<みちのくの・・・「とど」>        2004/07/16-20

平成16年7月末、初めての東北の旅に連れて行かれた。4泊5日のハーレーサイドカーでの「みちのく」はけがれのないところだった。

総括

 そう、詩人が多く集うこの七時雨に、私は「一匹のとど」かつ「コメディアン」 であった。ハーレーダビッドソンサイドカーを操縦するのは私の無二の親友。彼 もコメディアン的要素はあるが、700キロの彼方から、まだ梅雨の岩手に私を 載せて無事「帰って」来たのである。

 そう、彼はこの地にいつも「帰って来る」。ところがどうだ、私は「東北」という 地に、はじめて運ばれて来た、南極の「とど」。

 家畜運搬用の車両とは比べようもなく、私にフィットするサイドカーのシート に私は沈み込み、雨をものともせず、そのエグゾーストノートを子守唄に「みち のく」へ運ばれて来た南極の「とど」。

 そう、みちのく「七時雨」には、はじめて会ったとは思えない、神々しいばかりの 「鉄馬たち」と、「千と千尋」の神々のように、多様ではあるが、柔和で善順な 人々。ここは神々達の集うところであり、なによりも、神々が、互いとの再会を、 楽しむために、春夏秋冬をそれぞれの地で過ごして後来られ、みちのく「七時雨」と いう「湯屋」へ垢を落としに来られているのだった。

 神々は、確かに、とどを奇異の目で見られた。しかし、すぐその眼差しは、私 の無垢を見て取ったのか、柔らかな眼差しに、誰もすぐに変わった。

 そう、神々は、気高いがゆえに「千尋」のごとく迷い込んだ「とど」を奇異の 目で見た。それこそが、私の求めていた神々の気高さ。そして、すぐに「私」を 見抜いて、おおらかな笑顔を見せて頂いた。これこそが、わたしの求めていた神 々の寛容。

 神々の姿を、地上へ実況中継するため、私の持ち込んだ俗世間の携帯用の電子 計算機と携帯電話・・・・しかし、みちのく、そして「七時雨」の地は、神々の神聖 な「湯屋」の保養の中継を拒んだ。

テントからは、まったく地上電波の送受信は不可能だった。神々の味方、山の神様は、私のテントの通信機器をも水没させようと、夜半、強い雨を降らせた。私は暗闇の中、おろおろし、コメディアンを演じたが、これに耐え、神々の写真を編集していた。

 そして夜明け前、私は水没したテントを放棄して、神々の宴の後の山荘へ逃れた。

山の神様は、健気なこの珍客を許した。とどが神々の伝承者であることを、夜半からの雨の中の行動で、試していたのだった。

 山の神様は明け方、雨を降らせることをやめた。のそのそと、タバコを求めて表に出たとどに、チャンスをくれた。突然、携帯の電波がキャッチされた。とどはすかさず、神々の姿を、電波に乗せて、地上の世界中へ伝達した。

 これは、日本書紀にも記述されていた天の岩戸の現代版であった。  神々の姿は、インターネットに中継された。とどは勲章を得た。

 1700キロに及ぶ、横浜から東北一周のたびは、4泊5日。ノートパソコン の1充電あたりの駆動時間は6時間。梅雨空にたたられなければ、サイドカーに おいて3時間おきに、走行しながら、ホームページをアップデートする予定だっ た。

 流れ行く景色を、囲われた自動車の空間の中からではなく、風を切りながらサ イドカーの舟の中から、実況中継が可能であることが今回の実験で立証された。

 

 それはソロでもできず、かと言って4輪車でもできないことである。それをと どは体験することができた。

神々に許されたのである。もう一つ加えれば、録音機 も携行していた。エグゾーストノートを記録した。 これもサイトに公表したいと 思っている。 東北道を巡航する、ハーレーのエグゾーストノートである。

 W1の音もひろってみた。さらに言えばビデオカメラも持ってゆくつもりだった。さすがにこれは、ハーレーの機長に拒まれた。

 単車は、風になることが醍醐味である。どこに着こうとかまわない。風になっている瞬間がすべてである。

 それを記録し、インターネットで下界に速報したかった。

 それが「とど」にとっての今回のみちのくツアーであった。

 「千尋」は、無事に下界に戻ったのであった。神々に再び会えるかは、誰も保証できない。

一陣の風。それがすべてだった。


  

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