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(民衆闘争報道 京都同胞時局講演会−その2 201338日 於京都)

 

 

       [時局講演](その2

         緊張激化、朝鮮半島情勢−激動2013年 朝鮮の戦略は?

 

                    講師;キム・ジヨン(金志永) 朝鮮新報社副編集局長

 

 

 

 

朝鮮は、1945年の解放が出発点ではない。朝鮮戦争は国土すべてを灰塵とし、その後60年間帝国主義の制裁を受けてきた国だ。

<自主路線で、90年代の存亡の危機をのり越えた朝鮮>

 

ウリナラは、自分たちで完結した経済システムを持っています。それに一点集中することが出来るのです。どの国も出来るわけではないと思います。今、衛星を打ち上げる国は、ウリナラが加わって10か国、この前、南朝鮮の「ナロ号」を入れて11か国になりました。
編集者注いわゆる‘スペースクラブ’と言うのは、自前の技術による衛星打ち上げを指す。南朝鮮は、ロシアのロケットを利用しているため、このクラブのメンバーには入らない)
朝鮮は、人工衛星打ち上げで見る様に、先端技術を突破しています。それには歴史を振り返る必要があります。

アメリカは100年前からの工業国です。しかし、朝鮮は1945年の解放がスタートではありません。朝鮮戦争がありました。ピョンヤンを始めとする朝鮮全土が灰塵となりました。53年の停戦から60年たちましたが、停戦であって戦争は終っていないのです。

人力、財力を軍事に回さなければならない。しかもこの60年間、不当な「制裁」が掛っています。「制裁」は最近始まったのではありません。朝鮮戦争の時から始まっている。世界で一番「制裁」を受けている国です。圧力の中で、90年代、国家の存亡が危なかったのです。(編集者注―しかもこの時期、朝鮮を襲った国難は、19918月のソ連の資本主義化による、経済、貿易、金融システムの崩壊と、19958月の1か月間、平均300mmの集中豪雨が40万fの農地と、貯蔵穀物施設、水路、住宅を破壊し、深刻な食料危機がある)

衛星発射は、民族にとって万歳だけではなく、世界の常識を覆す事なのです。金日成主席が、90年代のあの厳しい時代にも、自主経済を放棄しなかった事が、今日の科学技術の成功を生んだと言うのが、ウリナラ人民の共通認識です。

 

●「朝鮮はリンゴの栽培をしていれば良い」と自主路線を否定した当時のソ連

<どんな制裁も打ち破った朝鮮宇宙産業の誕生は、アメリカの敗北である>

 

当時、ソ連社会主義は、この自主経済路線に反対しました。

「朝鮮人は、そんな事をやる必要はない。あなた達は農民ではないか、リンゴでも栽培していれば良い。我々に地下資源をよこせば機械をあげます。無駄な事はするな。機械から御飯が生まれるのか?いま大変な時期に、自主、自主と綺麗事を言っている場合じゃない。」と批判しました。

しかし、主席は自主経済の道を選んだのです。この時、この選択がなければ20121212日は無かったのです。

民生用人工衛星「光明星―3号」2号機、ロケットは、すべて国産です。アメリカも今回は軌道に入った事を認めました。そのレベルがどれ程のものか、アメリカも驚いたのです。このロケットについての、日本のメデイアの評価は信じない方がよいです。その性能も、ほとんどアメリカしか知らない部分があります。

今回、宇宙条約に基づいて、打ち上げ軌道について、国際機関に事前報告をしました。1段目は西海に落ちますよと、国際機関に連絡を入れている。それにも拘わらず日本自衛隊は沖縄から東京まで「パトリオット」を配備し「朝鮮は技術がないので、何処に落ちるか分からない」と。キッチリ報告通り2段目はフィリピン沖にらっかした。打ち上げは94.45°の角度で飛ばすと言ったのです。飛んだのですが、実はこの角度で飛ばすと、南―北の軌道には乘れないのです。本当は97.42°です。

最初、94.45°が出た時、朝鮮人は計算も出来ないのかと思われたのです。

実はその後で、2段目の誘導が行われたのです。陸地ぎりぎりか、通常の船舶が通る上でも良いのですが、全く安全な所を敢えて狙い、軌道にのせる事をかんがえたのです。

もちろんこれは、弾道ミサイルの誘導技術としても有用な技術なのです。

実用衛星を打ち上げる時からこの技術を使っている国はないのです。朝鮮は、敢えて一番厳しい経路を通って誘導技術を見せ付けたのです。ひっくるめて今回それを全部、米国は認めたのです

朝鮮の労働新聞が、打ち上げ成功の翌日に、「今回の衛星発射打ち上げ成功、宇宙産業の誕生は、チュチェササン(主体思想)の勝利であり、自分の力を信じて勝利した」と言いました。逆に言えば米国の敗北なわけです。

アメリカを中心とする、どのような圧力も、どのような経済制裁も、朝鮮には通じなかったと言う事を世界の面前で証明したのです。この打ち上げは多くの西側諸国で実況中継されました。朝鮮がそれだけの力があると言う事を見せ付けました。社会主義強盛大国の大門を開くと言うプロジェクトの真髄を、この衛星発射は見せ付けたわけです。

ウリナラの経済復興は、あくまでも自国の資源と技術を使ってやるんだと、当然、対外的経済協力・投資を呼ぶ事も出来るかも知れないが、しかしそれはサブであって、あくまでも朝鮮人民の力・情熱でやって行くと言う事。この衛星打ち上げの勢いを持って2013年の朝鮮の、中・長期的戦略、金日成主席生誕100年の歴史の総括に基づいた自主路線の完結を目指すと言う事なのです。絶対に妥協はできません。

 

●「何時か必ず平和、統一が来る」と期待する朝鮮人民の期待をふくらませるアメリカと朝鮮の軍事バランスの変化

<キム・ジョンウン時代の朝鮮は、基本的に核実験をやらない国になるはずだった>

 

この安保理決議、「衛星打ち上げは、朝鮮だけは認めない」と言う決議は、この様に自分たちの力を信じて、国家の発展を目指す、社会主義朝鮮の平和的発展方向をやめろと言う事です。宇宙開発だけの話ではないのです。

こう言う朝鮮式のやりかたは気にいらないとする連中に対して、絶対に妥協できないのです。主席の選んだこの道を、引き続き選ぶべきだというのが朝鮮の国内世論です。

アメリカと朝鮮の軍事バランスは変わりました。朝鮮の記者たちが、一連の制裁決議以降の国内の動きを見て驚いた事があるのです。制裁決議に対する反論が出た後、国家安全保障外交部門の責任者会議が行われました。党中央軍事委員会も開かれました。それが行われた事実が報道されたのです。

外交部門の責任者会議では、朝・米対話の朝鮮側代表のキム・ケグアン次官が、キム・ジヨンウン第一書記を前に写っています。(労働新聞の報道写真を示して)彼が出た事は驚きです。制裁に対し物理的対応を取り、対米対決で自主権をまもる戦いのなかで、これに対する最高指導者の決心、決意が示されると言う流れなのです。人民にはインパクトがあります。当時ピョンヤンで取材した朝鮮の記者によると、サラムドゥルン(人びとは)これが報道されると言うことは、特別な事と分かっているのです。何故そうなのか。ウリナラの事情があります。

1953年に戦争は休戦となった。しかし実は戦争は終っていない。90年代以降は核を巡る対立となった。核をめぐる対立とは、朝鮮人民軍と南朝鮮軍・米軍との軍事的対立を背景として、外交官が「核をテーマ」にやり合うのです。これが「核外交」です。

その間に六者会談、朝・米高級会談もありました、2006年〜2009年まで私も行っていました。(映像を示し)これが釣魚台迎賓館での六者会談のオープニングです。各国三人づつ、記者が入れるのですが、皆抽選です。私は毎回当選します。何故か。優秀だからじゃないのです。競争相手がいない。(朝鮮の)ここに入って記事を書く記者が一人もいないからです。「労働新聞」「朝鮮中央通信」の記者は北京に滞在しますが、会談の記事は書かないのです。私の運転手をしてくれます。日本では、毎日テレビが伝え、記事になりますが、朝鮮ではこの結果を、外務省スポークスマンが最後に伝えるのです。伝えない場合もある。人民はこの軍事的対決に非常に関心が高い。その進展や挫折や状況の詳細は自分たちの生存にかかわる事ですから誰よりも関心がある。朝鮮が分断され戦争でもない、平和でもない、状況が60年も続いている。良く分からないが何時か必ず平和、統一が来ると思っているのがウリナラ人民です。

過去にも朝・米対決は厳しいものがありました。ありましたが、今回のテギョルジョン(対決戦)は、これまでと違うのだと言う事を実感したはずです。

この写真(キム・ケグアン次官が、キム・ジヨンウン第一書記を前に写っていいる労働新聞の報道写真)を見て、朝鮮人民はこれまでと違う事をすぐ実感したはずです。国防委員会が、これからはレベルの異なる対米対決をすると言ったのです。最高指導者が、自分の決心をのべたからです。「人民の経済建設も対米対決の一環だ。」皆が参加しようと。いまは朝鮮人民軍の指揮官だけではない。外務省のキム・ゲグアン次官だけではない。全人民が総力戦で、労働者の今日の生産目標を達成する事、これも反米闘争の一環だと訴えたのです。

これは、60年間やって来た事の最終局面だと言う人民の期待感を脹らませるアピールです。朝鮮首脳陣は、こんな人民の期待感を分かっているのです。この人民の期待感への答えは、実際にその準備がなければ出せません。今回の3回目の核実験もこの一環なのです。全面対決の。

前に、私はキム・ジョンウン時代の朝鮮は以前と違うと言いました。ひとつは、核実験をやることはなかったのです。キム・ジョンウン時代の朝鮮は基本的に、核実験をやらない国になる筈だったのです。弱気になったと言う訳ではありません。朝鮮外交部の役人がこう言っていました。「今の軍需工場、国防力は、人民生活に影響を与えずに核力軍力を強化できる。」と言ういいかたをしました。

 

●「アメリカの核脅威政策は完全に破局した。米国の核覇権に穴が空いた」と評価した独<シュピーゲル>誌

<朝鮮の核兵器は、攻撃し威嚇するものでなく、自衛のための抑止力>

 

朝鮮の核兵器と言うものは、数をもって攻撃し威嚇するものではない。絶対に核戦争を仕掛ける為のものではなく、自衛力の為であるから(敵の攻撃がこれ以上ないと言う)目的が達成すれば、お金が沢山かかる物理的対応は必要ないのです。

今回の実験を敢えてやった事について、外務省はこう言っています。「我々がどれだけ憤激しているか、見せつけるためのもの」自分たちの力で、自分たちを守る力がある事を証明し見せ付ける為の実験だったのです。

今回の実験について日本のメデイアは、爆発力が小さかった様に伝えています。これは、朝鮮の核実験の意味を知らないか縮小するものです。一方世界の核専門家は、「今回の実験は、朝鮮のこれまでの2回の核爆発より、10倍の威力があった」と見ています。小型、軽量化され、タジョンファ(多種化)された核抑止力」こう言う遠まわしの言い方になっています。

世界の核専門家や、朝鮮ウオッチャーの分析では、今回の核は、もしかして<プルトニューム>や<濃縮ウラン>による核分裂によるものでなく、(一般の核爆弾でなく)その爆発力からみて、水素の核融合で出力を出す<水素爆弾の初期化>或いは<小型水爆>ではないかとの話がでているのです。

実は、2007年に、朝鮮は核融合に成功したと「労働新聞」に目立たない様に、出ていました。これをもって、あの爆発力の大きさが分かると言うものです。

アナリストの話は、推測かも知れないが。あれほど核をよく知る米国も何故か口をとざしている。今回の核実験は、朝鮮側が言明した事以外は無いのです。

ドイツの<シュピーゲル>は「アメリカの核脅威政策は完全に破局した。米国の核覇権に穴が空いた。」と評価しました。ロシア、中国ではなく、西側が言っているのです。オバマは朝鮮人民から怒りまで見せ付けられたのですが、米国としては、どうするのか

 

●「変わらない米国」に対し、永久に核を捨てないとする暫定結論を出した朝鮮

<大統領選前、二度ピョンヤンに入った米国の政策担当者の目的とは>

 

あの(キム・ジョンウン第一書記の)閲兵演説で、「朝鮮の歴史とともに、対米交渉の歴史を総括する」と言いました。結論は何か?「アメリカは、決して変わらない」と言っています。だから、「核問題は全面的見直しに入る」アメリカが変わらないのであれば、「我々は永久に核を捨てない。核保有は永遠である。さらに強化する。」と言う<暫定結論>を出しました。

朝鮮は「変わらない米国」に対しこの方針を外務省見解の形で昨年7月頃から公に言い始めました。「非核化は出来ない」と言う、この1月の制裁決議後に言った言葉と同じロジックです。朝鮮は「変わらない米国」に対し、半年以上前からこのメッセイジを出していたのです。

米国の大統領選挙がありました。オバマは、自分の選挙が忙しくて見逃がしたのか?そんな筈はありません。去年2月まで公の朝・米交渉は無いのですが、実は米国とは水面下で接触していました。米ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)、中央情報局(CIA)の政策担当者が、2度ピョンヤンに秘密裡に入っています。

1回目は4月(衛星打ち上げの直前)に、2回目は8月(11月米大選の3か月前)に入りました。1部メデイアは、何しに行ったのか、対話が表面上ない状況で、オバマ再選に不利となる様なことが無い様に、たのみにいったのではないか、と言う様な伝え方がありました。当の米国は、何も言っていません。口を噤んでいます。朝鮮側は会ったと言っています。NSCとも、CIAとも会ったといっています。

その時何の話が出たのか。オバマは、「アメリカは朝鮮を敵視していない」と言うメッセイジを持ってきた。朝鮮側は「何を言っているのだ。あなた側は何も変わっていないじゃないか。あなた達が変わらないのであれば、私達は、核保有国として自分を守る」と伝えた。米の密使はこの話を心に仕舞って置くことはない。オバマに伝えているはずです。これを知らされたオバマは再選したのです。この後4年、オバマの朝鮮政策はどうあるべきか、聞いているはずです。衛星打ち上げを制裁対象にすれば、どうなるか、オバマは知っているはずです。衛星打ち上げを制裁対象にすれば、何が起こるかと言うのは知っているのですそれなのに、やったと言うことです。当然、対話の道を選ばないかも知れない。選ばなかったらどうなるかも、昨年の段階で警告のメッセイジを朝鮮は出しているのです。

 

●今は、1953年の朝鮮戦争の勝利の延長線上にある「最終局面」

 

キム・ジョンウン大将は、昨年8月末に、2週間にわたって東部戦線、西部戦線をずっと廻りました。817日、西部戦線のホットスポット(の島)でこの様に言いました。「米・南軍が、自分たちの領土に一発でも弾を落としたら、その瞬間に全面戦争になるだろう」と。2011年ヨンピョン島に対する人民軍の砲撃での実質的指揮者はキム・ジョンウン大将でした。(このヨンピョン島事態は)60年をへて、朝鮮半島で戦争がおきるのかと言う問題の一つの答えです。

結果的に(朝鮮戦争で)朝中・米三国は休戦協定にサインをしています。南・北に火が付くと、米国は介入せざるを得ない。中国も同じです。しかし、(ヨンピョン島事態)は、戦争にはならなかった。米国はこのときの「演習」で、南朝鮮を前面に出して攻撃訓練だとして挑発しました。朝鮮はやり返しました。相手は当惑して意気消沈して、それ以上できなかった。空爆もできなかった。朝鮮人民軍は自制力を発揮しました。

しかし、今回は、「自制しなくてよろしい。」と最高司令官は言ったのです。今の状況を終らせるのは、二つの道がある。戦争で終わらせるか、平和談判するか。このとき、米国の密使がピョンヤンに入っていた時です。キム・ジョンウン第一書記は、この時に、敢えて前線の島に入っています。

825日ソングンチョル(先軍節−キム・ジョンイル総書記が先軍  政治を始めた日)と言うことで、ミョンジョンにいた。将軍らと食事をして演説をしました。その肉声が世界に発信されました。そして作戦計画にサインをしました。

昨年、米国はピョンヤンに密使を送った段階で、朝鮮がどう出るか、知っていた筈です。朝鮮から宿題を与えられている。キム・ジョンウン大将は、核実験に対する国連制裁が出るその日に、もう一度、島に入り同じ事を再確認しました。この様な状況で、先述したクリントン第二期目で<朝鮮問題調整官>を務めたウイリアム・ペリーさんは、その道を選んではいけないと言っていましたが、ウリナラクンデワ インミン(わが国の軍隊と人民)にとって、島の視察大きな反響があるでしょう。1950年から続く戦争は、まだ  終っていない。これも最終局面だと思っているでしょう。「又最前線に行った。“停戦協定を白紙化する”と言った後に、最前線に行っているのですから、これは最終局面ではないか?」と言うわけです。キム・イルソン(金日成)主席の1953年朝鮮戦争の勝利。その延長戦上に核問題があり、キム・ジョンイル時代の流れが結着すると言う訳です。

 

●朝鮮半島の<対話と平和解決>への流れは、押し止める事は出来ないだろう

<日本は‘ピョンヤン宣言’に沿った道筋を避ける事は出来ない>

 

212日、三回目の核実験が行われました。米国は知っていたのでしょう。しかし、知っていたのと、実際にされるのとでは意味が違います。

朝鮮が核実験をしたと発表して1時間半後、アメリカは夜中の1時頃、オバマ大統領から声明が出ました。前から準備していたのです。サッと出た。「朝鮮の核とミサイルは、米国の国家安全保障上の脅威である」と。アメリカ国民はびっくりしました。なんだ、それはと。

アメリカ国民にとって、朝鮮の核問題はアジアの問題だったのです。「日本や南朝鮮など同盟国にとっての問題」だったのです。対岸の火事だったのです。オバマの声明でいきなり、何故か自分たちの問題だと言いはじめたのです。

何故こっちを狙っているのか、いつの間にアメリカの脅威になる様な力を持ってしまったのかと。これは解決しなければならないとする意見がでています。出来れば平和的に解決しなければと。ペリーさん言うように、あるがままの朝鮮を認めなければとする考えも出ています。

先日ピョンヤンを、アメリカの有名なバスケットの花形選手だったロットマンさんが訪問しました。朝米混合試合をやりました。ロットマンとキム・ジョウウン第一書記が並んで観戦しました。バスケットをキム・ジョンウンが好きだからで終わる話ではありません。

これに先立つ、グーグル会長のピョンヤン訪問もそうですが、米国務省は現場で記者に言われると、「我々政府は、国民の朝鮮の渡航については制限しない」と言ういいかたをする。しかし、「交戦国」のトップと会うのに、なんの関心もなく、なんの連絡もなくと言う事は在り得ない。米・中国交回復関係の中では、ピンポン外交があります。朝鮮の指導者は一方でこれをやり、他方でそれをすると言うスタイル違いは大きいのです。アメリカ人には分かりやすい。

今の情勢局面の転換と言うのは、過去の厳しいレベルが少し良くなるとする程度のものではない。歴史的転換の分岐点が1994年、戦争直前まで行ったとき、キム・イルソン、カーター会談の結果どうなったかと言うと、史上はじめての南・北首脳会談の話がでました。それは実現しなかったが、先代・キム・イルソン主席の時代に出来なかった事をキム・ジョンイル総書記が解決すると言うスタンスで、今、全部戦略しているのです。

いまだに朝鮮は、南朝鮮大統領、パク・クネの名指し批判は一度もしていません。今後どうなるか、日本は大変な時期です。総連も。民族教育への人質差別など。野田政権時代、昨年11月、4年ぶりに、朝日協議が再開されました。私もウランバートルに行ってきました。その時、朝鮮側は次が安倍政権であると予測していましたが、今の局面の次の段階で、日本が朝鮮と対話せざるを得ない状況を作ると考えています。今後3回目の実験に対する制裁のつぎの段階で、朝・米、南・北、中国、ロシアが新しいリーダーシップを取って、朝鮮とあたらしいレベルで外交交渉をはじめた時、このパイプを捨てる事は、日本は出来ないのです。取らざるを得ない。そのときには、ピョンヤン宣言に沿った道筋に行かざるを得ないと思います。


○司会者;有難う御座いました。最後に、キム・ジヨン先生への質疑応答をお受けします


○質問者;
柴野貞夫時事問題研究会

<制裁支持にまわった中国の態度は、世界政治での軸足を、帝国主義列強に置いたものと批判すべきだと考えますが、朝鮮側の考えをお伺いしたい。>

興味深いお話、有難うございました。一点だけ疑問にお答え下されば幸いです。朝鮮の第三回核実験に対する安保理制裁決議に、社会主義を自称する中国が賛成し、或いはその動議提出に加わった事実についてです。今回の制裁支持にまわった中国の態度は、社会主義中国の世界経済との相互依存は別として、世界政治での軸足を、帝国主義列強に置いたものと批判すべきだと考えますが、朝鮮側の考えをお伺いしたい。


○キム・ジヨン氏;<やはり事大主義であってはいけないと、大きな国だからと言って、100%信じるべきではない。朝鮮国内では怒りを持って世論が形成されています。>
60年代、中国が核実験を成功させた時、最初に祝賀したのは朝鮮民主主義人民共和国です。中国は持つべきだと、アメリカ帝国主義と戦うのに必要であると、メッセイジを受けた国がこの様な態度を取った。これは、あってはならない事だと、朝鮮国内では怒りを持って世論が形成されています。

名指しはしませんが、<労働新聞>をはじめ、いろんなところで、批判が出ています。朝鮮はこう言っています。やはり事大主義であってはいけないと、大きな国だからと言って、100%信じるべきではない。こう言う話を労働新聞に一面ぶち抜きで書きました。

この労働新聞の記事は、英文になって書かれアメリカ国務省の必読文献になっていると言うことです。中国は、今回制裁決議に賛成したのですが、では、本当に朝・中は仲がわるいのかと言う問題です。朝鮮半島問題で)中国がキーを持つ国と言ういいかたをします。私はこれは違うとおもいます。「中国に任せれば良い。」と日本も良くいいますね。これは、アメリカが問題を解決したくない時に、中国に任せているのです。中国が仲立ちすると、「アメリカとまた六者会談をしましょうと、行動対行動です。アメリカも悪いが、北も何かしなさい」となる。しかし、こう言う遣り方は、朝鮮は「もうしない」と言うのです。

結論から言うと、中国がはずれて良かったのです。人民感情としては、中国はなんだと思っているかも知れませんが、現実的に今後、この立場から対米交渉をする時に中国がはずれている方が良ろしい。

中国は、先程おっしゃった様に、アメリカとの関係を考えて(安保理決議を)やったのか、アメリカも国家安保の問題は自分自身の問題である以上、第三者はいりません。朝鮮半島問題は、朝・米がさしでやって、そこにソウルまで入れて「中国は関与して欲しくない」と言うのが、本音でしょう。

また一方、朝・中は何だかんだ言っても革命同志であるから、世界を騙しているのではないかと言う意見もあります。今後は(米帝国主義が侵略戦争を)やるんならやるぞと言いますが、(国も)人民も、戦争はやらない方が良いのです。中国の行動には他の見方があって、中国も米国も本音は他の所にあるのではないかと言われています。 (柴野貞夫時事問題研究会)