ドレスを脱がせて

 翻るのはドレススカート。揺れるブロンドは地毛ではなくカツラ。手の中にあるのはとある館の会員カード。そして、動くたびに鼻を突く香水の匂い。
「どうしてこうなった……」
 クラウドは、苦りきった表情で少し前にあった出来事を思い返した。


「クラウド、ちょっといいかい?」
 きっかけはこちらを呼び止めるセシルの声だった。振り返ったクラウドの視界に入ったのはセシルともう一人、光の戦士と呼ばれる仲間の中でもリーダー格の人物だ。珍しい組み合わせだと思いつつ用件を聞くと、セシルが「はい、これ」と袋を差し出してきた。疑いもせずに受け取り、中を開けた瞬間にクラウドの顔が強張った。
 入っていたのは、コスモス軍唯一の女性であるティナのほかに、なぜかクラウドも装備できる女装シリーズと呼ばれる装備だ。手に入れた当初、ティーダを筆頭としたほとんどのメンバーに着てみて欲しいとせがまれ、逃げ回っていた記憶がはっきりと脳裏に刻まれている。そのときに騒ぎの外で見ているだけだったセシルがこれを持って来るとは想定していなかった。
 固まったクラウドに追い討ちをかけるように、光の戦士が口を開いた。
「今日はその装備で幽霊屋敷に行って欲しい」
 幽霊屋敷というのは最近発見された特殊な地点のことだ。コスモスが言うには、この世界とは微妙にずれた場所なのだという。そこに現れるゴーストと呼ばれる敵は、イミテーションと同じくこちらの姿を模した存在だが、イミテーションとの戦闘ではライズしないアクセサリがライズするため、稀に誰かが派遣される。今回はその役目がクラウドに回ってきただけの話なのだが、わざわざ女装シリーズに着替えろと言われるとは想定していなかった。
「……なぜこの装備を?」
「その装備は特殊効果でライズとドロップの確率が上がると聞いた。アクセサリの拡充のためには効率がいいだろう」
「確率を上げるだけなら、この装備じゃなくてアクセサリがあるだろう」
「もちろんアクセサリもつけてもらうよ」
「俺じゃなくても、ティナが」
「ティナは既にオニオンと別の場所の探索に出ている」
「……別に今日じゃなくてもいいんじゃないか?」
「さっき会ったモーグリが、今日はライズ率が高いって言っていたから、今日がいいなって」
 クラウドの反論も真面目な顔の光の戦士と笑顔のセシルにことごとく潰される。思わず睨みつけてもどこ吹く風で受け流され、クラウドは深くため息をついた。
「…………。わかった」
 しぶしぶとそのまま目的地に向かおうとしたクラウドに、セシルが追い討ちをかけた。
「クラウド、途中で何かあったら危ないから、ここで着替えていって」


 有無を言わせぬ様子に促されるまま着替えて幽霊屋敷にやってきたクラウドは、八つ当たりのように出てくるゴーストをなぎ倒していた。周りにはライズしたアクセサリやらドロップしたアイテムなどが散らばっているが、拾う時間も惜しいとばかりに剣を振るう。背後から声がかかったのはその時だ。
「おーい、クラウドー」
 音源に対して、クラウドは反射的にバスターソードを振り下ろした。しかし、その刃は相手に白刃取りの要領で防がれる。
「ちょ、クラウド、おれおれ!」
 刃を防いでいる腕を震わせながら、焦った様子で相手――バッツが叫んだ。その反応は今まで倒してきたゴーストにはないもので、クラウドは剣にこめている力を少し緩めた。良く見れば、なんとなくぼやけた印象のゴーストたちとは違い、輪郭がはっきりしている。
「……バッツ、本物か?」
「本物本物!」
「なお悪い」
 本心からそう返しながらも剣を戻せば、バッツはしびれたのか腕をさすりながら、相変わらず酷いなぁとぼやいた。
「なにをしに来た」
「なにって、クラウドだけ戻ってこないから迎えに来たんだよ。最初はオニオンとティナが行くって言ってたんだけど、セシルが『おれが行ったほうがいい』って言うから」
 そういうことならセシルが来ればバッツにも知られずに済んだ、と思ってすぐにその考えを否定した。セシルが迎えに来れば、探索から戻ってきた仲間に自分の居場所を告げる役目が光の戦士になる。彼の場合、自分がこの装備であることを至極真面目に皆に告げるだろう。こちらへバッツを越させたという人選は微妙なラインだが、オニオンとティナをこちらに来させなかったなら、セシルは他の仲間には黙っていてくれているものだと思う。思いたい。
「あとこれ、セシルから預かってきた。戻る前に着替えちゃえよ」
 その言葉と共に差し出された袋を受け取り慎重に中をあらためると、入っていたのは今の装備と引き換えに脱いだソルジャーの服だ。一刻も早くこの装備を外したいクラウドは、すぐに会員カード放り投げ、かつらを脱ぎ捨てる。
「あーあー、もうちょっと丁寧に扱ってやれって」
 そう注意してくるバッツを無視して、ドレスの背に手をかけてファスナーを下ろそうとした。しかし、返ってくるのは固い手ごたえばかり。二、三度やり直しても全く開く気配がない。そのまま動きを止めたクラウドに、戦利品を回収していたバッツが気づいた。
「クラウド? どうした?」 
「脱げない」
「は? ちょっと見ていいか?」
 クラウドは頷くと、ファスナーから手を外して背を向ける。背後に回ったバッツが襟をめくったらしく、小さく衣擦れした音と布がこすれる感覚を体が拾った。
「あー……、布が挟まってるから外れないんだな、これ」
「取れるか?」
「ちょっと時間かかるぞ」
「脱げないよりましだ」
「わかった。背中触って平気か?」
 バッツの問いに了承を返すと、背中とドレスの隙間にバッツの手が入り込んだ。想像以上に冷たい感触に、ふるりと体が震えた。かがんだほうがいいかと聞けば、やり始めたからこのままでいいと返ってきた。そうして話しかけたのがまずかった。
「しかし、クラウドは意外とドレス似合うんだな。体格がちょっとがっしりしてるけど色白いし」
 バッツの言にクラウドは顔をしかめた。嬉しくない。
「口を動かしてないで手を動かせ」
「黙ってるの苦手なんだよ」
 そう返したバッツの声色は、悪びれる気配が微塵もない。もしかしたら、手持ち無沙汰になる自分に配慮して話題を振ってきているのかも知れない。しかし、話題がまるでこちらを配慮していないので、おそらくただ喋りたいだけだろうと結論付ける。案の定バッツは勝手に話し続ける。
「おれはこれ着れないんだよなぁ」
「女物を装備して何が楽しい」
「え? 普通に装備するじゃないか」
 そう言い返されて言葉に詰まる。そういえば、バッツはなぜかこの世界の武器や防具のほとんどを身につけることが出来た。むしろなぜこの女装シリーズを装備できないんだと、そちらのほうが気になるくらいだ。そういえば、以前もねこみみフードを何食わぬ顔で装備していた。
「……恥ずかしくないのか?」
「なんで?」
 心底不思議そうに聞き返してきたバッツに、クラウドは頭をかかえたくなったが、背中を預けているので不用意に動けない。二の句を継げないクラウドを察してか、バッツの声が降る。
「うーん、住んでる世界が違うからかなぁ。クラウドの世界ってどんなところ?」
 飛んだ話題に無意識に記憶を掘り返して、しかしクラウドはそれらを全て飲み込んだ。口から出たのは差し障りのない返事だけだ。
「別に。面白いものなんて何もない」
「行ってみたいなぁ」
「聞いているのか。見るものなんて何もない」
「見るものないなんて言って、もったいないぞクラウド。世界ほど飽きないものはないのに」
「……飽きない?」
「あっこら動くな手元が狂う」
 意外な台詞につい振り返ろうとして、叱咤される。クラウドが体を戻したのを確認してから、バッツは言葉をつないだ。
「世界は、瞬きする間に感じられるもの全てが変わるんだ。それこそ一目見て気づくものから、目を凝らさないとわからないことまで。この世界だってそうさ。戦うだけってのはもったいないぜ、っと」
 バッツの声が途切れると同時に、今まで短く音を立てるだけだったファスナーが勢いのある音を生んだ。ようやく布が取れたらしい。
「お待たせ」
 肩を軽く叩かれ、背中から手が離れた。ファスナーが降りたことでずり落ちるドレスを、胸元で押さえながら振り返る。久しぶりに見上げた旅人の顔にあるのは、いつもと同じ笑顔だ。だから、クラウドは先ほどの話題を蒸し返すのをやめた。
「すまない、助かった」
「いいって。早く着替えちゃえよ。おれ、散らばってるアクセサリとか回収してるから」
 彼がこちらを急かすのを珍しいと思いながら、クラウドはドレスを脱ぎ始めた。そういえば元々自分の帰りが遅くなったからバッツが迎えに来たのだ。あまり遅くなりすぎると他の仲間も様子を見に来るかもしれない。そう思いながら手に取ったソルジャー服は慣れているため着るのも早い。そうしてすっかり普段の格好に戻ったクラウドが、ドレスをかかえ上げて辺りを見れば、ちょうど回収が全て終わったらしいバッツと目が合った。
「着替えた?」
「ああ。戻ろう」
「あー、ちょっと待って」
 バッツが言い終わるよりはやく獣の咆哮が響き渡り、反射的に耳をふさいだ。合わせて迸ったのは召喚石を発動させた時の光だ。敵襲かと身構えるが、それ以上はなにも起こらない。
「おい、何を……」
「クラウド、ちょっと我慢な。ブレイブ0にしたから痛くないと思うけど」
 意味を問いただすよりも先に地面から噴出した水に、クラウドは空へと打ち上げられた。


「悪かったよクラウド、機嫌直してくれって」
 ずぶ濡れになったクラウドは、謝り倒すバッツを尻目に集合地点へ戻る道のりを歩いていた。
「クラウドがあの装備嫌がってたから、香水の匂いさせたまま戻るのはよくないと思ったんだよ。フラッドで水被せれば匂い消せるかなって」
「先にそういう説明を言え。あと、その理由なら俺が着替える前にやればよかっただろう」
「だからごめんって」
 言い募るバッツを黙殺しながら、クラウドは二度とこの装備を着るものかと固く誓った。

2012-09-02
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