ポーションは君
振り抜いたバスターソードの一撃が、最後のイミテーションを割り砕いた。ばらばらになったかけらは、光を反射しながら消えていく。もはや何の感想も抱かなくなったその光景を横目に、クラウドはイミテーションが塞いでいた道の先へと足を進めた。
ほどなくして、戦闘前に目をつけていた岩場のくぼみにたどり着く。他に比べ量が多い雑草をかき分けると、埋もれるように置かれた特徴的な形の瓶が一本あった。ポーションだ。
(中身は……あるな)
手に取り、その重さを確かめてから、慎重に懐へとしまう。焦る気持ちを抑えるように一つ息をついて、クラウドは踵を返した。
灰色の岩がそこかしこに転がっている中を、周囲に目を配りながら、来た道を駆け戻っていく。いくら走っても同じ場所を通っているような風景が続くが、そうではないことは嗅覚が告げている。
微かに漂い始めた血の匂い。生き物の少ないこの世界で鮮やかな、それ。
モンスターや獣とは違い、イミテーションは血のにおいを辿って相手を探す習性は持たなかったようだ。その証拠に、進むにつれ少しずつ強くなる匂いとは反対に、戦闘の爪痕が減っていく。それでも、この先にいる彼がまだ無事でいる保証はない。
思い浮かべた嫌な予測を振り払うように、クラウドは走る速度を少しだけ上げた。
巨大な岩の群れが崖のような地形を形成している地点、その入口へたどり着いたところで、クラウドは一度足止めた。岩に手を付き、呼吸を整える。
額を流れる汗をぬぐって顔をあげると、目線の先――岩の影に隠れる場所に、バッツが肩当てを外した状態で仰向けに倒れているのが見えた。その姿が、自分が彼の元を離れた時とほぼ変わらない傷だらけの姿であったことに、安心と不安が入り混じった、複雑な気持ちになる。
このひずみに入った時に発生したイミテーションとの戦闘。二人でぎりぎりの軍勢を相手取っている最中に、バッツは遠距離からの攻撃を避けきれずに深手を負ったのだ。細かい傷も多数あるが、右肩と左足を貫通している裂傷が酷く、自力で歩ける状態ではなかった。とっさの判断でいったん離脱したものの、イミテーションがまだうろついている中では、彼を連れて移動することはできない。そのため、クラウドは動けないバッツをこの場所に置いて、イミテーションを掃討してきたのだ。その途中でポーションを見つけたのは運がよかった。このひずみのイミテーションは認識している限り全て倒したが、仲間がいる拠点へ戻るまでに、敵に襲われないとも限らないからだ。
あたりを見回し、イミテーションがいないことを確認してから、クラウドは彼の元へと歩き出す。足音を殺さずに近づいてくと、バッツがゆっくりと顔をこちらに向けた。
「おかえりー」
癒えていない傷のせいかいつもよりも弱弱しかったが、バッツがのんびりとした口調で声をかけてきた。それを聞いて、クラウドは自分の体から少し力が抜けたのを感じる。だが、状況はまだ何も変わっていない。自分を戒めるように軽く頭を振り、止まりかけた足を動かした。そのまま一言も喋らずにバッツのすぐ横まで来たクラウドは、彼の傍らに膝をついた。そして、バッツの身体中にある傷の具合を改めて確認していく。離れる前に彼のマントを使って止血をした右肩と左足は、血が染み出し布地が黒くなっている。傷自体は命にかかわるようなものではないが、これ以上血を失うと危険かもしれない。
「クラウド? 聞こえてるなら返事しろって」
何も言わないクラウドに、バッツが不満気な声を上げる。それに構うことなく、クラウドは先ほど手に入れたポーションを取り出し、蓋を開いた。外傷に効果的なポーションの使い方。それは。
「かけるぞ」
言うが早いが、そのまま瓶を振りかぶる。
「ちょ」
慌てふためいた彼の制止を聞かずに、クラウドは容赦なく傷口めがけてポーションを一気に浴びせかけた。バッツへと降り注いだ液体は、淡い光を放ちながら傷だらけの体へと吸い込まれていく。
きらきらと彼の周囲に飛び散ったポーションの輝きが、なんとなく先ほど見たイミテーションの残滓に重なって見えた。
「ぎゃああああ! 痛い痛い痛い!」
そんなクラウドの感慨を吹き飛ばすように、バッツが先ほどまでとは比べ物にならない大声を上げ、右肩を押さえて地面を転がり回った。傷口に直撃したポーションが染みたらしい。こればかりは仕方がないので、我慢してもらうほかはない。クラウドは後退し、バッツにぶつからない程度に距離を開けた。
そのまましばらく様子を見ていると、回復の効果が収まってきたらしく、バッツは丸まった状態のまま動かなくなった。それでもクラウドが無言のままバッツを見下ろしていると、彼はいきなりばね仕掛けのように飛び起きて、こちらに掴みかかってきた。
「いきなりぶっかけんなよ!」
「……体に問題は?」
耳元に響いた大声を受け流して、クラウドが平坦に問いかける。バッツは目を瞬かせた後、手を放し自分の体を確認し始めた。その様子を、クラウドは注意深く見つめていた。
「あー、うん。たぶん大丈夫」
そう言って、バッツは止血のために巻かれていた布をほどいた。その下から現れた肌は、乾いた血がこびりついてはいたが、傷そのものは残っていない。自身の目でもそれを確かめ、クラウドはようやく安堵する。
ずっと横になっていた体をほぐすためか、バッツが体を軽く動かしながら声をかけてきた。
「イミテーションの残りは?」
クラウドは警戒のために周囲を見回しながら、答える。
「とりあえずわかる範囲では倒してきた」
「わるいなクラウド、負担かけて」
「気にするな」
「やっぱセシルに言われた通り、二人で来るんじゃなかったかな」
「あいつの話を断ったのは俺も同じだ。お互い様だろう」
クラウドの台詞に、バッツがそうだな、と言ってため息をついたのが聞こえた。
それを珍しく思って、クラウドは視線をバッツへと戻した。改めて視界に収めた彼は、なんとなくだが、調子が悪そうに見える。ポーションで回復したものの、バッツが失った血の量は多い。体力の消耗もあるはずだ。早めにこのひずみを解放して拠点へと戻り、休ませた方がいいだろう。
「動くのに問題ないなら、ひずみを解放しに行くぞ」
「あー……、肩当て取ってくるからちょっと待った」
心なしか歯切れ悪く返事をして、バッツはそう遠くない位置に放り出されていた肩当ての方へと向かっていった。拾い上げて軽くはたき、慣れた手つきで身につけていく。クラウドはそれを眺めながら、解放するシンボルへの道筋を、頭の中で反芻した。
肩当てを装備し、再びこちらを向いたバッツの目線が、右にずれた。
「ポーションなんて、どこにあったんだ?」
「向こうで見つけた」
問いかけに答えて、先ほど通ってきた道の方を指差したが、自分から聞いてきたにも関わらず、バッツはふうんと言うだけだった。
「ぶっかけるんじゃなくて、飲ませてくれればいいのに」
バッツが不機嫌そうな口調で文句を言った。染みたことを存外根に持っているらしい。外傷に対して効果的なのは直接かけることだろうとクラウドが反論する前に、バッツがさらりと続けた。
「口移しで」
先ほどまでの口調と一転して、楽しげな声音で言われた内容を、理解するのに数秒掛かった。光景をそのまま脳裏に思い描いてしまい、返す言葉に詰まった。何を考えてる。
「馬鹿を言うな」
「けち」
やっとのことで返した台詞に、バッツが口をとがらせる。子供のようなその様子は、さっきまで調子が悪そうだった人間にはとても見えない。今度はクラウドの口から、ため息が漏れた。
その隙をついて、いつの間にかこちらに近づいていたバッツにポーションの瓶を奪い取られた。瓶の中に残っていた液体が、小さく音を立てる。それに気付いたバッツが、ポーションの瓶を目線の高さへと持ち上げ、軽く振った。
「お、まだ残ってる」
言うや否や、バッツがポーションの瓶をあおった。正直なところ、ポーションはそんな勢いで飲める味ではないと思っているクラウドは、呆然とその様子を眺めていた。二、三回喉を鳴らしたバッツが、ポーションを口から離して言い放った。
「まずい!」
言葉とは裏腹の笑顔に、クラウドの口からため息がもう一度出た。このままバッツが動くのを待っていると、時間だけが無駄に過ぎる。そう考えたクラウドは、さっさとひずみを解放しようと、バッツに背を向けた。
「行くぞ」
「もうちょっと」
「いつまで飲んで、――?」
台詞の途中で何かが落ちる音がして、クラウドは釣られるように振り返った。顔を下げると、地面に落ちたポーションの瓶が視界に入る。
疑問に思った次の瞬間、頬を冷たい何かに覆われた。手、とクラウド理解した時には、すでに強い力で上を向かせられていた。目に飛び込んできたのは、至近距離にあるバッツの目。
声を出す間もなく、唇が重なった。
ぎくりとして強く閉じようとしたクラウドの唇を割って、バッツの舌が入り込んでくる。反射的に逃げたクラウドの舌が、からめ捕られた。
苦い。ポーションの味がする。それだけがなぜか鮮明だった。
舌を吸われ、体にびりびりと痺れが走る。
いきなり何を。いや確かに余裕があればいいとは思って。苦い。違う、こんなことをしてる場合じゃない。だが、せっかくセシルの助言を断ってまで二人で。苦しい。だめだ、こいつがどれだけ失血したか分からないのに。けれど、ここで帰還したら次はいつになる。甘い。そういえば、前にキスしたのはいつだったか――。熱に侵され混乱した思考だけが、クラウドの中で矢継ぎ早に動く。
抵抗しないクラウドに気づいたバッツが、手の位置をずらし、口づけが深くなる。
「……ん」
早鐘を打つ心臓の、激しい鼓動に紛れて聞こえた、掠れた声はどちらのものか。
これ以上はまずい、と思ったそのとき、ようやく体が動いた。力が入らない拳でバッツを叩く。すると、バッツはあっさりと口を離した。支えが外れてぐらりと傾いた体を意地でも倒すまいと、クラウドは無理やり足を踏みしめてこらえた。
「うばっちゃった」
胸に手を当て荒く息をつくクラウドの耳に、バッツの声が届いた。
俯いていた顔を上げる。こちらが息を整えている間に、彼はわずかに離れた位置に移動していた。それでも、彼が酷く悲しそうな、苦しそうな表情をしているのが映る。クラウドが強く足を踏み出すと、こちらが怒ると思ったのか、バッツが露骨に顔をそらし、だって、と言った。
「せっかく久しぶりに二人きりになったのに、クラウドがつれないから」
沈んだ声で言われた台詞に、クラウドは目を瞬かせた。だが、顔をそらしているバッツは気づいていないようで、ぽつぽつとつぶやくのを止めない。
「そりゃおれだって、クラウドが心配してくれてるってわかってるけどさ。でも、戻ったらまたしばらく別行動だろうし」
バッツの言葉に、自分も同じことを考えたな、とクラウドは内心で苦笑した。そして、彼の言葉をさえぎらないように、静かに彼の元へと向かう。
「少しだけでも長くって、そう思って」
そこまで言ってバッツの声が止まる。同時に、クラウドは足を止めた。
すぐ目の前に、バッツがいる。顔を逸らしたままの彼も、クラウドが目の前にいることは気づいているはずだ。
「バッツ」
名前を呼ぶと、バッツはビクリと震えて、目を伏せた。
「ごめん」
それだけしか言わなかった彼を、クラウドはそっと抱き寄せた。
「怒ってない。から、落ち着け」
クラウドがそう口にすると、バッツは黙ってクラウドの右肩に顔を伏せた。クラウドは腕に少し力を込め、あやすように彼の背を叩いた。
そのまましばらく彼の背中を撫でていると、落ち着いたらしいバッツが、おずおずとこちらの背に手を回してきた。クラウドはバッツの背を撫でていた手を止めて、バッツにだけ届くように、ささやいた。
「……少しだけだ」
その言葉にバッツが驚いたように顔を上げ、クラウドの顔をのぞき込んだ。
「いいのか?」
「そんなことを言うなら帰るぞ」
バッツからの問いかけに、クラウドは心にもない言葉を返し、わざと腕を少し緩める。すると、バッツが逃がさないとばかりに、腕の力を強めた。
締め付けんばかりの強さに心地よさを感じながら、クラウドは笑った。
「冗談だ」
優しくそう告げて、ゆっくりと彼の唇を塞いだ。