(朝鮮民主主義人民共和国 労働新聞 2009年11月15日付)
http://www.kcna.co.jp/today-rodong/rodong.htm
《間島大討伐》は、民族抹殺を狙った極悪な殺人犯罪
1920年代、間島(カンド)地方であった日帝(日本帝国主義)の朝鮮人大虐殺蛮行を、わが人民は、今日も鮮明に記憶している。
日帝の《間島大討伐》(《庚申(訳注―こうしん・かのえさる)年大討伐》)は、朝鮮民族を抹殺する為の残忍非道な人間殺戮戦だった。(訳注)
朝鮮を強占した日帝は、朝鮮国内だけではなく間島地方でも朝鮮人民に対する弾圧と虐殺を狂った様に繰り広げた。当時間島地方には、多くの朝鮮人が住んでいたが、彼らの反日意識は極めて高かった。これに怖がる日帝は、この一帯に大規模武力を突きつけ反日運動を容赦なく踏みつけてしまい、朝鮮人たちを大量虐殺する謀略を仕立てた。これに従い、日帝は《琿春(フンチュン)事件》と言うものを捏造した。
1920年10月ある日、(日帝の)仲間の《馬賊団》の連中らが、当時日本領事館があった琿春(フンチュン)を《襲撃》して、騒乱を起こす事件が発生した。挙句の果てに、この《襲撃》事件を朝鮮独立軍部隊の仕業だと、偽りのうわさを触れ回った。それは捏造劇だった。その時琿春を《襲撃》した《馬賊団》と言うものは、日帝に買収された烏合の衆達だった。日帝は彼らを押したて琿春に対する《襲撃》事件を演出したのだ。
日帝は、《琿春事件》を掲げ、《間島在留日本人の生命、財産を保護》すると言う美名の下、間島地方に対する《大討伐作戦》を開始した。日帝はラナム駐屯第19師団の一個連隊兵力3000名と咸鏡南道(ハムギョンナムド)の警察隊、シベリア出征軍、満鉄守備隊など膨大な武力を琿春、ワンチョン、ファリョン一帯につぎ込んだ。彼らの攻撃目標はそのどんな軍事施設や武装勢力でもない、無垢の朝鮮人達だった。
日帝の《間島大討伐》は、到底形容しがたい、残忍この上なく敢行された
東満(州)のいろんな県に忍び込んだ日帝殺人鬼たちは、一人残らず殺して全てに火をつけ、全て奪いとる《三光作戦》(訳注―その後も、中国大陸各地で、日本帝国主義軍隊が、中国民衆に対して実行したおぞましい作戦である。)を宣布し、焦土化作戦を繰り広げた。
日帝殺人鬼たちは、朝鮮人達が住む所であればその何処にでも飛びかかり、老若男女を選ばず、撃ち殺し、殴り殺し、刺し殺し、焼き殺した。生きた人の目玉を抜き取ったり、皮膚を剥ぎ四肢を裂いて殺すこともしたし、数十名ごとに生き埋めする事もした。さらに、人々の手足をぎゅうぎゅうに縛り輪切りにして殺したし、子供たちを父母の胸から奪い取り、燃える家に投げ入れたし、鼻を串刺しにしたり腹を割いて殺すなど、獣も顔を赤らめる残忍な方法で、朝鮮人達を次から次へ虐殺した。
延吉(ヨンギル)県に手を出した日帝殺人鬼達は、70戸の朝鮮人の家屋に火を付け、部落住民300名中255名を虐殺した。日帝殺人鬼達は、延吉県に居たチョン・ギソンを逮捕し、彼の顔の皮を剥ぎ、続いてソ・インファンと彼の家族2名、そしてマ・ドンファの家族5名の皮膚を剥いだ後、火の中に投げ入れる野獣的蛮行を強行した。
日帝は、ファリョン県イドクでも朝鮮人家屋600余戸と、チョンサンリ(青山里)の住民家屋1000余戸に火を付けながら、そこの朝鮮人達を全て殺害したのであり、もの心付かない子供達まで銃で射殺し山に埋めた。
当時、日帝の殺人蛮行の惨状を、現場で目撃した一人の米国人は、じぶんの文で《老若男女を選ばず家から引き出し、全てを銃殺し、未だ死なない人々を火の中に放り込み、焼死させた。・・火が燃えた灰の山には、死体が混ざっていた。灰の山から死体を一つ取り出して見たら、切られた手と足が散らばっていたので、私はそれらを一箇所に集めておき、写真を撮った。どんなに興奮したのか、手が震え写真を4度も取り直した。》と書いた。
また、一人の外国人は、日帝による歯が震える朝鮮人虐殺蛮行に対し、自国の執権者に送った手紙で《日本官吏と兵士たちの行動は、法なき野蛮人達と違いがない。・・・一般の婦人たちと女学生らは無論、10代の幼い少女達まで掴まえて、侮辱を加えているが、何と恥辱で嘆かわしい事なので、言わないこともあるのだが、・・・日本人のこんな仕打ちは、極めて野蛮的であり、残酷で、いささかの道理も無い者達の行為だ。》と書いた。
世界的に公認された《集団殺害罪の防止また処罰に関する条約》には、《・・・集団殺害が平時に遂行されたりとか、或いは戦時に遂行されたりとかを問わず、国際法上の犯罪・・・》だと規定されている。
実に、日帝の《間島大討伐》は、朝鮮民族を抹殺する目的の下に、強行された稀世の野蛮、血に飢えた殺人魔達の極悪無道な反人類的犯罪だった。
日帝の《間島大討伐》の罪悪は、年月がどれだけ流れても絶対に隠す事が出来ない。わが人民は、去る日、日帝が犯した朝鮮民族抹殺を狙った大虐殺蛮行を絶対に忘れず、必ずその代価を支払うのだ。
(訳 柴野貞夫 2009年11月18日)
(訳注)《庚申年大討伐》=《間島大虐殺》は、以下のサイトを参照。
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/20.htm
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/21.htm
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/rekishi.htm
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