(朝鮮民主主義人民共和国・労働党機関紙 労働新聞 論説2008年11月11日付)
道徳的低劣性の極致! 日本防衛省航空幕僚長
去る10月31日、当時、日本防衛省の航空幕僚長の田母神が、日本の侵略の歴史を完全に歪曲した、その所謂“論文”と言うものを公開した。この者は、ここで、朝鮮に対する日本の植民地支配は、《条約に基いたもの》だったとか、第2次世界大戦当時《日本は侵略国ではなかった。》とか、日本が侵略国家だったと言うことは《濡れ衣》だとか、過去の朝鮮半島の統治は《正当だった》とか何とか言う饒舌を並べ立てた。精神が失われた者の泣き言と言わなければ成らない。田母神がこんな破廉恥な歴史歪曲行為で、自己を《愛国者》に化けて見せようとした様だが計算違いだ。むしろ、無知暴悪と、新ファッショ分子、国粋主義者としての正体だけを、曝け出して見せてくれただけだ。
日本は、過ぐる日、我が国を銃剣で強占し、戦争の手段でアジアの国々を侵略した戦犯国家だ。日帝(日本帝国主義)が20世紀初め、朝鮮に対する植民地支配を実現する為に、銃砲で宮城(王宮)を包囲したあと、脅威恐喝の手段で、条約でない《条約》を捏造し我が国を植民地とし、近半世紀の間、残忍なファッショ暴圧統治を実施したと言う事は、世上が公認している。(訳注 @参照)
田母神が、日本が《戦争に巻き込まれた被害者》と言ったが、それも事実と全く違う、ごり押しの主張だ。1930年代中葉、日本では資金難、原料難等で経済危機が激化され、階級的矛盾が先鋭化された。それからの出路を、政治体制のファッショ化と海外侵略で求める日帝は、世界征服を夢見た西欧のファッショ勢力と手を組み、アジアの国々に対する侵略戦争を断行した。
日帝は、戦争に《巻き込まれた》のではなく自身の侵略的利害関係によって、戦争を目的意識的に挑発した戦争犯罪人であり、《被害者》ではなく、数万の我が人民達をはじめとするアジアの人民達を野獣的に殺すなど、前代未聞の殺戮と破壊、略奪蛮行を業とする世界にめずらしい加害者であり、反人倫的犯罪者である。歴史的事実がこうであるにも拘らず、田母神が荒唐無稽な詭弁を並べるのを見ると、日本軍国主義狂信者達の鉄面皮性と道徳的低劣性がどの程度であるかをよく知ることが出来る。
事実がそうである。報道されたように、少し前、日本で数十名の国会議員たちが《靖国神社》を集団参拝した。一方では首相が、公式的に《靖国神社》を参拝しなければならないと言う主張まで飛び出ている。田母神は、日本で突風を起こしている軍国主義の熱気に染まった者達の中の、一人の愚か者に過ぎない。
この者が,公然と歴史歪曲の出まかせを吹聴した日、これとは対照的に、国連人権理事会が報告書を発表して、第二次世界大戦時期、日本軍が強行した性奴隷犯罪(日本軍従軍慰安婦)に対して謝罪する事を日本当局に要求した。国連人権理事会は報告書で、日本政府が今まで日本軍《慰安婦》強制動員の事実を認めていない事に対して、非難し、日本が性奴隷犯罪に対する法的義務を取らねば為らないと主張した。
これは、世界の民心を代表したものだ。性奴隷犯罪は、日帝が朝鮮を非法的に強占して、アジアの国々に侵略を拡大するとき引き起こした数多い犯罪の中の一側面に過ぎない。すぐる日、日帝の侵略の足取りが、(帝国主義諸国間の)分け前の配当をねらったアジアの国々のあらゆる所に、彼等の天人共怒な(到底許しがたい)犯罪の為に、墳墓も無く、荒野と渓谷に埋められた該当国の人民達の怨恨が、胸に痛んでいる。
田母神の詭弁は,彼等の霊魂に、災いを撒き散らす事と同じなのだ。田母神の、逆さまになった歴史観が、決して彼自身にだけ限ったことではなく、更に大きい問題がある。
今回彼は、過去の他の諸国に対する日帝の侵略と植民地支配を正当化して、現行憲法による《集団的自衛権》行使禁止と《攻撃武器》保有の禁止も、解除しなければ為らないと暴言した。これは、過去犯罪を否定、歪曲して、その真相を覆い隠してしまおうとして卑劣に策動して来た、日本執権階層の体質的な鉄面皮性と道徳的低劣性から生じ、広がる軍国主義、復讐主義の危険な発現に違いない。
上流の水が澄むと、下流の水も澄むと言うが、首相である麻生が、このあいだ、日帝の野心的な侵略政策《大東亜共栄圏》の野蛮の産物である太平洋戦争を《大東亜戦争》として表現した事と連関させて見れば麻生と田母神の歴史観が大同小異であることが分かる。
田母神の歴史歪曲論文が、日本で進行された或る一つの懸賞応募で、最優秀賞と共に賞金を授与された事実は、日本で歴史歪曲の風潮、軍国主義潮流が、いかなる地境まで、至っているのかを明白に示唆してくれる。
田母神が退職令を受けた後、記者会見場に現れ、日本は《侵略国家ではない》と固執して、《戦後教育による侵略国家と言う束縛が、国民達の自信を失うようにすると同時に、<自衛官>たちの士気を下げている》と言いながら、今後も《独自的歴史観》を継続主張するのだと暴言したことは、その程度でなく、日本社会が軍国主義の毒素に深々と中毒されていると言うことを見せてくれる。
田母神の妄動は、過去犯罪の歴史を必死で否定、歪曲し、その真相を裏の中に埋めて置こうとする、日本執権階級の行動をそのまま見習ったものとして、彼等が、やはり道徳性と真実性を完全に喪失した無頼漢達だと言うことを立証してくれるだけだ。
過去に犯した間違いに対して、素直に認め誠実に(過ちを)そそぐことは、初歩的な道徳であり、当たり前の義務だ。しかし、日本の反動たちは過去犯罪に対して認めるどころか否定、歪曲し、隠蔽してしまおうとするが出来なくて、歴史を逆さまに廻して押し出そうとしている。日本反動たちのこんな策動は、我が人民は無論、すぐる日、日帝の侵略を受けて苦痛を経験したアジアの国々の人民達の憤激を掻きたてている。
日本の反動たちは、今日の民心を真っ直ぐ見なければならず、軍国主義復活の野心で盛り上がった頭を冷やして、理性あるように身を処す事が良い様だ。
(訳 柴野貞夫)
<解説>訳注@の説明を兼ねて。
● 田母神の「日本軍は、相手国の了承を得ないのに軍を進めた事はない」と言う主張は本当か?田母神「論文」の貧弱な論拠を糾す。
1980年代から、欧米の軍事的圧力と植民地化による、中国(清国)の弱体化に乗じて、ロシアと日本は、軍事的圧力の下、満州の経済的支配と同時に、李王政政権への影響力を競いながら朝鮮半島の権益をめぐる強盗的分捕りをめぐる対立を先鋭化していた。対露戦(1904年2月8日)に備え、「日韓議定書」によって朝鮮の「保護国化」を狙う日本は、それに反対する閣僚(李容翊)を日本軍によって拉致し日本に移送した。
「議定書」の内容は、朝鮮の日本に対する戦時協力、日本軍の軍事占領の合法化、日本軍による必要な土地の占有等屈辱的な取り決めであった。明治天皇政府は、既にこの「議定書」にそって、朝鮮の植民地支配の経営方針である「対韓施設綱領」を閣議決定していた。その内容はこうだ。
〇日本軍による軍用地の収用、〇戦争(日露)後も軍の常駐を認めさせる、〇外交は、主要案件を日本の事前承認を得なければ成らぬ、〇朝鮮政府の財政管理、〇日本が各鉄道の敷設権を持つ、〇日本人の土地所有権、漁業権、各種鉱山の採掘権を認めさせるー等を推し進めると言うものである。銃剣と政治的奸計で、他民族の土地と財産とあらゆる権利を、骨の髄まで毟り取る植民地経営プランである。
中国と朝鮮の民族に対する、強盗同士の侵略的植民地的分捕り戦争である、「日露戦争」に勝利した日本は、この植民地経営プランに沿って、1905年11月15日、天皇全権大使である伊藤博文は、慶雲宮に乗り込み、朝鮮政権に朝鮮を日本の「保護国」とするための最終的仕上げとしての「保護条約」の締結を迫った。伊藤は、王宮周辺を多数の日本軍砲兵、騎兵、歩兵で取り囲み、国王と閣僚に調印の同意を一人ひとり強要し、17日に、国王の裁下のないまま、一部反対閣僚を無視し調印したものとして押し通したのだ。記録では、伊藤は「“あまり駄々を捏ねる様だったら、殺ってしまえ!”と、大きな声で囁いた」とある(海野福寿「韓国併合」・岩波新書)
日露戦争において、欧米(英、米)は対露の利害関係から、むしろ日本に朝鮮支配のお墨付きを与えた。逆に日本は、米国のフィリピンに対する植民地支配を容認した(桂・タフと密約)。日露戦争の主たる戦費は、朝鮮経済の収奪と、英国と米国の外債によって賄われた。日本は、英米の後ろ盾によって、日露戦争の勝利と朝鮮半島の植民地支配を手に入れたのだ。アジアの民族の犠牲の上に、帝国主義列強との、分け前の強盗的配分にありつく天皇制日本の姿がここにある。
「保護条約」の強制的「締結」によって、ここに、天皇制軍国主義的、帝国主義的日本の、朝鮮民族に対する35年間の強盗的植民支配が始まるのである。朝鮮民族は、この条約を忘れることの出来ない、耐え難い民族の屈辱と憤怒の歴史の記録である「乙巳(ウルジ)条約」として、今も記憶しているのだ。
1906年2月、韓国内政全般の支配を目的とした植民地組織として、朝鮮総督府がつくられ、王宮に銃剣を従えて乗り込んだ天皇の全権である無頼漢・伊藤博文が、初代朝鮮総督として赴任した。1907年7月には朝鮮の立法、司法、行政を、総督が掌握する「日韓条約」が強要された。朝鮮王・高宗は、世界各国に日本の国際法上の違法行為を訴えたが、植民地支配の利害を共有する帝国主義列強は、これを完全に無視した。
1905年の保護条約に至る過程で、日本政府と日本軍は朝鮮政権の重臣を殺害する、二つの国家犯罪を犯してきた。一つは1884年4月の「甲申政変」で、日本公使とその手兵が政権交代に武力介入し、二つ目は1895年の「乙未(ウルミ)事変」で、政権に対するロシアの影響を排除するため、日本公使が国王高宗の妃である閔氏の殺害を指示した事である。日本国家による、政権中枢の殺人が繰り返され、朝鮮国家への卑劣極まりない行為の積み重ねが、1905年の「保護条約」に至った事実を、我々は知らなければならない。
田母神俊雄は、近代アジアに於ける、日本国家の歴史と役割について述べたその幼稚極まる「懸賞論文」で、次のように言う。
「我が国は、戦時中中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も、条約に基くものである事は以外に知られていない。」と。田母神はその条約の締結が、銃剣と奸計、殺人と放火によって作られたものであることを触れようとはしない。また、その「知られていない」なるものの論拠としての,なんらの歴史的事実による指摘も無い。我々は、田母神に代わって、ここに朝鮮の真実の歴史の一部を紐解いた。
しかし、田母神が「国際法上合法的に権益を得て、これを守る為に条約により軍を配置しただけだ」と言う言い分は、帝国主義列強の強盗どもが、植民地被支配民族や民衆の犠牲の上で、「合法的に」戦争と言う暴力を使い権益を争う姿を、言い当てていると言うことも出来る。この2週間ばかり、田母神は、植民地支配を推し進めてきた私的利益集団である、日本帝国主義資本家階級の暴力装置部門(軍隊)の一人の責任者の立場で、自分達の行為と発言が「法」そのものであると言わんばかりの態度を取り続けてきた。そして、自民党「国防部会」で、田母神の歴史発言を支持するグループが多数居た事実は、かれ等の動きが、単なる「歴史認識の誤り」だとか、「不適切な発言」では済まされない動きを伴っているものとして警戒しなければならない。田母神の発言は、靖国派で占められた、麻生政権の考えそのものなのだ。
そこには、世界資本主義市場競争で生き残りをかける為に、資本家による犠牲の転嫁も厭わぬ従順な民衆を、国家イデオロギーで取り込もうとする、日本資本家階級の本音が見え隠れしている。即ち平和憲法の日常的破壊の策動である。我々は、日本国憲法を武器に、かれらの行動を一つ一つ打ち破っていかなければならない。 (2008・11・14)柴野時事問題研究会
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