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キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳連載 23)



―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―





[第四部]   現代版日本アジア主義の台頭

 

 

アジアが支配する世界を夢見て

 

(原書 196p~199p)

 

 

岡倉のアジア盟主論が内包している日本中心主義、日本優越主義を、もう少し深く理解し様とすれば、彼の経歴を知る必要がある。明治時代にエリート官僚を養成する目的で建てられた東京大学を1880年に卒業した岡倉は、文部省に入り美術行政を担当したりした美術専門家だった。彼は1889年に文部省の任命を受け、東京美術学校の初代校長として赴任し、西洋化排斥・国粋的伝統の復興と言う教育方針を採択しながら、後進養成に尽力したが、教授達の間の内紛で幾ばくもなく校長職を辞職してしまった。その後、<東洋の理想>を執筆した次の年である1904年に、米国ボストン美術館東洋部長を担当しながら米日を往復勤務し、晩年を過ごした。

 

西洋美術を排斥し、中国・日本の東洋美術を讃揚するかと思えば、日本茶道の美的価値に心酔した岡倉の国粋主義的気質を理解すれば、日本を盟主とする彼のアジア文明論が西欧対抗論であると当時に、日本の国粋を対外的に拡大する為の危険な日本イデオロギーであることを、一気に確認する事が出来るのだ。それは、大正―昭和時代のアジア主義者、大川周明が、岡倉のアジア盟主論をそのまま継承し、大東亜共栄圏思想として発展させた事実でも立証される。

 

岡倉の継承者である大川は、東京帝国大学で宗教学を専攻しながら岡倉のアジア芸術史の講義を聞いて、彼の思想をそのまま受け入れた国家主義者だ。彼は又、同じ時代に活動したまた他の国家主義者、北一輝(1883~1937)と一緒に、<猶存社>と言う右翼団体を結成し、ファッショ主義的な国家改革とアジア主義運動を主導した、現代日本右翼の原型でもある。

 

彼は、他のアジア主義者達と同じように、東洋と西洋を決定的な対立勢力として把握し、東・西洋の対立・抗争がなかったら、人類の歴史は成立しなかったであろうとまで考えた。そして、こんな歴史の対立過程で、今まではヨーロッパの支配を受けて来たが、第一次世界大戦以後からは、遂にアジアに‘復興の瑞祥(めでたい)の徴兆’が現れ始めたと言った。さらにまた彼は、今後はアジアが支配する世界が到来するものとしながら、その証拠としてエジプト,支那(中国)インド、安南(ヴェトナム)などの反ヨーロッパ的な反乱を挙げた。これが世界史の変化の可能性に対する大川周明の展望だ。

 

そうであれば、そんな展望の中で日本がする事は何なのか、大川は日本がアジアの解放のために、積極的に前に出なければならず、その解放を準備する為に日本自らが国内の改造を果敢に断行しなければならないと主張した。大川の国内改革とは、即ち、ファッショ的な過激な改革を意味する。この為に大川は、実際に軍部将校達を支援し、クーデターを企図する事もしたが、挫折してしまった。

 

大川のアジア主義が侵略思想として発展したのは、1920年代中盤の頃、満州とモンゴル問題が深刻になるに従って、日本が満蒙権益を守らなければならないと言う論理を拡げてからだ。ちょっと見ると、理想主義的なアジア主義者の様に見えた大川は、この満蒙権益の擁護論を広げる事で、侵略的な本来の姿を露骨的に曝け出した。

 

先に紹介した樽井藤吉・岡倉天心・大川周明の他にも、近代日本のアジア主義者達は多いが、彼らの思想は、大概三名によって代表される事が出来る。しかし、彼等のアジア主義思想に限り種々付け加えたいことは、その主唱者達が、権力の中枢から離れた者達、韓国式に表現すれば在野人士達と言う点だ。日本では、彼等を‘大陸浪人’と呼ぶが、ここでは(日本の)‘朝鮮浪人’達も含まれる。

 

権力の中枢集団がヨーロッパ化=西洋化=近代化を基本動機として、日本国の発展と勢力拡大を推進していた点に照らして、彼等アジア主義者達はアジア重視のアジア観を開陳した点で、確かな野党的勢力として見る事が出来る。しかしアジア主義者達は、本質的に反天皇・反国家・反体制を主張したのではなかった。

 

彼等はむしろ、西洋化を追求する政治権力を補完する立場から、アジア主義思想を主唱した。朝鮮史学者である梶村秀樹教授は、これらアジア主義者達が“国家に反逆するまで、アジア人民に奉仕しなかった。”と指摘した。この様に見れば、彼等は明治国家体制の中の野党だと見る事が出来るだろう。

 

一方、カン・チャンイル教授は、アジア主義者達が日本政府の大陸膨張政策を先頭に立って先導し、理論化し、輿論化する役割を遂行し、こんな役割を遂行する過程で、政治権力と結託したり、権力に参加した者達も居た事を指摘した。

 

同様にアジア主義者達は、基本的に、帝国主義的な日本民族主義、日本精神主義、そして何よりも、日本人の選民意識を基礎に、歪曲されたアジア観を展開した。見かけはアジア人に対する同情、アジア人との善隣、アジア人の解放、アジアに対する援助を提示したが、それは梶村教授が喝破したように、‘主観的善意’の表示に過ぎなかった。アジア主義者達はそんな主観的善意を基礎に、日本民族を過大評価しながら絶対化したし、反面、他のアジア民族の主体性を根こそぎ無視したり、過小評価した。



(訳 柴野貞夫 2011・1・4)


 

 


参 考 サ イ ト

日 本 を 見 る - 最 新 の 時 事 特 集 「日本主義者の夢」 キム・ヨンボル著 翻訳特集