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(日本の労働者・民衆闘争報道 2010年12月3日 時事問題研究会)

 

 

 

国際労働者シンポジュウム「『反資本主義左翼』への挑戦」

 

 

11・29-「フランス反資本主義新党(NPA)」を招いてー関西集会の報告

 

 



△上 講演するレオン・クレミュー(左、現フランスNPA全国政治評議会・SUD航空労組執行委員)

 

 

○11月29日午後6時より、大阪市東淀川の「協同会館アソシエ」にて、フランス「NPA(反資本主義新党)」の全国政治評議会委員の、レオン・クレミュー氏を迎え、「反資本主義左翼」への挑戦と題するシンポジュームが開かれた。

 

このテーマは、他でもなく、急激に進む日本資本主義の危機を、日本の労働者・民衆に転嫁して乗り切ろうとする、日本資本家階級とその代弁人である菅政権の攻撃に、厳しく対峙し、徹底して戦わなければならない今、日本の労働者・民衆の隊列にとって、日本の革命的左翼の思想的、組織的低迷と、党派間のセクト的道徳的堕落に依る四分五裂が、著しくそれを阻害し、損害を撒き散らしているという反省から生まれたものであろう。

 

フランスの革命的左翼の中心をなしてきたLCR(革命的共産主義者同盟)は、すでにフランスの労働者・民衆を組織し、そのラジカルな隊列の中心になる事において、多くの成功を納めて来たにも拘らず(新しい労働組合の組織化、フランス大統領選挙など)、既存の「体制内左翼」の組織を凌駕する、更なるフランス労働者階級の大組織化に向かって、大胆に自らの党を解散し、新たな党(「反資本主義新党」)として大きく成長させている姿のなかに、日本の革命的左翼の行くべき展望を学ばなければならない。

 

会場には、かって、自らが否定したはずのスターリニストの粛清行為を彷彿とさせるゲバルトで、肉体的殲滅戦を遂行し、或いは、された者同士が、一つの会場でこのテーマに向き合う姿も見られたことは、日本の階級闘争にとって、少しは明るい兆しが見えてきたのかもしれない。過日開かれた東京の同じ集会よりも多いと言う250名が集まり盛況だった。

 

○レオン・クレミューとともに、韓国民主労働党・中央委員で且、韓国左派政治組織「タハムケ(全て共に)」の主要メンバーである、キム・インシク氏が、国際ゲストとして発言した。

しかし彼の報告内容は、自らのグループを、古典的なマルクスレーニン主義に立脚した社会主義グループであると主張したが、①韓国での社会主義党建設でのアプローチ上の問題点、②中国、北韓、ベトナム、キューバなどの労働者国家に対して、「国家資本主義」なる非社会科学的規定を用いていた点などで、マルクス主義とは相いれない主張が見て取れる。理論的に非社会科学的であると同時に、実践的に反動的である。彼らの主張に基づけば、(実践的には)「朝鮮戦争」、「ベトナム戦争」、或いは「キューバ革命」に於いて、アメリカ帝国主義の侵略から擁護すべき国家ではないことになる。実際にそのような結末を迎えた一部トロツキー派が存在したが、こんな反動的理論は容認する事は出来ない。

キム・インシク氏は、我が研究会でもその記事取り上げた事のある「レフト21」の編集者でもあるが、別の稿で、韓国社会主義党建設の綱領論争の紹介の中で、かれと、その組織の批判的紹介もしなければならないだろう。

 

 

<レオン・クレミューの講演>

 

「今日はお招き頂き有り難う。

2009年1月、LCR(革命的共産主義者同盟―第4インターナショナルフランス支部)を解散し、NPA(反資本主義新党)に合流した。
NPAはどんな基礎で作られたか?をお話します。

過去フランス労働運動は、共産党(CP)と社会党(社会民主主義政党)が中心となって影響力を持ってきました。CPは20%の支持を受けた時もありました。

我々新しい左翼(LCR)の歴史は1962年の5月闘争の中で生まれ、60年代から続いていますが、70年代に入って多くの革命的グループ(我々のようなトロツキー主義者の諸グループ、毛沢東主義グループ、アナルコサンジカリスト、アナーキーグループ等)による共同行動などの、既存の運動に支配されない新しい運動が広がりました。それは、70年代の石油危機、失業の増大、労働者の工場占拠と言う状況を前に、しかし既存の指導部と左翼の側は有効な戦いを指導し得なかった。

 

80年代に入り、ミッテランの社会党を中心に、共産党をはじめとする左翼連立政権の登場(81年)が、労働者階級にとって新しい時代の到来と期待されました。しかし、ミッテラン政権は、掲げた政策を無視、企業と株主の利害のための政府となったのです。労働者民衆は既存の指導部に裏切られたのです。同時にルペン等の右翼勢力が伸長してきました。

 

フランスにおける、最初の公営企業の民営化は、労働者が支持したミッテラン「左翼政権」によって、労働者に敵対して行われたのです。

 

さらに90年代に入っても社会党連立政権(共産党をふくむ)の下で、更なる民営化、新自由化政策がすすめられた。裏切られた労働者は、もはや新しい組織と運動を生み出し、既存の社会党、共産党、更に、その影響を受ける(ラジカルを排除した)既存の労働運動と、手を切る方向に歩み出したのです。

SUD(連帯組合連合)の結成がそうです。教師達も新しい組合を作りました、SUDは、急速に組織を伸ばしています。反失業、民営化、社

会保障の削減、人種差別への戦いで、移民労働者、女性達を結集しています。特に若者の参加が目立ちます。

 

 

△会場に集まった250名の参加者

 

 

この様な、体制内左翼と決別する運動の高まりの中で、LCR(革命的共産主義者同盟)は、欧州議会に5人の候補者を立てました、さらに、2002年の大統領選挙で、LCRの候補、オリビエ・プザンスノが4・5%(120万票)の得票を獲得しました。

 

この様な下地を背景に、新しい大きな政党の結集の必要性が高まったのです。今までのラジカル左翼運動が、組織としてはまだ小さい、さらに組織の拡大が必要であり、その機が来たと考えたのです。多くの社会活動家、労働運動家を結集し、オルターグローバリゼイションの運動、しっかりした大きな「反資本主義新党」のプロジェクトが生まれました。

 

このプロジェクトを、我々LCR内部の論議、各組合の労働者、各種組織の中で広く討議し、まとめる活動を行いました。このような過程で、2007年の大統領選挙でも、LCR候補プザンスノが4・2%(150万票)を獲得し共産党候補を上回りました。

機が熟したと考えた我々は、2009年2月、NPAを立ち上げ、LCRを発展的に解散し、これに合流する事を決定したのです。

 

2007年当時、LCR(革命的共産主義者同盟・第四インターナショナル、フランス支部)の党員は3000名でしたが、今日NPA(反資本主義新党)の党員は、9000名と、3倍に増えています。特に目立つのは、女性、移民労働者、その中でも若者が中心となっています。

 

我々は、多くの場合(地方、地域、国規模で)、社民政党を共産党が助ける形で運営されている権力のイスに参加するつもりはない。それらの中身は、保守政権と何ら違いがないのです。「週末には反対している政策を、平日には採用する」ような、社会党との「連合」に参加するつもりはないのです。

         

 

 

△上 「反資本主義新党(NPA)」の旗幟

 

 

  

我々NPAは、国際連帯を重視します。イスラエルに対する抗議行動、パレスチナ支援、NATO再編に反対する戦い等組織しています。これら戦いの先頭には必ず、NPAの旗幟があります。

 

 

次に、今日全国的に、継続して展開しているフランスの年金闘争についてお話しします。

 

2007年、サルコジ右翼政権は、さらなる新自由主義政策を推進し、また移民に対し非寛容な政策、イスラムへの弾圧、ロマ人排斥を強行し、マスコミを操作して失業した若者への攻撃を行う一方で、大企業と株



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△NPA(反資本主義新党)の隊列、http://www.npa2009.org/ (NPA公式サイトより)

                                            

 

主を優遇し倒産と失業者の増大を生み出しています。この流れの中で、サルコジは年金改革に手を付ける事となる。

フランスでは、第2次世界大戦以降、良く機能してきた年金制度は、労働者の掛け金をベースに悪いものではなかった。65~70パーセントがその恩恵に浴し、他の国々に比べても民間に頼らない公的保険として充実し、何度かの攻撃にもかかわらず機能してきましたが、15年前から「受給資格年齢を上げる」「満額拠出期間の延長」など労働者に負担と犠牲を負わせようとする攻撃が始まり、

 

これに対抗する戦いが拡大。しかし、伝統的左翼である社会党、共産党は、「必要悪」として、政府の主張に妥協、社会党大統領候補も「必要」と主張したのです。だから2010年以降の活動家の目標は、政府による都合の良いプロパガンダと戦うこと、政府の改革は不当であるとする委員会を立ち上げること。この運動の中心に、新しい組合組織SUD(連帯組合連合)と、新しい教員の組織FSU(フランス統一組合連合)、この二つが中心となったのです。

 

もう一つのポイントは、我々によるゼネストの組織化の努力です。

 

この夏以来、組合の指導の下で、抗議ストが組織されてきました。通常、企業のストは1~2日で終わります。我々の運動はゼネストの形態で組織しました。

9・7スト、9・20の改革法案議決の日も、そして法案が可決されてもなお、9・29以降持続的ストライキが、我々の組合を中心に、石油、鉄道など全土を覆って行きました。同じ時期、学生は、全学ストとバリケード戦で戦い、労学の共同の戦いが全仏で繰り広げられました。

 

地下鉄で足を奪われ,石油スタンドで給油出来なくても、多くの市民の支持を獲得し、期待した以上に成功しました。改革法は、政治システムにおける上院→下院へ通過していたにも拘らずこの様な戦いが続行中です。

フランスにおけるこの様な大規模な抵抗運動は、近来まれと考えています。」





△写真上、通訳と談笑する、(左)レオン・クレミュー<フランスNPA(反資本主義新党)全国政治評議会委員、フランスSUD(連帯組合運動)航空労組執行委員、エアーフランス出身>

 

 

≪参考サイト≫ 「フランス反資本主義新党」を扱った、当研究会の解説付き記事は以下です

 

☆ 141 フランス、革命的左派の新しい実験 (韓国・チャムセサン紙 2009年2月11日付け)

 


☆ 143 反資本主義新党(NPA)創党大会に行って来て。  (韓国・チャムセサン紙 2009年2月19日付け

 

 

☆ 144 反資本主義新党(NPA)創党大会に行って来て。 続 (韓国・チャムセサン紙 2009年2月19日付け)