(韓国民衆言論 プレシアン 2015年8月22日付)
http://www.pressian.com/news/article.html?no=129133
安倍の‘謝罪’は6つの要点が欠落している (その1)
この論文は、米国のインターネット言論<laprogressive>に載った米国の平和活動家による、<安倍談話>批判である。
原題は、「The Art of the Non-Apology by Shinzo Abe。How To Express Remorse
Without Apologizing(安倍晋三による非謝罪の術、謝罪ぬきで‘反省’をする方法)である。韓国民衆言論<プレシアン>が韓国・朝鮮語に翻訳したものを、当研究会が日本語に再訳した。
原文は以下のサイトにある。( https://www.laprogressive.com/shinzo-abe-apology/ )
● 歴史修正主義、欺瞞、不正、そして相変わらずの軍国主義を背景とする安倍談話
この話(安倍談話)は一言で、安倍の‘謝罪でない謝罪’のジレンマを見せてくれる。安倍は、日本の第2次世界大戦に至る間、そして第2次世界大戦期間に犯した蛮行に対し、何度か‘謝罪’した事になっている。彼はいろんな機会に、幾つかの遣り方でいろんな聴衆を相手に‘深い遺憾’を表した。
しかし、どんな謝罪も、批判者達を満足させることが出来なかった。彼の最近の声明(安倍談話)、第2次世界大戦の敗戦70周年を迎えて発表した‘謝罪声明’は、以前から国際社会の注目を受けてきたものであり、精密に検討された。
結論は、常套的言辞と、儀礼的な謝罪で溢れたその声明は、歴史修正主義、欺瞞、不正、そして相変わらずの軍国主義などに見られる実際の行動に照らしてみた時、期待に遥かに及ばぬものであった。
韓国と中国、そしてその他のアジア諸国は、(安倍が真の謝罪をするまで、その演説の)‘アンコール’を求めた。安倍が満足に謝罪するまで、どうしてそうなのか。謝罪とは極めて簡単な事なのに。甚だしくに至っては、幼い子供でも、どう謝罪しなければならないか。謝罪には、最小限、次の様な(六つの)諸要素が含まれなければならない。
@ 認定: どんなことが起こり、その影響がどうなのかに対する明白な認定がなければならない。
A 責任: 自らが犯した行動、これに依る被害に対する責任を取らなければならない。
B 遺憾: 悔い改めと、懺悔の意思を示さなければならない。
C 賠償: 被害に対する賠償と補償がなければならない。
D 再発防止の約束:全く同じ行動を、犯さないと云う約束をしなければならない。
特に日本に関しては、次の要素が重要だ。
E 批准: 河野談話をはじめとして、以前の日本の全ての謝罪は、日本政府の公式の立場としては認められなかった。真情な公式謝罪をしようとすれば、日本の議会、或いは内閣の批准を受けなければならない。
安倍の今回の謝罪は、ほとんどあらゆる面で、上の基準を充足させることは出来ない。一つ一つ良く調べてみると、この点が明らかに露出している。
● 安倍は、引き起こした戦争犯罪の数々の事実を認めず、歴史から消そうと画策している
安倍は次のような諸事実を認めなかった。植民地支配と、それに依る搾取。侵略戦争と平和に反する犯罪、戦争犯罪、人間性に反する犯罪、大規模奴隷化、大規模強姦、虐殺、拷問、生体実験、生物(細菌)戦と化学戦、そして現代史でその類例を探すことが出来ない日本軍の組織的性奴隷化等々。(訳注―当サイト『中国侵略日本人戦犯供述書選』を参照)
安倍は、この様な諸事実を直視したり認めることを拒否するだけでなく、積極的にこれを否定し、歴史から消してしまおうとした。安倍と彼の一党は、歴史教科書修正の為の扇動を勝手気ままにした。安倍は、日本の軍事侵略を否定することに先頭に立った。従軍慰安婦に依る性奴隷化を否認し、被害女性達を‘娼婦’と罵倒した。南京虐殺を否定した。米国の教科書出版社らを対象に従軍慰安婦関連叙述を削除するように、ロビー活動を繰り広げた。安倍一党は、全ての部門で過去の歴史を消し、修正し、無きものにしてしまおうとした。
安倍政府の閣僚達と関連団体らは、米国の地方政府に対し、慰安婦関連既存記念物を撤去したり、新しく設置出来ないように脅迫、恐喝、懐柔した。安倍政府は、以前の政府の謝罪を、貶(けな)し、おとしめた。安倍は、女性に対する暴力に関する国連特別調査委員会に特使を送り、慰安婦問題に関する報告書を撤回するように圧力を加えた(たとえ失敗したとしても)。彼は、慰安婦問題に関する米議会決議案に異議を唱えた。安倍は、日本の戦争犯罪の希釈の為に、“国際世論に対し、組織的キャンペーンを強化せよ”と云う指示を内閣に下した。彼はまた、歴史を修正し、憲法を取り換え、過去の大日本帝国の栄光を生き返えらせようとした、極右団体の特別顧問を引き受けている。これ以外にも、指摘しなければならない間違いは、幾らでもある。
▲去る8月15日、太平洋戦争A級戦犯らが合祀されている靖国神社を訪問した<一緒に靖国神社を参拝する国会議員の会>所属議員(写真・AP=ヨンハップニュース)
●引き起こした事実に対する責任は取ったのか
安倍の‘謝罪でない謝罪’は、何時も、受動体の文章を、用意周到に使用する。“人命を失った”、“人々が犠牲になった”、“多くの女性達の尊厳と名誉が深刻に傷ついた”、“数多い無辜の民間人達が、戦争で苦痛を受け、犠牲となった。”(安倍談話)
この(安倍談話)のあらゆる文章には、(それらの犠牲や苦痛を引き起こした主体が日本国家であり、日本帝国主義者である事を示す)主語がない。この全ての悪を犯した主体、或いは行為者としての日本軍、日本政府、もしくは日本帝国を直接指摘した場合が殆どない。この様な‘流体離脱話法’の最も代表的な事例が慰安婦に関する彼の次の様な発言だ。
“人身売買の犠牲者として、慰安婦女性達が経験した計り知れない苦痛を考えながら、私は胸に深く痛みを感じています”(安倍談話)
この発言は、前に述べた安倍の発言、また行動と一致する。安倍は一貫して、日本軍が女性達を慰安婦として強制動員したり、直接管理した事を否定したし、彼女達は、自発的な売春婦だと主張したのだ。それ程露骨なウソを公然とするのは駄目だと言う国際的批判にぶつかるや、彼は受動態の文章を武器にして嘘を続けている。
時折日本が、行為主体として言及される。しかしこの時も、‘謝罪’、‘反省’、‘責任’、等の単語が入った文章は、あちこちに散らばり、人々を目まぐるしく惑わす。
“日本は、間違った道を選択し、戦争に進むことになりました。終戦70周年を迎え、私は日本の国内外で散った数多い英霊達の前に、深く頭を垂れます。”(安倍談話)
息継ぐ間もなく場面が変わり、ストーリーが飛躍しながら,観衆の想像力―或いは憤怒―を試験するヌベルバーグの政治学だ。時として、日本の侵略が、当時の歴史的状況に対する正当な対応だと云う方式で、日本の責任を避けたり、希釈(薄めること)させようとする。
即ち、日本は他の強大国によって, 行き詰まった袋小路に追い込まれたのであり、“外交的、経済的膠着状態を、力の行使を通して克服しようとした”(安倍談話)と云うのだ。
これは、日本は、侵略戦争の挑発者ではなく、日本の生存、或いは自衛(自存自衛)の為に、日本に対し抑圧的な現状維持を、“打破”しようとする不可避的な力の行使だったと言う、現自民党政権の(歴史)修正主義的立場(歴史を改竄する立場)を連想させる。
● 懺悔、或いは遺憾の表現、一体何に“深い悲しみ”“真情な哀悼”を捧げるのか
この部分で、安倍は抜群の実力を発揮する。安倍は、計算された用意周到さによって、“深い悲しみ”、“哀悼”を表しながら以下の様に云う。“今も、私は、語る言葉を失ったまま、語る事が出来ない悲しみで胸が張り裂けそうに感じます”(安倍談話)
弱弱しいバイオリンの旋律が、奏でられた(下敷きとなった)中で、ハンカチをぎゅっと握りしめ、唇は微かに震え、首が詰まる様子を感じることが出来る。
しかし、実に惜しいことに、安倍は、加害事実を認める事と責任を拒否したので、彼が果たして何に哀悼し、悲しむのかが、不明なのだ。
安倍が“深い悲しみ”、“永遠であって、真情な哀悼”(安倍談話)を語る時、彼が‘真情に哀悼する’のが、日本帝国主義軍隊によって大規模に虐殺され、強姦され、奴隷として転落した民間人被害者達なのか?そうでなければ(彼によれば、西欧列強によって仕方なく戦争に突入しなければならなかった)侵略日本軍が、経験した不運なのかは不明である。
彼の’‘悲しみ’は、具体的な現実と繋がっていない。彼の‘悲しみ’は、ただ、全ての人間は孤独で、痛みを受けているだけだと言う点で、みんな全く同じ悲しい存在に過ぎないと言う式の、曖昧な感情だ。
彼が、“慰安婦女性達を考えながら、深い痛み感じる”(安倍談話)と云った時、慰安婦女性達の苦難が痛みだと言う事なのか、それとも、自分がその考えを持たなければならない事が痛みと言うことなのか、を知ることが出来ない。
彼が“私達は、戦線後方で、尊厳と名誉が深刻に傷つけられた女性達がいた事を、決して忘れてはならない”(安倍談話)(或いは、“戦争はいつも、女性達に、最も大きな苦痛を与える”)と言った時、彼が指して言う事が、慰安婦女性達の苦痛なのか?それとも、日本軍未亡人の苦痛なのか?それでもなければ、普遍的に女性達が経験する苦痛なのかが、不明である。(続)
(訳―柴野貞夫 2015年9月1日)
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