改めてクラウドへとまっすぐ目を向けた。
「あのとき、クラウドは強いんだなぁって思ったんだ」
「強くなど」
「おれはさ」
クラウドの口から反射的に出かかった台詞を遮って、バッツが言葉をつなげた。
「おれも、いろいろ思い出したときに、クラウドみたいに言えたらいいなって思った。まあ、まだほとんど思い出してないんだけどさ」
最後はおどけた調子で言葉を締めくくり、バッツが笑った。クラウドは、少し目を見開いたままバッツをしばらく見つめたあと、目を伏せてゆっくりとつぶやいた。
「そうか」
図らずも、クラウドにとっては考えていた疑問に対する答えを受け取った形になった。気づいていたのだろうかとも思ったが、そうであればあの時もう少し話ができた気もする。だとすれば、今の言葉だけが彼の答えではないのだろうか。そもそもいまだにほとんど記憶が戻っていないという彼に、これ以上聞いても困らせるだけかもしれない。
再び考えこんだクラウドの横でずっと黙っていたバッツが、突然勢いよく立ち上がった。彼は伸びをするように空を見上げたあと、手に持っていたカップをあおって中身を飲み干したようだった。そして、空になったカップと共に、たき火のそばに置いてあったやかんを手に取り、突然のバッツの行動に呆然と彼を見上げていたクラウドに向かって、それらを差し出した。
「おれ、そろそろ寝るよ。あと頼むな」
「あ、ああ」
バッツが差し出してきたカップとやかんを受け取りながら、クラウドは答えた。バッツは開いた手でクラウドの肩を軽く叩き、おやすみ、と言ってテントの方へと歩いていく。
少しずつ小さくなるその細い背中に、またあの時の姿が重なった。今を逃したら、この前と同じままだ。
「バッツ」
「なに?」
クラウドが思わず呼びとめると、バッツがすぐに振り返った。その素早さに、バッツは自分が立ち去ればクラウドが呼び止めるだろうと思っていたのではないかと感じた。立ち去ろうとしたことで、考え込んだクラウドにもう一度きっかけを作ったのかもしれない。自分勝手な解釈かもしれない。だが、その感覚に背中を押されるように、クラウドは口を開いていた。
「お前が」
そこで一度、言葉が切れた。目線が少し泳ぐ。
そんなクラウドに気付いているのかはわからないが、バッツは黙って続きを待っている。
大丈夫だ。さっきも彼は答えてくれた。そう思った。
それを信じて、クラウドは残りの言葉を口にする。
「いつか記憶を思い出したら、もう一度話を聞かせてくれ」
クラウドが告げた言葉に、バッツは少し考えたあと、いつになく真面目な顔で頷いた。
「――わかった。いつか、な」
そう告げて、バッツは今度こそテントの中へと消えていく。入口がしっかりと閉じられたことを見届けてから、クラウドはテントから視線を外し、空を見上げた。
星の位置がだいぶ変わっている。ずいぶんとバッツを引き留めてしまっていたことを、その時初めて知った。
明日の朝に、詫びと礼を言おうと考えながら、クラウドは空になったコップにお茶を注いだ。立ち上った湯気が、風に乗って流れて消えていく。
この夜に交わした言葉も、あの時の記憶と共に覚えておこう。もしかしたら、彼から答えを聞く前にこの戦いは終わるかもしれないけれど、それでもいい。そう思った。