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◇空襲までの歴史 戦争体験談 ◇世界の平和を願って ◇戦中・戦後の教育
星野光世さん「戦争と子どもたち」から
「戦争と子どもたち」は2016年に自費出版され、この本から「もしも魔法が使えたら 戦争孤児11人の記録」(講談社)が作られました。
戦争孤児が生まれるまで |
【空襲】 金子トミさんの体験 父も母も疎開先の空襲で死亡(山形県真室川) 上野駅での浮浪児生活 山で二晩野宿を 弟は、毎日、奴隷の生活 学校も小学4年で止まったまま 打ち明けられなかった浮浪児生活 私は23歳で結婚しました。45年間添い遂げ、 夫は17年前に旅立ちました。とても優しい人でした。優しかった夫に、私の浮浪児だった過去を、最後まで、打ち明けることができませんでした。夫の心変わりが怖かったのです。 「お父さんごめんなさい。結婚する前、東京上野で、何年も浮浪児生活をしていた過去を、とうとう隠し通して・・・・・」 呼吸が止まった瞬間、わあっと泣き伏し、優しかった夫に謝りました。 金子トミさん(当時15歳)の手記より |
【上野公園に集まる親のない子どもたち】 永田郁子さんの体験 学童疎開が始まる 家族5人が死亡 ふろしき包みを持って、知らない町をさ迷う 真っ暗闇の神社で、ひとり野宿を ◇永田郁子さんの体験談 看護学校で2年間勉強をして、資格試験に受かり、正式に看護婦として自立することができた喜びは格別でした。何よりも嬉しかったのは、これからは人に力を借りずに自分の力で生きていける。そして、もうひとつ、これからは、朝、昼、晩と三食、食べられる。これも嬉しかったですね。 親を亡くしたあと、何が嬉しかったといえば、何よりも「自立できたこと」です。あれほど望んでいた勉強も一応できますし、住むところも、食事の心配もしなくてよくなり、本当にありがたいと思いました。 永田郁子さん(当時9歳)の手記より |
【戦争を知らない子どもたち】 山田清一郎さんの体験(神戸空襲) トマトに染まった「いのち」 ◇アキラへの鎮魂歌 ごみ箱をあさる 夜は地下道でごろ寝 鉄格子の檻の中 19歳でやっと定時制高校へ 私は、品川の児童相談所から、米屋、うどん屋、飲食店など転々として、神田の本屋に住み込み、そこから、やっと定時制高校に入学しました。19歳の時でした。 長野の同級生は、すでに高校を卒業していました。 ‥‥昼間は労働者、夜は学生、私は、定時制高校を卒業してから夜間大学に進み、27歳で中学校教師になりました。・・・・ 山田清一郎さん(当時10歳)の手記より |
◇【防空法】 ◇紙芝居動画「知って下さい東京大空襲」 ◇空襲被害者等援護法について】 |
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