苦手なことを覚えていること

 轟々と風が鳴く空中要塞の上に、バッツとクラウドはいた。
 クリスタルを手に入れ聖域へと戻る道中、できるだけひずみを開放しておこうという意見に、それなら組んだことのない組み合わせでという意見が合わさって、バッツと二人でひずみの開放にきたわけだが、少なくとも今回は配役が悪いとクラウドは考えていた。
「うっひゃー、相変わらず高いなー!」
 そう言って船の縁から外をのぞき込んだバッツが、そのままの姿で硬直する。高所恐怖症が発症したらしい。
「高いところが苦手なくせに、下をのぞき込むな」
「好奇心でつい」
 明るく言葉を返してくるが動かないバッツにため息を一つ落として、クラウドは彼の腕を引いて縁から引き離す。普段より力のいる動作に、体にかかる圧力がいつもと違うことを意識してしまう。なるべく意識から遠ざけようと思いながら、バッツを要塞の中央まで引きずっていく。まだイミテーションの姿は見えない。
「つい、の一言で苦労させられるのはこっちだ」
「ごめんごめん。もう平気だから放せって」
 言われたとおりに腕を開放してやると、かけ声とともにバッツが立ち上がった。そのまま周りを見回していた彼が、こちらの顔をみて動きを止めた。できる限り表情に出さないように気をつけていたはずが、変化に聡いこの男は気づいたらしい。
「クラウド、無理するなよ?」
「いきなりなんだ」
「なんか顔色悪いからさぁ。腹でも痛い?」
「腹は痛くはない。……だが、少し気分が悪い」
 正直にそうこぼせば、素直に不調を訴えてくると思わなかったらしいバッツの顔色が変わる。
「平気か? とりあえず体調が戻るまで待機してるか? おれができる限り叩きのめせばいいだけだし」
「いや。動いている方が気が紛れる。お前と同じだ」
「え?」
 疑問符を浮かべたバッツに、自分の弱点をさらすことを少し躊躇したが、ここまで告げたならすべて話したも同然だろうと腹をくくる。それでも、口から出たのは吐息のように小さな声だった。
「乗り物酔いする質なんだ」
「へぇ……そりゃつらいや」
 きちんと聞き取ってそう返したバッツは、すでにこちらをみていない。クラウドも視線を動かせば、二人を取り囲むように、色とりどりの光が収束していく様子が映った。イミテーションが出現するときの現象だ。
「じゃ、とっとと蹴散らしてこのひずみをぬけようぜ」
「そうだな」
 その台詞を残して、二人は姿を現したイミテーションの群に飛び込んだ。


「クラウド、生きてるかー?」
「……ああ」
「まったく、大盤振る舞いでやんなっちまったよなぁ」
「それだけ、向こうも暇なんだろう」
 開放したひずみのそばで、色のない大地にそろって倒れたまま二人は会話を交わしていた。次から次へと襲いかかってきたイミテーションの軍団に、すべてを叩きのめした後で気力もつきたが、少なくとも気は紛れた。そして、それはバッツも同じだったらしい。
「なぁ、ちょっと休憩してから戻ろうぜ」
 その提案に肯けば、彼が身を起こして懐を探り、水筒を取り出した。
「ほい、水。吐きたきゃ、吐いてから飲んだ方がいいと思うけど。……背中さすってやろうか?」
「いや、平気だ」
 すでに要塞から脱出しているからか、気分自体はすでに回復していた。ただ、のどが渇いていたので、起き上がり礼を言って水を受け取る。数口飲んで返せば、バッツがその水筒を持ち上げ頭から水をかぶった。しぶきがかかって顔をしかめるクラウドを気にせず、バッツが話しかけてきた。
「しかし、乗り物酔いなんて面倒だな。クラウドの世界はなんかいろいろ乗り物があるみたいだしさ」
「自分で運転できればそうでもないんだが、ここではそう言うわけにも行かないからな」
「そうだなぁ。ひずみに入ってみなきゃどこに飛ばされるかわからないし、高いから行きたくないって言えないしなぁ……。あ」
 そこで言葉を切ったバッツにどうしたんだと水を向ければ、今ちょっと考えたんだけど、と前置きしてから言った。
「この世界に召喚されたときにいろいろ忘れてたんだから、高いところが苦手なことも忘れていたらよかったなぁ、なんて思った」
「やめておけ」
 思わず強い否定の言葉が出たクラウドにバッツが驚いた顔を向けた。その顔をまっすぐと見返して、言葉を続ける。
「忘れている、と言うことにろくなことはない。思い出したことで今が苦しくても、思い出さないよりはまだましだ」
 クラウドが言い切った忠告ともとれる言葉を、驚いた顔のまま固まって聞いていたバッツが、瞬きを繰り返した後、目を伏せた。
「……そっか」
 そう小さくつぶやいた後、バッツはクラウドに背を向けた状態で勢いよく立ち上がり、そっかそっかとくり返しながら、体をほぐす動作を始めた。
「バッツ?」
 バッツの反応に戸惑いながら声をかけると、彼はいつものように振り返った。その顔は笑っていたが、どこかいつもと違う印象があった。その姿にためらったクラウドが言葉を継ぐのを遮るように、バッツが口を開いた。
「クラウド、そろそろ戻ろうぜ。あんまり遅くなるとウォーリアに怒られちまうからさ」
 言いおいて彼はクラウドの意見も聞かずに、背を向けて歩き出した。クラウドもあわてて立ち上がり、彼の後を追う。
 振り返らない彼の背中をみているうちに、クラウドは思い至る。この世界に召喚された者は元の世界の記憶をあまり持たない者が多い。コスモスに属する者で元の世界のことを多く思い出しているのは自分とジタンくらいで、バッツはほとんど元の世界のことを覚えていなかったはずだ。その彼は、自分の言葉をどう受け取ったのだろうと思ったが、今それを聞く気にはなれなかった。

 彼はいつか思い出すのだろうか。自分のように、苦しいこともすべて。それとも、思い出さないままこの戦いは終わるのだろうか。
 もし彼が思い出すのなら、そのときにもう一度話をしたいと思った。

2012-07-05
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