育花雨

「「雨が降るな」」
 前と後ろから同時に聞こえた声に、オニオンナイトは足を止めた。先行していたバッツがこちらを――正確には、オニオンナイトの後ろにいるクラウドを振り返ったので、オニオンナイトもつられるようにクラウドへと振り返った。
 いきなり二人に見つめられたクラウドが、不思議そうにつぶやいた。
「どうした?」
 短い問いかけに、オニオンナイトは次にバッツの方を見た。すると、いつのまにか少年の方へと視線を向けていた旅人と目があった。考えていたことは同じだったのだろう。アイコンタクトだけでやりとりをしたのち、口を開いたのはバッツの方だった。
「クラウド、わかるのか?」
 空を指差しながら聞いたバッツに、クラウドは微妙にずれた答えを返した。
「お前の方がわかるだろう。どのくらいだ?」
 クラウドの言葉を受けて、バッツが空を見上げた。空を覆っていた雲は、白から灰色に色を変えている。流れる位置も低くなっているようだった。十秒ほど考え込んだ後、再びクラウドの方を向いたバッツは、真剣な顔で断言した。
「この調子なら三十分しない中にくるぞ」
 その言葉を聞いたクラウドは、ぐるりと周りを見渡した。今回三人が入り込んだひずみは、どこかの世界にある高原を写し取ったひずみらしく、今いる場所には雨をしのげるような遮蔽物が何もない。
 雨に降られる前に、移動しなければ。三人が三人共そう考えたが、どこに移動するかが問題だった。
「引き返すか?」
「いや、できれば進みたい」
 バッツの問いにかぶせるように、クラウドが言った。
「少なくとも、ここまでの道で雨宿りできそうな場所はなかったはずだ。それに、ひずみのシンボルもまだ見つけていない」
「先に進んでも雨宿りできる場所があるとは限らないぜ?」
「確率の話だ。少なくとも戻るよりは可能性が高い」
「よっし、じゃ、進むか。オニオン、いけるか?」
 バッツがオニオンナイトに呼びかけたが、少年は返事をしなかった。どうしたのかとよく見てみると、オニオンナイトはどこかぼんやりとした表情でバッツの方を見ている。
「オニオン?」
 視界に自分が入っているはずだから見えるだろうと、バッツが手を振りながらもう一度呼びかけると、オニオンナイトははっと我に返って早口で返事をした。
「えっ、あ、うん。平気。移動するんだよね?」
 オニオンナイトの確認にバッツが頷く。その間に少年の元へと近づいていたクラウドが、オニオンナイトの言葉に付け加えた。
「おそらく長距離を走ることになる。速度は抑えろ」
「わかった」
 今度はすぐに返事をして、オニオンナイトは気合を入れるためにか、自らの両頬を手で軽く叩いた。それを見ていたバッツからも、助言が飛ぶ。
「体力が持たないと思ったら言うんだぞ。おまえ、意地っ張りなところがあるからな」
「わかってる! バッツは一言多いよ!」
 オニオンナイトがムスッとして言い返すと、バッツが「それだけ元気があれば大丈夫だな!」と返してきた。なんだかんだ心配されているのだ、と少年は少し悔しくなる。
「急ごう」
 バッツとオニオンナイトを見回してそう告げたクラウドが、先陣を切って走り出した。

 結構な距離を走った三人は、高原から山へとさしかかった地点で、道を通すために山をくり抜いたらしい場所を運良く見つけることができた。三人がそこに駆け込むや否や、空から細かい雨がさらさらと降り始めた。
 オニオンナイトは道の中程で立ち止まり、荒くなった息を整えようと膝に手を突いて深呼吸を繰り返した。
「ふいー、ギリギリだったな」
 入口のすぐ近くに立っているバッツが、額に浮かんだ汗を拭いながら、そう口にした。
「奥を見てきたが、特に問題になるものはなかった」
 響くように聞こえた声にオニオンナイトが顔を上げると、道の先の様子を見に行っていたクラウドが、近くまで戻ってきていた。彼はオニオンナイトの呼吸が荒い事に気づくと、その無骨な手を少年の背に添えた。
 鎧越しではあるが、少しでも落ち着くようにと少年の背を軽く撫でながら、クラウドは道の入口から動かないバッツに確認した。
「どのくらいで晴れそうだ?」
 それを受けて、バッツは雨がかからない程度に身を乗り出して外を見た。だが、すぐに岩の影へ頭を引っ込めた。
「ここからじゃ雲がよく見えないな。走ってる途中で見た状況のままだったら、しばらく雨だと思うけど」
「イミテーションがいないだけましか」
「止むまで休憩しようぜ。あいつらもこの雨なら動いてこないだろ」
 バッツの言葉に、楽観的だと言いながらもクラウドが同意した。近づいてくるかどうかを見張っていれば何とかなるだろう、と付け加えて。
 そのころになってようやく呼吸が落ち着いてきたオニオンナイトは、大丈夫、ありがとうとクラウドに告げて体を起こした。そして、立ち止まっているうちにすっかり固まってしまった体をほぐそうと、クラウドから離れた位置で軽く運動を始めた。
 クラウドは少年の動きを妨げないように、壁の方に近づき、背を預けるように腰を下ろした。入口を離れたバッツがその近くに座り込み、クラウドへ話しかけた。
「なぁクラウド、さっきどうして雨が降るってわかったんだ?」
 おそらくずっと質問したかったのだろう。バッツの目は興味津々といった様子で輝いている。クラウドは一つ息をついて答えた。
「山の天気は、なんとなくわかる」
「ふうん? あ、もしかして、クラウドって山の近くで生まれたとか?」
「……覚えていないな」
「そっか、残念だなあ。おれも山生まれでさ、おそろいだといいなあと思ったんだけど」
「お前の天気読みは、旅暮らしで培ったわけじゃないのか」
「いいや、覚えたのはそうだよ。山生まれって言ったって、そこでそんなに長く暮らしたわけじゃないんだ」
 延々と続く二人のやり取り(主に話しているのはバッツだったが)を、整理運動を終えたオニオンナイトは、少し離れた位置に座って聞いていた。正確には、見ていたと行った方が正しいかもしれない。
 大仰に身振り手振りを加えて話すバッツと、それに時々相槌を打ちながらも、黙って話を聞いているクラウド。最初に話しかけたのはクラウドへの質問だったはずなのに、今は完全に自分の話ばかりしているバッツは、それでもとても嬉しそうだ。対してクラウドはと言えば、少し戸惑っているように見えるものの、「興味がない」状態ではないのだろう。その顔に不機嫌そうな様子はない。
(ああ、そうか。だからバッツは嬉しそうなのかな)
 いつもなら一人蚊帳の外に置かれるとと不快な気持ちになるはずなのに、このときのオニオンナイトは、何故かこのまま二人の様子をずっと見ていたいと考えていた。
 じっと二人を見つめていたオニオンナイトの視線の先で、何の話を振られたのかはわからないが、クラウドが小さく笑みを浮かべた。
 それは、ずっと固く閉ざされていた花の蕾が綻ぶような、そんな笑顔だった。
 オニオンナイトが思い返す限り、クラウドという人物は、常に冷静で、真面目な顔ばかりしていて、笑うと言ったら、自嘲気味な笑みを浮かべるばかりなのに。
(クラウドも、あんな風に笑うんだ……)
 思わずぽかんと口を開いてクラウドを見つめてしまったオニオンナイトの脳裏に、その笑顔がくっきりと焼きついた。
 ずっとクラウドを見ながら話しているバッツも、クラウドの顔の変化に気づいたらしい。彼は一瞬目を見開いた後、浮かべていた笑みをさらに鮮やかなものに変えた。
(いいなあ)
 笑いながら話を続けている二人に、オニオンナイトはいつのまにか自分とティナを重ねていた。
(あんな風にティナが笑ってくれたら――)
「オニオン」
 突然自分の名前が呼ばれて、オニオンナイトはびくりと体を震わせた。いつの間にかクラウドとバッツが揃ってオニオンナイトの方を見ていた。二人の表情は先程まで見ていた笑顔が嘘のようにいつも通りで、オニオンナイトは思わず目を瞬かせた。
「疲れているなら少し寝ていろ」
 どうせしばらく動かない。そうクラウドに言われたものの、もう少し二人のやり取りを見ていたい気持ちがあったオニオンナイトは、でも、と反論した。
「二人だって疲れてるんじゃないの?」
 自分だけ休むわけにはいかない、とオニオンナイトが言うと、バッツとクラウドはお互いの顔を見合わせた。交わした視線で何かをやりとりしたらしい。
「そうだな。順番を決めて、一人ずつ寝よう」
「オニオンが最初でいいぞ」
 数秒ののちオニオンナイトの方へと向き直った二人が、示し合わせたように告げた。だけど、結局言われていることは先程とほとんど変わっていない。むっとしたものの、疲れているのは事実だったので、オニオンナイトは二人の言葉に甘えることにする。
「わかった、交代するときに起こしてよね」
 そう言って横になろうとしたオニオンナイトを、バッツが手招きした。
「オニオン、こっちに来いよ。離れて眠ると寒いぞ」
 バッツの誘いに、オニオンナイトは会話の邪魔になるのではないかと思い、断ろうとした。しかし口を開くより先に、バッツに「ほら」と強く促されてしまい、オニオンナイトは渋々バッツの横へと移動した。それでも、少しでも二人の気に留まらないようにと、背中を向けて横になる。
「それじゃあ、僕寝るね。ちゃんと起こしてよね」
「ああ。バッツ、あんまり騒がしくするなよ」
「わかってるって」
 クラウドの忠告に、バッツが小さい声で返す。そのやりとりを聞きながら、オニオンナイトはマントを体に巻いて、目を閉じた。
「「おやすみ」」
 上から降ってきた二人の声に引かれるように、オニオンナイトはゆっくりと眠りに就いた。

2013-06-10
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