−春の磯遊び−



子供の頃一番の遊び場は海でした。

魚釣りは道具やエサにお金がかかるのですが
貝は潮が引けば お手軽にとることができます。

砂浜ではハマグリやアサリの潮干狩りなのですが
磯の岩に着いている 貝やウニ、岩ノリなどは磯の香りが最高です。

春になって天気も良い、そろそろ満月

・・大潮が来るのを待っていました。



今回の目的はコレで!



 海の潮の干満は太陽や月の引力により生じます。

新月や満月のころになると、太陽と月と地球は一直線上に並ぶため、
月と太陽の力が合わさり潮の満ち引きが大きくなります。これを「大潮」といいます。


干満の時刻は その地域の潮時表をみればわかります。
自然のことなのに すべて計算で動いているなんて・・なんか不思議ですねw

電車の時刻表みたいに 時間が決まっていますので
その時間に合わせて海に行きました。
勝負は前後一時間の 二時間程度です。

今回向かったのは 銚子の海鹿島(あしかじま)海岸というところです。
昔はアシカが棲んでいたそうで この名前が付いたそうです。

普段は波の下になって見えない岩が むき出しになっています。
水溜まりをジャブジャブ歩くような感覚で 海に入ることができます。
さすがにまだまだ水は冷たいので 長靴持参で行きました。
夏になれば 裸足で気持ちいいのですが・・

最初に目を引くのがコレ
派手な色の イトマキヒトデです。
なんか無意味に派手ですよねw
これが食べられれば 最高なのですが無理ですね。
食べられる心配がないから 派手なのでしょうか?w
で、目的の貝を探したのですが ちょっと目では見えません。
水の中の石の裏側に隠れてるんですね。
海草や岩ノリで滑りやすいのですが
転ばないように注意して 石を転がして行きます。

最初は思ったよりとれませんでした。
昔はいっぱいいたのになぁ などど思いながら

人力で持ち上げられる石を転がしていきます。
やっぱり大きな石の下には けっこういます。


これが本日の一番!
大きな石の下に ウニと貝が固まっていました。
思わず\(^_^)/って感じですw

写真で丸く見えるのが 目的の巻き貝なのですが
銚子では「べーぼ」と呼んでいます。
正式には クボガイと言うみたいなのですが
たぶん ベーゴマに似ているから?・・不明ですw

これだけあれば充分です。

ウニは生でも食べられるのですが

貝(べーぼ)は塩ゆでにして 楊枝で身を取り出して食べます。

磯の香りがたまらない・・酒のつまみにも最高ですw



めでたしめでたし・・ということで


ちょい おまけなのですが
こんなものを見つけてしまいました。
懐かしいというか まだあったのか!という驚きで
写真に撮ってしまいました。

これを見て なんだかわかる人は少ないと思います。

子供の頃(30年以上前)は海にいっぱい落ちていました。
確か子供たちの間では「しゅっぽ」と呼ばれていたと思います。
丸い棒みたいなのと この平べったいのがあったのですが
花火みたいに火を付けて遊んでいました。

いっぱい集めて持っていたところを父に見つかって怒らて知ったのですが

そのときの父から聞いた話です

これは綿火薬で、砲弾の薬莢に詰められていた

敗戦後GHQの命令で 漁船が兵器の廃棄を行ない
銚子沖に木箱に入った爆薬などを沢山捨てた

その木箱が海岸に多量に打ち上げられた
当時は戦後で何も無い時代だったので 皆争うようにそれを拾った
木箱をバールでこじ開けて お金になりそうな金属などを探した
木箱は薪にもなった

なかには爆薬などもあり、悪戯をして手や指を飛ばされた人も多かった
鉛が欲しくて 鉛の塊をこじあけたら 中から催涙弾の粉が出てきて
ひどいめにあった・・

戦後60年経ってもまだ残骸が残っているんだな・・と思ってしまいました。

で、まだ火が付くのかと思い 試してみたのですが・・


一瞬の出来事のように 消えて無くなりました。

途中で消そうとしても消えない勢いでした。
60年間海の中にあっても 危険性は変っていませんでした。



さらにおまけ

帰ろうと思ったら 隣の車から出てきたカップル・・ 
すごいものを見てしまいましたw

男性は60歳代後半? 女性は十代?
で、その女性がハダカに真っ赤なオーバーオール・・
ムネがほとんど見えている!!

さすがに間近で写真は撮れないので 遠くの後ろ姿をw

真夏でもこんな格好で歩いてる人はいません(^_^;

他県ナンバーの車だったのですが
どうみても親子ではないような・・
アヤシすぎー!!w



というわけで

春の海は穏やかでした。。

 

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