松 本 孝 博
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は、見つけ、門をたたく者には開かれる。 (マタイ7:7)
私は、この聖句を読むとき、初めて神さまに祈り求めた日のことを鮮明に思い出すのです。当時台湾で経営していた会社が倒産し、財産の全てを失いました。その上、債権者との裁判のために帰国の見通しがたたず、絶望のどん底にありました。もうこれまでと思い、部屋のベランダに立って飛び降りようとしたのです。
その時です、一つの言葉がわたしの脳裏をよぎったのです。その言葉は「お前の命はお前のものではない」という言葉です。なぜ、この時、この言葉がよぎったのかわかりません。何か頭を棒で殴られたようなショクを受けて、その場にへたへたと座り込みました。そして、「神様、助けて下さい」と激しく泣きながら祈り求めました。今まで、神様のことなど全く考えたことのない私が、神様に祈り求めたのです。今は、神様が働きかけて下さったと信じています。
神様は私のこの祈りを聞き届けてくださいました。数日後に台湾の友人によって、日語キリスト集会に導かれたのです。夏の蒸し暑い夜でした。探し求めて行った集会で、呉得栄牧師と出会ったのです。呉牧師の聖書の話はマタイ伝18章の「迷い出た羊」でした。私は、自分のことを話されていると思いました。わたしが「迷い出た1匹の羊」だと思ったのです。ずっと前からここに来ることが決まっていた。やっとここにたどり着いたという思いでした。
皆さんが私のために祈って下さいました。初めて会う私、しかも社会的に敗北した者のために、皆さんが熱心に祈ってくださったのです。私には別世界でした。その祈りを聞きながら、胸が熱くなり涙が溢れ出ました。心は喜びで満たされました。問題は何一つ解決していないのに、何時の間にか心は軽くなって平安の内にありました。この日から、私は、キリスト者として歩み始めました。
やがて呉牧師によって洗礼を受け、さまざまの問題も解決して、一カ月後に帰国できました。帰国後高橋先生と高橋集会にと導かれました。「求めなさい、そうすれば与えられる」この聖句のように、わたしの祈りは聞かれ、わたしの人生は大きく方向転換したのです。
(筆者・経営コンサルタント)