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憲法改悪(9条。1項2項の破棄)を急ぐ日経連と安部自民公明政権の狙いは、日本の軍事大国化によって、国際資本主義市場に対する暴力的備えと、働く民衆の諸権利の抑圧体制を作ることにある。



安倍が、自国の働く民衆への剥き出しの搾取を容認し、アジア侵略の歴史(性奴隷犯罪-慰安婦)を否認するのは、アジアに対して日本の軍事大国化を再び正当化する為である。




今日の、日本資本主義社会に於ける、働く民衆の非人間的実態は目に余るものがある。400万人の完全失業者だけではない。1600万人以上の非正規労働者の存在と、其の生活保護水順以下の賃金、資本家階級による、労働者に対する使い捨て自由と言う労働権の蹂躙。8時間労働制の否定とも言うべき無制限残業と、その成果主義を理由とする賃金不払いの正当化、更にこれらを法制化しようと、かって、カールマルクスが指摘した賃金奴隷の姿を、文字どうり彷彿とさせる資本家どもの無法が,働く民衆の頭上を襲っている。

日本の大企業が中心となって、税と最低限度の企業責任を逃れ労働の雇用責任を回避する為の「偽装労働」などの不法行為が、何の咎めもなしに行われてきた。(詳しくは、「日本を見る」参照)  この現実を、評論家 内橋克人氏は、「19世紀産業革命期のイギリス労働者階級に対する,資本家による剥きだしの搾取と支配を思い起こさせる。」とのべている。さらに、日経連と一体となった阿部自民は、国家による過酷な徴税政策で、働く民衆を二重の搾取に晒している。  10億円以上の資本金の大企業だけを取って見ても、その経常利益は1995年を約14兆円とすると05年は30兆円,企業全体で50兆円だ。労働者の賃金はと言えば、同年対比28パーセントの減だ。(財務省法人企業統計調査)

これは、本来労働者に支払うべき賃金を、少なく見積もっても10兆円も収奪しているのである。しかも日本の大企業は、国際競争力に勝つ為と称して国家による大幅な各種優遇減税を受け、法人税率は売り上げの1パーセントにすぎない。生活保護下で苦しむ四百万世帯の支給費を削りとっても、労働者をただ働きさせても、自分たちの利益だけは2倍になっても3倍になっても吐き出さない。これが資本家階級の本質なのだ。[国際市場競争に勝つことが働くものの利益になるのだ]と言う、まやかしを信じてはならない。資本家のこの妄言を、日本の労働者に押し付けて「小泉構造改革」に積極的に協力して来た「連合」によって、日本の労働者は、資本家の攻撃の前で、まる裸にされてきたのだ。

日本の労働者は、小泉改革による労働者の首切りに、如何なる戦いも組まず、各種政府諮問会議で経営者とニコヤカに手を握っていた、「連合」の労働官僚も信じてはならない。彼ら、資本の第5列の頭を乗り越え、労働者の意識的な真の戦う組合を組織することが求められている。日経連と安部自民は、働く民衆の人権と労働権を蹂躙する一方で、戦後日本の政治と社会と法体系を、彼らの独裁的支配の都合に合わして、根本的に転換しようとしているのだと言う事を、明らかにしなければならない。

安倍晋二は、札付きの国家主義者である。自国の資本家階級の代理人として資本主義社会を維持する上で、民主主義的手続きを制約し、剥きだしの民族的イデオロギーによる国民統合を、軍事的プレゼンスの強化を通じてはかろうとするのだ。国家主義者は、過去のアジアに対する、日露戦争から日中戦争にいたる植民地侵略戦争の汚い「勝利」を美化し、伊藤博文の様な朝鮮民族に対する国家テロの頭目を、明治の元勲英雄として国民意識の統合に利用しようとする。日本軍による性奴隷制度を、日本国家が管理した歴史を隠蔽して、朝中民族から憤怒の嵐を受けるが、証拠はないと言い逃れしようとする、政治的パラノイアの典型であり人間性のひと欠けらもない腐敗人格者である。

この国家主義者のあたまには、国民との「民主主義的論議」と言ったブルジョア的手続きよりも、権力によるファシズム的抑圧手法が身についている。国会に於ける立法の審議なしの強行突破、言論への政治介入、期限を決めた法案審議、憲法改悪の準備法[国民投票法]

を、こともあろうに憲法記念日までに承認させるなどと公言することは、民衆を徹底的に愚弄するものである。この男をのさばらせることは、アジアの民衆に対する、日本の民衆としての恥辱である。



安倍自民の、改憲の目的は二つある  Ⅰ、日本の「平和憲法体制ー平和立国」の解体と「 軍事国家化」。 2、民主主義的手続きの制限と、警察的抑圧体制の確立である。




安倍自民と日経連が、国際市場競争の為と、働く民衆の犠牲を当たり前のように言うと同時に、憲法9条[1項、2項]の破棄をもくろむのは、2つの目的がある。

1つは、名実ともに[軍隊]を合法化することにより、軍事力を世界に繰り出し、軍事同盟国の一方の戦争は、自らの戦争として参戦し(集団的自衛権)、世界資本主義市場に対する軍事的威嚇を高める為の軍事大国化である。すでに日本が、5兆円の軍事予算を有する世界第3位の軍事大国であることと、巨大な在日米軍基地列島であることを言わず、人口12億と広大な国土を持つ中国の軍事予算が、5兆円を超えたことを持って、「その軍拡を憂慮する」と言う麻生外務大臣の、しらばっくれた談話は、日本の更なる軍事力の強化を合法化しようとする、汚い手法である。 

2つは、日本の軍事大国化は、国内における民主主義的手続きの制限と、警察的抑圧体制の確立へと向かうことを容易とし、軍隊の合法化は、別の法体系、即ち軍事裁判所をもっ   て市民社会を暴力的に支配できるのだ。過酷な資本による、労働権や人権の蹂躙に対して、抵抗する民衆を取り締まる体制のことである。安倍の言う、[美しい日本]の内実は、斯くも醜悪な姿をしていたのである。




歴史の教訓は、腐敗した資本主義の行き着く先が、ファシズムであることをおしえている。安倍の理念と政治的手法は、日本天皇制軍国主義のアジア民族への蔑視、歴史犯罪への合理化と、民主主義的手続きの制限に於いて、日本の新たなファシズムへの道である。




歴史上すべての世界大戦は、資本主義諸国のブロック間の資源と商品市場をめぐる対立の暴力的決着であったといえる。そして、民衆が権力のイデオロギーに吸収されたとき、国家主義的抑圧体制が民主主義に取って代わり、それを民衆が支える社会が登場すると言う悲劇がうまれるのだ。イラク侵略戦争の初期、「反テロ」を国家統合のイデオロギーとして、侵略的目的「資源の獲得と自国の巨大な軍需産業市場の暴力的消化」を押し隠し、国民を熱病の様に戦争に駆りたてたブッシュは、国民の90㌫の支持を取り付け、ほとんどの

メディアをとりこんだ。我々はこのことを、他山の石とすべきである。

第二次世界大戦において、ナチスドイツに対する「連合国」の戦争が、「正義」の戦争というのは嘘である。第一次大戦の結着を引きずった利害対立が、もう一度戦争と言う手段で解決されようとしたに過ぎない。大ドイツ主義と、「ヨーロッパのひそかな共感に支えられた」(アイザックドイッチャー、「非ユダヤ的ユダヤ人」)反ユダヤ主義を国民統合のイデオロギーとして、破綻した経済に絶望した中産階級を取り込んだナチスが、ドイツ資本家階級の品の悪い代理人として登場したのである。それは、ドイツ資本主義の生き延びる手段であり労働者階級に対する暴力的抑圧体制であり、資本主義の究極の姿でもある。軍事侵略による資源市場の略奪、労働者組織の解体と、低賃金と過酷な労働条件、ブルジョア民主主義の否定と警察的抑圧体制によって成立っている。日清日露戦争から始まる天皇制帝国主義日本と、ドイツファシズムに違いはほとんど無い、ロシア革命の指導者、レオン トロツキーは次のように言う。「ヒトラーは、政治的には、資本家階級の頭を土足で踏みつけ、時にはつばを吐きかけるが、自らが生き延びる為には(資本家は)この行儀の悪い代理人に我慢するのである。」(トロツキー全集 国家論 現代思潮社)アジアの歴史を隠蔽する 安倍が、行儀の悪い代理人になる可能性は極めて高い。軍事国家へのみちは、必ず民衆への暴力支配へと向かう。国家予算の 20パーセント、5000億ドルを軍事費に計上し、自ら戦時国家と宣言(07,2月イラク増派での演説)するブッシュのアメリカは、軍需産業が栄え人権意識が壊れていく腐敗した体制である。政治目的を外交的解決が可能でも軍事プレゼンスに固執する。かれらが、全世界に軍事力を展開する理由がここにある。 



有事立法と「在日米軍基地再編」は、民衆の基本的人権を制約した社会を準備し、自衛隊と米軍による日本列島総基地化への道であり、憲法改悪の先取りである。日本は、「平和憲法のもとでの、平和立国の道」か「改憲のもとでの、軍事武装強化国への道」かが、問われている。




2004年 再選されたブッシュは、 [米軍の世界的再編]を、米国の安保戦略の基本にすえた。、   米国は、[日米安保条約]に基づく軍事同盟を組む日本と、イラク侵略戦争に於ける数少ない同盟国として、更に自国以外最大の在外基地が存在する国として、その再編成の協議に入ることとなる。 この事が、日本の社会を、根本的ともいえる転換のふちに立たしていることに、多くの民衆が目隠しされてきたのだ。

「在日米軍」の、世界を視野に入れた侵略戦争の基地化に対して、日本の資本家階級とその執権政党が戦後独自に進めてきた「平和憲法体制」の解体と「軍事プレゼンス持った日本」と言う、軍事大国化への志向が、日米の利害の一致として進むこととなる。

本来、アメリカと言う「重武装国家」に対して、日本は、戦争と軍隊を放棄し集団的自衛権を拒否し、自国の「安保」を、世界とアジアの平和体制の構築の中に追及せんとする「平和国家」である。 憲法9条と武器三原則、また非核三原則を理念として堅持する日本の立場は、《世界へ展開する在日米軍の再編とその存在》とは、決して、相容れない。 

 

「日米安保条約」は、日本国憲法の下で、在日米軍の行動領域の制約(5条、いわゆる極東条項)、在日米軍基地規定(6条)、事前協議、および国連との関係に於いて、条約の廃止も有りうることを定めた一つの国際条約である。これは「米軍」を、この法の厳格な枠と制約の中でしか、その存在を許されないものとして規定しているのだ。 しかし、

アメリカは、湾岸戦争、アフガン侵略、イラク侵略に対して、在日米軍基地を、この法の制約を無視し世界への出撃基地として利用した。これは明らかに、この国際法を蹂躙する無法行為である。

小泉と日本の執権政党は、このアメリカによる不法行為を非難糾弾すべきなのではなかったのか?  恐るべきことに彼らは、この不法行為を是認したのだ。それどころか法を蹂躙する米軍を、自衛隊によって後方支援し、ついにはイラクへの自衛隊の派遣に行き着くのだ。この日本の執権政党と政府によるこの行為は、「安保条約」だけではない。日本国憲法前文、および第9条の重大な違反行為である。   



米国と日本は、安保条約の法の枠組みを踏みつけながら、自衛隊と在日米軍の国際的な戦争行為のための全面的な協力関係に向けて、日本の「関連法の整備」と「防衛政策」に照らして米国の政策と整合させる為の協議を重ねてきた。武器三原則の見直しや、「有事」を想定した自衛隊との協力体制、基地の協同使用、民間施設の供用など、到底、日本の平和憲法の理念と条文の規定から容認され得ない、法の蹂躙が行われている。1996年日米首脳会談において、日米安保協力指針(ガイドライン)の見直しが行われ、安保条約の適用範囲を、「極東」から、「 アジア太平洋」に拡大したのを始め、2005年2月、日米安全保障協議委員会。2005年10月 日米両政府による在日米軍再編の中間報告を通して、自衛隊と米軍による集団的自衛権の行使の準備態勢がつくられつつある。

曲がりなりにも守られてきた{平和立国}の内堀が埋められようとしているのだ。

このような,在日米軍の再編と前後して、国内における平和憲法体制を根底から否定し、自己の軍事国家化への準備、および在日米軍 と自衛隊の違法行為の「合法化」を図る法の整備を、十分な、国民への情報の開示と検討期間も与えず、強行してきた。特に2001年10月 テロ特措法は、ニューヨーク9.11テロに便乗して作られた、正真正銘の米軍支援法であり、日本国憲法はもちろん、安保条約の制約さえも根底から破る不法な法律であった。{アフガン復興支援}の名分で、戦後初めて戦闘地域に武装した戦艦を送ると言う重大な違法行為による法制にもかかわらず、たった9日間の国会討議で強行された。

    1999年   周辺事態法

    2001年   テロ特措法

         自衛隊法改正      

    2003年   武力攻撃事態法

    2004年    国民保護法 米軍行動円滑法 日米物品役務相互提供協定改正案              
         
         特定公共施設利用法 海上輸送規正法 

    2005年   自衛隊法改正

    2006年   防衛庁の省昇格

ここに掲げた各法律は、有事立法と言われる物が大半である。国民の諸権利の制限、基地外の民間施設の軍事的占拠、自治体の戦争協力、民間船舶の規制など、在日米軍の世界戦争への日本列島丸ごとの動員体制をとろうとするものである。これら法律は、自衛隊の軍隊としての実質を支えるものであり、米軍の戦争行動を日本の国内法で支援するものである。自衛隊と米軍を日本国憲法の制約から解き放つ不当極まりない違憲法である。なによりも問題なのは、それが、民衆を戦時体制に、{法}の名のもとに強制的に組み入れ、その基本的人権を踏みにじる憲法改悪の先取り法であるという点である。

今日、安倍執権党と経団連が、{現実と憲法には乖離がある。だから実態に合わすだけだ。}と、赤ん坊を騙すようなことをよく言うが、彼らが作り上げた現実と言うものの理念と、平和憲法の持つ理念の違いについて、国民に語ったことは、いちどもない。語れば語るほど、彼らの本当の狙いが明らかになるからだ。おまけに、例えが,良いとはいえないが、いたいけな娘を強姦した悪代官が、出来てしまったから、俺の女になれと言う程度の品の悪い論拠で、民衆を騙そうとしているのであるから、彼らの人間性のレベルは、まったく最低だ。 



われわれは、どうしてここまで、「平和憲法体制」への攻撃をゆるしてしまったのか?




しかし、今日まで、このような日本の現実を許してきたのはどうしてなのか。上記

の有事諸法規は、なぜかくも矢継ぎ早やに、さしたる論議もなく国会を通過していったのか。三つの問題がある. ひとつは、最大野党である民主党が、ほとんどすべての法案に賛成し、むしろ積極的に法案作成に関与してきたことが、国会の翼賛化を深化させて来たと言う事実である。日本の権力が繰り出す、平和憲法体制の破壊と言う戦後日本の転換点で、権力の立場に立つ「野党」に対して民衆はノーを突きつけられなかったのだ。日本の資本家階級にとって、民主党は基本的に、働く民衆に向かって、資本の側から語りかける自民党のスペアである。憲法改悪の推進勢力であり,法の中身ではなく、手続きをめぐって時折抵抗することで執権政党との違いをアピールするだけだった。第二に、日本の全国紙をはじめとする言論界と放送界が持つべき本来の視点、民衆の目で権力を監視する立場を失い、自らの存在さえ危くしかねない現実を、分析することさえ出来ない体たらくが、権力の増長を生んできた。第三に、国会に於ける働く民衆の代表が、共産党、社民党と言う10パーセントに過ぎない勢力だったと言うだけでなく、権力が、「テロ特措法」と「在日米軍再編成協議」を契機とする平和憲法体制破壊の策動を、「北朝鮮の脅威」「イラクの大量破壊兵器」「テロ」と言う、根拠のない大衆愚弄のプロパガンダで、国民の意識を取り込むことに成功したことが、民衆の側が有効な戦いを組織できなかった大きな理由の一つである。この大衆愚弄のプロパガンダは、言論界と放送界で現在も懲りずに続けられている。

働く民衆は、これら権力の策動を暴き、安倍自民公明執権勢力による日本の軍事国家への変質、働く民衆に対する抑圧体制の確立を阻止するため、一つの統一したスローガンの下に、圧倒的多数の国民を獲得しなければならない。「九条改憲阻止」「改憲準備法である国民投票法阻止」は、草の根から、巨大な戦いに発展しつつあると言う確信を持って。



改憲を阻止する、社会的大地震を再び起こさなければならない 。 



1960年5月から6月にかけて、「日米安保条約」改定批准の国会承認を阻止しようと、国労を中心に400万労働者のゼネストと35万の全学連傘下の学生による連続的全学スト、そして学者、文化人のみならず、商工業者を含む無数の民衆が各地で集会をもった。戦後15年、まだ忘れることの出来ない天皇制軍国主義による、民衆の犠牲と惨禍の記憶と、その犠牲の上に、ようやく手に入れた平和憲法を守れと言う声は、国会の保守革新の議席数によって推し量れるものでは無かった。圧倒的な国民が、安保条約が日本の行く末に生み出す危険な予感を、共有していた。それを共有しなかったのは、自己の戦争責任、アジアと日本の民衆に対する虐殺と抑圧に口をつむんで来た、A級戦犯、岸信介政府と、その保守執権グループだけだった。(今、彼の孫が、祖父と同じ道を歩んでいる。)当時、資本と権力に対し自らの権利を守る労働者の組織が、国労,炭労、日教組をはじめ健在であった。多くの学生が、社会と政治への問題意識をもって、世論に先駆的に火を付けるのが自分たちの役割だと確信していた。日教組の勤務評定反対闘争,炭労の閉山阻止、国労の反合理化、医療労働者の人権闘争など、多くの場で、学生と労働者が同じ隊列にいたのである。国内に於ける労働と資本の対立が鮮明であったし、特に、日教組の勤務反対闘争は、教師だけでなく、全学連に結集した学生によっても、全国各地でデモと集会が組織された。国家権力が、教育の場から日教組を排除し、権力の教育介入の道筋をつけるこの勤評に対する戦いは、安保闘争と(学生の戦いとしては)同時並行的に行われた。世界の情勢は、アメリカが中心となって、社会主義諸国に対する世界的な反共軍事包囲網がしかれ、特に、東北アジアでは、朝鮮戦争後の、緊張した情勢の中で朝鮮半島と中ソに対するアメリカの軍事的体制強化が進められ、ベトナムの民族解放闘争に対する軍事介入も準備されていた。先立つ1956年、東京都砂川の米軍基地拡張に反対する住民闘争に対し、全学連は、日本を反共と民族解放闘争に対する軍事基地にしてはならないと、住民と共にたたかい、多数の逮捕者を出しながら、政府にそれを断念させた。この住民と全学連の逮捕者の裁判で東京地裁は、米軍基地の存在は、憲法違反であるから無罪と断じたが、最高裁判所は有罪とした。 日米安保条約に反対する闘争は、この様な国内の情勢の中で生まれた。権力が、安保条約に、在日米軍の法的根拠として6条の基地規定を置いたのは当然であった。米軍の活動領域を取り決めた6条や事前協議のあいまいさが、日本をヴェトナム侵略の基地と化すことを、当時から、われわれは警告し、安保闘争を戦ったのである。        

外電は、この戦いを、「極東の社会的大地震」と全世界に打電した。6月19日未明の国会に於いて、自民党は単独採決によって条約の国会承認を強行した。安倍の祖父、岸信介は、国会を包囲する数十万の民衆の姿に身震いして、自衛隊の幕僚を呼び、自衛隊の出動を打診したが「日本の自衛隊は、自国民に銃を向ける訓練をしていません。」と断られた。嘘のような本当のはなしである。(今、自衛隊は対テロ訓練と称して、民衆に銃を向ける準備をしている。)条約は阻止出来なかったが、権力の胸に、民衆の戦いに対する深い恐怖感をきざみつけた。その後30有余年間、日本が曲がりなりにも「平和立国」として、平和憲法を守ってこれたのは、他でもなく、この権力に焼きついた民衆の力である。1960、615に、3万の全学連のデモが国会構内で機動隊と衝突し、多くの負傷者を出しただけでなく、樺美智子さんが虐殺された。彼女の屍を乗り越えて、もう一度、改憲阻止の巨大な戦いを、極東の社会的大地震として、うみださねばならない。

1960年代と比べ、今日の状況は、常に社会運動に、先駆的役割を担ってきた学生運動と、資本と権力に対し戦う姿勢を失わなかった労働運働が、解体している点において、決定的なちがいがある。しかし、働く民衆と、資本や権力との矛盾は、現在が何倍も深刻である。

しかも、広く国民の間に持ち込まれた分裂は、戦う民衆のエネルギーを多数派として蓄えつつある。一つの方向が与えられた時、民衆の組織が職場と街頭の上に自然発生的に生みだされるだろう。改憲反対のたたかいは、極端な国家主義者による、ブルジョア民主主義の制限による抑圧体制と、平和体制に取って代わる武装国家へのみちを拒否する戦いであることが理解されれば、必ず、国民の多数派となるにちがいない。




헌법개악(9조 1항, 2항의 파기)을 서두르는 일경련(日本経営者団体連盟)과 아베 자민・공명정권이 노리는 것은, 일본의 군사대국화를 통해 국제 자본주의시장에 대한 폭력적 준비와 국민의 제(諸)권리의 억압체제를 구축하는 것이다.

 

 

아베{아베 신조(安部晋三), 현 일본 내각총리}가 자국 국민에 대한 공공연한 착취를 용인하고 아시아 침략의 역사(성 노예 범죄-위안부)를 부인하는 것은 아시아에 대한 일본의 군사대국화를 다시금 정당화하기 위함이다.

 

 

오늘날의 일본 자본주의 사회에 있어서 노동자의 비인간적 실태는 묵과할 수 없다. 400만 명의 완전 실업자만의 이야기가 아니다. 1,600만 명 이상의 비정규 노동자의 존재와 생활보호 수준 이하의 임금, 노동자에 대한 쓰고 버릴 자유라고 하는 노동권의 유린. 8시간 노동제의 부정이라고도 할 만한 무제한 잔업과 성과주의를 이유로 한 임금 미지불의 정당화. 게다가 이러한 것들을 법제화하려는 등, 일찍이 칼 마르크스가 지적한 임금노예의 모습을 방불케 하는 자본가들의 무법 행위가 노동자를 위협하고 있다.

 

일본 대기업이 중심이 되어 세금과 최저한도의 기업책임을 피하고, 노동자의 고용책임을 회피하기 위한 「위장노동」등의 불법행위가 아무런 거리낌 없이 자행되어 왔다{자세한 것은 「일본을 본다(日本を見る)참조}. 이러한 현실을 평론가 우치하시 가추터(内橋克人)는「19세기 산업혁명기 영국 노동자계급에 대한 자본가의 노골적 착취와 지배를 상기시킨다」고 말하고 있다. 또한 일경련과 하나가 된 아베 자민당은 국가에 의한 가혹한 징세정책으로, 노동자를 이중착취의 상황으로 몰아넣고 있다. 10억엔 이상의 자본금을 가지고 있는 대기업만을 보더라도, 경영 이익은 1995년을 약 14조 엔이라고 한다면, 2005년은 30조엔, 기업 전체로 봤을 때는 50조 엔이다. 노동자 임금은 동년 대비 28%가 감소했다(재무성 법인기업 통계조사).

 

이는 본래 노동자에게 지불해야만 하는 자금을, 어림잡아 계산해 보아도 10조 엔이나 수탈하고 있는 것이다. 게다가 일본의 대기업은 국제간 경쟁에서 살아남기 위함이라며 국가로부터 대폭적인 각종 세금 감면혜택을 받아, 법인세율은 매상의 1%에 지나지 않는다. 생활보호 아래에서 고통 받는 4백만 세대의 지급비용을 삭감하고 오로지 노동자를 부려먹기만 하면서, 자신들의 이익은 두 배, 세 배가 되어도 뱉어 내지 않는다. 이것이 자본가 계급의 본질이다. 「국제시장 경쟁에서 이기는 것이 곧 일하는 자의 이익이다」라는 거짓말을 믿어서는 안 된다. 자본가의 이러한 망언을 일본의 노동자에게 강요하여 「고이즈미 구조개혁」에 적극적으로 협력해 온 「연합(連合)」에 의해 일본의 노동자는 자본가의 공격 앞에 그저 무력하기만 했다.

 

  일본의 노동자는 고이즈미 개혁에 의한 노동자 해고에 대항한 그 어떤 투쟁도 하지 않고, 각종 정부자문기관에서 경영자와 웃으며 연대하고 있던 「연합」의 노동관료도 믿어서는 안 된다. 그들, 자본의 제5열(第5列)의 머리를 뛰어 넘어 노동자의 의식적인 참된 투쟁을 위한 조합의 조직이 요구되고 있다. 일경련과 아베 자민은 노동자의 인권과 노동권을 유린하는 한편, 전후 일본정치와 사회와 법체계를 그들의 독자적인 지배 편의에 맞추어 근본부터 바꾸려 하고 있음을 분명히 해 두지 않으면 안 된다.

 

  아베 신조는 국가주의자로 정평이 나 있다. 일본의 자본가 계급 대리인으로써 자본주의사회를 유지하는 한편, 민주주의적 절차를 제약하고, 공공연한 민족적 이데올로기에 의한 민족통합을 군사적 존재(군대)의 강화를 통해 실현시키려고 한다. 국가주의자(아베)는 러일전쟁에서 중일전쟁에 이르는 과거 아시아에 대한 식민지 침략전쟁의 더러운 「승리」를 미화하고, 이토 히로부미와 같은 조선 민족에 대한 국가 테러의 두목을 메이지의 원훈영웅(元勳英雄)으로 삼아 국민의식 통합에 이용하려 한다. 일본군에 의한 성 노예 제도를 일본국가가 관리한 역사를 은폐하여 남・북한과 중국 민족으로부터 분노의 화살을 맞고 있으나 증거가 없다고 발뺌하려고만 하는 정치적 파라노이아의 전형이며, 일말의 인간성도 없는 부패인격자다.

 

  이 국가주의자의 머리 속에는 국민과의 「민주주의적 논의」라고 하는 부르주아적 절차보다 권력에 의한 파시즘적 억압수법이 박혀있다. 국회에서 입법의 심의 없는 강행돌파, 언론에의 정치개입, 기한을 정한 법안심의, 헌법개악의 표준법(국민투표법)을 하필이면 헌법기념일까지 승인시키겠다는 등의 공언은 민중을 철저하게 우롱하는 것이다. 이 남자를 제멋대로 날뛰도록 내버려 두는 것은 아시아 민중에 대한 일본 민중으로써의 치욕이다.

 

 

아베 자민의 개헌 목적은 두 가지다. 1. 일본의 「평화헌법체제 – 평화입국」의 해체와 「군사대국화」. 2. 민주주의적 절차의 제한과 경찰억압체제의 확립이 바로 그것이다.

 

  아베 자민과 일경련이 국제시장경쟁을 위함이라 하며 국민의 희생을 당연하다는 듯이 이야기함과 동시에 헌법 9조(1항, 2항)의 폐기를 꾀하는 데에는 두 가지 목적이 있다.

 

  하나는 명실공히 군대를 합법화 하는 것에 의해 군대를 계속해서 세계로 내보내고, 일부 군사동맹국의 전쟁은 자신들의 전쟁으로 간주하여 참전하며(집단적자위권), 세계 자본주의 시장에 대한 군사적 위협을 증대시키기 위한 군사대국화다. 일찍이 일본이 5조 엔이나 되는 군비예산을 보유하는 세계 제3위의 군사대국인 것과 거대한 재일미군기지열도인 것은 묵과한 채, 12억이나 되는 인구와 광대한 국토를 가진 중국의 군비예산이 5조 엔을 넘었다는 이유로 「중국의 군비확대에 우려를 표한다」는 아소 외무대신의 시치미 뗀 듯한 담화는 일본의 군사력 강화를 점점 더 합법화하려고 하는 더러운 수법이다.

 

  다른 하나는, 일본의 군사대국화는 일본국내의 민주주의적 절차의 제한과 경찰억압체제의 확립을 용이하게 하여, 군대의 합법화를 통한 별도의 법체계, 즉 군사재판소 설치로 시민사회의 폭력적 지배가 가능해지는 것이다. 가혹한 자본에 의한 노동권이나 인권 유린에 대해 저항하는 민중을 단속하는 체제인 것이다. 아베가 말하는 「아름다운 일본」의 내용은 너무나도 추악한 모습을 하고 있다.

 

  역사의 교훈은 부패한 자본주의의 종착점이 파시즘임을 가르쳐주고 있다. 아베의 이념과 정치적 수법은 일본 천황제 군국주의의 아시아민족에 대한 멸시, 역사적 범죄에 대한 합리화와 민주주의적 절차의 제한에 의해 일본이 새로운 파시즘으로 향하는 길이다.

 

  역사상 모든 세계대전은 자본주의제국 블록간의 자원과 상품시장을 둘러싼 대립의 폭력적 결착이었다고 말할 수 있다. 그리고 민중이 권력의 이데올로기에 흡수되었을 때 국가주의적 억압체제가 민주주의로 바뀌어 이를 민중이 떠받치는 사회가 등장한다고 하는 비극이 생겨나는 것이다. 이라크 침략전쟁의 초기, 「반 테러」를 국가통합의 이데올로기로 하여 침략적 목적인「자원의 획득과 자국의 거대한 군수산업시장의 폭력적 소화」를 숨기고, 국민을 열병의 도가니로 몰아넣는 듯 강제로 전쟁터로 내보낸 부시는, 90%라고 하는 국민의 지지를 등에 엎은 채 대부분의 미디어를 공략했다. 우리는 이를 타산지석으로 삼아야만 할 것이다.

 

  제2차 세계대전에 있어서 나치 독일에 대한 「연합국」의 전쟁이 「정의」의 전쟁이라 함은 거짓이다. 제1차 세계대전에서 결착을 짓지 못했던 이해관계의 대립이 다시 한 번 전쟁이라는 수단으로 해결되려 했던 것에 지나지 않는다. 대독일주의와 「유럽의 비밀스러운 공감에 의지했던」(아이자크 도이처, 「반유대적 유대인」) 반유대주의를 국민통합의 이데올로기로 삼아, 파탄한 경제에 절망한 중산계급을 공략한 나치가 독일 자본가 계급의 저질스런 대리인으로써 등장한 것이다. 이는 독일 자본주의가 연명(延命)하기 위한 수단이었으며 노동자계급에 대한 폭력적 억압체제였고 자본주의 궁극의 모습이기도 했다. 이는 군사침략에 의한 자원시장 약탈, 노동자 조직의 해체, 저임금과 가혹한 노동조건, 부르주아 민주주의의 부정과 경찰억압체제로 이루어져 있다. 청일・러일전쟁에서 시작되는 천황제 제국주의 일본과 독일 파시즘과는 별 차이가 없다. 러시아혁명 지도자 레온 트로츠키는 다음과 같이 말한다. 「히틀러는 정치적으로는 자본가계급의 머리를 짓밟으며 때로 침을 뱉기도 하지만, 자본가 스스로가 목숨을 유지하기 위해서는 이 저질스런 대리인의 행위를 참아 넘겨야만 한다」(트로츠키 전집, 국가론, 現代思潮社) 아시아의 역사를 은폐하는 아베가 저질스런 대리인이 될 가능성은 지극히 높다. 군사국가로의 길은 반드시 민중에 대한 폭력지배로 이어진다. 국가예산의 20%, 5,000억 달러를 군사비로 계상(計上)하고 스스로 전시국가라 선언(2007년 2월, 이라크 증파에서의 연설)한 부시 아메리카는, 군수산업이 흥하고 인권의식이 무너져 가는 부패한 체제다. 정치적 목적을 위해서라면 외교적 해결이 가능하다 해도 무력을 고집한다. 그들이 전세계에 군사력을 전개하려는 이유가 여기에 있다.

 

 

유사입법과 「주일미군 기지재편」은 민중의 기본적 인권을 제약하는 사회를 준비하고, 자위대와 미군에 의한 일본열도 총 기지화로의 길이며, 헌법 개악의 사전작업이다. 일본은 「평화헌법 하에서의 평화입국의 길」인가「개헌 하에서의 군사무장 강국으로의 길」인가 추궁 당하고 있다.

 

  2004년 재선 된 부시는 「미군의 세계적 재편」을 미국 안보전략의 기본으로 정했다. 미국은 「일미안보조약」에 기초한 군사동맹국 일본과 이라크 침략전쟁에 있어 그 수가 얼마 안 되는 동맹국으로써, 게다가 자국 외에 최대의 재외기지가 존재하는 나라로써 그 재편성의 협의에 돌입하게 된다. 이것이 일본 사회가 근본적이라고도 할 수 있는 전환의 가장자리에 세워져 있음에, 많은 민중들이 깨닫지 못한 채 살아온 것이다.

 

  「주일미군」의 세계를 시야에 넣은 침략전쟁 기지화에 대해 일본의 자본가 계급과 그 집권 정당이 전후 독자적으로 진행해 온 「평화헌법체제」 해체와 「군대를 가진 일본」이라고 하는 군사대국화로의 지향이 일미 양국간 이해의 일치로 진행되어 온 것이다.

 

  본래 미국이라고 하는 「중무장국가」에 대해 일본은, 전쟁과 군대를 포기하고 집단적자위권을 거부하며, 자국의 「안보」를 세계와 아시아의 평화체제 구축 안에서 추구하는 「평화국가」다. 헌법 9조와 무기3원칙 그리고 비핵3원칙 이념을 견지(堅持)하는 일본의 입장은 “세계로 뻗어나가는 주일미군의 재편과 그 존재”와는 결코 양립할 수 없다.

 

  「일미안보조약」은 일본국헌법 하에서 주일미군의 행동영역의 제약(5조, 이른바 극동조항), 주일미군 기지규정(6조), 사전협의 및 UN과의 관계에 있어 조약의 폐지도 가능함을 정한 하나의 국제조약이다. 이는 「미군」을 이 법의 엄격한 틀과 제약 안에서만 그 존재를 인정할 수 있는 것으로 규정하고 있는 것이다. 그러나 미국은 걸프전쟁, 아프카니스탄 침략, 이라크 침략을 행함에 있어서 이 법의 제약을 무시한 채 주일미군기지를 세계로의 출격기지로 이용했다. 이는 명백히 이 국제법을 유린하는 무법행위이다.

 

  고이즈미와 일본의 집권정당은 이 미국에 의한 불법행위를 비난・규탄해야 마땅하지 않았는가? 놀랍게도 그들은 이 불법행위를 시인했다. 어디 그 뿐인가, 법을 유린하는 미군을 자위대로 하여금 후방지원하고 결국 자위대의 이라크 파병에까지 이르게 되었다. 일본의 집권정당과 정부에 의한 이러한 행위는 「안보조약」뿐만이 아닌 일본국헌법 전문 및 제9조에 있어서도 중대한 위반행위이다.

 

미국과 일본은 안보조약의 법의 틀을 무시하며, 자위대와 주일미군의 국제적인 전쟁행위를 위한 전면적인 협력관계를 향해 일본의 「관련법 정비」와 「방위정책」에 비추어 미국의 정책과 합치시키기 위한 협의를 반복해 왔다. 무기3원칙의 재정비나 「유사」를 상정한 자위대와의 협력체제, 기지의 공동사용, 민간시설의 공용 등 결코 일본의 평화헌법 이념과 조문의 규정으로는 도저히 용인될 수 없는 법의 유린(蹂躪)이 행해지고 있다. 1996년 일미정상회담에서 일미안보협력방침(가이드라인)의 재검토가 이루어져, 안보조약의 적용범위를 「극동」에서 「아시아 태평양」으로 확대한 것을 시작으로, 2005년 2월 일미안전보장협의위원회, 2005년 10월 일미 양 정부에 의한 주일미군재편의 중간보고를 통해 자위대와 미군에 의한 집단적자위권 행사의 준비태세가 계속 이루어지고 있다.

  불완전하게나마 지켜져 온 「평화입국」의 틀이 무너지려 하고 있는 것이다.

 

  이 같은 주일미군 재편과 전후하여 국내에서는 평화헌법체제를 그 뿌리에서부터 부정하며, 군사대국화로의 준비 및 주일미군과 자위대의 위헌행위의 「합법화」를 기도하는 법 정비를 국민에의 충분한 정보 제시 및 검토기간도 주지 않은 채 강행 해 왔다. 특히 2001년 10월의 테러특별조치법은 뉴욕 9.11테러에 편승해 만들어진 명실상부한 미군지원법이며, 일본국헌법은 물론 안보조약의 제약의 근본을 파괴하는 불법 법률이었다. 「아프간 부흥지원」이라는 명분으로 전후 최초로 전투지역에 무장한 전함을 보낸다는 크나큰 위법행위에 의한 법제임에도 불구하고 고작 9일간의 국회 토의로 강행되었다.

 

1999년  주변사태법

2001년  테러특별조치법 / 자위대법 개정

2003년  무력공격사태법

2004년  국민보호법 / 미군행동원활법 / 일미 물품행정 상호제공협정 개정법

        특정공공시설이용법 / 해상운송규정법

2005년  자위대법 개정

2006년  방위청의 성(省) 승격

 

  위에 거론한 각 법률들은 유사입법이라 불리는 것이 대부분이다. 국민의 제(諸)권리의 제한, 기지 이외의 민간시설의 군사적 점거, 자치체의 전쟁협력, 민간선박의 규제 등 주일미군의 세계전쟁으로의 전 일본열도 동원체제를 취하려고 하는 것이다. 이들 법률은 자위대의 군대로서의 실체를 뒷받침하는 것이며, 미군의 전쟁행위를 일본의 국내법으로 지원하는 것이다. 자위대와 미군을 일본국헌법의 제약으로부터 자유롭게 하는 부당하기 그지없는 위헌헌법인 것이다. 무엇보다 문제는 이것이 민중을 「법」의 명분 하에 전시체제로 강제 편입시켜 기본적 인권을 짓밟는 위법개악의 선행법이라고 하는 점이다.

 

  오늘날 아베 집권당과 경단련(経済団体連合)이 「현실과 헌법에는 괴리가 있으므로 현재의 실정에 맞추는 것 뿐이다」라며 속이 뻔히 들여다 보이는 거짓말을 자주 하나, 그들이 만들어 낸 현실이라고 하는 이념과 평화헌법이 가지는 이념의 차이에 대해 국민에게 이야기 한 적은 단 한번도 없다. 이야기하면 할수록 그들의 참 목적이 만천하에 드러나기 때문이다. 또한 적절한 예라고는 할 수 없지만, 귀여운 어린아이를 강간한 악질 관리가 ‘아이가 생겼으니 자신의 여자가 되라’고 이야기 하는 것과 같은 저질스런 논거로 민중을 속이려고 하고 있는 것이기에, 그들의 인간성 레벨은 최악이라 할 수 있다.

 

 

어째서 우리는 여기까지「평화헌법체제」로의 공격을 허용해버린 것인가?

 

  그러면 오늘날까지 이와 같은 일본의 현실을 허용해 온 것은 왜인가? 위에서 기술한 유사제법규는 어떻게 그리도 빠르게, 이렇다 할 논의도 없이 국회를 통과할 수 있었는가. 여기에는 세 가지 문제가 있다.

하나는 최대 야당인 민주당이 대부분의 법안에 찬성하거나 오히려 적극적으로 법안작성에 관여해 온 것이 국회의 익찬화(翼贊化)를 심화시켰다는 사실이다. 일본의 권력이 반복하여 내세우는 평화헌법체제 파괴라는 전후 일본의 전환점에서 권력의 입장에 선 「야당」에 대해 민중은 ‘노’라고 말할 수 없었다. 일본의 자본가계급에게 있어서 민주당은 기본적으로 노동자를 향해 자본의 편에서 말하는 자민당의 예비역이다. 헌법개악의 추진세력이며 법의 내용이 아닌 절차를 둘러싸고 때때로 저항하는 것으로 집권정당과의 차이를 호소하려 할 뿐이었다.

다음으로 일본의 전국지를 필두로 한 언론계와 방송계가 가져야만 할 본래의 시점, 민중의 눈으로 권력을 감시하는 입장을 잃고, 스스로의 존재조차 위험에 빠뜨릴 수 있는 현실을 분석하는 것 조차 불가능한 타락이 권력의 힘의 증대를 조장해 왔다.

마지막으로 국회에서 민중의 대표 세력이 공산당, 사민당을 합해 10%에 지나지 않는다는 것 뿐만 아니라, 권력이 「테러특별조치법」과 「주일미군재편성협의」를 계기로 한 평화헌법체제 파괴의 책동을 「북한의 위협」「이라크의 대량살상무기」「테러」라고 하는 근거 없는, 대중 우롱 선전으로 국민의 의식을 파고드는 데 성공한 것이 민중 측에서 유효한 투쟁을 조직할 수 없었던 큰 이유의 하나다. 이 대중 우롱 선전은 언론계와 방송계에서 여전히 계속되고 있다.

 

  노동자는 이러한 권력의 책동을 밝혀내어 아베 자민・공명집권세력에 의한 일본의 군사국가로의 변질, 노동자에 대한 억압체제 확립을 저지하기 위해 하나 된 슬로건 아래 압도적 다수인 국민을 끌어 모아야만 한다. 「9조 개헌 저지」「개헌 준비법인 국민투표법 저지」는 민중으로부터 거대한 투쟁으로 계속 발전하고 있다는 확신을 가지고 말이다.

 

 

개헌을 저지하여 사회적 대지진을 재차 일으키지 않으면 안 된다.

 

  1960년 5월부터 6월에 걸쳐 「일미안보조약」개정 비준의 국회승인을 저지하려 국로(国労-全国労働組合総連合)를 중심으로 400만 노동자의 전면파업과 35만의 전학련(全日本学生自治会総連合)산하 학생에 의한 연속적인 전국 학생 시위, 그리고 학자, 문화인뿐만 아니라 상공업자를 포함한 무수의 민중이 전국 각지에서 집회를 가졌다. 전후 15년, 아직도 잊을 수 없는 천황제 군국주의에 의한 민중의 희생과 참화(慘禍)의 기억, 그리고 그 희생 위에 간신히 손에 넣은 평화헌법을 지키라는 목소리는 국회의 보수혁신의 의석수로서는 짐작 할 수 없는 것이었다. 국민의 대다수는 안보조약이 일본의 장래에 가져 올 위험천만한 예감을 공유하고 있었다. 이를 공유하지 않았던 것은 자신의 전쟁책임, 아시아와 일본의 민중에 대한 학살과 억압에 입을 다물어 온 A급 전범 기시 노부스케 정부와 그 보수집권 그룹 뿐이었다(지금 그의 손자가 할아버지와 같은 길을 걷고 있다). 당시 자본과 권력에 대해 스스로의 권리를 지키는 노동자 조직이 국로, 탄로(炭勞-日本炭鉱労働組合), 일교조(日敎組-日本教職員組合)를 비롯해 건재했다. 많은 학생이 사회와 정치에 대해 문제의식을 가지고 여론에 선구적으로 불을 지피는 것이 자신들의 역할이라고 확신하고 있었다. 일교조의 근무평정(評定)반대투쟁, 탄로의 폐산 저지, 국로의 반합리화, 의료노동자의 인권투쟁 등 많은 곳에서 학생과 노동자가 같은 대열에 서 있었다. 국내에 있어서 노동과 자본의 대립이 선명했었고, 특히 일교조의 근무평정반대투쟁은 교사뿐만 아니라 전학련에 결집한 학생에 의해서도 전국 각지에서 데모와 집회가 조직되었다. 국가권력이 교육의 장에서 일교조를 배제하고 권력의 교육개입의 물꼬를 튼 이 근무평정에 대한 투쟁은 안보투쟁과(학생 투쟁으로서는) 동시병행적으로 이루어졌다.

세계의 정세는 미국이 중심이 되어 사회주의제국에 대한 세계적인 반공군사포위망이 쳐지고, 특히 동북아시아에서는 한국전쟁 이후 긴장된 정세 속에서 한반도와 중국, 소련에 대한 미국의 군사적 체제강화가 진행되어 베트남의 민족해방투쟁에 대한 군사개입도 준비되어 있었다. 그에 앞서 1959년 도쿄도(東京都) 스나가와(砂川)의 미군기지확장에 반대하는 주민투쟁에 대해 전학련은 일본을 반공과 민족해방투쟁에 대한 군사기지로 만들어서는 안 된다며 주민과 함께 투쟁하여 다수의 체포자를 내면서까지 정부의 정책을 단념시켰다. 이들 주민과 전학련의 체포자 재판에서 도쿄지방법원은 미군기지의 존재는 헌법위반이므로 무죄라고 판결하였으나 최고재판소는 유죄판결을 내렸다.

일미안보조약 반대투쟁은 이와 같은 국내 정세 속에서 태어났다. 권력이 안보조약에 주일미군의 법적 근거로서 6조의 기지규정을 둔 것은 당연한 일이었다. 미군의 활동영역을 정한 6조나 사전협의 조항의 애매함으로 인해 일본이 베트남 침략 기지로서의 역할을 하게 될 것을, 당시부터 우리는 경고했고 또 안보투쟁을 해 왔던 것이다.

 

  외신은 이 투쟁을 「극동의 사회적 대지진」이라며 전 세계에 타진했다. 6월 19일 미명, 국회에서 자민당은 단독채결에 의해 조약의 국회승인을 강행했다. 아베의 조부, 기시 노부스케는 국회를 포위한 수십만 민중의 모습에 몸을 떨며 자위대의 막료를 불러 자위대의 출동을 타진했으나, 「일본의 자위대는 자국민에게 총을 겨누는 훈련은 하고 있지 않습니다」라며 거절하였다. 거짓말 같은 실화다(현재 자위대는 대 테러훈련이라 칭하며, 민중에게 총을 겨눌 준비를 하고 있다). 조약은 저지하지 못했으나 권력의 가슴에 민중의 투쟁에 대한 깊은 공포심을 새겨둘 수 있었다. 그 뒤 30여 년간 일본이 불완전하게나마 「평화입국」으로써 평화헌법을 지켜올 수 있었던 것은 다름아닌 이 권력에 강한 인상을 남긴 민중의 힘 덕분이다. 1960년, 61년에 3만 명의 전학련 데모대가 국회 안에서 기동대와 충돌해 많은 부상자를 냈을 뿐만 아니라, 감바 미치코(樺美智子)씨가 학살당했다. 그녀의 시해를 뛰어 넘어 다시 한 번 개헌저지의 거대한 투쟁을 극동의 사회적 대지진으로써 만들어 내지 않으면 안 된다.

 

  1960년대와 비교해 오늘날의 상황은, 항상 사회운동에 선구적 역할을 담당해왔던 학생운동과 자본과 관력에 대해 싸울 자세를 잃지 않았던 노동운동이 해체되어 있다는 점에 있어서 결정적인 차이가 있다. 그러나 노동자와 자본이나 권력과의 모순은 지금이 몇 배나 더 심각하다.

 

  게다가 널리 국민들 사이에 팽배한 분열은 투쟁하는 민중의 에너지를 여러 갈래로 계속 갈라놓고 있다. 하나의 방향이 주어졌을 때 민중의 조직이 직장과 거리에서 자연발생적으로 생겨날 것이다. 개헌반대 투쟁은 극단적 국가주의자에 의한 부르주아 민주주의의 제한에 의한 억압체제와 평화체제로 바꿀 무장국가로의 길을 거부할 투쟁일 것임이 이해된다면, 반드시 국민 통합이 이루어질 것임에 틀림이 없다.   <終>