(韓国民衆言論 チャムセサン 国際記事 寄稿文 2010・10・11付)
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ヨーロッパの労働者闘争
[寄稿] 社会民主主義の退潮と、工場/街頭の政治
ナム・クヒョン(韓神大)
今ヨーロッパでは、国と国境を越える、賃金削減、年金改悪など緊縮財政に抗議する労働者達の総罷業(ゼネスト)闘争と、街頭示威が勃発している。スペインでは、1000万名の労働者がストライキに参加しているし、パリ、アテネ、ローマ、リスボン、ベルリン、アムステルダム、ブリュッセルなどの地で、数万名、数十万名に達する示威隊が激烈な示威を繰り広げている。
2000年代初半の、ギリシャ、スペインでの総罷業闘争以来最大の規模だ。まだ進行中と言うその結果を見なければならないが、ひとまずは幾つかの点を考えるようにする。
何よりも今の危機は、金融危機から財政危機へ、財政危機を解決する為の緊縮財政が大衆的抵抗に突き当りながら、政治的危機に駆け上がっていると言う点だ。これは、株価暴落、インフレ、過剰生産が問題だった1929年や、産油国らの価格談合(による)引き上げ、オイルショックで触発された1970年代の危機とは異なる様相だ。
一方、ドイツやスウェーデンで明白に見る事が出来るように、過去百数十年間、労働者の政治勢力を自負して来た社民主義(社会民主主義)の退潮とともに、‘工場/街頭の政治’が勃発し出していると言う点でも、新しい苦悶が必要だと判断される。
良く、金融危機、財政危機と呼ばれている今の危機の様相は、すでに良く知られている。不動産バブルが消え失せ、米国のサブプライムのモートゲイジローン(mortgage
loan-不動産抵当ローン)で始まった今回の危機は、世界屈指の金融機関らが破産しながら、世界各国を強打した。猫も杓子も金儲けに走らせる、ありとあらゆる金融派生商品(derivatives)、これが作ってくれた利潤などが空中に揮発したのだ。
(株式を筆頭とした金融商品の利潤は、実質的資本<reales kapital
>が作り出す事で‘期待される’利潤に基づき、想像の中で作られる虚構的資本<fiktives kapital>だ。派生商品は、それがどんなに奇抜でも、虚構から発生した虚構に過ぎないのであり、言葉通り気泡(bubble)の様に消えるものだ。嘘が大きくなるほど人々はそれを信じるように、気泡が大きくなれば気泡でないものの様に見える。今は気泡が消えたからと言うのだが、この様な気泡、即ち派生商品を研究し、ノーベル賞を受けた経済学者が多いと言うが、経済学と言う学問とノーベル賞の権威は、それほど大したものとは思えない。多くの場合、学問は常識よりも劣る。
気泡が消えて、労働(者)が攻撃されている今、この瞬間にも、労働なき貨幣、金融それ自体に価値、ひいては利潤が出て来るのか?をめぐって、学者たちが論争を繰り広げている。まるで、駱駝が針の穴に何頭入って行く事が出来るのか?について論争をした中世の神学者達の様に。)
金融危機に対する処方として、各国政府は国家財政で(大部分国債発行で)救済金融を受けた。世界的に5兆ドルが支出されたと言う。国家の資産買い入れで、事実上国有化された金融機関もある。(市場万能主義者達が、国有化をするって?‘社会主義者’達も綱領で消したと言うその国有化を。)
国家が借金の山に登って座るや、彼らがいつも活用する手法が伝家の宝刀の様に動員されている。‘資本の危機を、労働と福祉の危機で!’
資本を活かす為に発生した国家の財政危機を解決する為に、労働者の賃金と年金を削減する緊縮財政は、遂に今の労働者総罷業と街頭示威を触発したのだ。
今の危機は、蓄積される資本は次第にもっと大きくなるにも拘らず、利潤率は低下する基本的な資本主義の法則が貫徹されながら、非常に大きく積まれた資本が、投資先を探す事が出来ず、全地球をさまよい、金融化、投機化した結果として発生したものと見る事が出来る。
資本主義の危機は、資本の生産、再生産過程のあらゆる契機の中で発生するが、今の危機は、‘利潤’を取って食らう事それ自体から発生した。
以前には、労働者を極めて非効率的に雇用したと言うなど、労働過程で、もしくは油価引上げなどで生産単価が急に上がったと言うなど、素材的なところで、もしくは生産と消費の間の調節が駄目だったと言うなど、制度次元で危機の原因を探す事が出来た。しかし今の危機は、資本の内的属性であるさらに多い利潤のための投資/投機が、どんな装いもないまま、それ自体のバブルを作り出しながら発生したものとして、資本それ自体の危機は、今無媒介的に露呈したと見る事が出来る。
一方今日の危機は、1980年代以来登場した新自由主義戦略が、一世代を経由し地球的に全面化された結果として現れたと言う点で、一つの時代を締めくくるものと見る事が出来る。
この過程で、新自由主義への対処をろくに出来なかった-より正確には、これ(新自由主義)に追従した-社会民主主義は、道ずれ墜落している。
労働者の政治を標榜する政党が、逆説的に、資本が危機にぶつかり労働者の闘争が広がる渦中に弱化されていると言う事だ。
昨年度9月、ドイツの選挙では、ドイツの社民党が23%を獲得し最大の敗北者となり、中道右派が執権した。それ以前の2005年より11.2%下落した得票率であって、1900年代以来の最悪の得票率だ。支持率を見ると、極右勢力と左派党が躍進した事で現れるが、‘政治の両極化’を見ることが出来た。
特に左派党は、11.9%を得票し、緑の党を乗り越えた。ドイツの社民党は1800年代中盤、マルクスとラサールが統合しながら建設した党として白寿十年の伝統を持っており、第2次大戦以後には、中道右派と持ちつ持たれつして執権しながら、ドイツの社会国家(Sozialstaat)建設の牽引車の役割をした党だ。社民党の急激な墜落は政治地形の変化が激しくないドイツでは異例的なことだ。
筆者は、すでに10年前、トニー・プレオの‘新労働’政策とシュレッダーの‘新中道’路線など、いわゆる第3の道流の立場が登場する時、これらは‘新自由主義を内面化した社民主義’として、社民主義が自身の基盤を自らつぶし墓穴を掘っていると批判したことがある。
実際にシュレッダー政府は、2000年代初盤を経由しながら、公言した通り低賃金の職場を作ること、年金また医療保険改悪など、新自由主義改革を積極的に遂行し、有権者達の不安を買った。社民党の敗北に対し、ドイツの或る言論は、社民党式新自由主義改革であるアジェンダ2010に対する領収証を、(民衆から)受領したものだと書いた。
社民党の右傾化は、失権を招く一方、ラフォンテーンをはじめとする社民党内左派達が脱党し、左派党に合流する原因を提供した。
去る9月、スウェーデンの選挙では、社民党が敗北し中道右派政党が執権した。支持率30.9%で、1914年以来最悪であり、右派政党が選挙で勝利したのは今回が初めてだと言う。同時に、極右勢力がスウェーデン国会に初めて進出した。1930年代から数十年間、社民主義政党が執権して来た国、エスピンエントスンなど、多くの学者たちによって、社民主義のモデルとして区分されながら、最も理想的な福祉国家として研究対象と成って来たスウェーデンは今、社民主義モデルに含まれない国となった。今スウェーデンでさえ、社民主義が選挙で敗北し、右派政権が入り込みながらヨーロッパ全体で見ることが出来た社民主義の退潮傾向にピリオドが打たれた感じだ。
社民主義の退潮とともに、総罷業と街頭示威など、大衆の直接政治が爆発し出している一方、資本主義の止揚を目標に掲げた、ドイツの「左派党」、フランスの「反資本主義新党」など、新生政党が登場し大衆的反響を引き起こしている。このような変化は、過去数十年間進行されてきた新自由主義支配戦略の全面化と、資本主導の地球化傾向の結果だ。
ウォルロスティンもまた、スウェーデン社民党の敗北に対し書いた最近の文で、新自由主義世界化に対する屈服が、スウェーデン社民党の敗北に決定的だったと書きながら、社会民主主義には未来がないと書いた。
しかし、ウォルロスティンは、社民主義に対する有権者の支持、反発の脈略で接近している、また、極右反移民政党の国会進出に対しては、人種、少数者に対する社民主義の無関心を挙げている。
筆者の考えは、社民主義の退潮は、地球的水準での資本の蓄積条件と支配戦略の変化とかみ合わされたものとして、今のヨーロッパの政治地形の変化は、福祉国家/社会国家的発展のパラダイムの変化を予告すると言うものだ。
この様に見れば、新自由主義的とか、社民主義的な代案ではなく、資本主義を飛び越える新しいプロジェクトが要求されると見る事が出来る。
金融危機、国家の財政危機を経ながら、市場と国家すべてが底を見せている今の時期、市場万能主義的な新自由主義、国家介入主義的な社民主義のすべて身動きの幅が極めて狭くなっている今の時期、資本主義が自己の矛盾を解決する為に、むき出しに労働に対する攻撃に拍車を加えている今の時期には更にそうなのではないか。
(訳 柴野貞夫 2010・10・31)
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☆ 235 極右勢力の拡張と戦争の記憶 (韓国・チャムセサン紙 2010年10月20日付け)
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