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(キム・ヨンボム著、「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、
日本語訳連載A)

 

<その2>


日本の国粋主義者・司馬遼太郎の歴史観を糾す

 

 

 

[]第T部]  揺れる列島

 

 
○  日本が消える(本文・13〜19P )−略

○ 雁の行列型モデルー日本の自慢と自己中心思考(20〜25P)−略

 

 

 

 

 

○明治の国、昭和の国(本文26P~35P )

 

 

 

 

日本と日本人が経済大国を達成するまで、大切に保持してきたスローガンが一つある。即ち、‘脱亜入欧’だ。それは、アジアを抜け出て先進ヨーロッパを見習うと言う内容だ。しかし、文字の解釈だけでは本質的な意味を汲み取ることは出来ない。四つの字を正しく理解しようとすれば、明冶の日本人の、アジア観とヨーロッパ観を知らなければならない。脱亜は、‘未開’なアジア、‘野蛮’のアジアを抜け出ると言う意味であり、入欧は、‘文明’のヨーロッパを訪ね、ヨーロッパを見習い‘文明’の一員となると言う意味だ。

明冶の日本は、政策目標である富国強兵と殖産振興(産業発展の意)を通して、ついに‘文明’世界に入っていった。それも、他のアジアの国々と共にではなく、一人‘文明’国となった。

 

日本の‘国民作家’故司馬遼太郎は、この様に、日清・日露二大侵略戦争に勝ち、台湾と韓半島を植民地にすることによって、初めて欧米の帝国主義列強の隊列に堂々と参加することとなった日本の‘文明化’を、‘明治の栄光’だと高らかに褒め称えた。こんな司馬の明治の精神の礼賛は、高度経済成長の時期に日本人の座標の役目をしたし、それは今も、21世紀日本の指標の役割をしている。だから、明治を讃えた司馬の小説と評論、講演などは、日本人に極めて大きな影響を及ぼし、この様な意味で、今の日本は‘明治の国’と言うことが出来る。

 

 

明冶と昭和である理由

 

 

傀儡の国・満州国の建設に引き続いて、中国大陸侵略に出た昭和日本は、アジアの盟主となり、覇権を掌握しようとした。しかし、‘大東亜共栄圏’を建設しようとした夢は、米国・英国を相手にした太平洋戦争に敗北する事で、ばらばらに砕けたし、敗戦後日本は、戦争を放棄した、いわゆる平和憲法(軍隊の保有を禁止し戦争の放棄を明文規定したと言う意味で、現行憲法をこの様に呼ぶ)の下で、戦後民主主義を定着させ経済大国に発展した。西洋に追いついた経済大国の達成は、‘脱亜入欧’の完成を意味した。しかし、経済大国の達成は、戦前の昭和時代との断絶に依るのではなかった。それは、戦時総力戦のための‘40年体制’を踏襲・温存させることで可能だったし、戦時体制は、戦後にもそのまま連続された。この様な連続性のために、成就した経済大国と言う意味で現在の日本は‘昭和の国’だ。

 

‘明冶の国’‘昭和の国’は、国家の富を確保するのには成功した。しかし、富裕なこの島国と、豊じょうな生活に慣れた島の人々を、何処へどのように連れて行くのか、その点に対して、政治家達と未来を心配する知識人達は、今、この考えを思い巡らせている。日本が指向しなければならない目標、日本国民が行動しなければならない座標を探す作業が始められたのだ。21世紀悲観論と改革の実行問題で揺らぐ日本列島を、また一つの大きな課題が襲ったのだ。

 

冷戦体制の分解と1991年1月の湾岸戦争は、多くの日本人達の民族主義的感情を刺激する契機となった。民族主義的傾向は、戦後民主主義と平和主義の理念の中で育って来た若者達の間でも、次々と強化され始め、‘明治の栄光と誇り’で、経済大国日本の進路を探そうとする一部日本人達は、狭量な日本民族主義(日本主義)の旗幟(きし)を振り回し始めた。この様な日本主義の叫びが激しく成るほど、保守的な政治指導者たちを含んだその主唱者達は、国家意識と民族意識が薄弱だと思われる日本人達を、一つの象徴の下で統合させる、ナショナルアイデンティティーの確立が切実だと考えるに至った。

 

 

未来への反動

 

 

そうであれば、日本の国民としての、正体性と主体性を何処で求めるのか?

藤岡信勝の様な日本主義者達は、近現代史で自負心と自衿心(自慢心)を育てる歴史を探し出し、それを中・高等学校で教えなければ成らないと主張する。即ち、軍隊慰安婦、南京大虐殺の様な‘自虐的’歴史教科書の記述が削除されなければならないと言うのだ。それが、将に歴史教科書を新しく書くことの運動だ。無論これに対して‘未来への反動’だと糾弾する人々もいるのだが、そうであっても、この運動は若い層と教育現場で相当な呼応を受けている。

その上、一部保守派政治家達は、靖国神社参拝を強行することでナショナルアイデンティティーを高揚させようとしている。これは、戦前の軍国主義日本と戦後の右翼人士たちが行った、国民精神高揚運動と脈を同じくする行動だ。

 

清日戦争(日清戦争)以来の国家戦没者達を、伝統信仰である神道の儀式に従い、一緒に祭祀(さいし)を執り行う靖国神社には、A級戦犯も合祀名簿に上げ祭祀を執り行った。この神社は、過去、軍国主義日本時代護国神社として、国民の求心点の役割を果たした所であり、天皇はその時も今も。日本神道の大神主であると同時に、生きている最高指導者。それ故に靖国参拝は、天皇に対する敬拝とともに国民の正体性を確立する見事な標本となる。

 

1988年《NOと言える日本》と言う本を共同執筆し、国際的に名前が知れ渡った作家兼政治家、石原慎太郎のような人々は、反米的立場で日本民族主義を宣揚させている。石原は、1998年8月《文芸春秋》に、<日本は米国の金融奴隷ではないー新アジア攘夷論>を発表し、現代版‘日本アジア主義’を主唱した。彼が主唱した‘日本アジア主義’は、明冶と昭和時代に理論化作業が成り立ったもので、アジアで唯一近代化を達成、文明国となった日本が、アジアの盟主となりアジアの共同繁栄を主導しなければならないと言うイデオロギーだ。

明冶と昭和を憧憬する右翼人士達と保守派の中では、石原流の反米的日本アジア主義に同調する人々が多い。

 

 

 

 

 

日本はどこへ(本文30P~35P−訳注)

 

 

 

 

経済大国になることで、明治時代以来の夢である‘脱亜入欧’を完成した現在、民族主義と日本主義の風潮が再び蘇えっている日本、‘明冶の国’‘昭和の国’日本は、一体全体、何処に行こうとするのか?

国際社会で発言権を高め、外交的・政治的影響力を行使することが出来る強力な力を備えた国へ前進するのは、国連安全保障理事会の常任理事国になることで、ひとまず完了されるのだ。その時期がいつ頃になるのかは断言することは出来ないが、日本は、なることが出来る或る早い期限内に、その目標を達成しようとしている。現段階で、日本外交の最大の懸案であると同時に最大の目標である、安保理常任理事国の席を獲得するために、この間日本は、巨額の金を投入し、いわゆる‘国際貢献’をして来た。韓国・中国など東アジア諸国の歓心を買おうと努力してきた。

 

国際貢献は、表面上では日本が持っている富の一部を開発途上国の発展のために使用することで、それだけ国際社会に寄与すると言う善意を意味する。しかし、その実質的な胸算用は、国際社会で信頼性を高め、政治大国化に乗り出す道を磨くことにある。日本の国際貢献のなかで最も際立つ事業は、開発途上諸国に提供するODA(政府開発援助)だ。ODAは、今まで主に中国と東南アジア諸国に提供されて来たのだが、ODAを包含して日本政府が開発途上諸国に提供する有償・無償の援助は、先進工業諸国の中では断然最高額に達する。財政赤字解消方針のために、1998年ODA予算は大幅に削られたが、それでも、1兆円は超えており、1997年度には1兆1千7百億円ほどだった。

 

 

 

日本の大国化作業は、既に始まった

 

 

日本の軍事大国化は、現段階としては、ふたつの難関を突破してこそ可能だ。第一には、日本の軍国主義化を懸念する韓国・中国などアジア諸国が、日本の再武装を受け入れなければならないし、第二には、陸・海・空軍と称される軍隊の保有と、戦争行為を禁止した現行憲法を、改定しなければならない。この二つの難関は、すべて容易に克服できる性質のものではない。特に、憲法上の戦争禁止条項は日本の軍事大国化を妨げる最も大きい障碍物として、そのために日本の中では、現在、改憲賛否論が激しく競合している。

 

改憲論は、1997年現行憲法施工50周年を契機に、あらたに首を持ち上げた。世論は、過半数を超える日本人が改憲賛成側に傾くものと明らかになっているが、複雑な改憲手続きにより20世紀中に改憲が実現される事はないようだ。それ故、中曽根康弘元総理のような大国化推進論者は、今後10年を見通して、改憲準備をしなければ成らないと語る事もした。改憲がそのように遅くなれば、実質的な軍事大国化も近い将来に実現される事は難しいと見る。

 

しかし、世界有数の防衛費支出国家であると同時に、非核国家としては最強の在来式兵器を保有した日本は、その間、軍事大国化の準備作業を着実に進行してきたのであり、今もしている。最近の例を挙げれば、日本は1996年、米・日防衛同盟を再解釈し、その解釈に基づいて、1997年秋には、米・日防衛協力指針(ガイドライン)を改定、自衛隊の軍事的役割を従前より更に拡大強化した。今自衛隊は、有事時、韓半島を含んだ周辺地域で、米軍を助けると言う名分で、米軍の軍事作戦に参加することが出来ることと成った。改定されたガイドラインで、自衛隊が米軍に‘後方支援・協力’を提供することに、一つの規定が、自衛隊のそんな軍事役割を強化させたのだ。‘後方支援・協力’と言う表現は、日本ではない他の国を守る戦争に日本が関与することを禁止した現行憲法の規定を、巧妙に避けるために思案をめぐらした軍事的遁辞(言い逃れ)に過ぎない。

 

さらに日本は、湾岸戦争を契機にカンボディアなどに自衛隊の海外派兵を実現した。無論自衛隊が、現地で戦闘行為を展開するために派兵されたのではなく、名分は、PKO(国連平和維持活動)での参加が、現行憲法の平和主義の精神に符合すると言う‘解釈改憲’に基づいている。しかし、‘解釈改憲’がこんなやり方で拡大されてみると、非軍事活動に制限された海外派遣自衛隊の限定的役割が、場合によっては、実質的な軍事活動として広がる可能性を決して排除することは出来ない。これも、日本の大国化が既に始まったことを意味する。

 

 

依然として強い富者の国

 

 

湾岸戦争の直後、日本人は‘経済巨人国、政治・軍事小人国’と言う国家の不均衡なイメージを痛切に経験した。たとえ軍隊を派遣することは出来ないとしても、巨額のドルを支払い、米国の多国籍軍を支援したのに、米国とクエイトから有難いと感謝の言葉を聴くことが出来なかったことに対して、多くの日本人達は嘆いたのだ。“経済大国だけでは、駄目だ。政治・軍事的にも日本は大国とならなければならない。日本は今、これ以上金だけ出す金銭出納機ではない。”と。

 

経済巨人国―政治・軍事小人国の不均衡状態を、是正しようとする日本人の意思は、そんな自己反省の中で強化されたものとして解釈される。

保守派政治家と日本主義者達が、執拗に追求している政治・軍事大国化路線とそれに対する意思は、強力な日本の経済力に基づいている。長期不況で経済が沈滞しマイナス成長を続けたが、日本は依然として強力な富者の国だ。

 

4兆5千億ドルに達する日本のGDP(国内総生産)は、米国に続き二番目に大きい規模で、世界総生産の18%、米国GDPの60%、ドイツの2倍にもなる。更に日本は、世界第一の債権国家だ。政府と民間企業が保有している対外純資産が、去る1996年、はじめて、百兆円を突破し(約9千4百億ドル)6年連続世界第1位の債権国家の記録を立てたのであり、その中で3千億ドル程度は、米国の債権を買い入れた金額だ。それだけでなく、1997年6月末現在、日本の銀行が韓国と中国を含んだ東アジア9カ国に貸し与えた金は、全部で約2千7百億ドルに達し、第二位の融資国であるドイツの2倍以上越える。他に貸し与えた金だけその様に多いのではない。日本が保有している外国為替もおおよそ2千2百億ドルにもなる。

 

過去には、‘日本株式会社’の変な特徴を指摘して、‘国家は金持ちであるが個人は貧しい’と、皮肉った。しかし最近は日本人個々人も富裕だ。1億2千6百万日本人は、一人当たり一千万円に近い個人金融資産(千一兆二千二百万円)を持っているのであり、この度外れた規模の金に外国の金融機関たちが物欲しげに狙っている。

 

上に列挙した経済大国日本の姿を、数値上で調べ続けていたら、その‘経済巨人’が、小説家・司馬遼太郎が晩年に願った通り、やはり、‘小日本主義’の狭い枠の中で安住するのか、疑問に違いない。

金を多く稼いだ企業家が自身の資産を保護するために、或いは、自身の影響力を拡大するために政治権力を貪る様に、‘経済巨人’の日本も、政治・軍事的に拡大指向の道を歩むことが、その図体を維持するための帰結だと、日本主義者達は考えるのだ。

この程度で政治・軍事大国への躍進を狙う、日本主義者達の特性を指摘する必要がある。

彼らの特性が、直ちに政治・軍事大国へ進む日本の危険性と関連があるためだ。

先に、現在の日本を‘明治の国、昭和の国’と規定したのは、明冶と昭和時代の日本が海外侵略と膨張主義を指向した歴史的事実と直結されている。1980〜90年代に、顕著に姿を露にした日本主義者達は、この様な歴史の恥部と暗い部分を日本人の記憶から消してしまい、‘明冶の誇り’と‘明治の栄光’だけを、日本国の指標にしようとする日本中心主義者であるとともに、日本絶対主義者達だ。

彼らは昭和時代の侵略戦争までも、‘やむを得ないこと’それとも、‘結果としての侵略行為’程度で糊塗し、政治支配層の大国化路線を民間支援で世論化し、理論的に、した支えする勢力だ。

この様に、自己中心的な歴史認識と思考方式を持った日本主義者達と政治支配層が、今日の日本を政治・軍事大国化にしたら、我々はこんな大国日本に対し、信頼感を持つことが出来るのか?

 

幸いにも日本の中には、大国化を拒否し、自衛隊の再武装を許容する改憲に強力に反対する勢力があり、日本のアジア覇権を狙う日本アジア主義の思想を排斥する知識人達もいる。

 

私は、彼らの声が日本列島にあまねく広がり、更に、彼らが21世紀日本の悲観論の克服と言う課題を解決すると同時に、人間の普遍的な理念と人間の普遍的な価値を掲げ、異なるアジア人達が、日本と日本人を信頼することが出来るまで、転換期の日本を変貌させることを懇切に望む。

‘明治の国、昭和の国’として今日の日本を特徴付け、それなりに分析を試みたのは、一つにはそんな期待と願いがある為だ。



(訳 柴野貞夫 2010・1・29)






(次回に続く)