(韓国週刊誌 ハンギョレ21 2009年7月17日付)http://h21.hani.co.kr/arti/world/world_general/25386.html
ウルムチの悲涙、その種(たね)は、差別と排除
中国政府の漢族移住政策で、ウイグル族は、ますます少数派に転落
<チョン・インファン記者>
差別と葛藤(いざこざ)の種が撒かれれば、挫折と憤怒は流血の実を結ぶ道理だ。もっぱら、死とか傷つくのは、何時も,力なく貧しい彼らだ。中国西部/新疆ウイグル自治区・省都ウルムチの血塗られた狼藉の今日を作り上げたのも、同じ道理だ。
香港系玩具工場‘シュイル’の労働者寄宿舎が血で染まった。鉄パイプなどで武装した漢族労働者100余名が群れをなし、ウイグル族労働者達の宿所を襲ったのだ。前に、この企業体は5月と6月の2ヶ月にかけて、皆で800名ぐらいの新疆出身のウイグル労働者を新規採用したことがある。ウイグル労働者達が到着した以降、寄宿舎の内外で犯罪が急増したと言う話が相次いだが、挙句の果てにウイグル族労働者達が自分達の寄宿舎で、漢族の女性労働者を性暴行したと言う怪しげな噂が、漢族労働者達を刺激したのである。
広東で流れた血が、ウルムチの事態の起爆剤
一夜の‘活劇’は、2日の明け方400余の公安兵力が出動した後には、殆んどなくなった。この過程でウイグル族労働者2名が無残に殺害された。香港日刊<サウスチャイナモーニングポスト>は、6月28日の報道で、“この日流血事態で病院に運ばれた負傷者だけでも、重傷者10余名を含む118名に達する”とし、“この中で、81名がウイグル族労働者”だと伝えた。事実上、漢族労働者達の一方的な‘襲撃’だったのだ。
‘偽情報’が、伝えられたのは、事件発生の3日目である6月28日だ。この日、中国官営<新華通信>は、“公安当局が、事件の発端となった偽情報を流布した容疑者を逮捕した”と報道した。‘周何某’と告げた漢族出身の容疑者は、当初シュイル工場で仕事をするが、退社した後再就業を願ったが、思いを達する事が出来なかったと伝えられた。最近、ウイグル族労働者たちが大挙採用されたために、働く場所を得られなかったと考えたのか?彼は、“新疆の奴等が、無垢な漢族女性2名に、シュイル工場の寄宿舎で性暴力をふるった。”と言う無謀な嘘を、インターネットサイトに流布したが首根っこを押さえられた。
広東省でまかれた血は、3200余kmを飛んできて、新疆でまた違う流血を触発させた。7月5日、聖都ウルムチで、怒ったウイグル族たちが、シュイル工場の同族たちが受けた抑鬱たる死に抗議する示威を繰り広げた。何百名から始まった示威は、あっと言う間に数千名に膨れ上がった。長い差別の年月が作り出した憤怒は揮発性が強かった。<新華通信>は“(ウイグル族)暴徒達が(漢族)通行人を攻撃し車両に火をつけた。”と伝えた。示威隊に向けた発砲のニュースが後を続いた。
あくる日である7月6日、中国当局は、一日だけで凡そ140名が流血事態で命を失ったと公式発表した。都市は封鎖され、重武装した軍兵力が通りを占領した。外部との通信は遮断され、インターネットも遮断された。<AP通信>は、携帯電話業体である‘チャイナモバイル’関係者の言葉を引用して“平和を維持し、流血事態が拡がるのを防ぐ為に携帯電話サービスを中断した。”と伝えた。中国当局は、示威事態が“事前に緻密に計画されたもの”だと発表した。検挙旋風が吹き始めた。
事態の3日目、中国当局は人命被害の規模を訂正して発表した。その間の死亡156名、負傷者も一千余名に増えた。7月5日、一日のウルムチの状況がどうであったか、今更に恐ろしくなる。中国当局はこの日まで、逮捕した‘暴徒’が1430名を越えたと付け加えた。この日午後、武装した漢族住民達が‘報復攻撃’に出て、公安当局は夜9時から、三日朝8時まで通行禁止令を下した。
新疆自治区は、中国全体面積の6分の一に達する広大な土地に13の種族2千万の人口が集中した所だ。代々その土地で暮らしてきたウイグル族は、清国が敗亡した1912年以後、広範囲な自治を享受して来た。1933年10月には、初めから独立を宣布し、第1次東トルキスタン共和国を建設することもしたが、次の年の初め、新たに中国に帰属された。独立の熱望は容易く収まることはなく、1944年ソ連の支援を受け第2次東トルキスタン共和国を樹立した。しかし中国共産党は、1949年またウルムチを掌握して、1955年新疆を自治区として宣布した。ウイグル族たちは、1949年を‘植民化’元年だと呼ぶが、中国当局の公式立場は“西漢時代(紀元前206年〜西紀24年)まで逆のぼる、切り離す事ができない中国領土の一部”と言うものだ。
1990年代に入り、ウイグル族分離・独立の動きがまた激しくなりながら、‘トルキスタンイスラム運動’(ETIM)と言う団体まで作られた。中国版‘テロとの戦争’が後に続いた。2001年9・11同時テロ直後、中国当局は、ETIMが、アルカイダと関わったテロ組織だと主張し出した。ウルムチで、今回の流血事態が拡がった直後、<新華通信>が“テロと分裂主義、極端主義と言う3大勢力が、今一度混乱をそそのかしている。”と非難し出したことも、こんな脈絡からだ。米国務部も、ETIMをテロ団体として指定して置いている。
偶然の一致なのか?ETIMが名前を知られ始める頃から、中国当局は西部開発事業を大大的に推進した。新疆一帯に莫大な規模の投資がついて来ると言う宣伝と一緒に、漢族たちの集団移住を督励して出た。その結果は、新疆一帯の人口構成比率に窮極の変化を呼んで来た。所謂、‘漢族化’戦略だった。実際、去る1940年台、新疆地域の漢族人口比率は、5%ほどにとどまったが、現在、新疆全域で漢族人口は、全体の40%に達する。‘原住民’であるウイグル族は45%にとどまっている。
2005年統計基準で、人口が約268万名に達するウルムチでは、すでに‘逆転現象’が広がった。英国時事週刊誌<エコノミースター>は、最新号で“もはや去る2,000年、人口統計資料を見てもウルムチの多数派は、人口の45・3%を占める漢族であり、ウイグル族(42・8%)は少数派に転落した。”とし、“新疆一帯で漢族人口増加率はウイグル族の2倍に達する”と伝えた。ここに教育と働く場所の機会さえ、漢族に優先権が与えられている。ウイグル族としては,あれこれ危機感を感じて当然だ。
“新疆政府は、分裂勢力に対する厳重な取り締まりを続けていくだろう。分裂主義勢力に、慈悲と言うものはあり得ない。もっぱら、致命的打撃だけがあるだけである。”人権団体‘ヒュ−マンライツウオッチ’(HRW)は、2005年4月発行した‘致命的打撃’と言う報告書で、ワンリカン新疆自治区共産党書記の言葉を引用して、このように伝えた。
この団体は報告書で、“ウイグル族は、自治権拡大や独立国家建設を願っているし、これは、多民族国家を追求する中国当局にとって、脅威として映る他は無い。”とし、“中国当局は、ウイグル族の正体性の根であるイスラムを手なずけることは、ウイグル族を手なずける手段と見るので、ウイグル人たちの宗教的自由を多面的に監視・統制・弾圧している。”と指摘した。
“漢族の報復攻撃の傍観が、事態を更に大きく”
7月8日、ウルムチに兵力が増強配置された。主要8カ国首脳会議参加のため、イタリアを訪問したホ・ジンタオ(胡錦濤)国家主席も急遽帰国の途に就いた。“流血事態に加担した者は、極刑に処すだろう”と言う当局の発表も相次いだ。7月9日、三日間、門をしめた官公署が遂に業務を再開した。バスもまた、町を走り始めた。この様に収拾されるのか?<ロイター通信>は、‘上海出身漢族’だと明らかにした1人の退職教師の話を引用して、この様に伝えた。“当局が、(漢族の)報復攻撃を初期に防がず、事態が手の施しようも無く大きくなった。ウルムチの町に撒かれた種族間の憎悪の残影は、ながく消えないであろう。直ぐに軍兵力が撤収した後には、どんなに暮らしていかねばならないか気掛かりなだけだ。”
(訳 柴野貞夫)
|