(民衆闘争報道/ 「翁長知事追悼辞」 奈良−沖縄連帯委員会 2018年8月20日)
[翁長知事追悼辞]
悲しみを憤怒に変え、翁長精神と思想を継承・発展させよう
奈良−沖縄連帯委員会(代表 崎浜盛喜)
琉球・沖縄人のアイデンティティ―と、自己決定権の確立を
翁長雄志沖縄県知事が、8月8日膵臓ガンのために急逝した。67歳。知事に当選した時「万策尽きたら辺野古ゲート前に夫婦で座り込む」と、妻・樹子(みきこ)さんと約束したという。志半ばで急逝された翁長知事の無念さは計り知れない。
「 沖縄人への不平等は許さない、という強い信念を貫いた琉球人」
かつての自民党の盟友・元沖縄県知事の稲嶺恵一氏は 「 沖縄人への不平等は許さない、という強い信念を貫いた琉球人」と翁長知事の偉業を讃えた。翁長知事は、次の歴史的事件に衝撃を受けたといわれている。
第一番目の「事件」は、2007年に沖縄戦「集団自決」問題に関する「日本軍の関与」が教科書から抹殺された「教科書問題」である。翁長さんは「ウチナーの先祖があれほど辛い目にあった歴史の事実がなかったことにされるのか」と憤った。歴史の改竄・修正は琉球・沖縄人の誇りと人間としての尊厳を全面否定することに他ならないからだ。
次は、2013年1月、那覇市長としてオスプレイ配備撤回を求める東京行動を牽引し、県内全市町村長らと共に「沖縄の総意」を示す銀座行進を行った時「事件」が起こった。街頭から「売国奴」「琉球人は日本から出ていけ」等々の罵声が浴びせられたのだ。あからさまな琉球・沖縄への「ヘイト・スピーチ」に対して沸騰した憤怒の感情は想像を絶するもがる。
第三の「事件」は2013年4月28日の「主権回復の日」問題だ。沖縄では「屈辱の日」と歴史に刻印されているのに、安倍首相・日本政府は「天皇陛下万歳」を三唱してお祝いをしたのだ。安倍首相の「日本を取り戻す」には、沖縄が眼中にない。翁長さんは、日本政府と国民は沖縄のことを何も知らない、情もない、と嘆いたとのこと。
翁長さんは、これらの「事件」に琉球・沖縄人問題の本質と核心的課題があると捉え返し、「イデオロギーよりアイデンテイテイー」という琉球・沖縄人の新たな運動の精神的支柱を確立した確信している。
琉球・沖縄人として、人間の尊厳を持って堂々と闘いを挑んだ翁長知事
こうして日米両政府と全面対決する「オール沖縄」が誕生し、2014年11月の県知事選においては、翁長候補が現職の仲井真知事に約10万票もの大差をつけて歴史的勝利を収めた。沖縄県民は「辺野古新基地建設阻止」を掲げた翁長雄志を県知事に選出し、辺野古新基地建設「NO!」を日米両政府に宣言したのだ。
日本政府との会談を4ヶ月も拒否された翁長県知事は、2015年4月の菅官房長官との初会談に於いて「辺野古新基地は絶対に建設できない。移設を”粛々”と進めるという発言は問答無用という姿勢が感じられ、上から目線の言葉を使えば使うほど県民の心は離れ、怒りは増幅する。官房長官の言葉は、キヤラウエー高等弁務官の姿を思い出させる」と叱咤した。
かつて仲井真前知事は日本政府の恫喝にひれ伏し、「振興予算」の見返りとして辺野古の埋め立てを承認し「いい正月がおくれる」と、琉球・沖縄人の誇りを踏みにじる恥辱に満ちた醜態を曝した。しかしながら、翁長知事は、このような「植民地支配」を彷彿させる日本政府の悪政に対して、琉球・沖縄人として、かつ人間の尊厳を持って堂々と闘いを挑んだのである。
辺野古新基地建設阻止の闘いは、死の間際まで微塵も揺らぐことはなかった
○「県民が戦後収容所に入れられている間に土地が強制接収され、銃剣とブルドーザーで基地が造られた」
○「沖縄戦で軍事占領した土地に普天間飛行場を造り、そこが危険になったから他の土地をよこせ、というのは理不尽だ」「日本の政治の堕落だ」
「うちなーんちゅ、うしえーてー、ないびらんどー(沖縄人んをないがしろにしてはいけませんよ」(2015.5.17 辺野古新基地断念を求める県民大会)
○「政府は民意にかかわらず強行している。米施政権下と何ら変わらない。日本に地方自治や民主主義はあるのか。沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か。国民に問いたい」(2015.12.02 代執行訴訟意見陳述)
○「安倍首相が「国難突破解散」と言ったが、沖縄がこういう状況(高江・米軍ヘリ炎上事故など)を強いられていることそのものが国難だ。安倍さんが「日本を取り戻す」という話しをするが、その日本に沖縄は入っているのか」(2016.10.22
東京・結・琉球フオーラムでの基調講演)
○「沖縄の人々は自己決定権や人権がないがしろにされている」(2015.9.21 国連人権理事会)
○「日米安保を日本国民の大半が支持するのならば、沖縄に犠牲を押しつけるのではなく、その犠牲を分かち合うべきではないか」
琉球・沖縄は、戦後73年もの長きに渡って米軍基地と米軍によって土地を奪われ、虐殺・強姦され、生活と自然が破壊され、あらゆる人権が蹂躙されてきた。
米軍機の爆音騒音によって静かに眠ること さえ許されない。その上になお、日本政府は「基地と引き換えに振興策」を強要し、県民同士を啀み合わせて、分断してきた。
辺野古埋め立て承認撤回を表明
政治家の息子として生まれた翁長知事は「基地を巡ってウチナーチュ同士がいがみあう様を見せつけられた」「それを高見で笑っているのは誰か」と常に問いかけていたという。
翁長県知事は、去る7月27日に沖縄防衛局の辺野古埋め立て土砂搬入を阻止するために、穏やかながらも鬼気迫る表情で辺野古埋め立て承認撤回を表明した。
「20年以上前に決定された辺野古新基地建設を強引に押し進めようとする政府の姿勢は、到底容認できるものではない。(日本は)平和を求める大きな流れからも取り残されるのではないか」
「アジアの中の沖縄の役割、日本とアジアの(平和の)架け橋。沖縄は何百年も苦労してきて、今やっと飛び立とうとしている。飛び立とうとしている足を引っ張ろうとして、『沖縄は振興策を貰って基地を預かったらいいんですよ』などということがこれからもあったら、沖縄の政治家としてとても容認できない」と述べた。これが遺言となった。
琉球・沖縄人の誇りと人間としての尊厳を覚醒させた翁長知事
「琉球併合」以来連綿として続く差別と同化・軍事植民地支配下において、今までの琉球・沖縄の政治家たちは、米軍政・日本政府とまさしく血のにじむような激しい闘いを展開してきたのだが、翁長県知事は我々に琉球・沖縄人の誇りと人間としての尊厳を覚醒させたのである。まさに”マブイグミ(魂込)”であり、琉球・沖縄の曙光に他ならない。
「戦後73年、沖縄は平等や人権、自己決定権、民主主義をないがしろにされてきた」。 琉球・沖縄人のアイデンティティーと自己決定権の確立が何よりも求められている。
我々は、この翁長精神・翁長思想を胸に刻み込み、9月の県知事選に勝利し、辺野古新基地建設を絶対に阻止しなければならない。琉球・沖縄の自立解放の展望は、ここから拓けると確信している。平和で豊かな沖縄の未来と子や孫、そして美しい自然を守るために、決して諦めることなく共に闘いを前進させよう。
翁長知事死去 悲しみ怒るごとく 天を突き咲(裂)く 鉄砲百合 ウートートゥ ウートートゥ (合掌)
2018年8月20日
<関連サイト>
☆[論考]/日米安保条約と日米地位協定の歴史と、その反民衆的本質(2012年11月1日)
http://vpack.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_jijitokusyu_77.html
☆[論考]/オスプレイ沖縄配備と、規制なき米軍基地の実態を暴く (2012年10月10日)
http://vpack.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_jijitokushu_75.html
☆民衆闘争報道/大田昌秀さんが語る「沖縄の心」 講演記録<3>(2013年6月30日)
http://vpack.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_jijitokusyu_95.html
☆民衆闘争報道/大田昌秀さんが語る「沖縄の心」 講演記録<2>(2013年6月30日)
http://vpack.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_jijitokusyu_94.html
☆民衆闘争報道/大田昌秀さんが語る「沖縄の心」 講演記録<1>(2013年6月30)
http://vpack.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_jijitokusyu_93.html
☆民衆闘争報道/沖縄−怒りの御万人(うまんちゅう)大行動(2012年12月23日)
http://vpack.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_jijitokusyu_81.html
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