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(韓国民衆ネット言論・オーマイニュース 2010年6月2日付)

http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001393051&PAGE_CD=16

 

 

 

 

チョンアン艦事件(報道)を見ると、‘トンキン湾事件’を思い浮かばせる

 

 

 

[海外リポート]  誰が戦争の恐怖を扇動するのか?

 

(海外特派員)

 

       

△チョンアン艦沈没当時、艦首、艦尾が分離された場面を収めた熱映像監視装置(TOD)撮影分。韓―米言論の報道は、千篇一律に北韓に対する恐怖と嫌悪を煽る内容だった。

 

 

 

 

「当然にも、平凡な人々は戦争を願わない。ロシア人であっても、英国人であっても、米国人であっても、ドイツ人であっても同じだ。誰もが理解する事が出来る自明の真理だ。しかし、究極的に或る国の政策を決定するのは指導者達であって、普通の人々は指導者達が決定すれば、戦争に引きずり込まれて行く他は無い。民主主義制度を備えた国であっても、ファシスト独裁国家であっても、議会制度国家であっても共産主義国家であってもこの点は全く同じだ。民衆が声を出す事が出来る状況であってもなくとも、彼等は、指導者達が呼び出せば呼ばれて来る事となる。

 

国民を戦争に呼び出す事は、極めて容易い。我々が敵に攻撃されていると主張し、平和を主張する人々には(お前たちには)愛国心がない、安保意識がないと、激烈に非難する事だけすれば、なるものだ。どの国でもこうすればなる。」

(ナチ指導者だったヒルマン・ゲーリングの、ニュールンベルグ戦犯裁判での陳述)

 

 

米国で、チョンアン艦事件に関連したニュースを見守っていると、最初は“北韓の攻撃が疑われた。”だったものが、後には“北韓の攻撃と言う専門家達の見解が出た。”と言う事へ、最近では“北韓の攻撃で沈没した。”と言う様に、徐々に一層断定する方法で、報道が取り替えられて行っています。チョンアン艦の報道で、いつも後に伴うものは“覇権を渇望する”北韓を糾弾し呪詛する論評と、(その)繰り返し等です。

 

事実、北韓がチョンアン艦を攻撃したと言う確実な証拠はまだありません、そうなのに、韓国政府と米国政府は、大規模な反北韓キャンペーンを熾烈に繰り広げています。米国言論のチョンアン艦報道は、特定の言語使用とか、事件構成、根拠が不足した主張を好んで受け入れ、利用する点で、過去の幾つかの事件などと余りにも似通っており、

非常に手慣れているように感じられます。

 

例を挙げれば、<ピッツバーグポストガゼータ>新聞は、“国務部代弁人p.j.クラウリは、ピョンアンが‘正当な理由なく、許す事が出来ない行為’をしたと同時に、‘明らかに北韓が重大な挑発をしたので、確実に結果が伴うだろう。’と論評した。”と報道しました。米国進歩センター(Center for U.S. Progress)のローレンス コートは、ひと匙さらに加えて、韓国政府が北韓の攻撃を受けても、過剰対応をしない点は称賛を受けるのは当然である”と言いました。(韓国のあらゆる新聞と放送が、イ・ミョンパク大統領が“チョンアン艦事件を北韓の挑発として規定し、断固として対応する”と明らかにしたものとして壁張りされているが、何たる話であるか、とんでもない事です。) 

米国言論の論調を更に詳しく探して見ることにします。

 

昨年11月に西海(黄海)で、南・北韓海軍間の交戦が勃発した時、<ユーエスエーツデェイ>新聞は、次の様に記事を書き始めました。

 

「南韓関係者の伝言によれば、去る火曜日、西海内の国境紛争が起こっている地点で発生した南・北韓間の衝突の末、ひどく破損された北韓の哨戒艦が火焔に覆われたまま退却した。」

 

北韓軍側の人命被害は、“衝突”という表現の後に隠されたし、予め、どんな理由もなく意図的に挑発をしたとも書きました。同じ新聞は、チョンアン艦事件に対しても“南韓の戦闘艦を攻撃した北韓を圧迫し、好戦的な態度を正す様にしなければならない。”と主張しました。

 

同じ新聞の他の論調を注意して見てください。北韓軍が多数死亡した時は、紛争地域で北韓の挑発で“衝突”が起こったとしたのに比べ、南韓軍が死亡した時は、天人共怒(許しがたい)の、不法行為であり、国際社会が一つの声で、北韓を糾弾しなければならないものの様に描写します。(無論今回にも、北韓の‘挑発’だと言う断定は除外しなかったのです。)

 

チョンアン艦と関連して、米国言論に出た報道と論評の中で、均衡が取られたものは極めて稀だったのです。(まれな)例を挙げれば、シカゴ大学のブルース・コミンス教授は、<デモクラシーナウ>というニュースプログラムで、チョンアン号事件を見る脈略の重要性を指摘しました。最近、オーマイニュース・インタビューで答えたものと一緒で、コミンス教授は、チョンアン艦事件は分断以来65年に及んだ南北間の葛藤状況から見なければならないと強調し、国境紛争地域である西海内で起こった事件であり、誰が先に挑発をしたのか問いただす事も難しいほど、引き続く衝突があった事を想起させたのです。

 

 

万に一つ、北韓の潜水艦が実際にチョンアン艦を攻撃したとすれば、北韓側海軍30名が死亡し70名が負傷を受けた、1999年の第1次ヨンピョン(延坪)海戦(訳者注―1999年6月15日、西海のヨンピョン島近海<西海北方境界線=NLL>での、北・南両韓海軍の衝突事件)を始めとして、2002年の第2次ヨンピョン海戦、2009年のテチョン(大青)海戦(訳者注―同様に西海上・NLL境界線での両韓の衝突事件)で、北韓が被った攻撃に対する反応であるとも言いました。

 

合同調査団の、シン・サンチョル委員が提起した疑惑を報道した<ブルンバーグビジネスウィーク>は、韓国人達の4名中1名は政府の発表を信じず、特に、教育を受けた若い層では政府の発表を信頼しないと付け加えました。しかし、こんな報道は極めて例外的で、残り数千件の報道と論評は、千篇一律的に北韓に対する恐怖と嫌悪を扇動するものだったのです。

 

 

○政府・大衆媒体と恐怖の拡大再生産





           

△冷戦時代に出たマンガ。アンクルサム(米国)が、「危険な共産主義」の氷山に向かって船を追い立てている。

 

 

数十名の若者達が命を失ったチョンアン艦事件は、悲劇である事には違いないが、初めて起こった事ではありません。そうであれば、どうして韓国政府と米国政府が、この様に反応しているのかを、探って見なければならなりません。どうして、テチョン(大青)海戦は単純に“衝突”であり、チョンアン艦事件は‘到底許す事が出来ない’“挑発”であって、“攻撃”なのか?「太陽政策」として積み上げて来た南北間の和解と平和を、瞬時に崩す強硬対応に利得を見る集団は誰なのか?大衆の感情を刺激し、死亡した将兵達に対する全国民的な哀悼を強要し、北韓に対する憎悪を日毎煽ぎ立て、誰が・何を得るのか?捉まえて見なければならないのです

 

韓国に居られる読者の皆さんの為に、私は米国政府が、大衆の恐怖を政治的目的に活用した、歴史的に(今回と)同様な例を取り上げて見ましょう。

 

普通米国人達は、いつも戦争を恐れながらも、戦争(の災い)は避ける事は出来ないものと考え、戦争に備える様に条件化されています。一世紀以上持続されてきた米国の対外政策の論理的な結果として、米国は恒久的に戦争を継続する以外ありません。恒久的に戦争を可能とする為には、米国民達が外部の脅威を恐れる様に(国家の手によって)条件化しなければなりません。

 

米国の軍費支出額が、中国、ロシア、ドイツ、フランス、英国、イラン、北韓の、軍費支出額を合わせたものより更に多い事も、米国人達が外部の敵を恐れていると言う事実は非常に稀なだけです。

米国軍隊が大2次大戦以後、他の国を侵攻した回数が200回以上ですが、まさに米国人達は、米国が侵攻を受ける事を心配します。米国人達は歴史的に、米国の安保に助けとなると信じる限り、米国軍隊が、何処に行ってどれだけ多い人々を殺そうが関係なく、政府の政策を支持します。

 

ブッシュ前大統領は、“わが味方でなければ、テロリストだ。”と、意地を張りました。米国側と、打倒の対象である敵の間に、如何なる選択肢もなく、如何なる話も聞きたくないので、何も言わず服従するのか、敵となるのかの、二つの中の一つとなると言う意味です。

 

ジャック・エルリルは、現代国家は市民達に、統治に有用な思考と情緒を注入するのに、平素には注入される内容が静かに潜在されているが、特定の象徴と言語を通して刺激すれば、覚めたり、反応することとなっていると言うのです。例を挙げて、ほとんど大部分の米国人達がどれくらい愛国心を持っていても、ある日、急に生まれたものではありません。幼い頃から、教育と大衆媒体とあらゆる種類の政府の政策を通して、徐々に広範囲に注入されたものです。愛国心と言うものは、単純に自分の国を愛して誇りに思うものではなく、米国でない他国に対する漠然とした恐れであるとか、疑心の様な、否定的考えも含むのです。

 

どんな米国人でも捕まえて、米国が他の国々と異なって特別な点が何であるか尋ねたら、“自由と平等”と言う答えが帰ってくるでしょう。数多い市民達が、自由の国だと自慢する米国で、ニュース、エンコイン・テンレートが、イラク侵攻当時、テレビジョン放送で言った言葉があります。“ジョージ・ブッシュは、我々の大統領です。この御方が決定をすれば、私は一人の米国人として、この方が立てと言うところに立ちます。私が、どこでこそ、しなければならないとすれば、お言葉を申してください。”

 

言論人としてテンレート(がやるべき事)は、ブッシュに服従をするではなく、イラクに大量殺傷武器が果たして存在するのか? イラクがアルカイダと関連があると言う確実な証拠があるのか? 問わなければならなかったのです。しかし、彼は視聴者達に、‘愛国者として立派な米国人’として見せただけなのです。

 

韓国もまた、大きな違いはありません。現在韓国の人口の90%に達する1945年以後に出生した韓国人達は誰も、学校で反共教育を受けて育ったし、更に多くの人々が、反北韓的であって、親米的な財閥の大衆媒体の影響の中で暮らしてきました。教育体制や大衆媒体が、人々を完全に洗脳させる事は出来ないにしても、ほとんどあらゆる市民達が脱け出せない、代替的な言論の枠を作ってくれます。

 

平素には、大部分の韓国人達は、北韓に対する嫌悪に熱心ではないが、(無論、政府高位官吏、大多数の軍部エリート、3・1節<韓国独立運動記念日―訳注>に突拍子もなく、市庁広場で星条旗を振り回してくださるテヒョン教会<韓国キリスト教長老会に所属、1998年設立の親米・体制的グループ―訳注>の信者様達、LPガス桶を持って示威しに来る、或る同志会の会員様達、時局声明発表場でキャンペーンを打たれる守旧派団体の爺さん達-等々は例外です。)チョンアン艦事件と同じ事件が繰り広げられる事となれば、数十年にわたって、刻印された北韓に対する、怖れと不信と嫌悪感が意識の表面に吹きあがる事となります。




△フィリピン戦で、“10歳以上のすべての人間を殺せ”と言う、ジェイコブ・スミス将軍の悪名高い命令が載せられた<ニューヨークジャーナル>漫画。1902年5月2日

 

 

○米国のスペイン戦争とフィリピン戦争

 

 

今回、春学期に、私は‘米国がアジアで繰り広げた戦争’(American Wars in Asia)と言う題目の講義をしました。この講義を受講した学生達は、米国政府が国民の情緒と思考をどれだけ手っ取り早く、操縦して来たのかを理解し、当惑しました。他の国を侵攻する前に、普通準備作業として米国政府は、国民達に恐怖と嫌悪を助長します。これは毎回、成功的でした。国民達は愛国心と義務感に包まれ、戦争の途へ、また、戦争の支援事業へ動員されています。

 

一つの例を挙げれば、1898年から1902年まで米軍はスペインと戦争を繰り広げ、続いてフィリピン群島を占領し、25万名に達するフィリピン人を虐殺しました。スペイン戦争を進行する前に、米国政府は大衆媒体を通して反スペイン感情を吹いておき、自国国民を準備させました。

“スペインの長官が、米国大統領を侮辱した。”と言う新聞記事が出たのに続いて、他の新聞は“米国と米国の歴史に対する最悪の侮辱。”だと報道しました。

 

当時米国の戦艦、エイン号がアバナ港に停泊中、どんな原因でなのか破壊され、(未だに明らかな公式的結論はないが、ほとんど大部分の学者たちは、単純事故だったと推定しています)250名以上が死亡しました。如何なる確実な根拠が無かった事でも、米国言論はスペインがメイン号を攻撃したと主張し、日ごと続ける扇情的な報道で、国民世論はスペインとの戦争とフィリピン群島占領を支持する事となりました。

 

イ・ミョンパク大統領の談話文と、北韓に対して極端な敵対感を剥き出している現在の韓国の保守新聞を見ると、1940年代後半の米国言論と相当類似します。

 

トルーマン大統領は、武力を動員し、共産主義の拡散を止めたかったが、第2次世界大戦が終ってから、どれほどもならなかったので、米国人達は戦争に疲れている状態だったのです。トルーマンと参謀達は“戦争をまたしようとすれば、対国民談話を発表して、全国を恐怖に追い込む外はありません。”と言った、アーサ-・パンドゥンボク上院議員の忠告を受け入れる事としました。

 

トルーマンは、“全体主義の政権らが、自由市民達を直接的、間接的に攻撃し、世界平和の根本を侵食しており、従って米国の安保を脅かしている。”としながら、米国が韓国に介入し米国の敵を追い払わなければ、米国と世界は“恐怖と抑圧”に苦しめられる事となるのだと警告しました。当時米国言論は、トルーマンに、如何なる異議申し立てもせず、如何なる証拠も要求しないまま、あたかも真実の様に彼の主張をあまねく言い触らしました。

 

トルーマンの単純な‘黒白論理’に従おうとすれば、米国人らは、米国が韓国を侵攻する事を支持するのか、そうでなければ全世界が独裁体制に束縛される事となるのか、二つの中の一つを選択しなければなりませんでした。まこと、愚かに聞こえますが、黒白論理の言語は効果的に受け入れられて、大多数の米国人の戦争支持を出させる事が出来ました。

 

韓国のイ・スンマン(李承晩)大統領も、共産主義に対する恐怖と嫌悪を、劣らずよく利用したし、共産主義の逐出(追い出し)の証として数多い人々が投獄に合い、拷問を受けたのであり、チェジュド(済州島)の4・3事件の様な善良な市民の虐殺も頻繁に引き起こしたのです。米国政府もイ・スンマンの蛮行に対しよく知っていながらも、韓国の共産化を阻止すると言う明文の下、徹底して黙認したのです。

 



△米国戦艦が、北ベトナムで13kmの距離内にいた事を見せてくれる米海軍のトンキン湾地図(ウイキペディア公共資料室より)

 

 

 

○トンキン湾事件(ベトナム戦争時の米国によるでっち上げ事件、これを理由に、北爆が正当化された―訳注):

 

 

軍艦と関連された、また一つの嘘

 

 

韓国戦(朝鮮戦争・1950~53)が終結した後、10余年が経って直ぐ、米国政府は国民達を、又新たにベトナム戦争に動員しなければなりませんでした。その為には、ほんの1万3565kmほど離れた所に(京府高速道路が430kmと言う点を参照してください。)米軍兵士達を送ってベトナム人達を殺す事が、米国を共産主義から守る立派な方法だと言う事を、自国民に予め説得しなければならなかったのです。

当時、大統領だったリンドン・ジョンソンは、数多い他の米国大統領と一緒で、国民を恐怖の中へ追い込む事で、他の国を侵攻する戦争に対する支持を取り込もうとします。“米国が今、ベトナムで共産主義を阻止しなければ、後でサンフランシスコで阻止しなければならないだろう。”と言うジョンソンの演説は歴史的に有名であり、後でブッシュ政権ではこの掛声は、「共産主義」を「テロリズム」に置き換え、そのまま二番煎じで繰り返えされました。

 

ベトナム戦に米国が、大規模に参戦する事となった契機は、1964年8月4日のトンキン湾事件です。当時、米国戦艦1隻が南ベトナムのゲリラ隊員を北ベトナムに上陸させ、人命を殺傷し、農作物と工業施設を破壊するなどの作戦を遂行しながら、海岸地域を航海していました。暴風の中で航海をした途中、急に十余隻の船が米国戦艦のレーダーに捉まり戦艦は即時に暗やみの中で射撃を加えました。数日後レーダーの信号は消えており、あとで艦長は、どんな攻撃も受けなかったのであり、恐らく天気のためレーダーに誤りが生じたのではないかと陳述しました。

 

しかし、こんな結論を下す前に、艦長は、予めワシントンに“ベトナム戦艦が我々を攻撃している。”と、急電を送った有様でした。ジョンソン大統領は、この最初の報告だけを活用し、後で送った解明は、故意に無視しました。ジョンソンは、米国戦艦が攻撃を受けているとして、ベトナムに米軍を増派する事を議会と国民に要求しました。

 

後で、非公式な場でトンキン湾事件に対する質問を受けたジョンソンは、“こんちくしょう、米軍がそこで、鯨に銃を発射していたと言ったところでどうなんだ?”ジョンソンは、実際は、米国に対する攻撃がなかったと言う事実を良く知っていたのです。ジョンソンの嘘は、米国人に共産主義に対する嫌悪と恐れを成功的に吹き起こし、ベトナム戦の確定と言う悲惨な結果を持ってくる事となったのです。

 

 

 

○チョンアン艦、戦争の恐怖とイ・ミョンパク政府

 

 

       



△ノンプロフィット言論の団体で実施された研究によれば、ブッシュ大統領と参謀達が、9・11以後2年の間、イラクが米国の安保に脅威と成ったと言う公式的な嘘の証言を、およそ935回繰り返したことが明らかにされた。

 

 

 

この文を読んで頂く読者のみなさんが、ブッシュ前大統領がイラクと9・11を連結しようと努めたのを、記憶なさっているかは知りません。イラク侵攻以後、唯の一つも発見する事が出来なかった大量虐殺武器に対し、主流言論が、絶えることなく大騒ぎした事と、副大統領のチェイニーが、“米国が今イラクを攻撃しなければ、キノコ雲(原爆)がもくもくと立ち昇る事となると言った事、国務長官パウエルが、国連でイラク侵攻の正当性を力説した事などなど、この総ての事が、どれだけ効果的であったのでしょうか?!

 

イラク侵攻直前の2002年には、米国人の3分の2がサダム・フセインが9・11の背後だと信じたし、イラク戦が泥沼にはまり込んだ2006年までも、米国民の半分がイラクが大量虐殺武器を保有していたと信じていました。

 

(韓国李政権と保守言論が)‘(北韓による)人間魚雷の概念も’まで、作り出し、チョンアン艦事件を報道する韓国の組暴言論・チョポクオンロン(組織暴力団の様な、権力の手先のごとき既存の保守言論を言う。-訳注)と,(イ・ミョンパク軍部が)マジックペンで書いた魚雷番号が、北韓の文字書法だとしながら、決定的な手掛かりだと言う主張をするなど、異常な言行を続ける韓国国防部を見ながら、私は、米国政府が戦争を引き起こす時ごとに、国内世論を誘導し操縦するのを、思い浮かべる他はありません。

 

米国言論は、チョンアン艦事件に対しても同じ対応をしています。平素にも、北韓は米国言論の「田舎の太鼓」だったが、チョンアン艦事件に関しても北韓がまた、もめ事引き起こし核戦争の危険を高めていると言う式の報道が多く出てきました。

 

クリントン国務長官は、現在の状況が“大変危険”だと言ったし、オバマ大統領も韓国政府を電撃支持し、韓国軍と緊密な協力をすると、明らかにしました。北韓を、いつも困りものと思って、南・北韓の分断体制から軍事的、経済的利得を受けてきた米国としては、イ・ミョンパク政府の北韓叩きと、韓半島の葛藤(トラブル)の高潮を歓迎し、同調しない理由がありません。

 

イ・ミョンパク大統領は、北韓を国際社会から更に一層孤立させ、なおさら、食糧難で苦痛を受けている北韓住民を、さらに極端に押しやろうとしています。ノ・フェチャン・ソウル市長候補を始めとして、皆さんが指摘した様に、チョンアン艦事件の中間報告をこの時点で発表したのは、選挙(地方選)用ではないかと言う疑心を呼び起こさせるのに十分です。

 

私は明日の選挙で韓国人達が、歴史的に米国民がそうだった様に、恐怖に覆われて、他のあらゆる政策を問いたださず、執権与党に“問うな、支持”を送ってやるか、主流言論(保守与党)と対案言論(左派)を比べ分析して見ながら、韓半島の平和と、南北韓の住民の共存のため働く働き手を選ぶのか、見守りたいのです。

 

(訳 柴野貞夫 2010年6月10日)