(韓国民衆言論 チャムセサン 2010年10月20日)
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極右勢力の拡張と戦争の記憶
(ヨーロッパ極右勢力の膨張と教訓)
ホン・ソクマン記者
○引き裂かれる‘ヨーロッパ’
ヨーロッパの政治は、いま左右に分裂して行っている。
大恐慌以後、最大の経済危機を迎えているヨーロッパは、財政危機を経験しながら緊縮政策を広範囲に展開している。このような緊縮政策は、労働者と庶民たちの福祉と賃金を攻撃し公共部門を縮小させたので、ヨーロッパ各国は今、前例なき病魔に苦しんでいる。
緊縮政策に抗議したスペイン労働者1000万名が総罷業(ゼネスト)断行し、ヨーロッパの心臓と言うベルギー・ブリュッセルでは、数十万名の労働者達が抗議の示威を展開した。フランスでは、年金改悪に抗議する350万名に至る労働者達が無期限総罷業を敢行している。
資本主義経済危機とともに激化される階級闘争に、新自由主義に傾いたヨーロッパの社民主義は、急激に支持基盤を失って行っている。
反面、社民主義の左側には、(フランスの)反資本主義新党(訳者注・①)、(ドイツの)左派党を新しく構成し、社会主義に対する支持基盤を拡げて行っている。ドイツ左派党とポルトガル左派ブロックなどは、安定的な支持基盤確保した。フランスの反資本主義新党も、躍進している。
全般的に、社民主義の没落に反し、急進左派陣営の躍進現象がヨーロッパ次元で際立っている。
△10月16日、財政の危機を労働者の犠牲によって転嫁しようとする資本家政府に、抗議するマルセイユで繰り広げられたフランス労働者の総罷業場面。言論らは、(全国)到る所が同じ光景だと伝えた。]
http://www.dw-world.de/
△終わりが見えないほどの、スペイン労働者達の隊列,[出処、http://www.spanishvida.com/]
一方、右側には、中道右翼もしくは保守政党が縮小され、極右政党も目につくほどに拡大されている。特に彼らは、イスラム移民者に対する反人種主義と結合しヨーロッパ各国で猛威を振るっており、政治地形の変化まで現われており、憂慮を掻き立てる事となっている。
○ヨーロッパ、反人種主義の拡散と極右政党の成長
ヨーロッパでは、たびたびイスラムに対する差別的、反人種的政策が問題となって来た。前年、スイスで実施された国民投票では、ミナレット(イスラム寺院の尖塔)建設禁止に賛成する票が60%に達した。また、ベルギーでは今年、ブルカ禁止令が下院を通過し、現在は上院の承認を待っている状態だ。
フランスでも、ブルカ禁止令は前の週、憲法会議(憲法裁判所)で合憲判決を下し、最終的に確定された。オランダも政権(連合政府)内部で、極右政党の手を借りてブルカを禁止させる事で合意した。
この様な社会的雰囲気とともに、ヨーロッパでは80年代に入って来て極右政党が次第に台頭し始めた。特に、最近2,3年間の極右政党の進出は、目覚ましいほどだ。
2002年フランス大統領選挙で、現職シラク大統領と、決選投票まで登ったチャンマリ・ルペンが率いる国民戦線は、一時立ち止まったが今年地方選挙でフランス南部と北部カレー地方で、20%以上の支持率を獲得し、政治的に復活した。
最近イタリーでも、イスラム寺院設立の動きが起こるや、反対運動を主導しているイタリーの極右政党である北部同盟が勢いを見せている。去る7月の世論調査で、北部同盟に対する支持が8.3%から12%に上昇した。
特に、フランスとイタリーで極右政党の勢いは、執権保守政党の支持率の弱勢と関連がある。ヨーロッパの経済危機が財政危機に広がり、緊縮政策が拡散されるや、保守党政権に対する支持率も墜落している。サルコジ・フランス大統領と、ベルルスコニ・イタリー総理の場合、個人的なスキャンダルまで重なり、保守政党を支持した有権者らが極右政党へ傾く現象を見せている。
オーストリアでは、さる4月にあった大統領選挙で、極右政党である自由党のロレンクランツ候補が15%を得て2位を占めた。ロレンクランツは、ホロコースト禁止に反対し、イスラム寺院の尖塔建築の禁止、不法移民者の放逐等を主張した。また最近、ビエンナ市議会選挙で自由党は、27.1%の得票率を獲得し支持率が増加している趨勢だ。
ハンガリーの場合、反ジプシー,反ユダヤ人政策を標榜した‘ヨビク(一層優れたハンガリー運動)’は、さる4月の総選挙で47議席を確保し、初の議会進出に成功しながら一躍第3党に浮上した。
ミナレット(尖塔)設立反対に続いて、最近死刑制復活の動きまであるスイスは、極右政党である国民党が、さる2007年総選挙で28.9%を確保し第一党となった。
スウェーデンでは先月、国粋主義スウェーデン民主党が1988年以来はじめて議席を獲得した。去る9月議会選挙で、数年の間、隅っこにあった極右政党である民主党が、4%の議席獲得の条件を初めて満たし20議席を獲得した。
これ以外でも、去る6月の総選挙でオランダ極右政党、自由党は15.5%を獲得、一躍第3党に浮かび上がった。最近連合政権を通してフランスに続きブルカ着用を禁止する事にした。さらに911テロ以後、躍進を重ねたノルウェー進歩党も、先の総選挙で22.9%を獲得、第2党を維持している。
ヨーロッパでほとんど唯一つ、極右政党が力を発揮できないドイツでも、極右勢力が台頭する可能性が予測されている。ドイツでは、言論に対する厳格な法律と選挙阻止条項(比例代表の得票率が5%以上、もしくは地方区で3名以上の当選者を出さない党は、議席を得る事が出来ない。)のために、極右政党が連邦議会に議席を得る余地がながい間なかった。しかし、ドイツ通信が引用した最近の世論調査では、反イスラム政党に対する支持は20%に達し議席獲得に十分な数字だ。
○極右勢力の国際連帯
一般的に‘極右’と言う単語が広く使用されているが、その定義に対して一致する事はない。しかし、いくつかの共通する特徴があり、第一に、移民者達を敵対視している事だ。第二に、宗教的にイスラムに対する敵対を標榜している。
新興極右勢力に対しては、急進右翼民族主義政党として定義する学者もおり、新しい急進右翼だと呼ぶ学者もいる。後者を支持する学者達は、新しい急進右翼の台頭を、戦後ヨーロッパ社会に生まれた社会文化の根本的な変化に対する極端な反応だと把握している。
現代の極右政党は、大きく二つの種類に分けられる。
ひとつは、ファシズムと直接手を握る戦闘的な右翼国家主義政党であり、また一つは、戦闘的なファシズムと距離を置く新興極右政党、例えば、フランスの国民戦線とスイスの国民党、ベルギーのフランドル系列政党、またデンマークとノルウェーの進歩党などが含まれる。
ヨーロッパで生まれた政治経済社会の複雑な変化は、極右勢力が拡大されながら、与党の政策と国家の政治構造に一定の影響力を及ぼすこととなる。フランス、ドイツ、イタリー、オランダ、オーストリア、など、極右政党は政局の推移に影響を及ぼす程度に成長したし、内閣に侵入する政党も出てきた。
米国の保守有権者組織である‘Tea Party’運動の成功は、ヨーロッパの極右政党達にも影響を与えている。Tea Party運動組織と英国、オランダ、ノルウェー極右政党間に交流も進められている。彼らはヨーロッパ連合加入反対でヨーロッパ次元の共通性を確認した事もある。
最近、経済危機また財政危機と関連して、税金引上げ反対、反イスラム、気候変化対応政策反対など、主要活動目標で共通点を持ったこれ等極右政党と関連団体らの交流も活発に生まれている。
さる8月には、日本の新右翼団体から、ヨーロッパの極右政党指導者達を呼んで会合を持ち靖国神社に参拝するなど、大陸を越え国際的な連携を図る段階にまで至っている。
○極右の拡張と戦争の記憶
米国で、オバマ政府の政策を社会主義だと非難し、米国中心を叫ぶ‘Tea Party’運動の成功と、日本の‘新右翼’の跋扈、そしてヨーロッパでの‘極右政党’の勢力拡大は、すべて、資本主義の経済危機と関連している。
G20を筆頭とした世界各国の景気浮揚策にも拘わらず、雇用率が悪化され、職場が減って行き、失業者が増えるや、かんぬきを掛けろと言う‘民族主義、国家主義’の跋扈と反イスラム‘人種差別主義’の扇動が拡散している。
しかし、経済危機と共に跋扈する極右勢力の拡張は、資本主義世界経済に対する陰鬱な弔(とむら)いの鐘に他ならない。
1930年代大恐慌とともに極右の拡張は、結局第2次世界大戦と言う破滅的戦争に突っ走る事となった原因中の一つだったからだ。
第2次世界大戦後形成された、プレトンウッズ体制を筆頭として、各種経済協力機構と最近のG20首脳会議まで、戦後体制の形成には基本的に‘戦争の防止’と言う意味がある。
資本主義の構造的危機をどうするかは、銃剣によってはしないと言う体制だ。
しかし今、IMFであろうと、G20であろうと、過剰資本と過剰生産の問題を解決出来ないでいる。むしろ先進国達の量的緩和政策によって、経済危機状況でも、全世界にお金を片付けられない位溢れている。
挙句の果てに、資本主義世界経済は、為替レート(換率)戦争として広がり、資源確保競争にまで火が付いている。
歴史は、悲劇と喜劇で2度繰り返されると言ったのでは?
保護貿易主義と結合した愛国主義の悲劇的結末を歴史はすでに経験した。そうであれば今は、喜劇的決別を悩まなければならない時だ。
(訳 柴野貞夫 2010・10・28)
○本文-注①
☆ 143 反資本主義新党(NPA)創党大会に行って来て。 (韓国・チャムセサン紙 2009年2月19日付け
☆ 144 反資本主義新党(NPA)創党大会に行って来て。 続 (韓国・チャムセサン紙 2009年2月19日付け)
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