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 (韓国 社会主義政治組織 タハムケ・機関紙「レフト21」 2011327日付)
  http://www.left21.com/article/9488



核のない世の中の為の緊急行動/「核のない世の中は可能だ」

        − 「日本・東京の320地震被害地域支援、反原発、反戦行動」への連帯行動


                                          <レフト2>53号 報道記事オンライン



日本の福島原発事故を契機に、この間隠ぺいされていた、安全で、平和的に利用することが出来る核と言うものは無い、と言う事実が、満天下に暴露された。
日本とドイツなど全世界で、核の完全で即刻的な廃棄のための行動が、繰り広げられている。326日、韓国(ソウル・ポシンガク<普信閣>)でも、核のない世の中のための緊急行動’(以下、緊急行動’)が開かれた。
緊急行動には、気候正義連帯()、タハムケ(すべて共にと言う意味訳注)、社会進歩連帯、保険医療団体連合、民主労総、進歩政党などから、200余名が参加した。
この日、緊急行動は、ダイイン(die in)パホーマンスで始まった。このパホーマンスは、毎年、日本の広島で原爆投下日、核爆弾が破裂した時間に合わせ、繰り広げている有名な反核パホーマンスだ。
地震と津波、核事故で苦痛を受けている日本(の民衆)に送った連帯メッセージが紹介された。
国家非常事態を口実に、挙国一致自粛を日本政府が強要しといることに反対して開かれた。「320地震被害地域支援、反原発、反戦集会の発起人団体である、全日本学生自治総連合会と、原子力資料情報室、原水爆禁止日本国民会議、単一労組協議会は、連帯の辞で「福島原子力発電所(訳者注原文は<核発電所>となっている。核分裂を利用する点で、核武器と共通する原発は、核武器でもあるとする見解は、もっともである)事故は、日本政府の核競争政策が生んだ人災であり、今すぐすべての原子力発電所を停止する為に、日本と韓国そして全世界の労働者、学生、市民は闘おう!」と述べた。
保険医療団体連合のチェ・クジン企画部長は、核発電と核爆弾の差異は、ゆっくりと反応するか、早く反応するかの差だとし、これは「人が長期的に死ぬ事と、即刻的に死ぬ事(の違いに過ぎない)」と語った。日本と韓国政府は「核(発電―訳注)は安全だ」と言うが、かれは被爆の危険性と深刻性を上げて、これがどれほど根拠のない事かを批判した。また、国民の健康と安全に無関心な政府を強く糾弾し、即時的な核廃棄を主張した。
ソンシン(聖信)女子大学生活動家は、学校で核発電所を原子力発電所と欺き、こんな核発電所の輸出を自慢するように教育していると暴露した。
進歩新党のキム・ヒョンウ、緑委員長は、全世界に450余基の核発電所が存在するが、既に大きい事故は3回あった。これが果たして平和的で、安全で、人類に助けとなるものなのか」と述べた。彼は、核なき世の中を作る為に重要なことは「闘うことだ」と指摘し、コリ1号機、ウオルソン1号機の寿命延長を拒む日から、イ・ミョンパク政府の核推進政策にけりをつけよう反核運動、闘志!と叫んだ。
民主労働党のキム・スン政策委員は、自然災害は、苦しくとも時間がたてば復旧が可能であるが、核はそうではない。後世に、死の恐怖を負わせる事は出来ない」といい、我々がいかにして核に反対しなければならないかを具体的に示した。イ・ミョンパク政府の核輸出政策を批判し、イ・ミョンパクが、アラブ首長国連邦(UAE)に核発電所を輸出することは不道徳だ、こんな政策を直ぐに中断させよう」と言った。
社会進歩連帯のク・ジュンモ政策委員は、イ・ミョンパク政府の温室ガス削減政策の背景には、核発電ルネッサンスがあって、チェルノブイリ事故以後、新たな核発電が目を覚ましていると語った。そして、特に「環境・エネルギー活動家」の不感症を鋭く咎めた。人の古い環境運動活動家の自己告白文を紹介して、はじめ反核を旗印に掲げた活動家たちが反核を引っこめ、エネルギー運動をしたのは間違いだった。それによって、核問題は忘れられていった。“扶安”以後、反核運動が無くなった」と語った。彼は「福島核発電所が爆発し、放射能の恐怖が広がっている。もう一度、警戒心を高めなければならない」と言い、「われわれには反核運動が必要だ。反核運動、闘志!と叫んだ。
タハムケのチャン・ホジョンは、「核発電所が爆発した。次の日、<ファイナンシャルタイムス>が今後20年は、核産業の暗黒期となるだろう」と報道したが、ここに集まった我々がどうするかに懸っている。」「日本政府は何をしているのか。核恐怖の中で苦痛を受けている。日本人は、今後ずっと核発電所の爆発による苦痛と真剣に格闘していかなければならない。」「日本政府による核推進政策の結果、日本の労働者と民衆が、このむごたらしい事態を引き受けざるをえなくなった」と批判した。彼は「いま、多くの人々に核に対する不安感が錯綜している。核なき世界は可能だ。このことに、我々は確信を持たなければならない」と主張した。
サムチョクとキョンジュ、そしてソウルの都心で、「扶安」の反核運動のような行動を続けていかねばならないすべての核発電をなくそう。核なき世の中は可能だ。ただし、我々はこの為に闘争する限り。
△(写真、イ・ユンソン)

(訳 柴野貞夫 2011328)