(活動家達の理論武装の為のマルクス主義入門シリーズ@ 2013年10月1日)
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ファシズムとは何か
−レオン・トロツキーのマルクス主義的分析から学ぶ−
ジョン・
モルリニュ(英国ポーツマス大学教授)
20世紀に労働者階級が体験した最悪の敗北であるヒトラーとナチスの執権は、20世紀に人類が経験した最悪の災難である第二次世界大戦、そして人類に対する最悪の犯罪であるホロコーストの直接的原因となった。だから、この諸事件の連関は極めて重要な政治的問題を多く提起する。
ナチ現象の原因は何であるか?ナチ運動の性格は何であるか?ナチはどの様に権力を握る事が出来たのか?ナチを阻止する事は出来なかったのか?その様な事が、また再び起きる事が出来るのか?何よりも、そんな事が再び繰り返えさない様にする為に、我々が過去から学ぶ事が出来る教訓は何か?
この全ての諸問題を、この短いコラムで満足に扱う事が出来ないのは、勿論だ。
しかし、私はナチズムに対するマルクス主義的分析の要点を詳しく説明しようと思う。それは上の諸問題に対する、もっと十分な答弁の基礎となる事が出来るだろう。
その様な分析は、ドイツでヒットラーが、執権する事となる時期の1929〜33年に、レオン・トロツキーが主として発展させた。そして(トロツキーの)そんな分析は、ナチズムに対するブルジョア的解釈や定説的共産主義、即ちスターリン主義的解釈と関連して、またその解釈と照らし合わせ理解する時、最も良く理解する事が出来る。
数多い新聞記事、書籍、映画、TVプログラム等に登場するナチズムに対するブルジョア的見解は、こうである。
ナチズムは、ドイツの民族性(たとえば、権威主義・軍国主義・残忍である事など)が表出されたものであるとか、ヒットラーと言う悪魔の様な天才個人の産物―ヒットラーが、邪悪な雄弁術でドイツ国民全体を誑(たぶら)かしたとのだ―と言うものだ。形式的には相互矛盾的なこの二つの見解は、社会勢力や経済との関連、特に資本主義体制との関連を完全に無視する点で相互補完的だ。
■ファシズムは、資本主義の危機に絶望した下層・中間層(プチブルジョアジー)の大衆運動である
しかし、単純で明らかな二つの事実が、このブルジョア的見解がすべての間違いである事を見せてくれる。第一に、ドイツのナチズムは国際ファシズム運動の一部だった。ファシズム運動は、もっぱらドイツで始まったり、終わったものではない。所謂‘穏健な’国と言う英国を含んで、殆どあらゆる国に存在したし(無論、強さの程度は少しずつ違ったが)、イタリアでムッソリーニの執権とともに始まった。
二番目に、ヒットラーと彼のナチ党は、1929年10月ウォルストリートの株価暴落とともに始まった国際経済危機以後にこそ、ドイツでまともな政治勢力となる事が出来た。その前にはヒトラーの、所謂強力な‘雄弁術’も、ドイツ国民に殆ど効果がなかった。
トロツキーを始めとしたマルクス主義者達は、あらゆるファシズムが、第一次世界大戦後に資本主義体制を捕らえた国際的危機の産物であるとともに、それへの対応であると見た。ファシズムは「議会民主主義」を廃棄し、反動的独裁体制を樹立し、労働階級を粉砕する事で、その様な危機を資本に有利に解決しようとする努力だった。
トロツキーは、この様な一般的分析に、非常に重要な一つのものを付けくわえた。彼は、ファシズムがもっぱら、資本が階級全体、或いは甚だしきに至っては、一部大企業が推進した政策や政治傾向に過ぎないと言うものではないと見た。むしろファシズムは、下層、中間階級、即ちプチブルジョアジーを基盤とする真の「大衆運動」として始まった。
この階級は、経済危機に際し、深刻に、そして特別に苦痛を経験した。一方で彼等は、上から銀行と巨大独占企業らに踏みにじられ、他方では、下から労働組合と組織労働階級の圧力に苦しめられる。経済危機の為に絶望に陥り、両大階級の間に挟まれ、苦しいと感じたプチブルジョアジーは、“凶暴となって”ファシズムのデマゴギーに欺かれて行く肥沃な土壌となった。
こんな階級基盤こそ、ファシストとナチのイデオロギー (ユダヤ人嫌悪を始めとする)を理解する鍵だ。
一方で、ファシストとナチは、‘反資本主義的美辞麗句’を使用するが資本主義自体でなく国際資本や金融資本を非難する。
他方で同時に、遙かにもっと重要なことは、彼等が共産主義・社会主義・労働組合に決別し反対すると言う点だ。
この二つの要素を結合させれば、少なくともファシストの頭の中には、ユダヤ人嫌悪が思い浮かぶ事となる。即ち、金融資本と共産主義の背後には、ユダヤ人達の邪悪な陰謀が潜んでいると言うのだ。(いずれにせよ、ロスチャイルドとマルクスは,みんなユダヤ人ではないかと言う様に)。結局、国家・民族・指導者・人種が、階級を超越する神話的存在として格上げされる。
■資本家階級は、ファシストに「国家の一部の統制権」を譲り、体制の危機をのりこえる手段としてきた
プチブルジョアジーと言う基盤は、また、ファシズムが運動として発展するところも決定的に重要だ。ファシズムが、どんなに多くの支持者達をかき集めても、ファシズム自体では権力を握る事は出来ない。何故かといえば、下層・中間階級は資本家階級を打倒する事は出来ない為だ。
むしろ、彼等が執権しようとすれば、1932年秋のドイツでそうだった様に、大資本家達に依って(大資本家達の力によって)“引き上げられなければ”ならなかった。
しかし資本家支配階級は極端な圧力を受けてこそ,また危機が極めて深刻で、もう昔の様なやり方で(労働者階級を)支配する事が出来ないと言う事と、ファシスト達を利用して労働者階級の組織粉砕する冒険が成功するだろうと言う確信があってこそ、危険な外部勢力(ファシスト)に国家の統制権を部分的に譲ってやる冒険を敢行するのだ。
同じように、ファシスト達も、町で労働者の組織を攻撃する実践的能力を見せ付ける事で、彼等が支配階級の後援を受けるに値する事を、自ら立証しなければならない。
プチブルジョアジーと言う基盤の為に、ファシズムは大資本家達に依存する以外にないが、そうであっても、その御陰で支配階級は‘普通の’警察や、軍事独裁では出来る事が難しいこと(野蛮で非道な殺戮など‘非合法’的
暴力行為−訳注)を手に入れるのだ。
作業所(工場)・地域社会・町かどで、警察や軍隊の単純な外部介入より、遙かにもっと徹底して、そして効果的に労働者組織などを粉砕する事が出来るのは、このように基層水準で、活動するファシズムの大衆的幹部層の御かげだ。
トロツキーが、その卓越した著作≪ドイツの反ファシズム闘争≫で、詳しく発展させたこの様な分析は、ファシズムの本質を良く捕捉するだけでなく、ファシズムに対峙してどの様に戦うのかも見せてくれた。
第一に、ファシズムは、あらゆる労働者組織にとって致命的威嚇であるために、ファシズムに対抗して労働階級を最大限団結させる事が出来る労働者共同戦線を建設しなければならない。(1929年〜33年にスターリン主義は、社会民主主義者達が即ち<社会ファシズム>だと言う、超左派的概念の為に、そんな団結を破壊した。)
二番目に、社会主義的左派が、自分達が資本主義体制の慢性的危機を解決する事が出来る勢力である事を立証する事が出来るなら、プチブルジョアジーを労働階級の側に引き寄せるか、少なくとも中立を守らせる事ができる。
結局、この事は、彼等が資本主義を転覆する事が出来る能力を実践で立証すると言う事を意味する。しかし、また再び後で、スターリン主義は‘進歩的ブルジョアジー’と同盟すると言う人民戦線政策を通して、そんな能力(労働者階級が資本主義を転覆する事が出来る能力)を抑えられた。
この様な教訓が、今日にも現実的な関連性があると言う事は明らかである。(資本主義世界)体制の危機は、たとえ1930年ほど先鋭でないとしても、依然として存在する。従ってファシズムの脅威も、民族性や指導者個人に関係なく、依然として存在する。ファシズムの脅威が、まだ目前に切迫しなかったとしても、労働者階級の強力で団結された行動で、その脅威を未然に防止しなければならない理由は十分だ。
しかし、ファシズムの脅威を永遠に除去し様とするなら、[ホロコーストの様な悲劇が]“絶対繰りかえされてはだめだ”(Never Again)と言うスローガンが永遠の現実となる様にしようとするなら、ファシズムを育てる土壌である資本主義体制自体を破壊しなければならない。
(訳 柴野貞夫 2013年10月3日)
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