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(キム・ヨンボム著、「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、
日本語訳連載C)

 

<その4>



浅薄なアメリカニズムから、日本への回帰(本文42P〜45P)

 

 

最も持続的に人気を引っ張っている、この二つの作品(‘龍馬が行く’と‘丘の上の雲’)を含む大部分の司馬小説は、幕府の末期と明治維新時に活躍した日本人達を主人公に扱っている。激動の時代を暮らした若者達と志士達がどんな思いを実現し、今日の日本の精神的土台となったのか?司馬はその問いに小説で答えながら、20世紀後半を生きる日本人達に、精神的進路を提示し与えた。

 

今日の日本の、各界各層の指導的位置で活動する50〜60代のエリートの例外なく、司馬作品を一冊も読まない人は稀だ。政治家なら《龍馬が行く》や《丘の上の雲》ぐらいは、間違いなく読んだものだ。橋本龍太郎前総理は無論のこと小渕恵三現総理{この著作は、1999年に著わされているー訳注}も読んだ。

橋本は、《丘の上の雲》に登場する三人の主人公中、露日戦争(1904)の東海(日本では‘日本海’と呼んでいるー訳注)海戦を勝利に導いた海軍参謀に対して、言及しながら、司馬から、歴史的な状況と現実を対照し、現実問題の対応策を構想する思考方式を学んだと吐露した。

 

東アジアの金融不安の為に、新聞・放送に頻繁に名前が挙がった大蔵省財務官(当時―訳注)榊原英資も、司馬の影響を多く受けた人間の中の一人だ。彼は、“司馬の歴史観と人間観は、米国に染まった‘改革派’に、国を考えると言う事が何なのかを教えてくれた。”と語った。司馬史観は、“浅薄なアメリカニズムから日本に回帰する事で、グローバル化の経験した波濤のなかで、日本を普遍化する”作業の契機を提供して貰ったと言うのだ。

 

司馬史観は、橋本政権の政府機関に依っても、公然と認容された。橋本前総理の諮問機関である行政改革会議は、一年間の作業の終わりに発表した行政改革に関する最終報告書(199年12月3日発表)で、次の様に記述した。

 

“故司馬遼太郎氏は、‘この国のかたち’が、どう無ければならないかを問いながら、明治時代の近代国家の形成が、豊富な合理主義精神と‘公’の思想、そして衿持心と志(こころざし)を持った人々に依って支えられたと言う点を、明白に明らかにした。無論、その後、精神的退廃とそれに随伴する悲劇的犠牲を経験した日本は、それに対する反省を土台に戦後復興と経済繁栄を成し遂げたが、司馬氏は、現在日本人達が衿持心と意思を喪失し、‘公’の思想が希薄に成るのを憂慮しながら生涯を終えた。”

 

司馬は、偉大な明冶帝国を建設した事を、個人の衿持心と志を持った多くの日本人達が、合理主義精神とリアリズム、‘公’の思想の土台の上に現実的に行動した事に依ると指摘したことがある。橋本政権の行政改革会議は、即ちこの司馬史観の明冶称揚を想起させることで、彼らが追求する21世紀のための行政改革の理念と方向を、司馬から探そうとしたのだ。要するに日本政府の公式文書にまで引用された司馬史観の核心は、誇りを持つ日本の姿を過去の明冶帝国で探さなければならないと言う強力な誘いを表わしている。

 

明冶の精神、明治の栄光を称揚する司馬史観をそのまま読んだら、榊原が言う‘浅薄なアメリカニズムから、日本への回帰’が何で帰結されるのか?に対する解答は、自ずと解かれる事と成る。いつまで日本がヨーロッパと米国に追従しなければならないのか。問いただして見れば、グローバル化は、欧美化、いや、‘アングロサクソン化’ではないか?であるから、今日の日本人が、偉大な明冶帝国から愛する日本の姿(かたち)を探さずに、アングロサクソン化の道を歩むことが、やはり正しいのか?今日、多くの日本人達はそんな問いかけを弛みなく提起しており、問いに対する解答は、日本民族主義、いや日本主義を高揚させる動きに連結されている。

 

実際に何年か前、日本では‘自由主義史観研究会’と言う狭量な民族主義を固執する新保守派団体が結成された。

保守右派政治家達と右翼の熱烈な賛辞を受ける彼等は、近現代史で日本人の誇りと栄光を探し出し、否定的にだけ描写された教科書の過去史記述を修正しようとする全国的なキャンペインを広げている。彼らの歴史修正運動と日本主義は、即ち司馬史観から精神的エネルギーを貰い、更に司馬史観を行動の指標としている。彼等は、司馬史観の忠実な信奉者であると同時に、継続発展者であるのだ。

 

自由主義史観研究会の例が示唆している様に、司馬史観は‘国民作家’司馬の甚大な影響力によって、若者達は無論のこと、50〜60代壮年層と老年層に至るまで、今日を生きる日本人達の精神的支柱となっている。そのため、司馬史観の正体を分析することは、現代日本人の価値観とパラダイムを把握する作業とも繋がっている。

 

 

 

司馬の特異な文明観(45P〜46P)

 

 

何よりも、明冶が作った歴史の虚像の上で展開された司馬史観は、司馬の特異な文明観と結ばれている。司馬は、日本と言う国とその国に住む日本人を、過去の文明の‘周辺’から、近現代文明の‘中心’に位置付けようとする立場を、見せている。それで、司馬史観の新しい歴史の読み取りは、明治の‘明るい面’だけを讃揚したあげく、明治の‘暗い面’、具体的に言えば、明治の対外膨張主義と侵略行動には目を閉じてしまった。

司馬は、侵略戦争である露日戦争を、‘祖国防衛戦争’として糊塗したし、韓半島の日本植民地化を、帝国主義列強の角逐の中でもたらされた‘仕方のない(やむを得ない)’結果、不可避な結果と正当化した。

 

この為に、我々は司馬史観の正体が、東アジア国際関係の枠の中で、どんな姿を備えることになっているのかを、分析しなければならない。さらにそれと同時に、司馬史観を信奉・追従する一団の日本主義者達が、司馬を担いで押しこんで行く日本主義の真意が何なのかを問い詰めなければならない。それは、司馬が見る韓国観が何なのかと言う問いとも、深い関連がある為だ。従って司馬史観の正体を剥ぎ取る作業は、必ず、司馬の韓国観を解明する道に繋がることと成る。

この様な司馬史観の正体を剥がす為に、予め、人気作家に浮上するまでの青年司馬を調べて、其の後に、彼の代表作《龍馬が行く》と《坂の上の雲》が日本人達の心の中に何を植え付けたのかを調べて見よう。

 

(訳 柴野貞夫 2010・1・31)

 

 

(次回に続く)