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(オンラインジャーナル 「サウジの新しい王様は、大のアルカイダ支持者だった」 2015125日)

http://www.strategic-culture.org/news/2015/01/25/
new-saudi-king-was-major-supporter-of-al-qaeda.html



          サウジの新しい王様は、大のアルカイダ支持者だった


サウデイアラビアの新しい王である、サウデイ家のサルマン・アブドラズイズ(Salman bin Abdulaziz al Saudは、アブドラ王の異母(父)兄弟であるが、彼は肺炎と、込み入った状況の中で90代前半の歳でなくなった。彼は宗教的性向による‘ワッハーブ・Wahhabist志向(訳注―イスラム法学派の中で、厳格なことで知られる復古主義的なイスラム改革運動)の者を統治すること、またアブドラ(前王)によって始められた、限定的で注意深い政治的改革に専心することが期待されている。(新王)サルマンはまた、彼の力を傾注し、サウデイ国家の安全保障を強化する事を期待されている。サルマンの、サウデイ国家の安全保障に対する献身は偽善的なもので、せいぜい彼のアルカイダへの過去の支援によるぐらいのものである。アメリカへの911に関り合いのある数人の人物を提供したと言う貢献を含めてであるが。
2002年の報告書から、失われた28頁分(訳注―911攻撃での、サウジ王国の連座の証拠を示す被告の宣誓供述書の内28頁は、米ブッシュ政権によって隠蔽され破棄処分となっていたが、過日明らかになった。)を機密種別からはずす事を、オバマ政権が拒否するであろうと言う事は、サルマンが911への資金を融通する事による。その報告書とは、2002年の上院情報委員会からの報告書で911攻撃にまつわる報道のミスについて報告したものである。リャドの当時の支配者としてのサルマンの名前は、恐らく上院のレポートの改訂された28ページの中に於いて“凄い奴big fish”として表現されている者だろう。
(この項、当サイト 世界を見る−世界の新聞/サウディアラビアが連座した9.11 そして米帝国主義の“テロとの戦い”の欺瞞(ICFI−第4インターナショナル 2015年2月6日付)を参照

           
▲ 写真上 アブドラ国王の死後、新国王に就いたサルマン王(サルマン・ビン・アブドラズイズ・アルサウド−Salman bin Abdulaziz al Saud)を訪問したオバマ。米国は、サウジアラビアの親密な友人である。

表面上では、サルマンは石油政策と国家の安全保障の業務においては、前任者とはそれ程異なった統治はしないだろう。サルマンは、国防大臣でもあり、王立裁判所の長でもある彼の息子のモハメッド・ビン・サルマンによって援助されるだろう。モハメッドは、サルマンがリャドの地方長官を務めていた頃、彼の父への主たる忠告者だった。モハメッド王子は、アブドラの死によって彼の父が王位に就いた時、国防相になった。
サルマンへのもう一人の主たる忠告者は、モハメット・ビン・ナイエフだろう。彼は、2012年から内務相で現在の皇太子代理で、しかも第2首相代理でもある。ナイエフは、サルマン王の私生児で王位継承の順位では、サウド家の皇太子ムクリン・ビン・アブドウラズイズ(Muqrin bin Abdulaziz al Saud.に次いで2番目である。
ムクリンは、2005年から2012年にかけてのサウデイの諜報機関,Saudi Mukhabarat al-A’amahの長であった。2006年、イギリスに於いて、サウジ民主主義の野党指導者は、サルマンを指して、当時のリャド地方長官をしていた彼を、9.11の前にもまた後にもアフガニスタンで作戦を展開させているアルカイダへの重要なアシストと規程した。
サウジ民主主義の野党反対派は、アルカイダのメンバーは、いつもの様にリャドを通リ過ぎ、彼等の遣り方でパキスタンまで行き、遂にはアフガニスタンのタリバンの支配地域まで進んで行った事を明らかにした。これらのサウジ消息通は、サルマンの政府庁舎はアルカイダのメンバーの為に、現金での報酬やホテルの手配、航空料金の手はずを整えたと報告した。
サルマンの活動が、アルカイダの為に行われている事が、CIAに知られていることは疑いないが、そのCIAは、サウジの資金がアラブゲリラとアフガニスタンのムジャヒデイン軍に通じていることを良しとしている。それはラングレイが聖戦キャンペーンに介入した早期の頃からずっとそうである。
その聖戦キャンペーンとは、アフガニスタンの社会主義者と世俗政権を権力の座から追い出そうとするキャンペーンである。2005年のスコットランドでの彼の怪死、彼とはイギリスの前の外務大臣、ロビン・クック(Robin Cook)で、彼はガーデイアン紙に「アルカイダは、傭兵と資本家と代弁者のデータベイスであって、CIAに雇われてアフガニスタンのソヴィエト兵と戦わされている。」と書いた。
80年代を通じて、彼、<オサマ・ビン・ラデイン[Osama bin Laden]>は、CIAによって武装させられ、サウジから金を貰ってロシア占領軍に対する‘聖戦(jihad)’を戦わされていた。アルカイダ(Al-Qaida [sic],)は、完全にデータベイス('the database,')によれば、ロシアを打ち負かそうとするCIAの援助によって、訓練され、勧誘された何千ものムジャヒデイン兵士であった。サウジの野党とクックの話によれば、サルマン(Salman)がリャドの彼の閣僚の行動に気付かなかったとは、思いもよらなかったと。
サルマン王(King Salman)の第一顧問のモハメッド・ビン・ナイエフ(Mohammed bin Nayef)の親族と噂されていて、名前は矢張りナイエフと言うサウジの王子が、コカインを売買したという事でフランスに1999年捕まった。サウジの内務相は2000年、パリに次の様に告げた。“もしフランスが、未成年の王子ナイエフを起訴するならば、お得な70億ドルのレーダー防衛の契約(プロジェクトSBGDPGarde Frontiere)がキャンセルになりますよ”と。詳細は、2000221日付の<フランス秘密外交ケーブル>(Confidential French diplomatic cable)の中に見出すことが出来る。
ケーブルの対象は、フランスの高官とサウジの内務大臣・ナイエフ王子の接見で、麻薬売買が疑われたサウジの飛行機の問題に関することであった。(「サウジの内務大臣であるナイエフ王子、麻薬の不正取引をしたと疑われているサウジの飛行機の事件」)ケーブルは、フランス内務省の専門的顧問であるフランソア・グイエットがフランス法務大臣とリャドのフランス大使館へ送ったものだった。グイエットは、2001年アラブ首長国連邦のフランス大使となった。ナイエフによって闇取引されていた麻薬は、アメリカの秘密麻薬取締り本部―a Confidential U.S. Drug Enforcement Administration (DEA)―の記録によると、常にアフガニスタンのアルカイダに融資されていた。
リャドを通過するテロリスト新兵に支払われた現金は、内務大臣によって麻薬売り上げ金の財源を秘密裏に銀行預金口座として残していたものから得られたものである。CIAが気が付いていて、しかもそれを促進しているところのアルカイダ新兵への裏帳簿による支払いは、今日でもそのまま行われている遣り方で、サウジの刑務所から金が注がれている様な振りをして、実はサウジ政府の代弁者から支払われると言う遣り方である。
1999年、麻薬取締り本部(DEA)は、ナイエフ王子の、コーランの予言を巻き込んだ、或る未来意思というものを維持する為に、ヴェネズエラからコロンビアへのコカイン密輸入おも含む重大な陰謀を暴露した。麻薬取締本部(DEA)の作戦は、2000626日の覚書「パリ役所極秘麻薬取締本部6の機密種別扱いからの除外」に含まれていた。19996月に、パリで808kgのコカインが押収された。同時に麻薬取締本部(DEA)は、千年祭作戦と呼ばれるメデリン麻薬カルテルへの重大な手入れを実施した。
傍受したファクスによれば、麻薬取締本部のボゴダ支所は、パリでのコカイン押収のことを耳にして、麻薬密輸がサウジ家の人々と繋がっていると考えた。DEAの調査は、サウジの王子ナイエフ・アル・サウド(Nayef al Saud)に集中した。彼のまたの名は、<王子様>(≪El Principe (the Prince).である。ナイエフのフルネームは、ナイエフ・ビン・ファアーズ・アル・シャーラン・アル・サウド(Nayef (or Nayif) bin Fawwaz al-Shaalan al-Saud)である。彼の国際的麻薬取引を追跡すると、ナイエフは、彼自身の<ボーイング727>で飛び、彼の外交上の高い地位を利用して、税関のチェックを回避した。
DEAの報告は、“ナイエフはフロリダのマイアミ大学で学び、スイスに銀行を持っていて、8ヶ国語を話し、ベネズエラの石油会社に莫大な金の投資を受け、定期的にアメリカに行き、何百万ものアメリカドルと付き合っていた。ナイエフはまた、コロンビアの石油会社をも与えられていた。
ナイエフはまた、スペインのマーベラにおける麻薬カルテルの会員の待遇を受けて来たと伝えられ、そのマーベラでは、サウジの王族は、でっかい宮殿の様な住まいを保持している。報道によると、カルテルのメンバーの一団がナイエフに会いにリャドに行った時、彼等はナイエフのロールスロイスに乗せられて、「リャド・ホリデイ・イン」ホテルに連れて行かれた。
翌日彼等は、ナイエフとその兄弟に迎えられた。{弟の名はサウルで、彼の双子の兄はサウド王子で、ナイエフの兄・ナウォフ王子はアブドラ王の娘と結婚していると信じられている。}二日目には、彼等は全員で、砂漠ヘ(ブンブンと鳴る)その地域専用の車で行った。砂漠行きの間、彼等は麻薬の密売について論議していた。
UN  [the DEA informant(麻薬取締本部)]UN(情報提供者)とナイエフは、2000kgのコカインの発送を行うことに同意したが、そのコカインはベネズエラのカラカスへ、UN(情報提供者)の人達によって届けられるであろう。そこでは、ナイエフがそのコカインをフランスのパリへ輸送するのを手助けするだろう。
ナイエフは、コカインを輸送する為に外交的隠れ蓑として彼の定期航空機・ボーイング727を利用できるだろうと説明した。ナイエフはUNに、彼の定期ジェット航空機でコカインを20000kgまで輸送することが出来ると話し、将来は1020000kgの発送をUNに誘いかけた。
UNは、何故、恐らく献身的なイスラム教徒であろうナイエフが、麻薬に絡め取られたのであろうかと不思議に思った。サウジがテロリズムに金を出していることについて、今日的な観点からナイエフの回答はきめ細かく精査するに値するものである。リャドでの会見の間、ナイエフはUNの“彼(ナイエフ)は、絶対的なコーランの代弁者ではないですか”とか、”彼(ナイエフ)は飲酒もせず、喫煙もせずコーランの教えの神聖さおも汚さないんじゃないですか“とか質問した上で、さらに、“彼は何故、コカインを売ろうなどと思ったのですか”と質問し、さらに“彼は何故、神に依って麻薬を売る権限を与えられているなどと言うのですか”と質問した。するとナイエフは、“UNは必ず、ナイエフの麻薬取引の真の意向を後ほど知ることになるだろう”と答えたが、それ以上は何も言わなかった。サウジの王子の麻薬密輸活動は、DEAとフランス警察によって199910月に粉砕された。
アフガニスタンとパキスタンのアルカイダ兵士を支持して、麻薬マネーをロンダリングし、サウジアラビアの将来のガバナンスについて、コーランの厳格な解釈、恐怖に包まれた宗教警察、の再来、<変化への期待>、サウジアラビアにおける国内の、正当なる内部異議に対する取り締まり:これがサウジアラビアを正気づかせるための遺産管理のサルマン王流の遣り方である。

 

(訳 柴野貞夫時事研 2015323日)

 

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