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市民の科学 第12号 2022年6月
特集 柄谷理論から市民運動へ―フェティシズムを超える― |
特集にあたって 柄谷理論から市民運動へ――フェティシズムを超える―― |
特集編集部 |
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「霊」にとり憑かれた商品たち――物神性と物象化の相補関係―― |
香椎五郎 |
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アソシエーショニズム運動――国家を超える社会主義―― |
中村共一 |
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市民運動と交換様式論 |
宮崎 昭 |
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「柄谷行人」をTさんと考える |
篠原三郎 |
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《対論》科学フェティシズムと市民運動
―原発問題から「市民の科学」へ― |
青水司+重本直利 |
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対論1 A;科学技術の転倒性と放射線被ばく(青水) |
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B;「目的―手段」の関係性からアソシエーションの関係性へ(重本 |
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対論2 A;「科学の自己目的化」から人間の価値を含んだ科学へ(重本) |
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B;「科学の自己目的化」の現実的問題(青水) |
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対論3 A;「市民の科学」と「市民運動」(青水) |
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B;フェティシズムと市民運動(重本) |
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<コラム>市民運動のもうひとつの視点
――「日本」にも市民革命があった―― |
重本冬水 |
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〔論説〕帝国主義と宗教改革――問題史的検討―― |
竹内眞澄 |
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市民の科学 第11号 2021年1月 特集 柄谷行人のまなざし |
特集にあたって 特集の「言い分 |
宮崎 昭 |
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《鼎談》“柄谷理論に学び、そして問う”
――中村共一・重本直利・宮崎昭―― |
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〈コラム〉オーウェルから「人新世」へ――「麒麟」はくるのか―― |
宮崎 昭 |
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「柄谷行人」をTさんと読む |
篠原三郎 |
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個体性と単独性 ――交換様式論とのかかわりで―― |
竹内真澄 |
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世界共和国は実現可能なのか――新書から学ぶ柄谷行人― |
三宅正伸 |
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〈コラム〉協同組合国家の構想 |
重本直利 |
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〔市民時評〕吉村大阪府知事と新型コロナ危機 ――評価の裏にあるもの―― |
青水 司 |
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〈コラム〉政治家の覚悟は人間の倫理により裁かれる |
中村共一 |
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〈エッセー〉百花繚乱――一九六〇年前後の映画を観る―― |
照井日出喜 |
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〈論説〉方言格差をつくる方言研究 ――「西高東低」をめぐって―― |
熊谷滋子 |
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〈論説〉新自由主義の国家 |
竹内眞澄 |
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市民の科学 第10号 2018年6月 特集 特集 京都のアートーシーン |
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特集にあたって 京都のアートーシーン |
照井日出喜 |
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〔インタヴュー〕
二口大学(俳優)、 飯坂美鶴妃(俳優)、横地由起子(京都シネマ支配人)
イリーナーメジューエワ(ピアニスト) |
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〈コラム〉「ひとり」を生きる |
中川在代 |
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(シリーズ・原発ノー!論) 原発は非人間的ではないのか? |
青水 司 |
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(市民時評)インターネッ卜音痴がよむ『メディア不信』-Tさんヘ |
篠原三郎 |
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濁音でコスプレされた東北方言らしさ |
熊谷滋子 |
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ドイツを覆う排外主義 |
照井日出喜 |
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「人口減少社会」における社会福祉の地域経営 |
三宅正伸 |
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ネイシーンの再構築 ―「自由・平等・友愛」の実体化を考える― |
中村共一 |
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〈コラム〉K・マルクス生誕200年に想う |
重本直利 |
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(特別寄稿)ヒロシマからフクシマヘ、そしてそれから |
月下美紀 |
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(研究ノート)江戸~昭和戦前の商業労働者 |
山西万三 |
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市民の科学 第9号 2016年9月
特集 大学人の危機 市民から負託された「学問の自由」と「大学の自治」 |
巻頭言 大学人の病理 -創作座談会 大学はいま- |
細川 孝 |
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特集にあたって 大学人の危機
-上原専祿の「自由な学問」とユネスコ「無形文化遺産」にふれつつ- |
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なぜこんなに簡単に大学自治は崩れてしまっているのか |
宮町優子 |
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四つの機能不全――「全権委任」と大学総動員体制 |
重本直利 |
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今日の科学知の変容について |
竹内貞雄 |
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〔市民時評〕通説「二重性論」をめぐって -「批判経営学」批 |
篠原三郎 |
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〔シリーズ・原発ノー!論〕 被ばく労働と原発 |
青水 司 |
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〔論説〕「あたしは、何よりもまず人間よ」と翻訳されるノーラ
-「女ことば」で新たなヒロイン像を提示できるか- |
熊谷滋子 |
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近代的市民劇場の展開 -ドイツ語圏の劇場システムの現在- |
照井日出喜 |
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〔研究ノート〕共生社会の人間像 -三木清の「交渉的存在」としての人間理解より- |
竹内貞雄 |
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〔 書評〕岩佐茂・佐々木隆治(編著)『マルクスとエコロジー -資本主義批判
としての物質代謝綸-』(堀之内出版、2016年)のすすめ |
篠原三郎 |
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(短歌)王者のごとく ‥‥ 篠原三郎 / 国なき旗の国境 ‥‥ 眞島正臣 |
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市民の科学 第8号 2015年8月
責任倫理から共生倫理ヘ -ヴェーバー生誕150周年- |
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巻頭言「母が重い」を考える ―年間の介護経験から- |
中川在代 |
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特集にあたって 責任倫理から共生倫理へ ヴェーバーのペシミズムを超える- |
重本直利 |
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「官僚制の時代」と共生倫理 -「資本主義の精神」論のアポリアをいかに超えるか- |
中村共一 |
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現代は「エートス」を生成するか -「人間関係」価値の再発見- |
竹内貞雄 |
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モムゼン再考 -「の問題提起」として- |
重本直利 |
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コラム “大学教授”ウェーバー”と“ホームレス”マルクス-Tさんヘ- |
篠原三郎 |
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短歌 地球の未来へ‥‥眞島正臣 / 大学のハムレット‥‥ 篠原三郎 |
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特集にあたって コーポレート・ガバナンス -市民と地域に向けて- |
竹内貞雄 |
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現代の「鉄の檻」としてのアメリカ大企業 一株主価値志向コーポレート・ガバナンス批判 |
國島弘行 |
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京都中小企業の経営理念 -科学性と市民性- |
山西万三 |
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連続テレビ小説『梅ちゃん先生』にみる東北観 |
熊谷滋子 |
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東北弁と「知性」-外交官、国会議員、そして英語- |
熊谷滋子 |
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〔市民時評〕 高浜原発運転差し止め決定の意義 -大飯原発再稼働差し止め判決を超えて、新たに切迫する危機の回避ヘ- |
竹内貞雄 |
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市民の科学 第7号 2014年7月 特集 共に生きる思想 |
特集:「共に生きる思想」にあたって |
重本直利 |
1 |
他者と自分に気づく授業 -「他者と共に生きること」を学ぶために一 |
山寄雅子 |
3 |
農山漁村の活性化における共生の思想一人間の「受苦性」視点から新たな共同社会を考える一 |
小川繁幸 |
18 |
日本理化学工業(株)と中村プレイス(株)の共に生きる思想 |
山西万三 |
35 |
企業の共生思想 -A社の人事労務管理の事例から一 |
三宅正伸 |
47 |
日本における共生の歴史性と共生経営の意義 |
竹内貞雄 |
62 |
〔短歌〕 読書を詠む |
篠原三郎 |
78 |
〔特集〕原発ノー!論 福島はどうなっているのか -「原子力マフィア」と新「安全神話」 |
青水 司 |
79 |
やっぱり、東北弁は田舎の代名詞 -NHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』と『あまちゃん』の比較検討- |
熊谷滋子 |
95 |
〔市民時評〕 近代の終焉 一内山節『新・幸福論-「近現代」の次に来るものー』によせて一 |
篠原三郎 |
119 |
被曝労働者と差別、いのちの問題 |
青水 司 |
120 |
メディアと首相のお熱い関係 -「笑っていいとも!」出演をめぐる新聞報道- |
熊谷滋子 |
123 |
〔書評〕 竹内償澄著『諭吉の愉快と漱石の憂節』花伝社、2013年)を読み解 |
大関雅弘 |
130 |
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市民の科学 第6号 2013年7月 特集 プレモダンにおける日本のマネジメント |
◇特集 日本の市民マネジメント力をプレモダンに探る |
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特集を組むにあたってト |
重本直利 |
1 |
山城国一揆、その大衆化を狙うということ |
東 義久 |
4 |
近江商人のマネジメント |
眞島正臣 |
22 |
大原幽学のマネジメント -人間の本性(類的本質)としての「協同組合」- |
重本直利 |
34 |
二宮尊徳のマネジメント |
山西万三 |
44 |
日本における技術マネジメントの始まり -三枝博音「日本の知性と技術」解題- |
竹内貞雄 |
58 |
原発ノー!論 原発と科学・技術、倫理 |
青水 司 |
67 |
時評 近代科学の「賞味期限」 |
中村共一 |
84 |
論説 現代の方言は「かっこいい」ものか? -東北方言からの問い- |
熊谷滋子 |
87 |
書評 音楽は社会を変える -『ドラッカーとオーケストラの組織論』(山岸淳子、PHP 新書、2013年)をめぐって- |
篠原三郎 |
99 |
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市民の科学 第5号 2012年7月 特集 市民のマネジメント |
特集 市民のマネジメントーフォレット、バーナード、そしてドラッカーへ一 共同執筆/垂本直利・山西万三・藤原隆信・三宅正伸 |
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特集「市民のマネジメント」にあたって |
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1 |
第1章 何故、今、市民のマネジメントか |
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3 |
第2章 フォレットに学び創造するマネジメントを |
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14 |
第3章 共に生きるマネジメント |
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29 |
第4章 バーナード理論と市民のマネジメント-統合のマネジメントから共生のマネジメントへ- |
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42 |
第5章 市民のマネジメントとしてのドラッカー |
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53 |
第6章「もしドラ」と市民のマネジメント -市民の市民による市民のためのマネジメントとは- |
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63 |
第7章 市民的つながりと「もしドラ」 |
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83 |
◇特集 原発ノー!と市民の倫理 |
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「犠牲のシステム」と現代の倫理 -高橋哲哉著『犠牲のシステム福島・沖縄』のすすめ- |
篠原三郎 |
95 |
新問報道の通信簿(第2学期 -3・11から1年後の「脱原発集会」に関する新聞報道をチェックする- |
熊谷滋子 |
101 |
福島原発震災への道 -原子力発電技術の問題性- |
背水 司 |
115 |
現代技術を見る眼 -「管理技術欠落」原発問題- |
竹内真澄 |
133 |
原発問題の思想史的文脈〔Ⅱ〕 ―丸山眞男の原爆論、高木仁三郎の自然認識論- |
竹内真澄 |
146 |
公害論を超えて -生産力問題としての現代資本主義 |
中村共一 |
172 |
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市民の科学 第4号 2012年1月 特集 原発はいらない -共生社会の市民科学- |
〔巻頭言〕特集「原発はいらない -共生社会の市民科学-」にあたって |
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〔短歌〕原発、レクイエム |
篠原三郎 |
3 |
◆「原子力ムラ」を怒る |
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消えない原発の危険性 -若狭原発群から- |
山本雅彦 |
5 |
「社会的精神」について -3.11以前と以降- |
堀之内洋一 |
39 |
原発と集団就職列車 -原発が過疎地に立てられる構造- |
杉原 洋 |
49 |
新聞報道と通信簿 -「脱原発集会」「原子力学会」に関する新聞報道をチェックする- |
熊谷滋子 |
58 |
〔コラム〕電気が来ることを前提としない生活 -ベトナムでの経験から- |
吉井美知子 |
73 |
◆原発の悪構造 |
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安全性論・想定外論の矛盾と不能 -原子力発電の「技術-労働」原理的問題をとらえる- |
竹内貞雄 |
75 |
原発問題、企業、そして「市民の科学」へ ー高木仁三郎が投げかけた「3つのあり方」の検討を通して- |
重本直利 |
111 |
◆脱原発社会をつかむ |
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原発リスクと現代資本主義 -生産力神話を超えてー |
中村共一 |
126 |
原発問題の思想史的文脈〔1〕-アインシュタインと湯川秀樹の世界政府論 |
竹内真澄 |
151 |
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市民の科学第3号 2011年7月 特集 つながりを創る 共生的自立・自律への探究 |
◇特集:市民の自立とまちづくり |
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障害者の発達と就労を考える -「つながりを求めて、無我夢中41年の軌跡」一 |
江嵜美子・山西万三 |
1 |
共同作業所運営の課題 |
三宅正伸 |
9 |
洛西ニュータウン「まちづくり・ひとづくり」 市民活動視察 |
藤原隆信 |
12 |
戦前・戦後の学習文化運動と京都 |
山嵜雅子 |
24 |
シェアハウスにどんな可能性があるのか? |
久保田裕之・宮町優子 |
46 |
◇論説 受難曲『東北方言』 一井上ひさしに捧ぐ- |
熊谷滋子 |
68 |
◇研究ノート 消費者運動と市民科学 |
山西万三 |
80 |
◇市民時評 ライオンも目を覚ますT.イーグルトン!-『文学とは何か一現代批評理論への招待-』(大橋洋一訳、岩波書店、1985年)へのすすめ一 |
篠原三郎 |
85 |
株式会社をどう語るか 一中小企業憲章、京都産業学のことなど一 |
細川 孝 |
92 |
京都自由大学と私 |
中川在代 |
102 |
◇往復書簡 現代人の「自律性」と物象化視角をめぐって |
中村共一・ 竹内貞雄 |
103 |
◇特別企画:企業の過去責任 企業の過去責任、戦後補償責任を問う-CSRへの問い一 |
垂本直利 |
121 |
戦後補償立法運動(対韓国人被害者)のための覚書 |
矢野秀喜 |
124 |
資料編 資料1「朝鮮人強制労働被害者補償法」(仮称)実現について(要請)(2010年5月) |
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139 |
資料2 朝鮮人強制労働被害者補償のための財団設立に関する法律(案) |
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142 |
◇講演記録 西山太古氏講演「沖縄密約と現代日本 |
西山大吉 |
148 |
西山講演に参加して |
竹内真澄 |
171 |
◇書評 竹内貞雄『情報と自律性の管理一IT化する 現代管理の物象化論-』晃洋書房 |
吉田健彦・ 尾問周二 |
173 |
高木秀男『学問の自由と科学者の権利一福井工大不当解雇事件と私大における権利闘争-』 (科学堂2007年)を心に刻む |
細川 孝 |
178 |
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市民の科学 第2号 2010年6月 特集 大学の病理-大学破壊とその受容、そして再生- |
◇特別寄稿 あたらしい学校<楽塾>の冒険 |
佐々木敏明 |
1 |
◇特集 大学の病理一大学破壊とその受容、そして再生 |
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学者社会の病理としての懲戒解雇事件 -判決確定その後 |
馬頭忠治 |
20 |
大学破壊の構図と大学人の抵抗 -吉岡直人『さらば、公立大学法人横浜市立大学――「改革」という名の大学破壊』 (下田出版、2009年)を読んで- |
重本直利 |
42 |
[時評]大学教師の原罪 Tさんへの手紙 |
篠原三郎 |
56 |
「作品」としての自由大学 |
竹内真澄 |
60 |
[時評]この春大学を卒業するM君への手紙―あらためて「無償教育の漸進的導入」について― |
細川 孝 |
78 |
マクドナルド化する大学、画一化の危機 ―PDCAサイクル、稼動する「歯車装置」― |
重本直利 |
83 |
◇論説 <自立した個人>の概念について |
竹内真澄 |
98 |
ポストモダン生権力論批判 |
竹内貞雄 |
121 |
◇研究ノート 市民の視点から見た小規模企業の存在意義 |
杉村樹可 |
154 |
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市民の科学 第1号 2009年5月 特集 市民による科学へ |
◇よびかけ-市民科学研究所設立趣意書- |
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◇私にとっての市民科学 |
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1 |
『苦海浄土』の「魂」に学ぶ |
篠原三郎 |
3 |
ポスト戦後民主主義と市民社会 |
眞島正臣 |
6 |
市民の視点から見た地域小規模企業 |
杉村樹可 |
8 |
市民の市民による市民のための科学 |
三宅正伸 |
11 |
私にとっての市民科学 |
岡崎昭彦 |
14 |
大企業の社会的責任と市民の科学 |
青水 司 |
20 |
私にとっての市民科学、歴史問題としての近代批判 |
馬頭忠治 |
23 |
◇特集Ⅰ『市民の科学』は何を目指すか |
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市民科学試案 -市民共同体論の提示- |
中村共一 |
28 |
私にとっての市民科学 一高木仁三郎に学ぶ- |
重本直利 |
46 |
「市民科学」の現代的位置づけ -「市民」のあり方をめぐって- |
藤田 悟 |
59 |
市民概念を超えて |
竹内真澄 |
83 |
[時評]大学の内側から市民社会を展望する |
細川 孝 |
93 |
◇特集Ⅱ 監視社会から市民社会へ |
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グローバル化する企業活動と市民による監視 |
藤原隆信 |
105 |
企業の監視行動の実態と法的問題-監視(盗撮・盗聴)の告発と基本的人権の確保のために- |
稲木隆憲 |
119 |
現代企業の監視“悪”構造 一偽装的ポストモダンの監視を解剖する |
竹内貞雄 |
146 |
[資料]「監視社会論」関係文献解題及びその他 一監視問題はどのように取り上げられているか |
竹内貞雄 |
167 |
◇批評ノート 人工身体と、身体の外を埋め尽くし内へ向かう監視 |
森井久美子 |
172 |
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