冷たい手

 探索を終え帰還したクラウドは、野営地となっている地点から少し離れた場所にある川のほとりで、一人で休憩を取っていた。
 聖域への帰還の途中、戦士たちが休息を取るために設営する野営地は、泉や川などの水場が近くにある地点が好まれた。今日の野営地もそうした観点から選ばれている。本陣では、食事の支度や荷物の整理などで、皆が騒がしく動いているだろう。
 クラウドが川の水で喉を潤していると、後ろから声がかかった。
「クラウド」
 誰だか聞き分けられるくらいには、全員で行動を共にしてから時間が経っている。振り返ると案の定、こちらへと歩いてくるバッツの姿が見えた。クラウドが振り向いたことに気付いた彼が、歩みを止めぬまま言葉を続けた。
「飯、もうすぐできるって」
「わかった」
 頷き立ち上がろうとしたとき、クラウドは不意にバランスを崩した。反射で硬直した体が傾く。
「っ!」
「クラウド!」
 バッツの大声とこちらへ駆けつける足音、そして水に何かが落ちる音が耳を打った。次の瞬間、クラウドが思わず伸ばしていた手が強く掴まれる。そのまま引っ張られ、崩れた体勢が元に戻ると、クラウドは詰めていた息を吐いた。
「大丈夫か?」
「……ああ」
 人心地つくと同時に、右足にまとわりついた冷たさに、クラウドの体がぶるりと震えた。そこでようやく、クラウドは川の縁にかかっていた足が滑ったのだと思い至った。滑った足は、川の中に落ちてしまっている。クラウドは再び滑ることがないように、バッツの手を支えにしたまま、慎重にその足を水から抜いた。
「すまない。助かった」
「いいって」
 クラウドは礼を言って掴んだままだった手を離そうと力を抜いたが、バッツがこちらの手を握ったまま離さない。なにかあっただろうかと、クラウドは疑問の声を上げた。
「どうした?」
「いや、クラウドの手、冷たいなーって思って。グローブ外してるの珍しいよな」
 そう言われたクラウドは、なんとなしに視線を落としてつながれた手を見た。顔を洗ったり水を飲んだりするために、グローブを外していたのが、バッツには珍しく映ったようだ。
「手が冷たい奴ってさ、心があったかいって言うよな」
 バッツは何の気なしに思い付いたことをぽろっと口に出しただけだった。しかし、近距離にいたクラウドはしっかりと聞きとめたらしい。
「なら、逆はどうなんだ?」
 クラウドが返すように呟いた疑問に、バッツは首をかしげた。
「どうだろ。逆のことを言った話は聞いたことないけど」
 逆のことについてはとんと覚えがなかったバッツがそう答えると、クラウドが微かに俯いて押し黙った。無意識なのかわざとなのかは分からないが、クラウドと繋いだままの手が強く握られる。
「え、なに? どうしたクラウド?」
 バッツは驚いた様子で声をかけたが、クラウドは返事をしない。思考の海に沈んでしまったらしく、空いていた手を彼の目の前で振っても何も反応がない。さてどうしよう、とバッツが頭を掻いた。
「クラウドって、変なところでグルグル悩むんスね」
 そこに突然、第三者の声が割り込んだ。びくりとバッツが体を震わせると同時に、繋がっていた手がパッと離された。クラウドも我に返ったようで、バッツの視界の中で目を見開いている。二人は揃って視線を声の発生源へ向けた。
「ティーダ」
 クラウドとバッツ、二人の視線を真っ直ぐに受け止めて、ティーダはにっと笑った。
「いつからいたんだ?」
「さっきからいたッス。すんごい大声がしたから様子を見に来たんスけど、襲われたとかじゃなくてよかったッス」
 あっさりと答えを返したティーダは、すぐに先程の話を蒸し返した。
「クラウドの性分みたいなもんッスよね。グルグル悩むの。バッツが余計なことするのが性分なのと同じで」
「余計なことって。おれがいつ余計なことしたって言うんだよ」
「今もまさにしたじゃないッスか」
「……お前も結構はっきり言う性分だよなぁ」
 ぼやいたバッツを気にせず、ティーダはごそごそと自分の手を覆っていた手袋を外した。そして、露わになったその手を、クラウドたちの方へ差し出す。
「バッツ、手出して」
 ティーダがいきなり告げた台詞に、バッツが頭に疑問符を浮かべながらも右手を伸ばした。ティーダはその手をがっしりと掴み、次にクラウドへと顔を向けた。
「クラウド、オレの手とバッツの手、両方触ってみるといいッス」
 ティーダに言われるままに、クラウドは左手でティーダの手を、右手でバッツの手を触った。
 クラウドが触ったと同時に、ティーダがクラウドの手も握りしめた。ティーダほどの力とはいかないが、バッツもクラウドの手をもう一度握ってくる。傍から見れば、ちょうど三人で小さな輪を作った形だ。
 色も大きさも硬さも異なる二つの手。先ほどまで触っていたバッツの手も温かかったが、ティーダの手はそれ以上の熱さがあった。
「オレの手が一番温かいっすよね?」
「ああ」
「つまり、オレから見れば二人とも手が冷たいわけで、心があったかい人ってことッス!」
 これで問題は解決! とティーダが晴れ晴れとした笑顔で言った。そして一人で納得したようにうんうんと頷くと、ぱっと手を離し、野営地の方へと向けて駆けだした。
「オレ先に戻るッス! 二人も早く来るッスよ!」
 それだけを言いおいてあっという間に小さくなったティーダの背中を見つめながら、バッツが言った。
「ティーダはすごい奴だよなぁ」
「そうだな」
 クラウドも頷いて同意する。そこには先ほどまでの思い悩んでいた姿はない。彼は、そのままティーダが去っていった方へと足を踏み出した。
「時間を取らせた。戻ろう」
「おう」
 バッツがそう答えたあと、あっ、と何かに気づいたように声を上げた。その声にクラウドが足を止める。振り向いたクラウドの目の高さにバッツが持ち上げたのは、先ほどのやり取りから繋がれたままの手だった。
「このままつないで戻るか?」
 バッツが笑いながらそう告げると、クラウドは顔をしかめて手を離した。バッツも特に逆らわず、離れた手を下ろした。
「冗談だって」
 あっけらかんと笑って、バッツが先だって歩き出した。その後ろを歩きながら、クラウドは自分から離した手を軽く握った。

2013-05-27
文章へ戻る