(民衆闘争報道/ベルリンに設置された「平和の少女像」について 「女性新聞」 2020年11月18日付)
http://www.womennews.co.kr/news/articleView.html?idxno=204123
男性政治家カルテルを破った
「女性新聞」 イ・カラム記者
▲〈写真) ベルリン・ミッテ区に設置された「平和の少女像」の前でポーズをとるハン・ジョンファ さん。(コリア協議会)
【インタビュー】 ハン・ジョンファ/コリア協議会代表
ベルリン市民は少女像を守ることができるだろうか
ドイツ・ベルリンに設置された「平和の少女像」(以下少女像)が日本政府の妨害で撤去の危機に置かれたが、コリア協議会と市民の努力でその危機をまずは免れた。
ミッテ区議会で今月5日、少女像をそのまま維持するという決議案を採択した。
少女像の建立を主導したハン・ジョンファコリア協議会代表(写真)は女性新聞とのEメールインタビューを通じて「ベルリン市民たちと人権団体、そしてマスコミの関心がこれほど高いとは予想できなかった」とし、「少女像の永久的な設置のためにミッテ区庁と一緒に一つ一つ協議していく」と抱負を明らかにした。
ハン代表がベルリン市内の中心に少女像を設置したいと考えたのは2016年。 だが、なかなかその気になれなかった。私有地ではない公有地に像を建立するためには多くの準備が必要だったからだ。そのように4年間構想ばかり練っていたが、2019年9月に少女像を建てる機会が訪れた。
コリア協議会が戦時下の女性への暴力を扱う博物館をつくることになったのだが、当時のミッテ区庁の文化担当官がそこを訪れたのだ。
ハン代表は、少女像を設置するためにはどのような手続きを踏まなければならないか尋ねた。
「ちょうど担当公務員が女性の方で、いろいろアドバイスをしてくれました。
それで私たちと一緒に日本軍「慰安婦」運動をともに行ってきた在独2世のアレクサンドラ・バウアーとともに大変注意深く申請書を準備しました。
そしてフェミニスト美術評論家と女性美術協会理事、歴史学博士、学校教師の推薦状も一緒に提出しました。」
ハン代表は、公有地に少女像を建てては、日本政府の反対で撤去されるケースを何度も見てきた。
それで秘密裏にプロジェクトを進めた。 募金運動を公にできなかったため、韓国正義記憶連帯(以下、正義連)の助けを借りて少女像を制作し、ベルリンに持ち込むことができた。
「日本政府側は少女像をドイツの首都のど真ん中に建てられるのを何とか食い止めようとしたはずです。
そこで9月28日(現地時間)、除幕式前日の日曜日に"少女像除幕"を宣言しました。」
ミッテ区の少女像撤去命令で、ベルリン市民にまで少女像への関心が高まる
予想通りだった。日本政府は直ちに反応した。 これまで水面下で作業を行ってきたのとは異なり、今回は記者会見で真っ向から勝負をかけてきた。
「少女像が設置された翌日、加藤勝信官房長官が遺憾を表明し、10月1日、茂木俊光外相が記者会見を通じてベルリン少女像の撤去を正式に要求したと語ったんです。そのニュースを聞くやいなや、ドイツの有力紙taz新聞社の記者に連絡したところ、ドイツは地方自治権が強いため、連邦長官が介入できないということで、おそらく日本がドイツの政治体制をよく知らないようだと言うんですよ。」
記者の言葉に安心していたハン代表は驚くべき光景を目撃した。 10月7日、ベルリン・ミッテ区庁が少女像撤去命令を下したのだ。 ハン代表は当時の状況について、「ひやりとした」と表現した。
当惑したが、落ち着いて対応しなければならなかった。 少女像の建設に協力した多くの人々、少女像に関心を持ち始めたベルリン市民のためにもあきらめることはできなかった。
「状況が緊迫していました。 法律家に私たちが提出した申請書と設置許可の公文書を送ったところ、受付内容に何の問題もなく、甚だしくは私たちは申請当時日本の妨害があった他の都市の事例まで詳細に記載しているため、勝つ確率が高いと言っていました。
それで仮処分申請書を行政裁判所に提出しました。」
裁判所の判断だけを待つわけにはいかなかった。 市民社会を動かす集会を企画した。 ハン代表は協議会の関係者らと共に少女像からミッテ区庁まで行進するパフォーマンスと小さな音楽会などを開き、「少女像撤去撤回要求」共同行動を進めた。
「シュテファーン・フォン・ダッセルミッテ区長は、緑の党所属で日本軍'慰安婦'問題と脱植民地運動に明るい人です。話が通じると思いました。それで団体がデモをする日、区庁側に電話をかけて私たちの請願書を区長に渡したいと言ったらデモ隊が到着する前から待っていたというんです。 到着してすぐには請願書を伝達しませんでした。 わざわざ私たちの集会をすべて見せるようにしてから最後に伝達したんです。」
市民の抗議集会で 「撤去判断保留」決定したベルリン・ミッテ区庁
ハン代表が粘り強く活動できたのには、ベルリン市民社会と政党も一役買った。 ベルリンの中心政党である社会民主党(社民党)は、ミッテ区の少女像撤去命令が下されるや、党ホームページにこれに反対する報道資料を掲載した。
左派党はコリア協議会を直接訪れ、一部始終の話を聞いた後、直ちに撤去反対の立場を明らかにした。
「現在、ベルリン市は進歩的な三党連立を組んでいます。社民党、左派党、そして緑の党で構成されています。
これら3党がすべて撤去命令に対する反対の立場を示したのには大きな意味があります。」
戦時下の女性への性暴力問題や表現の自由に関心の高いメディアも一役買った。ハン代表によると、ほとんどすべてのベルリン日刊紙で5-6回連続報道され、一部メディアは協議会にインタビューを要請してきたという。ハン代表はこれを「少女像に対する愛着がそれだけ大きいという証拠」と述べた。
平和・人権を重要視する ベルリン市民はもちろん、市民社会団体まで合流
今回の結果は、30年の歴史を持つコリア協議会のメンバーや活動家、ボランティアの成果でもある。
故ユン・イサン作曲家とソン・ドゥユル教授をはじめ、韓国人1世と教授、学者、牧師、記者など多様な職群のドイツ人、そして韓国人2世と留学生、韓国学科の学生、日本系、ベトナム系、中国系、コンゴ系など多様な移住背景を持つ2世会員も生まれている。 ハン代表は会員の多様性をもとに運動の「連帯」を企画し、組織することに集中している。
「過去10年間、多くの女性・人権団体、教会、労働組合、地域連合と連帯しています。
昨年の4・27南北首脳会談1周年を記念してベルリンで人間の鎖を結ぶ行事を行いましたが、500人が集まりました。 その時、私たちが望めば、1000人でも集めることができるという自信ができました。
それほど平和と人権を重要視する市民が多くいるということです。」
今回の少女像撤去問題を扱う上で、連帯する団体ができた。 ドイツ語で「極右に反対するお婆さんたち」という名前の団体では少女像の前で毎週金曜日集会を行っている。 ドイツ語で勇気を意味する女性団体「キュレイジ」は、11月25日の世界戦時女性性暴力追放の日集会を主管する予定です。 少女像存続のための活動はコリア協議会が始めたが、今はベルリン市民と共にする運動になったのだ。
寄付を惜しまないベルリン市民と、毎週少女像に花を送る市民もいる
市民団体だけでなく、ベルリン市民も少女像を守ろうと活動している。
「少女像の隣にある花屋の主人は『少女像の花冠は自分が必ず作ってあげる』と約束し、友だちから寄付金を集めてくれたりもします。それだけではありません。
ある匿名の男性は毎週新鮮な花を少女像にプレゼントしてほしいと、毎月20ユーロを花屋に寄付していると言います。 少女像は人の心を捉える力があります。 存在だけでも私たち皆に愛を伝えてくれます。 少女像を守ることは、平和を守ることだと考えて活動しています。」
ハン代表は、「ベルリンのど真ん中に少女像を設置できたのには、韓国市民社会が作った正義連の助けも大きかった」と声を高めた。
「韓国市民らが日本軍'慰安婦'問題に関心を持ちながら正義連が成長できたし、そこで集めた重要な資料が英文に翻訳され、私たちのような海外にいる団体が支援を受けました。特に、ナビ基金を通じてベトナム、コンゴ、ルワンダなどの被害女性と連帯し、基金を伝達することは、ドイツ社会から多くの共感を得ています。」
▲(写真) ベルリン市民が「平和の少女像」の碑文を精読している。 (コリア協議会)
少女像撤去事態の再発を防ぐための 永久設置の議論を進めるべき
ハン代表とベルリン市民の努力の末、11月5日にミッテ区議会は「少女像の設置をそのまま維持すべきだ」という決議案を採択した。
議員37人のうち28人が決議案に賛成した。 かなり早い結果だった。
しかし、ハン代表はこれに満足できないという。 「12月1日、区議会の案件として上程される内容にさらに注目しなければならない」と力を入れて話した。
「今回の会議で上程できなかった緑の党と左派党の案件に注目しなければならない。 その案件にはミッテ区庁はコリア協議会と共に少女像の永久的な設置に向けた解決策を用意するという内容があるんですよ。
この日案件が通過して少女像永久設置のためにミッテ区と一緒に討論できればと思います。」
ハン代表は、ダセル・ミッテ区長に会い、これまでコリア協議会が発刊した雑誌と展示図録も渡した。
団体で少女像を建立して日本軍「慰安婦」の問題を扱うことが日本政府を一方的に攻撃するためのものではないことも確認した。 区長はハン代表の説明を十分理解しているようで、少女像の碑文にも何ら問題がないことをお互いに確認した。
しかし、ミッテ区としては碑文の修正が必要であるとの立場を明らかにしており、協議会ではどのような方向に修正することを望むのか教えてほしいと話した。
しかし、ミッテ区庁からは17日現在まで反応がないという。
「区議会の決議案が採択されてから今日で12日も経ったのにまったく便りがない。 16日、緑の党の内部消息筋を通じて聞いたところによると、碑文を修正して日本大使に見られても気に入られず、日本との妥協をあきらめたそうです。 碑文を修正し、日本大使館と妥協しようとしたが、日本側は碑文の修正には関心がなく、少女像を撤去すればよいと考えているのです。」
男性政治家のカルテルを壊した 市民社会の成功事例として残すべき
コリア協議会で慰安婦問題を扱うのは今回が初めてではない。 2009年9月に日本軍「慰安婦」問題についてのアクショングループが形成され、2017年12月まで、毎年生存女性たちを称えて関連行事を開催してきた。 これまで、ドイツの30あまりの都市で80回の巡回講演を行い、展示会や映画の試写会も開催した。
水曜デモ900回目、1000回目、1400回目にはベルリンで集会を開き、市民社会の声を集めた。 今回の事態に着実に対応できたのは、これまで扱ってきた慰安婦問題に対するノウハウのおかげだ。事態が大きくなるにつれ、1日24時間を分単位に割って活動し、団体実務担当者3人のうち2人が休職中だが、それでもしっかりとした使命感でここまで引っ張ってきた。
ハン代表は「団体会員や活動家たちはもちろん、積極的な支持を送ってくれるボランティアたち、フリーランスの活動家たちに特に感謝する」と伝えた。
ハン代表は「団体運営は難しい状況で、活動規模に比べて人材が多くないため、一人が担わなければならないことが多いが、多様な世代の人々が一緒に活動しながらやりがいを感じている」と強調した。
「私たちの団体は、日本軍'慰安婦'問題を皮切りに、ドイツ、米国、ユーゴスラビア、コンゴ、ルワンダ、ヤジディ教女性など過去から現在に至るまで行われている戦時性暴力を扱う博物館を設立し、その内容を青少年たちに教える教育事業を開始しました。 ご存命中の被害ハルモニたちがドイツに来られない状況なので、少女像を通じた教育に没頭したいです。
したがって、少女像の存続は、必ず実現しなければなりません。」
ハン代表は今回の少女像撤去事態を「男性政治家たちの沈黙のカルテル」を見事に破った事例になるだろうとも述べた。
「今回の事態は男性政治家同士が握手を交わし、『少女像問題は頭の痛いことだから、ないことにしよう』と決定したのを、市民の力で覆した事例になるでしょう。ドイツ、特にベルリンでは戦争または女性への暴力に対して原則的な批判意識があり、これに対する市民の反対の声が本当に強いです。 コリア協議会は、そのような市民とともに二度と戦争のない世の中、平和のために性暴力に反対する活動を続けていきます。 これからも関心を持って見守ってください。」
(訳 Kitamura Megumi)
<参考資料>
(1)日本の執拗な圧力に・・・・「平和の少女像を撤去せよ」
韓国・MBSニュース(2020年10月9日)
<アンカー>
ドイツの首都ベルリン市が都心に建てられた「平和の少女像」を撤去するよう命じました。撤去しなければ強制執行し、この費用を請求するとも明らかにしました。日本の外相が最近、ドイツ政府に撤去を求めるなど執拗に圧力をかけてきたのです。ベルリン市が明らかにした撤去命令の理由とその背景をナ・セウン記者が報道します。
<レポート>
先月25日、ドイツ・ベルリン市の中心地ミテ区に「平和の少女像」が建てられました。ドイツで3番目の少女像ではありますが、公共の場に建てられたのは初めてで注目を集めました。現地の韓国人市民団体「コリア協議会」が主導し、区役所の許可を受けて設置したのですが、許可を出していたミテ区役所が今日、突然この団体に撤去予告状を送りました。
今月14日、つまり一週間以内に自主撤去をしない場合、強制執行してその費用を取り立てるということです。撤去の理由としては、事前に知らせなかった碑文を設置したことが挙げられました。碑文には「第二次世界大戦当時、日本軍がアジア・太平洋全域で女性を性的奴隷として強制的に連れて行った」、「生存者らの勇気に敬意を表する」という言葉が綴られています。この碑文が「日本に反対するという印象を与える」と、後になって問題視したのです。
ミテ区役所のこのような措置は、日本政府がドイツ政府に撤去を要請してから数日後に出されたものです。加藤官房長官は少女像設置直後、「遺憾なことだ」として直ちに撤去に乗り出すと述べ、茂木外相はドイツ外務大臣に直接撤去を要請しました。
茂木敏充/日本外相(10月6日)
「(ドイツ外相と少女像に関する)やりとりはありました。 ベルリンの街にそういった像を置かれることは適切ではない、そのように考えます。」
その後も、日本政府は現地公館などを動員し、ベルリン州議会、州政府、ミテ区などに対してロビー活動を行ったといいます。
キム・ヨンホ議員/外交通商委国政監査(10月8日)
「日本の右翼勢力も地元の官庁に抗議メールを送り続け、公務員を疲れさせ、結局、市民団体の方々が少女像を撤去することになった。」
市民団体側は少女像を説明するためには、歴史的背景が欠かせないとし、ドイツ側が今になって碑文を問題視することに反発しました。
[ハン・ジョンファ/コリア協議会代表]
「これを撤収してほしいという過程でも、一言も対話を交わしておらず、一方的にその手紙を通知してきた。」
この団体は記者会見を通じて、日本政府の圧力で少女像が撤去の危機に置かれている事実を知らせ、現地の他の市民団体と連帯して阻止すると明らかにしました。
(訳:Kitamura Megumi)
(2)日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯(正義連)の声明
(2020年10月7日)
日本政府は、海外の「平和の少女像」に対する常識外れの建設妨害と撤去要求を中断せよ
先の9月28日、ベルリンの市民団体らの努力により公共敷地に建てられた「平和の少女像」は、私たち同様に戦争と分断の痛みを経験したベルリン市民に、平和のメッセージを交わす連帯の場、歴史の教訓を継承する教育の場となっている。
しかし、日本政府や右翼、保守メディアは、少女像を歓迎する雰囲気が消えもしないうちに撤去を要求する攻撃を加えることで、逆に、私たちの連帯が求められていることを告げている。
除幕式の直後、日本の加藤勝信官房長官は「日本政府の従来の立場と両立できない」とし、「日本政府は様々な関係者と接触して従来の立場を説明するなど、引き続き少女像撤去のために努力する」と発言しており、茂木?光日本外相は10月6日、日本外務省での記者会見で「東西分裂で一つのベルリンが生まれ、こうした共存の都市ベルリンに少女像が置かれるのは適切ではない」と述べた。日本の歴史否定団体「なでしこアクション」は、ホームページを通じて、ベルリン「平和の少女像」の建立を推進した地元団体とベルリン市役所や区役所の連絡先に対して、電子メールや電話の攻撃を組織している。
日本政府と右翼団体が国際社会において日本軍性奴隷制の歴史を否定し、問題がすでに解決されたかのような組織的ロビー活動を展開していることは、周知の事実である。
日本政府は、日本軍性奴隷制問題解決運動を沈黙させようと試みた2015韓日合意の時のように、日本軍性奴隷制の歴史を消すことに執着して国庫を支出している。
2019年の「ニュースタパ」の取材によると、日本政府は1990年代から金学順(キム・ハクスン)さんの公開証言、米国下院における決議案の発議および採択、グレンデールの「平和の少女像」建立、関連の展示会開催など、日本軍「慰安婦」問題のイシューにことごとく対応し、対米ロビーのための法律会社、広報会社との契約金だけで、少なくとも1,100万ドル(約130億ウォン)を支給した。
日本外務省は、日本軍「慰安婦」問題が1965年の日韓協定や2015日韓合意などですでに解決済みであるとして、日本軍性奴隷制問題の解決を求める韓国が国際法違反を犯していると主張する英語資料を作成し、海外博物館や政府などに流布している。右翼団体は、国連人権理事会をはじめとする国際機関や各種メディアを通じて、日本軍性奴隷制問題の解決を促した国連人権理事会と特別報告官らの報告書をこき下ろし、国際社会の声を否定している。日本の右翼団体「歴史の真実を求める世界連合会」は、第40回国連人権理事会への書面提出で、国連特別報告官クマラスワミ報告書を貶し、日本軍「慰安婦」問題を否定している。
「東西分裂から生まれた共存の都市」ベルリンと、戦後75年が過ぎた今でも南北に引き裂かれている朝鮮半島は、戦争と分断の痛みが世代を経て生きている場所だ。
日本の茂木?光外相は、ベルリンに平和の少女像があるのは不適切だと主張するが、むしろ帝国主義の暴力と分断を経験したベルリンだからこそ、「平和の少女像」が伝える平和と女性人権の意味をかみしめることができるのである。
日本政府は敗戦後、南北分裂と葛藤構造の下で、戦争犯罪と帝国主義に対する責任を回避し、不当な経済的利益を得ただけに、ベルリンに建てられた「平和の少女像」の意味に向き合うべきであろう。
2019年7月24日、正義連とともに、日本軍性奴隷制問題と女性人権問題を解決するための<ポッタリ展>および記者会見の参加者一同は記者会見をひらき、日本政府による、米国、オーストラリア、ドイツ、フィリピンでの「平和の少女像」建設妨害、戦時性的暴力生存者への支援・連帯であるナビ基金活動の妨害、人権活動家への弾圧を糾弾した。正義連は、日本政府と右翼団体の攻撃に屈することなく、世界市民と国内外で連帯する諸団体とともに、日本軍性奴隷制問題解決を妨害する企みを記録し、歴史の真実と正義のための声を知らせていくものである。
(2020年10月7日)
(3)日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の抗議文 (2020年10月9日)
内閣総理大臣 菅 義偉 様
内閣官房長官 加藤勝信 様
加藤官房長官のドイツの「慰安婦像」撤去発言に抗議する
9月29日の記者会見で、加藤官房長官は、ドイツに設置された「慰安婦像」について、「日本政府の立場やこれまでの取り組みとは相いれない」「政府としては撤去に向けてさまざまな関係者にアプローチ」すると述べました。
今回、ベルリンに設置されたのは、ソウルの日本大使館前の像と同じ「平和の少女像」で、平和を願い、戦時下の性暴力の再発防止・女性に対する性暴力の根絶のために建てられたものです。
28日の像の除幕式には世界各地から、現在の戦時下の性暴力の被害者団体や支援団体、人権団体が参加し、「平和の少女像は、現在の戦時性暴力被害者も象徴している」「戦時下の女性に対する性暴力根絶に向けて、連帯しよう」と訴えました。(ハンギョレ新聞)
ベルリン市の関係者もTBS放送とのインタビューで「少女像の設置を許可したのは女性に対する性暴力に反対するメッセージを伝えるため」と語っています。
「平和の少女像はあらゆる形態の暴力から保護するための約束である」(フランクフルト平和の少女像)、「戦争によるこのような暴力と犯罪が繰り返されないように」(シドニー平和の少女像)、「世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたものです」(サンフランシスコ「慰安婦」像)など、世界各地に建てられている日本軍「慰安婦」メモリアルも同じです。
このような「慰安婦」像設置が「日本政府の立場と相いれない」というのは、日本国憲法の平和主義に反し、日本は女性の人権を無視しているととられても仕方がありません。
性暴力の被害者を責め、差別する社会のなかで、勇気を奮って、「こんなことが二度とあってはいけない。戦争は絶対あってはいけない」と被害事実を証言した日本軍「慰安婦」被害者を、再び冒涜しています。また、他国の「慰安婦」メモリアルに、加害国日本が撤去を要求する権利が、どこにあるのでしょうか。
さすがに、今までは「慰安婦像の設置などの動きは日本政府の立場と相いれない」ので、「日本の立場を説明する取り組みを行う」(外交青書など)と糊塗していましたが、今回の「撤去」発言で、日本政府の本音が露わになりました。
10月1日、フランスを訪問中の茂木外務大臣が、ドイツのマース外相との電話会談で、撤去に向けた対応を求めたことでも、いよいよ、菅政権の本質が明らかになってきました。
私たちは、日本軍「慰安婦」制度・戦時下の性暴力・女性に対するあらゆる性暴力に反対し、再発防止と平和を願う立場から、今回の加藤官房長官発言に強く抗議し、発言の撤回を求めます。
日本政府に対して、被害者への公式謝罪や賠償とともに、「日本軍」慰安婦問題の歴史的事実を記憶し継承する取り組みを行うことを求めます。日本が真に女性の人権を尊重する国になることを求めます。
(2020年10月9日)
(4)「平和の少女像」および日本軍「慰安婦」被害者追悼碑の建立などに対する妨害活動の概要
1)米国グレンデール市「平和の少女像」
2013年7月30日、日本軍「慰安婦」被害者金福童(キム・ボクトン)さんが直接参加する中、グレンデール市「慰安婦」被害者メモリアルデーに合わせ、海外で初めて建てられた「平和の少女像」。
建立直後の2014年2月、日系極右団体「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」は、少女像の撤去を求める裁判を起こした。彼らは少女像撤去の提訴の理由として、「歴史的に検証されていない日本軍『慰安婦』を題材にモニュメントを作ったことは、連邦政府の外交権を侵害する行為」だと主張した。日本政府は上告審の進行過程で、「グレンデールの少女像は、米国と日本が交渉により確立した外交方針を妨害する逸脱行為」という意見書を提出し、国連と米議会、各州政府などに対して、少女像の撤去を正当化するためのロビー活動を行った。
2017年3月、米国最高裁判所は、少女像の建設撤去の要求を棄却した。これに対し、菅義偉官房長官(当時)は米最高裁の判決直後に、「グレンデール市が連邦政府の外交遂行を侵害したかが論点であっただけに、慰安婦に関するものではない」と主張し、「政府の立場と相反する慰安婦象の設置の動きは非常に遺憾なこと」と述べた。
2019年1月に訪韓したグレンデールのザーレ・シナンヤン市長は、メディアとのインタビューの中で少女像について「日本政府はもちろん極右団体などから圧迫を受け、今も続く何千枚もの電子メールを受けている」とし、「日本政府から直接的な圧迫はなかったが、間接的な他の形の圧迫を加えているのは事実」であると明らかにした。
2) 米国デトロイト「平和の少女像」
2014年8月、デトロイト北西部に位置するサウスフィールドミシガン韓民文化会館に「平和の少女像」が設置された。2011年から3年余りにわたって建立運動が取り組まれていた。
当初、建てる敷地として予定されていた場所はサウスフィールド市立図書館であったが、2013年4月に突然、市立図書館側から少女像の建立に対する立場が変更されたことを通知してきたので、市立図書館長との面談を進めた。
面談の中で市立図書館長は「デトロイト駐在の日本総領事館や企業家たちから少女像の建立に抗議があり、日韓の間で『慰安婦』問題に対する政治的意見の相違が多いということを知った」と図書館側の立場を説明する。
2013年初め、サウスフィールドに駐在する6人の日本経済人が図書館施設を見学し、日本総領事は日本企業家と市立図書館長夫妻を夕食に招待するなど、積極的なロビー活動を展開したことが確認されている。
3) オーストラリア・シドニー「平和の少女像」
シドニー「平和の少女像」実践推進委員会の努力によって海外で4番目に建立された少女像。日本軍「慰安婦」被害者の吉元玉(キル・ウォノク)さんと被害者ヤン・ルフ・オヘルネさんの娘さんなどが出席した中、2016年8月、オーストラリア・シドニーのアシュフィールド教会に設置された。
2016年12月、正体が明確にはわかりにくい日本人民間団体である「豪州―日本コミュニティネットワーク(ACJN)」は、「平和の少女像が人種的憎悪と分裂を助長する」として、子どもを含めた日本人を人種差別やいじめから保護しなければならないという名目で、人種差別反対法の18C条項を適用してオーストラリア人権委員会に陳情を提出した。
この条項の内容は「人種と肌色あるいは国や民族を理由に、他の人を不快にしたり侮辱する表現、また、羞恥心を与えたり、脅威的な表現」を犯罪行為と規定している。
当該日本団体は当時、少女像の反対運動を続けるとして、2万豪州ドル(約1,730万ウォン)を目標とするオンライン募金運動まで進めた。
しかし、オーストラリア人権委員会は、日本の団体の陳情内容は人権委員会が扱う事柄ではないと判断して、その陳情を棄却した。
4) ドイツ・レーゲンスブルク「平和の少女像」
ドイツ南部バイエルン州レーゲンスブルク近くのヴィセント「ネパール・ヒマラヤ
パビルリヨン公園」に、日本軍「慰安婦」被害者の安点順(アン・ジョムスン)さんが出席した中、2017年3月に欧州初の少女像として設置された。
当初、当該少女像は、2016年9月に友好都市である韓国水原市と共同してフライブルク市に設置される予定だったが、日本政府の激しい抗議により取りやめとなり、けっきょく地域を変え、個人の私有地である当公園に建てられた。
しかし、建設直後、駐独日本大使は電話で少女像の撤去を求め、その後は直接公園の理事長を訪れて撤去を働きかけたが、理事長は「日本が十分な謝罪と補償を行ったら、少女像を公園に建てておく必要はない」という立場を明らかにした。
また、日本政府はドイツ・バイエルン州とレーゲンスブルク市に問題提起を行い、その後、正体不明の電話やメールが一日に数十通ずつ、州と市政府に送られている状況であった。特にその過程で、日本大使は2015年合意文を持参して理事長を圧迫し、理事長所有の建物に入居している日本の民間企業までが乗り出して、少女像の撤去を働きかけた。
結局、折衷案として理事長は「平和の少女像」の意味と歴史を記した碑文を取り除くことを決定し、取り除かれた碑文は現在まで再び設置することは実現されていない。
5) 米国ソールズベリー大学「平和の少女像」
2017年10月、米国メリーランド州ソールズベリー大学に設置が予定され、日本軍「慰安婦」被害者吉元玉(キル・ウォンオク)さんが除幕式への出席と証言活動のため直接該当大学を訪問したが、ソールズベリー大学は「平和の少女像」建立が無期限延期されたことを通報した。
当該大学への「平和の少女像」の建立は、「ワシントン平和の少女像建立推進委員会」が推進し、米国の首都圏地域における最初の設置という意味もあって、外部からの妨害を懸念して秘密裏に進められていた。また、同年9月中旬まで、大学総長は少女像の設置を約束していたにもかかわらず、突然の無期限延期の通知があったことから、推進委員会は他の様々な地域での経験から日本政府の圧力があったものと推定している。
6) ドイツ・ラーベンスブルク「小さな平和の少女像」の撤去
ドイツ・ラーベンスブルクに位置する政治犯収容所博物館のインフォメーションセンターには、正義連がドイツでのキャンペーンの際に伝達した「小さな平和の少女像」が展示されており、2017年5月、正義連が日本軍「慰安婦」被害者吉元玉(キル・ウォンオク)さんと共に、ISISの性奴隷被害女性との懇談会、ナビ基金の伝達、証言集会、映画「アポロジー」の上映会などを開催し、調査活動のために訪れた際も展示されていることを確認している。
しかし同年11月頃、ドイツ日本領事館側から小さな平和の少女像の展示を問題視して撤去を迫り、同年末には撤去されている。
7) フィリピンの追悼碑の撤去
フィリピンの場合、フィリピンの日本軍「慰安婦」被害者らを称えるために、2017年12月と2018年12月にマニラ市とラグナ州サンペドロにおいて、中国人同胞団体、被害者支援団体、サンペドロ市が追悼碑と「平和の少女像」をそれぞれ建立した。
政府の承認を得て設置されていたマニラ市の追悼碑は、日本政府の圧力により2017年4月真夜中に、排水工事のための一時的な撤去であるとしてマニラ市によって奇襲的に撤去され、現在作家の作業室に保管されている。マニラ市の追悼碑を設置した直後、日本政府は様々なルートを通じてフィリピン政府に抗議の立場を伝えている。
2018年1月、野田聖子総務相はフィリピンのドゥテルテ大統領に直接会って、追悼碑の設置について遺憾の意を伝え、ドゥテルテ大統領は少女像を「確実に処理する」と答え、撤去の事実をフィリピンの日本大使館に事前通知した。関連の女性団体は、日本政府が財政的支援を理由に追悼碑を撤去したことに強く抗議したが、依然として、撤去されたままの状態に置かれている。
サンペドロ市の場合、前職と現職の市長の主導により、修道院によって運営されている憩いの場に2018年12月「平和の少女像」を設置して除幕式を行ったが、在フィリピン日本大使館からの抗議の後、設置2日目にして電撃的に撤去された。
当該施設のシスターは、マスコミとのインタビューの中で、日本大使館が「フィリピンに設置された少女像を含め、各国で取り組まれている少女像の設置は極めて遺憾」との立場を繰り返し明らかにしており、撤去がこれと無関係ではないと語っている。
また、撤去当時、関連説明や告知もないまま行われている。現在、フィリピンのインフラ投資には日本政府の財政が大きく貢献している状況であり、日本政府がそれを根拠に圧迫を加えたと捉えざるを得ない。
8) 米国サンフランシスコの追悼碑の撤去
米国サンフランシスコでは、市議会の決議により、2017年9月にサンフランシスコの多くの市民と共に追悼碑を設置し、米国内の大都市では初めて設置されたという意味がある。
しかし、その後、サンフランシスコと友好都市である大阪市の市長は設置以降、友好都市の取り消しまでほのめかしながら執拗に抗議した。それでも撤去要求が不発に終わると、市議会では追悼碑の撤去を求める決議の採択まで試みられ、「慰安婦追悼碑をなくすことにより、双方の市民が友好的に交流できる環境を用意する意向があるなら、友好
都市関係を持続することに異見がない」と圧迫する内容の抗議書簡を送った。
実際に撤去が行われない状況を前に、大阪市は友好都市提携の破棄通知の書簡をサンフランシスコ市長に送り、2018年9月までに返信するよう圧力をかけた。
日本からのこのような脅迫が続く中、2018年8月、追悼碑の中の金学順(キム・ハクスン)さんの銅像が緑と白のペイントで毀損される事態も発生した。
しかし、サンフランシスコ市長は「性奴隷の恐怖に耐えられるよう強いられてきたすべての女性が直面した闘いの象徴」とし、撤去の意思がないことを明確にした。
9) 米国議会訪問者センター「平和の少女像」特別展示への妨害活動
2018年3月、日本外務省次官であった杉山晋輔氏が駐米日本大使として赴任した後、米国ニューヨーク韓人会が主催してでワシントンDC米連邦議会訪問者センターで開かれた「平和の少女像」特別展示の行事の許可に困難が来され、結局行事は縮小開催された。
ニューヨーク韓人会は米議会に展示行事の許可を申請し、日本の執拗な妨害により申請4度目になってようやく承認を受け、当初支持を表明して行事に参加することにしていた約10人の議員のうち6人だけが参加した。
展示会を支持していた米国民主党のキャロリン・マロニー下院議員は、実際、事務所に脅迫状が送られてきたり、ニューヨークで発行される日本の新聞にはマロニー議員の写真とともに、このような活動を中断すべきだという否定的な文章が掲載されるなど、議員個人を対象に圧力を行使したことが確認されている。
10) ドイツ・ドルトムント、教会の日「記憶の包み展」での「平和の少女像」展示への抗議
2019年6月、ドイツのドルトムントでは教会の日を記念する行事が開催され、現地で行事を進行したボーフム・クリスチョンアカデミーは、<日本軍性奴隷制問題と女性人権問題を解決するための包み展>の中で「記憶の包み展」を設けた。それは州政府が運営する炭鉱博物館で、3日間「平和の少女像」や金福童(キム・ボクトン)さんの絵などを含め様々な芸術作品を展示するものだった。当該展示を事後に認知した日本総領事は、炭鉱博物館長に要請して面談した。
面談の過程で日本総領事は「日本政府は20年余り前から謝罪のために努力してきたが、特定のグループによって拒否された。2015年の合意で日本は公式に謝罪しており、生存している被害女性に補償するために財団金を拠出した」と説明し、「8年前から日韓間の状況が悪化し続けたが、その責任は今回の展示会に参加した一部の作家を含む韓国の『極端主義者』たちにある。今回の展示の主催側もまた『韓国の利害のために』全力を傾けたので、一定の責任がある」と主張した。
また、「韓国はアジア太平洋戦争当時、日本の植民地国家として日本とともに戦争に参加したのであり、ともに「慰安婦」も自ら参加したのである」と主張しながら、日本はこの件について終結させたいのだという点を強調した。
続いて「今回の展示は、2011年、ソウル日本大使館前に立てられた少女像の挑発を想起させる」とし、「これまで日本が少女像の建立を阻止したすべての事例をいちいち挙げながら、ドイツで2回、そして世界の他の場所で阻止してきたが、カナダに限っては日本の介入が成功的ではなかった」とも述べた。
炭鉱博物館長は、日本総領事の関心事は「平和の少女像」が炭鉱博物館に永久に設置されることを阻止することにある、と推測している。炭鉱博物館長は「ドイツ人は過去のナチスの歴史に対する責任を認め、その責任感を自主的な記憶の文化に具現した」ことを強調しながら、その後もこうした作業を通じて非常に具体的に想起させる取り組みを絶えることなく発展させていきたいと述べた。
11) ドイツ・ベルリン「平和の少女像」への撤去要求
除幕式の直後、加藤勝信官房長官は「日本政府の従来の立場と両立できない」とし、「日本政府は様々な関係者と接触して従来の立場を説明するなど、引き続き少女像の撤去のために努力する」と発言し、茂木?充外相は10月6日、日本外務省記者会見で「東西分裂で一つのベルリンが生まれており、このような共存の都市ベルリンに平和の少女像が置かれるのは適切でない」と発言した。
日本の歴史否定団体「なでしこアクション」はホームページを通じて、ベルリン「平和の少女像」の建設を推進した地元の団体とベルリン市役所や区役所の連絡先に対して電子メールと電話による攻撃を組織している。
(2020年10月7日現在)
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