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(論考 「チャン・ソンテクは、社会主義朝鮮のエリツインだった」2014年1月12日)

 

 

  チャン・ソンテク(張成沢)は、社会主義朝鮮のエリツインだった 
   -チョン・チャンヒヨン(鄭昌鉉)の<張成沢判決文をどう読むのか>が我々に示唆するもの-


南朝鮮が‘期待する’北の要人―チャン・ソンテク

チョン・チャンヒヨンが、<張成沢判決文を、どう読むのか?>の中で、チャン・ソンテクが「内閣中心制、内閣責任性の原則に違反」して、国家の経済建設に莫大な支障を生み出したと記述しているのは、「チャン・ソンテク事件」の核心をなすものである。(彼に付きまとう酒・女にまつわる「モラルハザード」のエピソードなどに問題の核心があるのではない)

(朝鮮は)「社会主義的生産関係の土台の上に、社会の生産手段は、国家と共同団体のみが有し、土地、国の天然資源、鉄道、空港、運輸、通信機関、主要な工場、企業、港湾、銀行は、国家のみが所有。対外貿易は国家が管理し、勤労者大衆の創造的労働によって建設される人民経済は、計画経済である」(朝鮮民主主義人民共和国憲法)

1980年代後半から1990年初頭のソ連圏の崩壊は、朝鮮をして、帝国主義世界に包囲された孤立した社会主義国家としての厳しい道のりを歩まざるを得なくした。今まで朝鮮の指導者達は、朝鮮経済が、一方の世界資本主義市場と無関係に存続し得ない中で、社会主義体制の防衛を追求すると言う困難な任務を負わされて来たのである。朝鮮社会主義の崩壊を期待し、朝鮮に対する米国主導で繰り出される不当な凡ゆる種類の「金融・経済制裁」も、社会主義朝鮮の生存の障害物となって来た。

1990年代、ソ連の崩壊と大規模な自然災害によって生まれた朝鮮の「苦難の行軍」の時期を乗り切るための「非常時の国家体制」は、憲法が言う国家主導の統一的な社会主義経済運営ではなく、国家(経済)と(政治)との自立的なシステムが動いていた可能性がある。苦難の行軍を乗り切った時、金正日総書記が「非常時の国家体制」を「正常時の国家体制」へ舵を切り始めた時、チャン・ソンテクは、それを無視して、党と行政と軍の中に、それらの上に立つ独自の官僚フラクションを形成し、「国家主導の人民経済」の一角を崩して来たと考えられる。しかも、中国と南朝鮮の対外貿易関係者との度重なる接触の中で、彼の資本主義市場モデルへの志向が、「南朝鮮関係者が期待する北の要人」となっていた可能性も示唆されている。

●「国家主導の人民経済」を破壊する、「内閣中心性・内閣責任性」の否定

朝鮮社会主義国家のエリート官僚であるチャン・ソンテク(張成沢)は、朝鮮社会における、その特異な社会的地位(金正日総書記の実妹の夫)を利用して、社会主義国家の人民経済と社会的所有関係の一角を破壊し、結果として、朝鮮社会主義体制の崩壊と、その資本主義化への道筋を招来しかねない状況を生み出したと考えられる。

朝鮮社会主義は、その社会的生産手段を、労働者階級が民主主義的手続きで選んだ国家が集約し、国家が管理する計画経済を遂行するのが本来の姿であるが、特異な社会的地位にあったと言え、一官僚が、国家の社会的所有関係を破壊する行動が、どうしてなし得たのか。その中で、国家組織と、労働党、軍の関係はどうであったのか?今、我々の力では推し量ることはできないが、「非常時の国家体制」が1時期存在した事が、その一つの答えかもしれない。

しかし、明らかなことは、社会主義朝鮮の中枢にありながら、チャン・ソンテクは、朝鮮社会主義の所有関係の一角を破壊し、私的所有関係(資本主義)蓄積の動因を誘発して来た事実は明らかなようだ。

「全てを人民のために、全て人民大衆に依拠して」と言うスローガンには党の意思が込められている。今日、権力をふるい、官僚的に振舞うものこそ断固戦うべき主要な対象である。党中央委員会は、人民大衆中心の花園に生えた毒草とも言うべき権力乱用と官僚主義を刈り取るだけでなく、根絶やしにする決心をした。」(2013129日の「第4回労働党細胞秘書大会における金正恩の演説―本稿シリーズ次号3に掲載)

これは、チャン・ソンテク判決に先立って、それを予告するものであり、またチャン・ソンテクーグループに対する警告であったと考えられる。

●社会主義朝鮮は、中国とソ連の轍を、決して踏まないと決心している

社会主義計画経済は、「剰余価値の追求」と「労働の商品化」とは相容れないものである。国家の資源や投資、国有化された土地の計画的経営を通して、その社会的獲得物を(一握りの資本家階級の懐ではなく)労働者農民、勤労者の側へ獲得することが出来る条件をつくるものである。世界の社会主義国家を掲げる諸国において、朝鮮共和国が、最もよく、社会主義計画経済に基礎をおき、政治権力形態において、プロレタリア独裁(共和国憲法は、それを、労働者、農民、勤労インテリおよびすべての勤労人民が主権をもつと表現する)を貫いていると考えている。自動車をはじめとして、資本主義社会の延命の道具となった大量消費財(贅沢品)の多少が、人間生活の豊かさをしめすものではない。生きとし生けるものが差別されることなく、平等に、食・住・文化の恩恵を受ける事が、まず前提である、労働の商品化ではなく、労働の解放が前進する。もちろん究極の社会主義の勝利は、一国の枠内では成し得ない。すなわち世界革命による資本主義世界市場の解体によって、はじめてなし得る。

社会主義中国は今、1978年の「市場改革の導入」以降、帝国主義世界市場競争の渦中で、私的所有関係が、社会的所有関係に迫る勢いの中で、資本主義復活への動因が大きく形成されつつある。それに伴い、国家と党の官僚達の腐敗と堕落が進み、中国共産党の政策と路線に対する中国人民の批判が高まっている。中国共産党が、国営企業労働者の反対闘争にも関わらず、資本家階級に、大規模な国家所有財産の合法的、不法的な売却をしたり、農民にしか使用を認められない国家的所有の土地を、資本家階級に貸し与える一部地方共産党委員会の政策に対する,農民階級の死活的な戦いが頻発している。「集団所有の我々の土地を、産業目的の資本家に貸すな!」と。

チャン・ソンテクは、朝鮮社会主義国家のエリツインである

市場経済は、決して「国家所有と国家計画経済」になじまない。(「社会主義市場経済」など、矛盾した概念だ)資本主義市場経済は、資本家階級と労働者に「価値法則」を強制する。労働力と生産手段を「商品化」し、効率性によって労働力が高ければ捨てられ、競争力のない企業は破産する。

一方社会主義計画経済は、価値法則を、国家による意識的な経済調整に従属させなければ破綻してしまうのである。市場経済の導入は、社会主義経済にとって自殺行為だ。

200812月、劉暁波などの「改革派」は、2008年憲章>なるものを発表したが、彼らはこの序文で、“内戦で、民族主義者達に対する共産主義者達の勝利は、国を全体主義の奈落に陥れた。”とし、1949年の中国革命そのものを攻撃し、次のように述べる。

 “我々は、自由で、公正な市場経済体制を増進し、私有財産権を保護し確立しなければならない。産業と工業の政府独占を撤廃しなければならないし、新しい企業を始める自由を保障しなければならない。全国立法府に報告する‘国家所有財産委員会’を樹立しなければならない。それは、公正で効率的で秩序あるように、国営企業が私有化されるのを監督するだろう。土地所有権を増進し、売買の権利を保障し、私有財産が市場の実際価値を適切に反映する事が出来る様に許容する、土地改革を実施しなければならない。”と、これは、反革命の青写真そのものである。

今のところ「中国経済と政治の改革」と言うスロ−ガンに留まっている中国の資本家たちは、いまに社会主義体制の転覆を叫び始めるだろう事を、劉暁波の<2008年憲章>は示唆している。

朝鮮労働党は、中国の轍を、決して踏むまいと決心している。

誤解を恐れずに語れば、チャン・ソンテクは、ソ連社会主義の危機を、帝国主義世界の代理人となって介入し、ロシア革命の凡ゆる歴史的・人類史的成果を、帝国主義世界に売り渡したエリツインの姿を彷彿とさせる。彼は、朝鮮の第二のエリツインである。「チャン・ソンテク事件」は、社会主義体制を破壊する者への断罪にこそ、その本質がある。

「資本主義は、社会主義に勝利した」? と言うのは真っ赤な嘘である

過酷な搾取、無尽蔵な資源の浪費、戦争と大量虐殺は、資本主義体制の存続に不可欠な条件である。

「権力闘争」「資金を巡る争い」など、資本主義世界の言論媒体が今も垂れ流す、“チャン・ソンテク事件の真実”の報道なるものは、‘1%の支配者の為の民主主義’によって、99%の働く民衆を強権的に支配し搾取する、資本主義社会の実態を覆い隠し正当化する為の世界の資本家階級の常套的手管である。

チャン・ソンテクの死が、朝鮮人民・2400万人の生存より尊いと、どうして言えよう。

まして、朝鮮戦争で400万人の朝鮮民族を殺戮し、ベトナム侵略戦争で「トンキン湾事件」をでっち上げて「北爆」を蛮行し、ありもしないイラクの「大量殺戮兵器」を理由として侵略し、数十万のイラク国民を虐殺、主権国家の元首を世界に配信する映像でなぶりものにし、リビアではありもしない国家による住民虐殺をでっち上げ、「国民戦線」と称する米情報機関の手で、カダフィ首相を虐殺する映像を世界に流して来たのは、他でもなく米帝国主義とそれに追随する資本主義諸国とその言論媒体である。

マルクスが指摘するように、世界の働く民衆(賃金労働者)は、「資本家の為に、即ち剰余価値にたかる伴食者達の為に、一定時間を無償で働く限りで、自分の生活の為に働く事が許される奴隷である」(ゴータ綱領批判)。資本主義制度と資本家階級は、この奴隷制度を踏み台に、無秩序な市場競争を生き延びなければならない。「過剰生産」を繰り返し、人類の共通の財産である天然資源を無駄に食い散らかしている。資源と利権をめぐる血なまぐさい戦争の為の莫大な武器の製造とそれに因る破壊も、無尽蔵な資源の浪費である。大量虐殺、人殺しを繰り返すこの戦争と言う悪魔的所業もまた、資本主義体制の存続に不可欠な条件なのだ。

1980年代後半のソ連圏崩壊以後の世界は、資本主義世界の矛盾が、それまで以上に深化し、「資本主義は、社会主義に勝利した」などと言う口号も、当の資本家階級さえ口に出す事さえ憚っている有様だ。

ソ連圏の崩壊は、その指導部が、資本主義世界に包囲された国家が生き残るすべを見誤ったからであり、資本主義復活に向かう政治的・経済的動因の蓄積を許し、指導部と国家が、社会主義国家の階級意識で武装した労働者大衆の声を踏みにじったからである。中国社会主義の現実が示す様に、社会主義革命によって獲得した社会的成果をまもる事は容易ではない。社会主義国家は、それを取り囲む圧倒的な資本主義世界市場のなかで、帝国主義列強の経済的・政治的・軍事的包囲と圧力の中で生き延びなければならない。それには、その社会の主体である労働者階級の意識的、創造的、自立的実践と戦いが不可欠である。

我々は、朝鮮の社会主義を、帝国主義世界の核攻撃と、凡ゆる侵略戦争から無条件に擁護しなければならない。

(柴野貞夫)